#08 透花

 怪しい人間の候補は見つけたが、透花は未だに具体的な接触はしていなかった。

 しばらく、どうしたものかと透花は窺っていたのだが、ある程度観察していると、昼休み明けに香水の匂いがひどくなる事があるのに気付いた。

 理由としては一つしか無い。他の匂いを誤魔化すため、香水の匂いで塗り潰したのだ。そこで透花は、昼休みに候補たちが教室から出るのを待った。

 候補たちが、理科の教科書を持って立ち上がる。透花は、距離を開けてついて行った。目的は使用現場を押さえる事なので、気付かれてはいけない。

 しかし計画的だなと、透花は舌を巻いた。火曜日と木曜日の五時間目の授業は理科で、移動教室なのだ。授業の直前に移動する者もいれば、余裕を持って出る人間もいてマチマチなので、誰がいつ出て、何番目に移動教室に着いたかなど、誰も、気にしない。

 彼女たちが特別棟――特別教室の密集した第二校舎――に移動してから、透花はより慎重になった。特別棟は人が少なく静かなので、足音だけで気配を察される。

 透花は耳を澄ませる……遠くで、扉の閉まる音が聞こえた。彼らが火を使う準備をするまでの、少し時間を開けてから、透花はそろりと足音を立てないように、特別棟に入る。

 三階の地学講義室の前の扉に、人影が見えた。女子生徒だ。向こうから、こちらに近づいて来る。

「あれ、どうかしたの?」

 声を掛けてきたのは、松愛莉だった。

 監視役まで付けるとは、まったく、とんだ周到さだ。透花は、松が扉の前から離れる前に、ドアを踵でノックしたのを見逃さなかった。

「別に何でも……」

 松が目の前まで来たとたん、透花は一気に歩幅を広げて横を通り過ぎた。突然の動きに、松は目を見開いて静止を呼びかける。

「あ……ちょっ……」

 地学講義室は、元第二理科室だったため、換気扇が付いている。昼食後の昼休みの時間はせいぜい三十分だが、前半に吸えば、残りの時間、廊下と教室の窓を全て開け、そのうえ換気扇も使えば、換気は十分に間に合う。

「やっぱりね……」

 地学講義室の扉を勢い良く開けると、こちらを見て、固まっている女子が三人いた。窓から見えないように、窓の真下で蹲るようにしている。小さなポーチにギリギリ隠したつもりらしいが、匂いでバレバレだ。

 大股でずかずかと歩み寄ると、自然と彼女たち――吉野綾子、神戸小春、山田瑠奈の三人は、ポーチを抱きしめるようにした。

 呆れた。学校でここまで用意周到にやるということは、常習化しているのだろう。それだけではない。移動教室は週二回、いつからやっているかは知らないが、頻度が多いというものだ。

「ちょっと、何?」

 彼女たちが立ち上がる瞬間、透花は、その動きに合わせてポーチに手を伸ばした。

「何すんのよ!」

 吉野が掴みかからんばかりに迫ってくるが、透花は足を払って、吉野のバランスを崩す。ポーチの中には、例のパッケージと、その他の道具が入っていた。

「ハートペイン……黄色か。一番軽い奴だから、安易に手を出しちゃって、そろそろ中毒気味ってところ? 中毒になってないのは使用頻度の少ない松さんだけ。彼女だけ香水の匂いがほとんどしないものね」

 まったく、とんだ友人関係だ。自分たち三人が学校で安全にクスリを使うために、一人を見張り役につけたのだ。皮肉なのは、その見張り役だけは、クスリを使ってないので健康ということだろう。

「ちょっと、返してよ!」

 吉野が手を伸ばすが、ひらりとかわす。リーダー格がこれほど興奮するとは、集団に伝播して収拾がつかなくなる可能性がある。彼女たちが退学になるのは勝手だが、そうなると非常に面倒な事態になる。先に飴を出す方が良さそうだ。

「チクんないから安心して。その代わり条件があるけど」

「条件?」

 大抵の条件なら飲んでくれるだろう。興奮していても、吉野は頭が働くはずだ。その予測に透花は期待する。

「そう。一つ、今持ってるコレを全て渡して、二度と買わないこと。二つ、誰から買ったのか教えて」

「綾子……」

 この世の終わりのような表情で、取り巻き二人、神戸と山田が不安そうな声を漏らす。

 吉野は、これ以上透花に歯向かうのはデメリットしか無いと理解したようだった。滔々と語りだす。

「廃通りの外の連中。中になんて入りたく無いし」

「ウチみたいに比較的真面目な高校だと、廃通りに入ったのを教師や警察に見られると、すぐに親に連絡されるからね。利口だけど、もっと利口なら、こんなのに手は出さなかったでしょうけど」

