#06 咲良

 昼休みの教室で、咲良は探りを入れる事に決めた。高校になれば、グラウンドに出て遊ぶ、という酔狂な事をする生徒はほとんどいないので、生徒が揃っているからだ。それに、特に弛緩した昼休みの空気は、ボロを出させるのに丁度いい。

 事務室で受け取った弁当を完食した咲良は、職員室から出て、生徒たちが昼休みを満喫する教室へと足を運んだ。

 階段を下りて、渡り廊下を歩いていく。教室の窓は、一つ残らずカーテンが掛かっていて、中は見えない。それも当然と言える。おそらく、携帯電話やスマートフォンを使っているのだろう。

 あの手合いの電子機器の、使用どころか校内での携帯まで禁止している高校は、いまどき珍しい。しかし規則は名ばかりで、実際、持ってきていない生徒はほとんどいない。それに教師の中でも、比較的若い層は、見て見ぬフリをしている。咲良もその一人だった。もっとも咲良が見逃している理由は、年頃が年頃だから、ではなく、秘密の共有は信頼に繋がるため、というだけなのだが。

 咲良は個人的に調べを進めていて、廃通りで有名な赤兎馬という暴走グループのメンバーが、急性ショックで死亡したという事案を掴んでいた。表向きには公表されていないが、新手のドラッグが関わっている可能性は十分に有り得る。

 もし生徒がクスリに関わっていて、売り手や買い手と接点を持っていた場合、なにかの因果で別の事件に巻き込まれかねない。校長の過剰とも思える心配は、あながち間違ってもいないと踏んだ。

 咲良がやる事は単純明快。生徒から直接、話を聞いて、何か知っていそうな生徒をピックアップしていく。そして深入りしている生徒がいれば、いち早く口を封じさせ、何事もないように生活させればいい。

 教室に入ると、何人もの生徒が扉の開く音に反応して、手に持っている電子機器を懐や机の下に隠すが、咲良と分かると安堵した。一部の者からは、冗談交じりのブーイングが上がる。咲良は「ごめんごめん」と言って誤魔化す。

「吉野は……」

 いた。教室の端、窓際の席で、いつものメンバーの四人が、四つの机を引っ付けて談笑している。そこまで歩み寄ると、頭目ポジションである吉野に話しかける。ふと、強めの香水の匂いがした。咲良は思わず、眉を顰める。

「お前たち、ちょっといいか?」

「……なに? 課題?」

 怪訝な表情で、神戸が訊き返してくる。今日までの課題をやってくるのを忘れていたのを、授業の時に叱ったが、そんなこと、今はどうでもいい。

「それはちゃんと、来週までにやって来たら、評価は下げないでおいてやる。それとは別だ。ちょっと廊下に出てくれ。大した話じゃないけど」

 実は大した話なのだが、あからさまに大人が緊迫した態度を見せると、子供というのは騒ぎ出すので、隠し通さなければならない。

 廊下の人通りは多いが、通っていく生徒は、こちらに興味は無いので、すぐに通り過ぎて行く。

「話って何?」

 吉野が催促してきた。まぁ、教師と話すのは、あまり気持ちのいいものでもあるまい。

「ああ、廃通りなんだけどな、最近、出入りしてないか? 近隣の人からお叱りの電話があってな、まぁ、なんだ。ああいう場所への出入りは、控えた方が良いって話だ」

 嘘っぱちを吐きながら四人を観察する。一人を除き、それほど顔色は変わらない。嘘をつくのが上手いのか、それとも罪悪感が無いのか。

 例外の一人……松愛莉は、明らかに視線を逸らして、動揺している。ビンゴだ。松は、どちらかというと消極的で、吉野の子分的な位置づけである。一人だけで行動するタイプではないから、少なくとも吉野と一緒に行っていたと見て良い。山田と神戸は判断がつかないが……五分五分だろう。

