#12 咲良

 自家用車に乗って、一度本田の家に寄って彼を拾った後、咲良は高速道路に乗って、ある場所に向かっていた。

「悪いな、休日なのに連れ回して」

「いえ、そんな……」

 あまり気を使わせすぎると負担になるが、一応はこう言っておく。

「一応訊くが、例の薬物……今のところ、禁断症状とか、依存症状は無いんだよな?」

「はい……少なくとも、僕は出ていません」

 顔色は大丈夫そうだし、見た目にも心配なさそうだ。

「赤兎馬の奴らとは、もう連絡も取って無いな?」

「はい……」

 気まずくなって、咲良は間を置かずに喋った。

「まぁ、なんだ。人間、子供の頃から大人になってまで、ずっと一緒にいる人間の方が少ないもんだ。私もそうだ。血縁者くらいのものだよ。高校の同級生で、今でも連絡を取ってるのは、二、三人だ」

「その二、三人もいませんけど」

 本田が自虐的に言った。正直、笑えなかった。

「まだ二年だ。それに友達ばっかりが人間関係ってワケでも無いだろう?」

「それって、もしかしてその……彼女の事ですか?」

 咲良は首を横に振った。

「別に、それだけに限らないよ。そもそも友達にだって色々あるんだ。三日付き合えば友達って言う奴もいれば、何を捨ててもその人が大切ってのじゃないと友達じゃないって言う奴もいる。お前がもし後者と考えてるなら、友達未満の人間関係を作るのも、悪くないんじゃないかって話だよ」

「友達未満……」

「そう。深入りすると面倒だ。なら、そういうアッサリした関係の方が、楽でいいだろう? ネットとか無いのか?」

「まぁ、それくらいは……」

「危なくない程度に、そういうのをやってみてもいいんじゃないか? ちょっと前と違って、今は顔とか晒すことも多くなったけど、今でも匿名で人間関係が作れる場所くらい、あるだろう?」

「それって暗に教師が、生徒をネット中毒に誘導してる事になりませんか?」

「中毒には、なってくれるな。適度にやれ」

「……それって、家のことは、ネットで発散して我慢しろって事ですか?」

「そうは言わないよ。逃げたくなったら、逃げればいい。どうしてもっていうなら、私からも親御さんを説得してみるさ」

 子供に我慢を強要するほど、惨い事は無い。

 だが、所詮教師では、家庭の事情にまでは踏み込めないのは事実だ。教師が動くと、どうしても学校という組織が動く事になる。個人単位の問題は、可能な限り個人単位で解決することが好ましい。

「頼っていいって言ってたのに……」

 本田の呟きには、非難がましい響きがあった。

「別に、それはいい。けど、ずっと私とばかりいるわけにはいかないだろう? 教師はな、飢えた人間に魚を与えるんじゃない。魚の釣り方を教えるんだ。老子って知ってるか?」

「中国の人ですよね?」

「そうだ。偉大な人物って意味もある。ちなみに中国語の『先生』って意味の『老師』とは一字違い。読みは知らんが」

 助手席の本田が、じっと咲良を見る。

「先生……数学の担当ですよね?」

「一つの事だけやってればいいってモンじゃないんだよ。見識を広めるためには専門じゃない分野も学ぶ必要がある」

 つい、授業のような口調にってしまう。自重しなければ、と咲良は自戒した。


 クルマを駐車場に入れて、二人は車外に出る。そこは海辺にある小さなショッピングモールだった。付帯施設にレストランや、観覧車などの小さなアトラクションがあり、ミニ遊園地の様相を呈している。

 巨大な建物はなく、施設は全て一階建て。代わりに建物同士の間には、カナリーヤシらしき樹木が植えられた中庭がある。海を意識しているのか、青色や、ウッドデッキのような木材の床、歩道の色は砂色と淡い赤色のタイルが敷き詰められている。まるでビーチのような、独特の開放的な雰囲気がある。

 ちなみに海側にはヨットハーバーが隣接しており、敷地自体も地続きなので、感覚的には同じ施設という感じだ。

 幸いにも、来場者は子連れの家族ばかりだった。高校生くらいの年齢の人間はいない。時折、犬のリードを引く通行人の姿も見受けられる。どうやらペットの入場がOKの施設らしい。

「なんで、ここに来たかったんだ?」

「昔……家族でよく来たんです。兄が廃通りに出入りして、赤兎馬に入る前の話です。人生初のジェットコースターにも、ここで乗りました。……怖くて泣いちゃいましたけど」

 話とは裏腹に、童顔には似合わない、寂寥とした笑顔が胸に突き刺さる。

 思い出の土地ということらしい。色々あったし、感傷に浸りたい事もあるだろう。独りで来ても寂しいだけだし、頼っていいと言ったのは咲良本人だ。本来、良識のある教師のするべき事ではないが、もみ消しもしなければいけないし、本田の家庭の事情もある。学校側にさえ漏れなければ、このくらいの遊びには、付き合ってもいいだろう。

