#03 咲良
常識とは、どこかの誰かが自分の都合のために定義した。
すなわち誰かが変われば常識も変化する。世界の中心のヒトカケラを握っているその人は、おそらく世界の中心から遠く離れた、
不平不満は無い。
教師とは持論の表現者ではなく、上の端っこにいる人間の代理人でしかない。
その事実は誰もが知っていて、だからこそ、聞恵より思恵、思恵より修恵を良しとする『理想の教師』のテレビドラマが、お茶の間で人気を博したのだ。
腐った蜜柑の理屈に対して、その教師は反論したそうだ――私達が育てているのは蜜柑じゃない、人間を育てている、と。
だが咲良は違う意見だ。私は蜜柑だと思う。ただし段ボール箱は教室ではなく校舎全体、世界全体。腐っているのは生徒より、むしろ教師だ。時に毎年、時に数年移り変わる腐敗の方法が、どう正式であるかを、教えなければいけない。
まぁ、あの教師が言いたかったのは、そんな詭弁では無いのだろうが。
呼び出されたのは校長室。生徒や他の教員はもちろん、理事長に聞かれたくない話をするには、うってつけのプライベート・ルームである。
いつの時代でも、管理職の部屋というのは趣味が悪い。
革張りのソファーは黒色で、安物でも高級感を出そうと必死なのが分かる。木目を活かしたデスクはぴかぴかに磨いているつもりらしく、デスクの端に置かれた布巾から推測するに、普段からよほど気を遣っているようだが、中年男の脂に汚れては、布巾くらいでは拭い切れず、満遍なく広げる結果となり、全体的に曇っている。
壁に掲げられた賞状や、棚に保管されたトロフィーの数々が視界に入ってくる。保存状態は良好だが、そのどれもが年号が昭和どまりで、平成のものは数少ない。
過去の栄光を借る狐。それがこの学校の姿、そしてこの部屋は、その縮図だ。
過去を磨いて何があるというのか。年老いた人間なら、分かるだろうに。現在を主軸として生きる人間にとって、経験すら主観から離れた、記録に近い記憶という情報に劣化するというのに。全くもって嘆かわしい。
現在の自分が何を為すか。そのために日々を費やせばいいのだ。結果に意味を見出すなんて苦労ばかりの作業は、歴史家あたりに任せればいいのだ。主観に過去の意味を問うても、偏見が返ってくるのは目に見えているが。
「それで、私を呼び出した理由は、なんでしょうか?」
咲良の凛とした声が、校長室の防音の壁にぶつかって消えてから、校長が答える。
「君が今日から副担任を勤めるクラスの生徒には、廃通りに出入りしている連中が多くいる」
連中とは、腐り始めた傷口に、半田ゴテやマッチを自ら捻じ込む異端の事を言っている。
「現在も、発見し次第、指導はしています」
「君の努力は評価している。だが問題はそこではない」
まるで結果は評価してないと言いたげだった。
「廃通りで流行している薬物……危険ドラッグというのかな、アレが外にまで出回っている」
由々しき事態だ。咲良は校長の言いたい事を先回りして言った。
「つまり、そのドラッグを使っている生徒がいないか、調査せよということですね?」
「そうだ。処理方法についても、君に一任する」
現場監督が、我が物顔で生徒を好き勝手指導する――そんな都合の良い話は無い。
「それは現場監督の責任で、ということですよね」
「そうだ。そして今日、こうして私と話した事については、一切口外しないこと。調査についても、秘密裏に進めたまえ。どうしても公に調査が必要な場合、目的は隠蔽しろ」
つまり咲良が失敗すれば厄介払いが出来るという算段だ。全く抜け目の無い校長である。秘密裏に動かさせるのも、咲良一人に責任を押し付けるためだ。
赤坂咲良は、赤坂財閥のご令嬢だった。過去形なのは、彼女がその地位に着くことを放棄したからだ。
自分の意思で何かを為したい――そう思い、志したのが、財閥や、その傘下企業の経営者とは掛け離れた教員という仕事だった。システムを利用して利己心を満たし、そして己もシステムに取りこまれるのではなく、自分の意思を他人に伝える職業は、それだけで咲良にとって魅力的だった。
もちろん、教えるのは自分の意思ばかりではない。しかし少しでも自分の意見を未来に残すことができる――それが、彼女に僅かばかり残された初心だ。
「分かりました……それでは、そろそろホームルームなので失礼します」
