#10 宗一

 宗一がメールを送った次の日の朝、協力相手からメールが来ていた。

『広まっているのを止めなければならない。小売屋ではなく、元売りが誰でどこにいるのか探して欲しい』

 小売屋ではなく、製造元……元売りを狙うということは、早急に、かつ根本的に事態を解決したい意図があるのだろう。

 かなり難度の高い調査と言えた。そもそも消費者が知りえるのは、せいぜい小売屋の情報までで、元売りとは接点が無いからだ。

 が――逆に言えば、消費者でなければ、接点があるということにもなる。

 宗一は、この件を調査するためには、一輝や隆介といった、消費者的ネットワークではなく、消費者に物を売る仕事、すなわち小売屋に近づく方が早いと悟った。

 宗一の長所は、そのフットワークの軽さだった。なまじどこのグループなどにも属してないため、色んなところに出入りしても、警戒されない。高校生というガキは、小鹿と侮られることはあっても、狼と恐れられることは無いのだ。


 先日、バーで他校の生徒から聞きだした噂――廃通りの外に出た小売屋の噂――から、宗一は廃通りの外で、以前、覚せい剤が流行した場所……後ろ暗そうな、廃通りと似た雰囲気を持つ場所を調べる事うちに、小売屋を見つけたのだった。

 いくつかの小売屋の存在を調べ、その中で一番売れ行きの良さそうな小売屋を特定する。それには、売る側の人間の傍目から見た能力と集客率、よく使う場所の立地条件などが参考になった。詳細な数値まで出せるわけでは無いが、だいたい雰囲気で、どこが売れていそうかくらいは分かる。

 日曜日。宗一は、一番良く売れて良そうな小売屋の監視を行っていた。

 危ない在庫を抱えているから売る、という事もあるだろうが、よく売れるようなら『第二弾』を揃える可能性――つまり、新しい在庫の補給を、元売りから手に入れる可能性がある、と踏んだのだ。

 が――そんなに簡単な作業ではなかった。

 小売屋は特定の場所でばかり売るのではなく、人込みで声を掛けてお茶をして話を持ち出す……ということもあれば、適当な路地裏に誘い込む事もある。感づかれないように観察するのは、なかなか難しい作業なのだ。逃がす可能性は増えるが、他の建物や道路越しなどで観察するしかない。

 昨日は収穫は無かった。昨日は夜まで監視したが、最終的には自宅らしきアパートに帰ったので、もしかしたら自宅にかなり買い溜めしてあるのかもしれない。そうなると、この線であたるのは無駄である。

「どうしたもんかな……」

 しばらく監視していると、目を付けた小売屋は、女子高生っぽい二人組に声を掛けていたが、あっさりと断られていた。廃通りの中と違って、外はかかる獲物が少ない。

 次に声を掛けたのは、あまり気前の良さそうではない若い男性だった。声を掛けると、意外にも男性は応じて、ファストフード店に入っていく。

 ファストフード店はガラス張りだ。外からでも観察できる。宗一は店内には入らず、様子を窺った。

 なかなか話が上手くいっているようで、鞄から何かを出しているのが見えた。道路を挟んでいるので分からないが、例のドラッグ『ハートペイン』だろう。

 なにやら盛り上がっているようだ。男性は僅かだが身を乗り出している。周りの雑談も相当うるさいはずなので、店内では目立ってはいないだろう。

 二人が店舗から出ると、そこで分かれた。表情などから察するに、どうやら売れたらしい。

 小売屋が、しきりにバッグの中を探る。少し経ってからバッグを閉める。小売屋が、客も連れずに路地裏に入る。

 ――なんだ……?

 宗一は路地裏の近くのホテルに入る。古いタイプだ。非常階段から客室のあるフロアにまでいける。それを使って二階まで行く。窓から路地の様子は窺えそうだ。

 小売屋を見下ろしていると、近くのビルに入っていった。あれは、廃ビルだろうか? 別に廃通りじゃなくても廃ビルがあるのは珍しく無いが、しかし、そこに小売屋が行く意味は無いはずだ。

 追うべきだろうか? しかし鉢合わせすると、面倒な事態になる……。

 しばらくして、廃ビルから小売屋が出てきた。

 宗一は、小売屋と、さっき小売屋が出てきた場所を、スマートフォンで撮影する。遠くからなので画質が荒いが、検索サイトの地図の情報も添付しておけば、それと分かるだろう。

 宗一は、可能性に賭けてホテルから出た。

 小売屋の前を通り過ぎようとすると、案の定、小売屋に声を掛けられた。

「ねぇねぇキミ、ちょっといい?」

「え? はい?」

「高校生?」

「ええ。そうですけど……」

「へーえ。真面目そうだね。成績とか良い方?」

 突然何かと思うが、返答以外の事を言わせる間もなく丸め込む事で、彼らは自分のペースに話を持っていくのだ。ここはあえて、宗一は話に乗ってやる。廃通りと違って、外ならば、無理な勧誘をされる危険は少ない。

