#25 宗一
案外、普通だな。
それが宗一が、沖野グループのビルに入って抱いた感想だった。
事務机がある、観葉植物が部屋の隅にある、パソコンまである。衝立に囲まれた中には、ソファとテーブルがあって、簡易的な応接室になっている。宗一は、そこのソファに腰掛けていた。
たまに出入り口を行きかう人間の服装が、多種多様であることを除けば、カタギで通りそうだ。しいて違和感を抱くとすれば、部屋の出入り口の上に掛けられている
ソファは三人がけが二つ。一つには、中内宗一、本田優樹、そして川澄透花が座っている。向かいのソファには、益田グループの幹部、内山信久と、沖野グループの幹部、高野孝明、そして担任の赤坂咲良が座っている。宗一からすると、なんとも奇妙な組み合わせだ。さらにソファをスーツやガラシャツの男たちが囲んでおり、物々しい。
「さて、答え合わせといこうか」
沈黙を破ったのは、他の全員を呼び出した高野孝明だった。
「なんですか? 高野さん」
「例の廃通りの外での殺しの犯人の話だよ。呼び出したんだよ、ここに」
犯人が目を見開いた。
「内山、そいつ、知ってるか?」
高野が宗一を顎でしゃくった。
「いえ……誰ですか? 小売屋からヤクでも買った子供ですか?」
「違ぇよ馬鹿野郎」
汚い言葉遣いに、内山が顔をしかめた。
「お前の飼い犬だよ」
内山信久――宗一の『協力先』の男の顔は青ざめていた。
キン、という金属の音はライターの音だ。周りにいた男の一人が、テーブルの上の灰皿を高野の近くまで寄せる。
「まさかお前が、俺と似たような事してるとはなぁ……内山。もっともお前は、俺と違って、自分が使ってるヤツが、高校生とは知らなかったみたいだが……宗一、事件とコイツがどう繋がってるのか、全員に分かるように話せ」
突然、下の名前で呼ばれ、少々驚いたが、宗一は努めて冷静に、知っている事を話す。
「経緯は割愛しますが、俺……いや、私は、以前、覚醒剤の流行の際に、内山さんに覚醒剤の売り手の情報を流しました」
「言いにくいだろ、
煙草をもみ消す。機嫌を損ねたら、自分の顔面もあんなふうにテーブルに擦り付けられるのかと思うと、洒落にならなかった。
「はい……それから、俺は内山さんに協力するようになりました。主に廃通りの中で、買い手の情報や噂話なんかを集めたり、調べたりしてました。この件に際しては、内山さんから俺に、三つの依頼がありました。『ハートペインの出回っている状況』、『ハートペインの元売りの居場所』、そして『ハートペインの外部流出に赤兎馬が関わっている可能性があるので、関係者の連絡先の入手して欲しい』という三つです」
全員が、自分の話に聞き入っている。学校で何か発表するとき以上に緊張してきたが、口は意思に反して事実を紡ぐ。
「まず一つ目の出回っている状況について。これには『外部流出しているかもしれない』と答えました。二つ目の元売りの場所は調査して場所を教えました」
宗一は乾いた唇を舌で舐める。
「最後に三つ目、赤兎馬との連絡先ですが……これも、独自に二人分を入手して、内山さんに送りました」
「そして、運悪く連絡先を送られたのが、そこの本田ってワケだ」
高野が、重要な部分を補足した。
宗一が隆介のスマートフォンから盗み出した連絡先の二人……タツジとヒロキ、そのヒロキとは、本田優樹のことだったのだ。
「どんなメールが送られてきた?」
眼鏡をかけた生真面目そうな少年が、宗一の横で、一度、こくりと頷いてから、小さな声で言った。
「えっと、『お前らのところのヤツで、廃通りの外でハートペイン吸って倒れた奴が出たから、連れて行け』という内容のメールでした……僕はメールに書いてあった場所……まぁバーだったんですけど、そこで『別の場所で休ませてる』って伝言を受けて、そこに行きました」
「そしてビックリ、ホトケさんとご対面ってワケだ。そんで他人に見られたから逃げ出したんだろう? 嵌められたって気付いてな」
本田が、再び頷いた。
「だが、どうして上手くいった? 本田がバーに行かなければ、
本田が言う代わりに、高野の隣に座っている咲良が引き継いだ。