咲良はそう言って、校長室を後にした。
教師をトラブルシューター代わりに雇い入れた校長には辟易するが、それでも努力
咲良が渡り廊下を歩いていると、前から喧しい足音を立てて、四人の女子生徒が迫ってきた。
「咲良ちゃん、おっはー!」
「おはよー!」
グループの中で騒がしさのトップの争いをする二人、
「おはよう。あと『ちゃん』じゃなくて『先生』と呼ぶように」
周りに生徒が寄ってきても、淡々とした歩調は崩さず、真面目な口調で咲良は応じる。
咲良の身長は一六三センチだから、女性としては平均よりやや高い程度。鋭い目付きと生まれつきの表情の乏しさから、初対面の人間には生真面目だと思われがちだ。
しかしコミュニケーション能力の高さと、年頃が近いというのもあって、生徒からの人気は良好だった。よく見れば顔立ちが整っているというのも、人を引き寄せるのかもしれない。しかしこれでは、所詮世の中は器量だと教えているようなもので、教員としてどうなのかと思う。
ちなみに容貌については、ボブカットの髪が残念と言われることがよくある。少数ながら、それが良いと訴える者達もいるが。
「かーたいって咲良ちゃ……先生」
「ってゆーか何? 今日から?」
グループの中でリーダー的な立場にいるセミロングヘアーの少女、
「ああ、そうだ。どうかしたのか?」
「マジで? やっぱり? やった」
神戸が、大仰にガッツポーズを取る。
「そういうことを言うな」
気持ちは分かるが、咲良には立場があるので、一応、こう言っておく。
「えー、だって、アイツより咲良ちゃんのほうが、断然いいじゃん」
アレと比べられるのは、それはそれで嫌なものだが、咲良はそれを、おくびにも出さない。
「まぁいい、とにかく教室に戻れ。ホームルームまで三分と無いぞ」
「はぁーい」
それぞれ、気だるそうに声を上げて、教室へと立ち去っていく。
「さて……と」
立ち去る生徒の後ろ姿を眺めながら、咲良は自分のクラスの生徒たちに、思いを馳せる。
二年三組は全学年中、廃通りに出入りしている生徒の数が一番多い、要注意のクラスとされている。
そのため、以前は堅物で大柄な男性教諭が担任を勤めていたのだが……色々と事情があって、彼は退職している。
その後釜が、以前まで副担任だった
そこで副担任に選ればれたのが彼女、赤坂咲良教諭だった。他の男性教諭は、クラス担任を勤めていたり、ほかの仕事があるため動かすことが出来ず、余った教員の中から、校長によって、咲良が選ばれた……というより、実際には自薦だった。とはいえ、まさか初日から、こんな仕事を任される事になるとは、思って無かったが。
聞き上手な咲良は、生徒の人間関係や性格について――有名どころ、話に出やすい人間は大方、把握している。
必然、アングラな話で話題に上りやすい二年三組の生徒は、半数以上を把握していた。その中でも特記すべき人物は、全て廃通りへの頻繁な出入りが疑われている。
まずは先ほど話したばかりの女子グループ。吉野綾子、山田瑠奈、神戸小春、
次に、女子の中では比較的おとなしい部類であるが、川澄透花という女子生徒。普段からお淑やかで、誰とも当たり障り無く付き合っているが、その器用さ故に、誰もが彼女には壁を感じているようだ。そんな彼女に、廃通りでの目撃証言がある。まだ一度だけだが、気をつけるに越したことは無いだろう。
そして男子は三人組、
田島は、子分というよりお目付け役といった方が適切だ。栗田は、桜小路のように爆発はしないが、一度火がつくと陰湿なタイプ。田島と桜小路は一年生の頃からの付き合いで、栗田は二年――今年になってから、二人と仲が良くなったそうだ。
何度か彼らと話したことがある。制服には煙草の臭いが染み付いており、三人から同じ臭いが漂ってきたので、三人で同じ銘柄を吸っているのだろう。ぶっちゃけ、このくらいなら可愛いものである。おそらく『安全』に煙草を吸う場所を求めて、廃通りに辿り着いたのだろう。見た目はワルだが、彼らは煙草を吸うのが目的のようなので、廃通りに出入りするメンバーの中では、それほど重症患者ではない。
一番厄介なのは、もう一つの三人組だろう。
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