「行ってないよー、ってか、疑うのヒドくない? 咲良ちゃん!」

「ホントだよー!」

 神戸と山田が、中身の無い言葉を口にする。

 ん? と思う。まさか自分にまで隠し事をされるとは思ってもみなかった咲良は、むしろ彼女たちの隠蔽には、咲良が教師であるという以外に、別の理由がある気がした。

「松は?」

 一瞬、吉野の視線が後ろ――松へと走る。

「え……いや、行ってないよ」

 あはは、とぎこちない笑いで誤魔化す。何か知っているに違いない。しかし、これ以上は意味が無い。煙に巻かれるだけだ。

「分かった、分かった。じゃあ代わりに、桜小路と田島と栗田を呼んできてくれ」

「はーい」

 神戸が、松の背中を押しながら教室へと退散していく。あの様子だと、あとで松は、山田と神戸に毒づかれるに違いない。

 続いて一分も経たずに、田島と栗田、そして桜小路が姿を現した。田島は小柄で小太り、栗田は長身で痩せ型、そして桜小路は中肉中背だ。田島と栗田は上機嫌だが、桜小路は不機嫌そうに、二人を楯にするように後ろに控え、腕を組んでいる。

「率直に訊くけど、最近、廃通りに出入りしたりは、してないか?」

 言葉のニュアンスに気をつける『出入りしてないか?』と訊くと、出入りしているのを前提とした尋ね方になるので、この年頃の子供は傷つく恐れがある。

 黒髪と茶髪――田島と栗田は、互いの顔を見合わせる。

「いや、最近は行ってないよ」

「だな」

 悪びれたふうもなく、二人は言外に、最近以外は肯定する。

「最後に行ったのは?」

「うーん。四月に行ったのが最後かな……なぁ、桜小路は?」

 二人の視線が、後ろの男に向けられる。

「行ってねぇっつーの」

 桜小路は、面倒くさそうに頭の後ろを激しく掻く。

 桜小路は不良然としているが、自分が不良だと顕示するタイプではない。そのため、教師に対して、おおっぴらに舐めた口は利かない。その代わりに警戒心は強く、不用意に自分を不利にするような発言はしない。利口なのは結構だが、こういう時には面倒だ。

 誰にも言わないから正直に言ってくれ、と言っても、桜小路からすれば、誰にも言わないという方便で、本音を暴こうという意図にしか聞こえないだろう。

 とりあえず今日はこのくらいにしておこう。これ以上は聞きだせそうに無い。

「分かった。もういい……あと、廃通りには、出入りするなよ」

 一応教師なので、建前だけでも言っておく。

「分かってるって。赤坂先生だって、知ってるでしょ? 最近物騒なの」

 栗田が、咲良に聞いてきた。赤兎馬の件だろう。

「ああ、そうらしいな」

 いかにも他人から聞いたという風に言ってみる。いまなら、栗太の口が滑りそうだと思ったからだ。栗田は、噂の情報を口にする。

「そういや死人が出た赤兎馬って暴走族なんだけど、ウチのクラスにも、あそこの人との知り合いがいるらしいんだよね」

「ふーん……」

 今はどうでもいい情報だが、何か役に立つことがあるかもしれない。咲良は脳内の引き出しに、いま聞いた話を、丁寧に収めた。

「ああ、本田ほんだだろ?」

 田島が口を挟んだ。咲良は、聞き間違えかと思った。

「本田? ウチのクラスの本田優樹か?」

「そう」

 本田優樹は、友人付き合いが少なく、学業に専念する、今時珍しいアナクロタイプの生徒だ。そもそも話題に上る事が無いし、話した事もほとんど無い。服装もきちんとしているし、携帯電話も持っているが、学校に許可願いを提出している生真面目っぷりだ。煙草など持っての他だ。痩躯で、少々丸みを帯びた童顔に、黒縁のメガネという容貌だと、せいぜい想像できる非行は、夕方のゲームセンターくらいのものだ。

 妙な引っかかりを覚えた咲良だったが、いま本田本人に直接訊いて自白させるのは難しい。咲良は三人との話を切り上げ、職員室に戻った。

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