#04 咲良

 自宅に戻った咲良は、着替えて夕食を済ませると、テレビを見ながら算段を考える。画面右上の時刻は、午後九時半を示していた。責任感とかそういう言葉で誤魔化して、残業が当たり前なのはどうかと思う。しかも教員に残業代は出ない。教職調整額制度によって、時給に換算して毎日二十分足らず分の金額が支給されるだけだ。

 とはいえ、咲良のような『良い御身分』の教員は、そうも困らない。財閥傘下企業の血縁者で、その手の仕事からドロップ・アウトした人間は、低賃金の公務員として働きつつ、親のすねをかじって道楽に浸る……自分も違わないと咲良は自覚していた。自分の場合は、親ではなく祖父だが。

 改めて自分の生活環境を見直すと、理事長のハッタリがズシリと来る。祖父の後ろ盾が消えると、裕福な生活からはオサラバになってしまう。

 さて、どうしたものかと考える。理事長のご機嫌取りなど気が進まないが、やらなければ、こちらがやられる――井中教諭には、私の生活のために消えてもらわなければ――と割と真剣に思った。

 まず喫煙者だが、昼休みに判明したのは、矢田と寺原の二人だった。見回りのローテーションが夕方の職員会議で決まったので、明日以降は現れて欲しくない。

 そこで咲良は残業し、職員がほぼ全員帰ったところで、体育館裏を掃除しておいた。吸殻も全て捨てておき、人の目が届く範囲である事を警告する。

 これでしばらく、学校で煙草は吸わなくなるだろう。そしてテスト週間は来週からだ。この間を目処に、事を済ませる必要がある。

 会話の中で出てきた『シャイン』という単語だが、これは廃通り内にあるバーであることが分かった。テスト週間の間に、彼らはここに出現すると見ていい。

 どうやら喫煙の問題より、こちらを利用する方が手っ取り早そうだ。井中教諭さえ排除できれば、その目新しく衝撃的なニュースによって、喫煙の問題を風化させられる。

 そして改めて考える、井中教諭の性格と性質。生真面目で、体罰を用いる可能性のある問題教師……。

 これだけピースが揃えば、あとは並べ方と工夫でどうにかなりそうだ。

 咲良は最も可能性の高い方法を頭の中で練り始めた。


「井中先生、ちょっとお話があるんですけど、よろしいでしょうか?」

 次の日の朝、井中が来たところで、咲良は最初の一手を打った。井中教諭は、突然、ほとんど接点の無い若手教師に声を掛けられて、意外そうな表情をしていた。

「いますぐにでも構いませんが……どのような内容で?」

 咲良は声を潜めて言う。

「生徒指導の事なんですが……」

 井中の表情が、見るからに険しくなるのが分かった。

「分かりました……ちょっと、場所を変えましょうか」

 二人は職員室を出て、生徒指導室に向かった。廊下では声が反響するし、他に密談が出来る場所は、ほとんどない。

「どうぞ」

「ありがとうございます」

 井中が咲良に、回転椅子を宛がう。井中自身は部屋の奥にあるパイプ椅子に座った。

「それで、話というのは?」

 昨日の晩に考えた設定に沿って、咲良は答える。

「私の方に、生徒から話がありまして……廃通りに『シャイン』というバーがあるんですが、そこで酒盛りをしている生徒がいるらしいんです」

 それだけ聞いて、井中の顔は見る見るうちに赤くなる。想像するだけで怒りが湧いてくるとは、まったく見上げたものである。

「……失礼ですが、先生は、どうして、そんな話を聞かれたんです?」

 現在、咲良は担任や副担任を勤めていないので、生徒から話を聞いたというのは不自然に考えたのだろう。授業以外での接点は無いからだ。

 咲良は、授業の接点を逆手に取る。

「たまに相談を受けるんです。数学が個別指導ですから、生徒との距離も自然と縮まるので」

「……なるほど」

 一応は、この言い訳で納得してくれたらしい。嘘ではないが、この件とは全く関係無い。

「来週からテスト週間です。そうなると、部活に所属している生徒であれば、これを好機に出入りする可能性は増えます」

「テスト週間の間は、テストに備えて、放課後の部活動は中止になりますからね」

 テスト勉強する時間を使って酒盛りをするとは、いい御身分である――井中は唸った。

「その酒盛りをしている生徒の名前は?」

 咲良は、首を横に振った。

「言ってくれませんでした……相談してくれた生徒も、できるだけ秘密にして欲しいと。あの辺りに出入りしているというだけで、白い目を向けられますからね……それでなんですけど、テスト週間の間だけでも、あの辺りで見回りを行った方がいいんじゃないかと」

「見回りは、他でもやっている事です、今更やっても、効果は期待できないでしょう」

 予想通りの反応に、咲良は思わず口元が綻びそうになる。あの辺りには、高校教師も、たまに腕章を付けて見回る事があるが、大した効果はない。今更そんな事で誤魔化されたくないのだろう。

「赤坂先生……この問題、私に預からせてもらうことは、出来ませんか?」

 思い詰めた表情で、井中はそんな事を口走った。即座に咲良は首を振る。

「気持ちは嬉しいのですが……私も相談を受けた身として、おいそれと他人任せには……」

「もちろん結果については、あとで必ずご報告させて頂きます」

 さて……どう言いくるめたものか。もちろん、井中が食いつかないと話にならないのは事実だが、独り占めされては元も子もない。

「先生が懸念されてるのは……その、他の先生方を悪く言うつもりは無いんですが、皆で取り組んで、問題がになるのを恐れてのことですか?」

 元々の性格もあって、否定は出来ないらしい。しばらく目を伏せてから、井中は呟くようにして言った。

「それもあります」

 それか。厄介な言い回しだが、咲良は、その微妙なニュアンスに気付かないフリをして、井中が考えているであろう事を予測し、そして言ってやる。

「もし良ければですが……実際に『シャイン』に行って、その場を確認する、というのはどうでしょう?」

 井中が目を見張った。自分が考えていたのと、ほとんど違わない内容だったからだろう。

「え、ええ……構いませんが、赤坂先生も?」

「はい。酒盛りも問題ですが、万が一、警察のご厄介になると……色々と面倒ですから。そうなる前に、注意できれば、一番いいでしょう?」

「確かに……校長先生などには、事前報告しておいた方がいいですね」

「では、私から校長先生には伝えておきます」

 あまりに咲良が乗り気な為か、井中は少々、気になっているようだった。

「……分かりました。では、そちらの方はお願いします」

 井中が腕時計を見る。どうやら、そろそろ職員会議の時間らしい。咲良たちは生徒指導室から出た。

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