前日談 赤坂咲良副担任就任前

#01 咲良

 朝の職員室で、職員会議のその他連絡事項に際して、熱心に語る教員が一人いた。

 井中いなかただし教諭。二年三組の担任教師である。担当教科は社会科で、専門は歴史だ。だが体育教師に負けない巨躯を誇り、小柄な生徒ならば、片手で持ち上げられそうである。

 真面目で、自他共に厳しく、融通の利かない頑固な性格で、若手の頃には何度か体罰を行った事があるらしいと、若手の間では噂になっていた。

 体罰に、ある種極端ともいえる敏感さが芽生え始めた昨今、その手の話題に触れようとする人間は少ない。一部の過激な主張は、体罰を頭ごなしに否定しているようにすら思えるが、面倒ごとを回避したい学校としては、正面から反対意見に対抗するより、そもそも問題にならない……体罰をせずとも機能する事が望ましい。

 よって――井中教諭の事を腫れ物のように扱う風潮が出来上がるのは、至極当然と言えた。

「これですが……体育館の裏に落ちていました」

 井中教諭が、ポケットから取り出したのは、煙草の吸殻のようだった。

 腕を組みたくなるのを、どうにか抑える。人間は何か考えるとき、手の平に物が触れて他の情報が入ってこないようにするため、腕を組みたくなる傾向があるらしい。

「無断で校舎に入った人間が捨てて行った――ということを願いたいばかりですが……そのような事は有り得ないかと。大変失礼ですが、先生の中で、喫煙される方で心当たりはありませんか?」

 皆が首を振る。若手の教員でも煙草を吸う人間はいるが、今では校舎全体が禁煙など当たり前なので、クルマで一旦校舎から出て吸うのが常識である。どう間違えても体育館の裏で吸ったりはしない。

 教員全てを一瞥してから、井中は続けた。

「生徒の中の誰かが吸っていることは、まず間違いないと思います。いつ吸っているかは分かりませんが、昼休みと放課後の見回りを強化したいと思います。特に生徒指導の方では……」

 後ろで、職員室の扉が開くのが聞こえた。

 何かと思って、咲良さくらを含めた全員が後ろを見る。そして誰もが息を呑んだ。そこにいたのが理事長だったからだ。

「どうぞ、構わず続けてください……赤坂あかさか先生、少しいいですか?」

 理事長が咲良の名を呼んだ。咲良は立ち上がって周りに一礼して、職員室を後にした。

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