#11 透花
一階のカウンター席で待っていると、バーの扉が開いて、高野孝明が入ってきた。
「久しぶり、お二人さん」
透花が鼻を鳴らし、カウンターの向こうにいた店主が応じる。
「久しぶりね、タカちゃん」
口調とは裏腹に、その声色はテノールを下回っている。身長は一九〇センチを越え、肩幅はラグビー選手並、青髭の浮かぶゴツい顔のおっさんは、店主のナオだ。口調から分かる通り、オカマだ。
本当かどうか知らないが、ナオは高校時代、高野に片思いをしていたらしい。透花としては、別段それを不思議には思わない。透花の保護者であるナオという人物は、体躯はどう見たって男性だが、口調や考えは、まるきり女のそれだからだ。透花にとっては、それが当たり前だったので、その話も、割と素直に聞くことができた。
高野の後ろから、見慣れない男がついてきた。
「あら、どちら様?」
ナオが高野に訊く。
「ああ。益田んトコの内山だ」
「いやぁ、お初目にかかります。内山っつーもんです。高野さんは、俺の大学時代の先輩でしてね……」
ああ、前に話が出た人か、と透花は気付いた。茶色に染めた髪を考慮しても、強面だからか年上に見えた。むしろ高野が若々しすぎるのだろう。長身だが、足が長いのではなく、胴体も長いので、あまりカッコイイとは思えない。
「へぇ……この
内山が透花を見た。そこに変な意図は込められておらず、ただの冗談とすぐに判別できた。
「こんばんわ」
透花が頭を下げると、高野が軽く紹介する。
「川澄透花。家が色々複雑でな、ここで面倒見させてる」
「そりゃあ大変だな、川澄さん。けど高野さんがいて良かった。この人ほどの人格者は、そうはいないよ。おじさんが保障するよ」
はっはっは、と内山が笑う。透花も愛想笑いするが、内心は複雑だった。自分より高野を知ったように言う人間がいるのが、不快だった。
ちら、とナオがこっちを見たような気がしたが、透花は気付いてないフリをした。
「さて、話を始めるか。透花」
透花は、カウンターに置いていた、吉野のポーチを開けて、パッケージを取りだす。
「可愛い入れモンっすね。女子高生って感じだ」
「ああ。透花の同級生で、学校で使ってるアホがいた。それをとっちめて没収したわけだ」
「全く、何考えてるんすかね……学校で吸います? 普通」
それについては同意だった。おそらく、低度ながら依存状態になっているのだろう。
「まったくだな。で、話によると、一箱二千円程度。小売屋は外だ。俺らのシマで売ってる馬鹿は追い出したが、お前のところは?」
「ウチでもっすよ。下手に中の小売を制限したのが裏目に出たっすね」
まさか流行するとは思わず、適当な火消しをしたのは失敗だった。大手は腰が重いため、軽くあしらおうとして初期対応を誤ったのだ。
「在庫抱えてる馬鹿が外で馬鹿やらかす前に、とっちめなきゃいけない。とりあえず俺らは、透花が知った小売屋を探して潰す」
高野が馬鹿を連呼する時は、苛立っている証拠だ。透花は気が気でなかった。
うぅむ、と内山が唸った。
「こっちでも動かなくちゃいけなくなりそうですね。若いのに話を聞いてみて、外で売ってるのがいたら潰しに掛かりましょう。元売りはいつ?」
「既にトンズラしてる可能性はあるが……未だに流行してる以上、少なくとも、同じ役目を代替してるヤツはいる筈だ。小売が子か孫か、それとも
「つっても、それもそれなりに時間を要するでしょう。カンが働く親なら、つるをトカゲの尻尾に逃げ出しますよ。もっとも、ただの元売りなら気付かないでしょうけど」
元売りに、小売が大手によって捕まったことを知る術があれば――という条件がつく話ではあるが、内山の言うことはもっともだった。
だが透花としては、そんな能力のある奴とは思えない。外での販売を野放しにするような親だ。保身のためなら、そういうことは自重させようとするはずだ。
それとも……何かしらの理由で、親の手が付けられなくなったのか。