 嫌味を言うと、吉野に睨まれる。

「ってか、なんでバレたのよ……」

 山田が馬鹿な事を呟く。

「匂いでバレバレ」

「というか、アンタなんでこんなことするの?」

 神戸の言葉に、一瞬、答えるべきか迷ったが……下手に隠して舐められるより、少し見せてビビらせた方が得策と踏んだ。

「廃通りの中の物を、外で見ちゃうと、教えないといけないの…………知り合いが、廃通りの大手の人間でね。外でこういうの使ってもらうと、色々困るんだってさ。そういう意味では、どうせやるなら、中でだけやってくれたら見逃せたわね」

 教えるというのは、嘘ではない。問題は、外で見るという行動が、積極的か消極的かという違いだけだ。

「それで……その、知り合いの人には、言うの?」

 そういえば、吉野はそれなりに成績が良かった気がする。その反動が、非行に走った理由かも知れない。進学できなくなるのを、恐れているのだろう。

「そうなるわね。けど、学校とか警察には言わないわよ。その人が困るから。それに、いくらこんなのやってたって、高校生だからね。ヒドいことはされないわよ。『外でやってた』事について、怒られるだけ」

 学校と警察には知らせないが、親はどうか知らない。だが、ここではあえて言わないでおいた。

「とりあえずあなた達の良心に聞くけど、今持っている以外に、家に置いてたりする?」

 透花の問いに、吉野が溜め息をついた。

「そんなにいっぱい買ってたって、危ないだけよ。二人も一緒」

 なるほど。ポーチ一つで管理していたということか。持ち運べば、家の人間に見つかる事も無いのでリスクも低い。なんでこんな所にばかり知恵を回すのだろうか?

「じゃ、今持ってるの全部、渡して」

 二人が、観念したようにポーチを引っくり返す。といっても、中身はパッケージが一つずつと、携帯灰皿、そして金属性の筒……パイプ、それからライターだった。透花はパイプとパッケージを、それぞれから没収する。……入れる物が無い。ポケットに入れると、不自然に膨らんでしまう。

「吉野さん、ポーチ貸してくれる? 使い終わったら返すから」

「わかった……」

 吉野のポーチに三つのパッケージを入れる……もし見つかったら、透花だけが捕まる羽目になるだろう。それだけはご免こうむりたい。

「クスリとパイプは返せない。で、これが代用品」

 三人に、透花は事前に準備しておいたパッケージを渡してやる。クスリではなく煙草だ。

「なにこれ? どういう意味?」

「クスリ取られて禁欲生活は苦しいでしょ? だからタバコはこっちの領分じゃないから、自宅で勝手にどうぞ、ってこと……あ、ライターないとダメか」

 吉野のポーチからライターを出して渡してやる。三人は混乱しているようだった。

「なにこれ……クスリはダメなのに、煙草は勧めるの?」

「こっちだって、恨まれたくないの。粗品くらいに考えといて。リスクとコスパを考慮すれば、こんな危ないクスリより、煙草の方が、よっぽどマシよ。依存性あるから、適度なところで止めるのをオススメするけど」

 まったく、意見に主体性が無いなと透花は自虐した。まるで禁煙を勧めるラベルの貼られたアッシュポールみたいだ。

「あ、最初から吸い込んじゃダメよ。むせるから」

 体験談を語ってやると、三人は困ったような表情を浮かべた。

「どうするの?」

「口の中で転がす感じ。飴と一緒でいいわ。慣れたら分かるから」

 こういうものこそ『習うより慣れろ』である。

 チャイムが鳴る。あと五分で授業が始まるだろう。地学講義室は、現在はほとんど使われてれないはずなので、五時間目の間、窓を開けておけば、匂いは消えるだろう。

「分かってると思うけど、口外禁止でお願いね。それともし警察とかにクスリの事を聞かれても『知らない』の一点張りでいいから」

 そう言って、透花は地学講義室から立ち去ろうとする。出入り口で、松が心配そうに立ちつくしていた。

「あ」

 危ういところで思い出す。自分が廃通りに精通している事が漏れたら、教員に目を付けられる可能性がある。透花は振り返って条件を追加する。

「条件三つ目。私の事は、誰にも口外しないこと。そんなことしたら、お家に怖い人が来るから気をつけて、ね」

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