#09 咲良
教員は、生徒の住所くらいは容易に掴む事が出来る。個人情報保護法だかで、電話番号こそ知らないが、どうせあっても、今回は役に立つまい。
咲良は、本田優樹についての調べを進めていた。
まさか生徒に『本田くんが廃通りに出入りしたか知らない?』などと訊くわけにはいかない。そうなると外堀を埋める方法は限られる。
咲良は職員会議で二年の教諭に説明して協力してもらい、二年生を対象に、昨日――木曜日のロングホームルームで十五分ほど時間を使い、自身や友人の非行がないかのアンケートを行った。
二年三組のアンケート結果については、担任は大宮教諭だが、この件を言い出したのが咲良自身ということもあり、アンケート結果の扱いなどについては、全て咲良が引き受けることが出来た。
可能ならば、全クラス結果は自分だけで握れたら好都合だったが、そんな我田引水は通用しないだろう。他クラスに関しては、やはりそれぞれのクラスの担任から結果を聞くしかなかった。
結果は今日の朝の職員会議にて報告し、全クラス、目立った異常は無いという結論に至った。
咲良を嫌う教員の小話を耳に挟んだところ、このアンケートの全クラスの状況を把握するというのは建前であり、二年三組の非行が減少した事をアピールしたいんだろう、などと考えているらしかった。咲良としては好都合だ。憎まれ口も、本音であれば安心できる。
咲良は、二年三組のアンケート結果について、偽装を施した。
理由は二つ。一つは、自分だけがこの件についての主導権を確保したかったためだ。事態によっては、学年主任や生徒指導の管轄になりかねない。そういう事態は、校長から極秘裏に頼まれた咲良としては、避けたいところだった。
もう一つは――アンケート用紙に「秘密にして欲しい」と書かれていたためだ。
この事は、大宮教諭にすら話していない。あの温厚篤実な、性善説を信じ切っている抜けた教師ならば、如何様にでも誤魔化せる。そこは問題ではなかった。
問題は――職員会議場では問題無しと偽装した一枚のアンケート用紙――それが、いま調査したい当人、本田優樹の書いた物であることだ。
咲良は、二年生の数学Bの担当教員である。それを利用して、宿題のノートの返却の際、本田のノートに、相談時間と場所を記載したポストイットを挟んでおいた。生真面目に、必ず期限までに宿題を提出する本田が相手だからこそ出来た手段だった。
咲良は一度、自宅のマンションに帰宅してから、地下駐車場に赴く。電子キーで解錠し、ほとんど使ってないシルバーのスポーツカーのガルウィングドアを開け放つ。
就職祝いに、祖父が頼んでもないのにプレゼントしてくれたクルマだった。クルマはサッパリなので、これがBMWだかランボルギーニだか知らないが、高校時代の友人が見た際には、興奮気味に語ってくれたので、それなりの高級車らしい。咲良としては、動けばなんでもいいので、あまり気にしていなかった。
とはいえ、こんな目立つデザインのクルマは、正直好みではなかった。だがメリットもなくは無い。高速道路では飛ばせば他の車は避けてくれるし、こんなハデなクルマに、まさか教員が乗っているとは思うまい。
万が一、他の生徒や教員に見つかると、面倒になるので、咲良はそれなりの変装を施した。レザーのジャケット、トップは黒、アンダーはデニム。元の髪型がボブだが、無理やり後ろでまとめ、サングラスを掛けた。髪型が変わると、これで知人かどうかを判断するのは、難しくなるだろう。パッと見では、髪の長い男に見えるかもしれない。
咲良はクルマに乗って、最寄の駅に向かった。
咲良は電車の時間を調べて、電車が来る小一時間前に駅に来るよう、ポストイット指示しておいた。他の生徒に見られるのを防ぐためだ。
駅のベンチで、ペットボトルを両手で持って座っている男子生徒がいた。通行人はいるが、老人かスーツ姿ばかりで、他に生徒はいない。咲良は近くまでいって、クラクションを短く鳴らした。
窓を開けて、手招きすると、男子生徒――本田優樹は、助手席に乗り込んだ。
「悪いな、呼び出して。生徒相談室、ってワケにはいかないだろう? ……どうした?」
挙動不審の男子生徒は、じろじろと内装を見渡して言った。
「いえ……なんかスゴいなって……」
成金趣味を自慢する気はサラサラ無いので、咲良は「そうか」と適当に流す。
「ここで話すのもなんだ。時間はあるか?」
「はい。大丈夫ですよ。今日は、親いないですし。明日は休みですし」
そういえば、今日は金曜日だったなと思い出す。
「少し出る。周りの奴に見られるのは、お前もイヤだろう?」
「…………はい」
掠れて消えそうな声で、本田は応じた。眼鏡の内にある目は、どこか杞憂の色に翳っていた。
スピードを出せれば快感なのだろうが、まさか違反して警察の厄介になるなんて事態になると、最悪な事になる。咲良は安全運転を心がけた。
しばらくクルマを走らせて、港に向かう。他には、ほとんど人はいないし、ちょうどいい。
敷地内に入って、クルマを停める。時計を見ると、時間は十七時半だった。咲良は窓を開ける。エンジンを止めると、潮風に乗って、波が揺れる音が聞こえてきた。