「なんにしても、探すしか無いさ。透花には、一応、他にいないか探してもらって、小売屋が他にいないか探す。場合によっちゃ、そっちに頼む事があるかも知れねぇ。規模が規模なんでな」
「分かりました……こっちでも用心しますよ」
内山が頷いた。これで事態は、益田グループと沖野グループによる元売り狩りの様相を呈す。透花は元売りに「ご愁傷様」と言ってやりたい気分だった。
「けど、これ以上透花を動かす必要あるの? タカちゃん」
話が一段落ついたとみて、聞いていたナオが参加してくる。
「こっちとしては、確実に芽は摘んどきたいんだよ」
透花も異論は無い。それで話は終わりとばかりに、二人は注文を出す。ナオがグラスに酒を注いだ。
「しっかし……ついこの前に大学で遊んでたと思ったのに、もう十年以上前っすか? 早いっすねえ……」
仕事の話が終わり、二人は大学時代の昔話を始めていた。知らない話をされるのは、好奇心半分、憂鬱半分だった。自分が知らない高野の一面を見せ付けられるのは、自分の知っている一面を台無しにされそうで、怖かった。
「光陰矢のごとし、だな」
「俺はまだ独り身っすけど……高野さんは、もうお子さんいるんでしたっけ?」
「ん? ああ。娘がな。今年で七つになる」
透花は、すまし顔でコーラに口を付ける。
「ってことは、今年で小学校っすか。低学年なら無いでしょうけど、高学年なら、こっちに踏み込むことはあるでしょうねぇ」
高野は頷いて、グラスを呷った。
「ああ、危ないだろうな……正直言うと、ガキなんて、何が可愛いのかサッパリだったんだが……我が子ってのが生まれると、やっぱり可愛いもんだ。こんな仕事してるとな、時々、子供の事を真正面から見てやれなくなりそうで、怖くなる」
腹の中で、どす黒いドロドロとした炎が煮え滾るような感覚がした。あまりの熱に思考が白熱し、暴走しそうになる。顔も知らぬ妻子を殴り殺すイメージが湧いた。湧かさずには、いられなかった。
「今回みたいに、外で広まったら、最近の子供は手を出すんですかねぇ」
「最近の子供ってのは、勉強ばっかで一杯一杯だからな。俺らのガキん時みたいに、ずっと遊んでるわけにも、いかねぇんだろうさ」
「勉強してこんな馬鹿なことする子供が出るくらいなら、バカでいいから野山駆け回ってカブトムシとってた方が、よっぽど幸せっすよ」
「? どうした、透花」
異変に気付いたらしく、高野が透花を見た。そして透花は動揺した。
なんで、なんでこの男は、私に、こんな心配そうな顔を向けるのだ――。
怒りはしなかった。当たり前の現実に失望した。突き放されたくなかった。優しい拒絶は何よりも耐えがたい。冷酷なそれの方が何万倍もマシだ。
そして――ここで本音を吐露すれば、間違いなく高野は、そういう反応を示すだろうと理解できた。
だから透花には、この場から逃げる選択肢しか残されていなかった。
「いや……なんでもない。ちょっと眠いだけ」
そう言って、透花は店の奥に引っ込んだ。「なんかあったんすかね?」という内山の声。「女の子はデリケートなのよ」というナオの声が後ろで聞こえる。
部屋に戻ると、途端に透花は力が抜けて、床にへたり込んだ。良くやったと自分をほめてやりたくなる。
信じたかった。アイツの本質はこっちにあって――必要とあらば、妻であろうと娘であると、ところ構わず踏み潰すのだろうと。
脳裏に刻まれた横顔が再生される――あんな……あんな健やかな父親の眼差しなど、見たくなかった。
理想が『家族』に穢された気がした。所詮、退廃は退廃でしかなく、幸福な健全さと比較すれば、低俗なものでしかないと突きつけられた気がした。
この感情はなんだろう? 名があるとしたら、何が適切なのだろう?
分からない苦痛は胸を締め付ける。それは
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