 そもそも良識の事を言うのなら、校長の指示自体、まっとうな教員ならば、受け入れられるものでは無い筈だ。

 そういう汚いところに慣れているのは、親が財閥で、色んな事をしてるのを、見てきたからかもしれないと思った。

 モラルやマナー、社会的ルールは、ゲームのルールと同じ建前だという認識。

 損得勘定を行う判断力と、必要があれば、ルールを躊躇せず破れる実行力。

 後ろ暗いことも、顔色一つ変えることなく隠し通せるポーカーフェイス。

 ……そうしたものは天賦の才ではなく、祖父母や両親を見てきて、自然に咲良に備わった能力だった。

 自分には、財閥の世界でやっていける才能があったのかもしれない……たまに仕事が上手くいかなかった時、未練がましく、そんな事を考える。

 家族は、家にいるときは個人だった。だが仕事の話をするときには、誰もが一様に、同じ顔をしていた。夕食時に電話が掛かってきたとき、家にビジネス相手が訪れたとき、両親も祖父母も一様に、性質の違いはあっても、その仮面を被っていた。そこに、両親祖父母としての色は無かった。

 真実なのか、嘘なのか。本心なのか、建前なのか。あの時の両親祖父母を見ていても、そんなのは全然分からなかったが、少なくともその顔は、集合の中の部品としての顔だった。

 咲良は理解していた。そういう仕事なのだと。だから仕方が無いと。だが――それを自分に押し付けられそうになったとき、咲良は拒絶した。

 自分は、なりたくない。あんな、偉そうな態度をしていながら、どこから伸びているのか分からない糸に操られているのはゴメンだ。

 両親の猛反対を押し切って、咲良は教員という仕事を志し、現在に至る。

 ああ、と思う。もしかしたら自分は、本田優樹という少年に、どこかで過去の自分を重ねているのかもしれない。

 今では、両親とは絶縁状態だ。生きているのは父方の祖父だけ。残りは既に逝去している。

 自分も、彼と大差ない孤独な人間かも知れない。

 そう思うと、無邪気にショーウィンドウの向こうを、しげしげと眺めるこの少年が、これから似た道を歩むのかと思うと、胸が締め付けられるような思いだった。


 買い物はあまりせず、二人で敷地内の色んな店を回った。近くに海があるため、釣り具やマリンスポーツ用品を売っている店がある。服屋もショーウィンドウに飾っているのはレジャー用品が多い。ストローハットにアロハシャツとサングラス、という格好のマネキンを見て、二人で笑ったりした。

 レストランについても、シーフード系の店が多かった。二人でシーフード系のスパゲッティを食べた。咲良はイカスミスパゲッティが気になったが、見た目がキツいので、またの機会にしておく。

「先生……いまさらですけど、こういうのって、まずくないですか?」

 潮風にあたりながら、二人は石の階段に座っていた。目の前には、ヨットハーバーに係留された、多数の白いヨットが、微かに波に揺れている。

「まぁ……な。けど、黙ってれば問題ないさ」

「言わなければ犯罪にならないって、それ、教師の台詞ですか?」

「あんまり先生をいじめないでくれ」

 咲良が肩をすくめると、本田は苦笑いを浮かべた。

「さて……そろそろ帰るか」

 時計を見ると、もう六時を過ぎていた。楽しい時間が過ぎるのは早い。

 咲良が立ち上がると、本田は大胆にも、咲良の手首を掴んだ。

「最後に、乗りに行きませんか?」

 本田が指差したのは、観覧車だった。


 一回四百円というのは、意外と高いなと思ったが、本田が「どうしても」とせがむので、仕方が無いので券を購入して乗り込む。

 そう、仕方が無いのだ。

「なんで向かいの席があるのに、隣に座るんだ」

「いいじゃないですか……」

 ゴンドラも大きくはないので、当然、中にある椅子も、それほど広くはない。ぎゅう詰めというほどではないが、隣に本田が座ると、それなりに窮屈に感じた。

「それじゃ景色見えないだろう? 綺麗だぞ。海が見えるし」

 ゴンドラが少しずつ上がっていく。もっとうるさいかと思ったが、室内は、割と静かだった。

 夕暮れ時、太陽の沈む海は、その光彩だけで美しい。いくらゆっくり視界が高くなるとはいえ、退屈を感じないのは、不思議だった。

「綺麗ですね……」

 隣に座った本田が、ぐっ、とこちらによって来る。顔に似合わない積極的なアプローチに、咲良は困惑した。

「おいおい……」

「いいじゃないですか……二人きりだから」

 こんなに甘えん坊さんとは思わなかった。つい口元が緩んでしまうのを見られないようにする。

「頼っていいとは言ったが、あくまで教師と生徒の関係を超えない範囲で、だぞ」

 我ながら、どの口が言うかと突っ込みたくなる。

「頭を撫でるのは、教師と生徒の範囲を超えた事には、ならないんですか?」

 ふてくされたような言い分に、冗談めかして咲良は応じる。

「それはそうだ。たまに他の生徒にもやってるし、体育祭のハイタッチと一緒だよ」

 ペットを可愛がるのと同じように、本田の頭を撫でてやると、恥ずかしそうに俯いた。

「いじわる……」

 消えそうな声で毒づかれてしまった。

 流石に恋愛関係にまで発展させるのはマズいが、本田は、こういうことを吹聴して回るタイプではないし、交友関係も少ない。誰かに知られる心配は、まず無いだろう。

 だが、こうも誘ってこられると、色々と我慢の限界が来てしまう。自重させなければいけない。

 夕暮れの日差しが、ゴンドラの硝子を通って屈折し、室内を橙色に染め上げる。ロマンチックな室内で、咲良はゴンドラが地上に降りるまでの間、少年の髪を指で梳いて、その感触を愉しんだ。

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