「さてと。お前が相談してくれた件だが……」
咲良は、あえて本田から視線を外し、車外に視線を向けて言った。本田は、見られると萎縮するタイプだ。下手な真似をすると、精神的に追い詰めかねない。
「自分でも……分かってはいたんです。やっちゃいけないんだろうなって……」
アンケートの『その他』の欄によると、本田の兄は、赤兎馬という暴走族のグループのメンバーだった。そのため彼自身も、それなりの接点を持っていたようだ。そして……。
「変なクスリを使ったか……違法なのか? それ?」
ちらりと視線を向けると、本田は首を横に振った。
「いえ……今はまだ、合法らしいです……」
つまり、今後は違法になる可能性もある。グレーゾーンというだけで、処分の対象にはなりえるだろう。
「お前の気持ちは、分からなくもない」
咲良は学生時代、教員にキミと言われて、どことなく距離感を感じたことがあった。確かに『お前』という表現は、教育上、好ましくないのかもしれない。だが咲良は、用いる人の配慮さえあれば、むしろ『お前』の方が、親近感が湧くと感じた。
とはいえ、普段の生活では使うのは難しいと考えたので、こういう深刻な問題があるときだけ使うようにしていた。
本来、教師は平等に生徒を見なければいけない。だが、問題がある生徒を放っておくわけにもいかないし、それを蔑ろにする事は、他の生徒と平等に扱う事とは別だ。
まして本田は生真面目な性格だ。両親にも、おそらく期待されていたのだろう。むしろ長男が非行に走ったからこそ、より次男に希望を持ったのだろう。
「たぶん、色々あったんだろう?」
「まぁ……色々……」
「そうか。辛かったな」
教師としての言い分を示す前に、咲良は共感の意を示した。
「これって……どうなるんですかね? 処分とか……」
「それなんだが」
咲良は、考えた上での話をする。
「赤兎馬の人間と、そういう事を二度としないって誓えるなら、今回は見逃そう」
それは、校長に一任すると言われているからこそできることだった。それに下手に報告すれば、自分への評価の低下に繋がりかねないのも事実だ。幸い、今回は規模が小さいので隠せる。何もなかった事にしておけば、最善の保身になる。
「そんなこと……できるんですか?」
「いや、本来は、他の先生に報告しないといけない。けど、今はまだ合法なんだろう?」
どうしたものか。この子が納得する理由を用意するのは、なまじ真面目なだけ、骨が折れそうだ。適当に煙に巻こう。
「こういうことを、教師はやったらいけないんだが……色々と問題があってな。お前以外でも、廃通りに出入りしてる人間は、ウチのクラスにもいるだろう?」
「そうですね……」
「その調査も必要でな。昨日のアンケートも、そういうわけだ。全員が出入りしなくなったら、一番良いんだが、なかなか、そう上手くもいかないからな」
いっそ全員に首輪でも付けられたら、どれだけ楽だろうかと思う。自由の弊害として、子供が自ら落とし穴に落ちてしまう可能性が増えてしまった。
「とにかく、いま持ってたり、家に置いてたりするか?」
「ないです」
「なら、それはいいか。だから、もう赤兎馬とは関わるな」
はい、と答えるものかと思ったら、本田はうつむいて、言いよどんでいた。膝の上で、手を握り締めている。
「……なにかあるのか?」
「馬鹿な話かもしれませんけど、僕、友達とか、ほとんど、いなくって……」
声が微妙に震えていた。やばい、と思ったときには、遅かった。
「友達って言えば、ああいうところにしかいないし……学校で顔見知りも、赤兎馬の繋がりで……ぅ……」
本田が嗚咽を漏らして、顔を手を覆った。
困った。まさかそこで泣かれるとは思ってもみなかった。
「そんな泣くなよ……それにお兄さんもいるんだろ? 赤兎馬が無くても……」
本田は涙を手の甲で拭う。目は真っ赤に充血していた。
「いえ……兄はほとんど家に帰らなくて……兄のケータイだって、廃通りに出入りするようになってから、親が契約切っちゃったから、連絡も出来ないし……」
兄との接点すら消されてしまったらしい。非行に走る兄だ。ケータイの契約を切ったのは、真面目な弟が、非行に走る兄の影響を受けないようにという両親の思惑だろう。
兄弟がいるのに、彼は孤独だ。だが赤兎馬のところにいけば、兄にも会える。
そうだとするなら、拠り所になるものを全て捨てろというのは、酷な話かも知れない。
――なら、代わりの物を用意してやるのが、一番楽……か。
「悪いが、お前の処分を消すためには、それしか方法がない」
抑えた怒気に染まりかけた表情が、変化するところは見れなかった。咲良は助手席の本田の首の後ろに、するりと腕を通すと、手を頭にやって、こちらに引き寄せる。
「え、ちょ、あの……」
突然の事に戸惑い、強張る本田の耳をくすぐるように、咲良は囁く。
「だからしばらくは、代わりに私を頼ってくれて良い……誰にも言うなよ」
本田の頭を撫でてやると、されるがままになっていた。少しすると、本田はとろけたように小さな仕草で頷いた。
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