「そんなことないですよ……俺なんて、そんなに真面目じゃないし」

「本当? キミ、真面目そうな感じするじゃん。勉強とかできそうな感じするよ」

「そうですかね……?」

「やっぱ悩みとかある?」

 ホラ来た。口に出そうになるのをこらえる。

「まぁ、それなりですかね?」

 ちょっと笑ってみせると、小売屋も同じように笑った。

「ほら、やっぱそうじゃん。頭が良いと、悩みも多いでしょ。『上の中』とか、そういう言い方だったら、成績は、どの辺?」

「うーん……『中の上』くらいですか?」

「へぇ、凄いじゃん。俺は『上の下』くらいかなぁ……」

 少し高い成績を言う。自分が上であるアピールをする事で、これから話すことの信頼性を上げたいのだろう。あまり高すぎると壁になるが、少し凄い、というのは、親近感を湧かせつつ、ちょっとしたカリスマ性を生み出す。

 下手に自分を持ち上げすぎる前に、小売屋は話を切り替えた。

「ねぇ、良かったら、ちょっと話していかない? おごるよ」

 小売屋が指差したのは、先ほどのファストフード店だった。


 ハンバーガーとコーラを注文して、小売屋と少し話をする。小売屋が話を振るのではなく、今度は宗一に話させるようにしていた。この場で、自分の現在の生活の不満やストレスを思い出させるためだろうなと、宗一は冷静に分析していた。

 適当に会話を流していると、小売屋は自ら話を振った。

「それでさ、これはちょっと……最近、流行ってるんだけど……アロマセラピーって知ってる?」

「あー……聞いた事あります」

「あれさ、芳香治療って意味なんだよね。ホウコウ、匂いとかそういう意味。お線香とかあるじゃない? ああいう、物を燃やしたときの匂いって、リラックス効果があるんだよ」

「そうなんですか?」

「うん。ちょっと難しい話になるけど、人が匂いを嗅ぐ原理っていうのは、すごく簡単に言うと、空気の中にある小さい物質が、嗅覚の細胞に触れると、触れた物質に応じた信号を脳に送るっていう感じなんだけど、その信号が刺激する脳の場所っていうのは、色々あるんだ。例えば、昔嗅いだ事のある匂いを嗅ぐと、記憶が蘇ってきたりすることがある。匂いと脳には、密接な関係があるんだ。それと同じ理屈で、脳の中でリラックスを司る部分を、匂いで刺激する事でリラックスできるんだよ」

「へぇー」

 どこまで正しい知識なのか知らないが、リラックスとは、物も言いようだなと思った。

 特にハートペインは、燃やした煙を吸って快感を得るドラッグだ。線香などの単語を出しておけば、不自然さを軽減できる。

「だからこういうのは、医学的にも……まぁ、正式に認められてるわけじゃ無いけど、それを言い始めたらキリがないな。でもこれは、それなりに信用できるものなんだよ」

「へぇ、そうなんですか……」

 宗一は、警戒心が薄い事を示す。そもそも小売屋は、こっちのことはただの男子高校生としか認識していないのだから、多少は大袈裟でも問題ない。むしろ、興味があって誘ってる、くらいにしか考えないだろう。

 小売屋はバッグを開けた……中には、たくさんのパッケージがあった。そのパッケージに、宗一は見覚えがあった。

「いっぱいありますね……いつも、そんなに持って歩いてるんです?」

「ん? ああ。ついさっき仕入れてきたばっかりなんだよ」

 やはりか、と宗一は確信した。あの廃ビルに元売りがいるのは、ほぼ確定だ。

 小売屋はパッケージを一つ出すと、テーブルに置いた。

「軽いヤツでさ、別に変なもんじゃないんだよ、全然。当然、法律には違反してないから、安心して使っていいよ」

 重いヤツもあるのかと突っ込みたくなるが、抑える。それにどうせ、適当に煙に巻かれるに違いない。

 受け取ってもいいが、処分するのが面倒だ。

「うーん……来週、またこの辺に来るんで、その時にでもいいですか?」

 若干の拒絶を示すと、脈ナシと判断したようだ。男はアッサリ引き下がった。

「ま、突然声を掛けられたら、怖いのは分かるよ……気が向いたら、また声を掛けてくれ」

「はい、すみませんでした……」

 おそらく廃通りでばかりやっていて、外では何かあると怖いのだろう。宗一は、きっちり自分の分の代金は払ってからファーストフード店を出た。念のため、尾行があってはいけないので、わざと遠回りをして帰路につきつつ、報告のメールと、元売りがいるらしき場所の画像と位置の情報を、協力先に送信する。

 まもなく、返信のメールが来た。

『分かった。中にまでは入らなくて良い。連絡感謝する。また連絡するので、その時は頼む』

 深追いはしなくて良いようだ。ちょっと安心して、宗一はそのまま帰宅した。

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