「本田には、私から赤兎馬の面子とは接触するなと学校として注意していました。なので赤兎馬の総長から出たというハートペインの使用禁止令を知らなかった。だから送られてきたメールが真実かも知れないと思った。だとしたら、倒れたのは兄かもしれない。兄と連絡が取れない本田は、実際に向かって確認するしかなかった」
宗一が事前に教えていた情報を、咲良は自分が持っている情報と統合して説明する。本田が否定しないところをみると、それで正しいようだ。
「つまりお前の計画は、お前が知らなかった事情のおかげで上手くいったわけだ。よかったな、内山」
計画が露見した今となっては、それは最大の侮辱だろう。それに本田がはまらなければ、犯人候補の噂が広まる事もなく、宗一の耳に入る事もなかったかもしれない。手を打てば打つほど、彼は追い詰められていたのだ。
「本田に遅れてきたメールで指定された場所のバー、伝言を言付かったって客はまだ見つかってないが、じきに確認が取れるだろうよ」
内山は肩を落として、宗一を見た。それは、初めて向けられる視線だった。誰にではなく、込められた感情が、だ。
「まさかキミから漏れるとは思ってもみなかったなぁ……」
宗一からして見れば、まさか自分の雇い主が、事態の収拾ではなく、別の事態を引き起こすために自分を使っていた、という方が驚きだ。
「殺しの実行犯は内山……そして、自覚なく手伝ったのは宗一、ってことだ。それで? 内山、なんで元売りを殺した?」
しばらく沈黙していたが、やがて耐えかねた内山は、滔々と語りだした。
「こっちも経営難でしてね……色々、外の奴らに声掛けてたんです。元売りのヤツが売ってくれっていうんでね、小売屋を紹介したり、そいつらが揉めないほうに場所を仕切ったり、色々取り計らってやってたんですよ」
取り計らってやる代わりに、金を貰っていたのだということは、宗一でもすぐ分かった。
「けど向こうも払いたくないんでね……中である程度売ると、小売屋は外に出始めました……元売りも同じように外に出ましたよ」
高野が二本目の煙草に火を点けて、紫煙を吐きつつ引き継いだ。
「気付いたときには、ハートペインは流行して、外部に流出して大変な騒ぎになってたわけだ。赤兎馬の件で死者も出て、いよいよ状況が最悪な方向に転がりそうになった」
「ええ……もし元売りが他のグループの奴らに捕まったら、ウチが手引きしてた事がバレますからね、始末せざるを得なかった」
内山の疲れきった顔を見て、宗一は、焦燥に似た感覚を抱いた。狩っていた側でも、簡単にひっくり返って、狩られる側に立たされる――それが、この廃通りなのだと。
覚醒剤が流行した時、彼は今の高野の立場にあった。だが今は、こうして追い詰められている。
欲目をかいてやりすぎた。そういう話だった。外に流出した時点で、対応を誤らなければ、こうはならなかっただろう。
「それで……俺をサツに突き出すんですか? 高野さん」
その言葉で、やっと事態の収拾がついてきたことに、実感が湧いた。少しずつ、緊張がほどけていく気がした。もし宗一の推測が冤罪だったら、宗一は高野と内山、両方に恨まれる事になっていたのだから、この安堵は当然のものだろう。
「そうだな。お前を見つけたのは俺らの手柄だ……言っておくが、この事を口外するなよ。サツには根回ししておく。出所しても、益田に戻るな」
周りの男たちが内山を取り囲む。「連れて行け」という高野の指示の後、内山は宗一を見ることなく、部屋を出て行った。
「さてと。一件落着、犯人にはご退場頂いたわけだが……」
サングラス越しに、高野孝明が宗一を睨む。
「お前、自分が何したか、分かってるよな?」
サングラスの向こうの眼光が、宗一を射竦める。宗一は視線を外すことも出来ず、呆然と謝罪の言葉を呟くことしか出来ない。
「すみません……」
「謝れなんていった覚えは
高野が即答し、宗一は身を強張らせた。
「だが、不幸だったな、なんて言うつもりもねぇ。お前は自分の雇い主の意向を調べずに、ほいほいとやっちゃいけねぇ事に加担したんだ。廃通りに出入りするくせに、その辺が分かってなかったとは言わせねえぞ……」
声こそ荒げなかったが、怒気を押さえ込んだため、語尾にドスが利いている。宗一は、呆然とした。このまま生きて帰れるのだろうかと、他人事のように思った。
「高野」
今にも周囲の男たちに命じて、宗一を私刑に処しかねない空気の中、高野の名を呼ぶ者がいた。
「なんだ透花?」
川澄透花は、呆れたように高野を見ていた。ある種、傲岸とも取れる態度は、宗一にとって信じられなかった。自分が恐怖している対象に対して、こんな態度を取れる者が……しかも同級生にいるなんて。
「ちょっといじめすぎじゃない? 同情してるわけじゃないけどさ、いくらなんでも、子供相手に言いすぎでしょ。そりゃ、遊び半分で手伝ったコイツも悪いよ? けど自分が何をやったか認めて、わざわざアンタに『殺しを手伝いました、ごめんなさい』って謝りに来てるわけだし、大目に見てもいいんじゃない?」
川澄が助け舟を出してくれる。だが相手を逆上させかねないか宗一は心配になり、おそるおそる高野を見る――高野は、ふっと笑っていた。
「言うな透花。男ってのは多少はビビらせないと、反省しないんだ」
その言葉を聞いて、安心したという気持ちと、演出は入っていても、やはりさっきの態度は嘘では無かったのだという薄ら寒さがあった。
「サツにはお前の話は知らせない。聞いてたとは思うが、内山の奴には口止めしたし、バレてもこっちで押さえつける。分かるか? 沖野が全面的にお前の事を隠してやるわけだ。コイツはデカイ貸しだなぁ」
恩着せがましい物言いだが、宗一に反論する余地は無かった。
「ま、俺らも鬼じゃない。一線を越えてたとはいえ、自分で大方のケツも拭いた。大目に見てやるよ……が、貸しは貸しだ。しばらくタダ働きしてもらうぞ」
ただ働き……その言葉の響きから連想したのは、遠い海で怪しげな魚の引き揚げ作業をしている自分の姿だった。そして、それを見透かしているかのように、高野は続けた。
「なに、危なげな仕事はさせねえさ。お前さんには、もっと得意な事があるだろう?」
つまりどういうことなのか――宗一はやっと理解できた。協力先が、雇い主が、内山から高野に変わったということだ。
「ちょっと待ってください、高野さん。確かに中内は……」
赤坂は、話が危ない方向にいっているのが我慢できないらしい。反論を試みるが、高野は、片手を突き出して彼女の言葉を制止する。
「んで、そこの坊ちゃんはパパとママと色々込み合ってるそうじゃねぇか。なぁ先生?」
目線は本田に向けて、高野は赤坂に質問した。
「ええ、まぁ……」
出鼻を挫かれた赤坂は、肯定するしかない。
「こっちで色々と面倒見てやるよ……その代わりに、先生。透花と宗一のイレギュラーは、見逃してやってくれねぇか?」
「……っ」
本田のトラブル解決をダシに、宗一と赤坂教諭を手中に収めようという魂胆だ。だが肝心の『面倒を見る』というのが具体的でないままでは、赤坂も条件は飲めない。
「……どうやって?」
予想されていたであろう質問を聞いて、高野は大仰にソファにもたれかかる。
「適当ぶっこいて両親を説得するさ。いざとなったら、無理やり引き離してやる。全て彼の思うがままにな。なんなら一人暮らしのためのアパートくらい目つけてやるよ」
赤坂教諭は目を伏せているが、大方納得しかけている。もうこうなると、高野の独壇場だった。そもそも相手が子供と教師なのだし、当然と言えば当然なのだが。
しかし、当の本人は、納得いかないらしい。本田は、意を決したように高野に尋ねる。
「僕のために、先生や中内くんを使いっぱしりにするんですか?」
彼なりに大きく出たが、高野は一蹴する。
「そうだ。キミが気にする事じゃない」
本田が唇を噛む。自分をダシにされている現状で、一番気が滅入っているのは、彼自身だろう。他人に負債を押し付けて、自分だけ甘い汁を啜らされるのだから。
もうそれは権利ではなく義務。『助けてもらえる』のではなく『無理やり助けられる』状態だ。彼に拒否権は無い。
「さて、とりあえず今日は解散にしよう。本田くん……お母さんによろしく言っといてくれ」
高野の宣言を皮切りに、全員がソファから立ち上がる。部屋の扉を男の一人が開ける。
「透花、ちょっと……皆さん、先に行っててください……お前ら、案内してやれ」
川澄が残り、赤坂と本田、宗一の三人は、男たちに案内されて、部屋から出て行く。
取り残された川澄が、少しだけ気になった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます