#02 透花

 沖野グループは、廃通りの賭博場の管理者を務めている。合法非合法を問わず、グループの傘下の人間も、いくつか出店している。他にも廃通りで経営を行う人間のサポート事業もしているらしい。

「最近多いのは、パソコン、電話機、事務机、椅子、観葉植物、アマチュアの描いた絵画……そういうもののリースだ」

 以前、沖野グループ幹部の高野こうの孝明たかあきは、沖野グループの事務室で、そんな事を説明してくれた。そういうリース経営の他にも、派遣会社紛いの事もしているらしい。悪意というのは憚る事を知らず、どんどん肥大化するのだと知った。

 そして、川澄かわすみ透花とうかはそういう無遠慮さが好きだった。


 セダンの後部座席の扉を開けて中に入ると、運転席には既に高野が待っていた。

「いきなり呼び出して悪かったな」

「別に」

 透花が現在生活しているのは「オカマスナックバー『ナオ』」の二階なので、高野がバーを訪れる事が多い。だが今日は呼び出しをくらった。指定された場所は、沖野グループが持っているビルの立体駐車場、そこに停まっているセダンの中だった。

 頻繁にバーに顔を出すと、もし高野を監視してる人間がいると怪しまれるので、適当に接触の場をバラけさせたいとのことだった。高野は透花やナオの存在を、出来るだけ秘密にしたいのだ。

「最近、新しいヤクが広まってる。知ってるか?」

 沖村組の幹部である高野は、年齢は三十五で若い部類である。大学生にすら見える童顔で、かっこつけて掛けているサングラスは似合わない。

「さぁ? ……多すぎて、どれの事を言ってるか分からない」

 皮肉めかした台詞は、言葉は高野に向けられていて、稚気に満ちた悪意は街に向けられていた。

「コイツだ」

 高野から投げ渡されたのは、手の平サイズのチャック袋に入った粉末だった。

 透明なビニール越しに、その不健康そうな物体はあった。形状は細かく粉砕された木材チップのような代物。ただし色は薄いピンク色。

「ふーん。これが新手の?」

「ああ。ハートペインとかって呼ばれてる」

 直訳すれば『心の痛み』。随分と詩的な名前だなと透花は思った。高野は続けて説明した。

「燃やした煙を吸うタイプ。パイプもあるが、手軽なのは灰皿とかに載せて、燃やして煙を吸うやり方だ。効果は多幸感と脱力感。密室で吸いながら横になってりゃ、あっという間に夢見心地らしい」

 本当かどうかは知らないが、じっとしているよりも、動いた方が早く回ると聞いたことがある。血圧が高まり、血液の循環が早くなるため、摂取した物質が早く脳に行き渡るから……という理屈らしい。レイヴ・パーティーで薬物検挙の事案が多いのも、納得できる話だ。

 そう考えると、寝ているだけで効果が出るというのは、かなり即効性が高いのではなかろうか? 透花は次の質問をしてみる。

「依存性は?」

 透花の認識では、危険の高いモノほど効果が高いと思っているので、そこから探る。

「モノによってマチマチって感じだ。アル中よりマシで済む事もあれば、ヒドい事もある」

「個人差じゃなくて?」

「いや、モノのせいだな。患者の依存度と効果は、入れガラ……パッケージと符合してる」

 つまりハートペインとは種類というより銘柄らしい。煙草と同じだ。

「箱はコッチだ。見つけてるのは全部で三つ。渡した粉末の入れガラは黄色だ」

 手渡されたタブレット端末には、テーブルに置かれた三つのパッケージが映っていた。ハートマークにカミナリが突き刺さったようなイラスト。ハートマークの後ろには、仏の背にあるような後光が輝いている。

 そのデザインに、思わず口の端が緩む。仏を尊ぶ者であろうと、堕落する餓鬼であろうと、魅力を感じるモノは同じらしい。

 映っているパッケージは、それぞれ後光とカミナリの色が違う。黄、緑、青の三種類がある。コンビニで売ってる菓子のパッケージのデザインと大差無い。

「色が明るいほど軽い、暗いほど重い」

 軽い、重いとは依存性と効果、そして危険性のことだ。軽い方が依存性が少ない反面、効果も低い。重い方は依存性は高いが、効果も高い。危険度も同様に比例する。

「死人は出た?」

 タブレットを高野に返す。高野は受け取りつつ答えた。

「俺らが知ってるだけでも、既に二人。どっちもショック死になってるがな。ちなみに、どっちもパッケージは青色だ」

 つまるところ中毒死だろう。透花は鼻を鳴らした。

「警察の介入は?」

 バックミラーを見る。サングラス越し高野は視線を合わさず、窓越しに薄暗い駐車場を見ていた。

「普通ならな。だが廃通りについては別だ……分かりきった事を言うな。鈍足のサツは周回遅れ、未だに半年前に出たのを追ってる。まだ法律でも条例でも対応できない。餅は餅屋、俺らが尻拭いさ」

 同じ穴の狢、の方が適切だと思ったが、透花は指摘しなかった。

「俺らって、沖野グループって意味? それとも……」

「鋭いな。他でも大手は何人か動かしてる。例えば益田んトコだと、内山うちやま信久のぶひさってのがいるんだが、覚えてるか? そいつが動いてるらしい」

 内山……記憶は微かに残っている。廃通りで沖野と同じくらい幅を利かせている益田グループの人間だが、内山は大学時代の高野の知り合いらしく、沖野全体とも比較的仲良くやっていたはずだ。

「へぇ……まぁいいや。それで私が出てくるのは、死人の関係?」

「いや。死人は直接は関係無い。廃通りの中で死んだんだ。テメェの責任さ」

 つまり現場に居合わせた人間の事情聴取もソコソコに、死体は荼毘に付されるという事だ。司法解剖に協力しても、大学病院は赤字だという。その上、事故死で決着のところに水を差されるような結果は好ましく無いので、警察だか検察だかから圧力が掛かるという話だ。人間は真実よりも、事態の早期収拾を図るのに忙しい。

 ということは――透花にお鉢が回ってくる理由は、一つしか無い。

 透花は現役の女子高校生だ。そして彼女の通う高等学校は、廃通りに一番近い高校だ。

「つまり……廃通りの外に漏れ出したって事ね」

「そういうことだ。最初の頃、中で売ってる小売を追い出したのが、逆効果だったわけさ」

 高野が危惧するのはそこだ。廃通りの内部で売るなら勝手にすればいいが、それが外に出始めたのは問題である。

 廃通りは、いわば『犯罪特区』である。警察からしたら、ここで起こる事を一々取り締まっているとキリがない。犯罪が蔓延するのは好ましくないが、沖野グループをはじめとした大手が、悪事を廃通り内部に抑えるよう尽力すると交渉しているので、警察も、大抵の事には目を瞑ってくれるのだ。ただし、それも外に出れば話が変わってくる。

「お前は高校で使ってる馬鹿がいないか探せ。捕まえて小売を吐かせろ。あとはこっちの仕事だ。OK?」

 茶化すような口調で高野が問う。透花は首肯した。

「ところでコレ、燃やすっていったけど、どういう匂いか分かる?」

 高野は微妙な表情を浮かべて、肩を竦めてみせた。

「使ってるヤツの部屋に入ったことがあるがな、そりゃあヒデェ匂いがする。チョコレートより甘ったるい。ココアの方がマシなレベルだ」

 未だに胸やけが消えない、とばかりに、高野は軽く咳き込む。

「ふぅん。まぁ、子供には受けの良い味なんじゃない? 渋かったり辛かったりするよりはマシでしょ。風邪薬も、苦くてマズいより、甘くてマズい方が子供は我慢する」

 それは、あくまで一般論で、透花自身は反対だったが、高野は首を縦に振る。

「だな。ガキん時に、気取ってボジョレーを飲んだら、酷い目に遭った」

 透花は苦笑した。ワインを飲むのに、最初にボジョレー・ヌーボーに手を付けたのだとしたら、さぞ手痛い仕打ちを喰らったことだろう。……ヴィンテージものが甘いとは言わないが。

「これ、もらっていい?」

 粉末の入ったビニールをひらひらと振る。その台詞は、試しにやってみる事を意味している。高野は眉間に皺を寄せた。好ましい行為ではないからだ。

「……別にいいが、ハマるなよ」

「当たり前じゃない。『ミイラ取りがミイラになる』でしょ? 言葉は知るだけで自戒になるのよ」

「そこまで言うなら止めはしないさ」

 話は終わりだろう。透花はセダンの扉を開ける。

「しかし、皮肉なモンね。こういうのを広めて儲けるための廃通りなのに、広まりすぎると、自制しないといけないなんて」

 透花が扉を閉めると、高野も車外に出た。

「大人になるとな、際限なく我が物顔で振舞えるわけじゃない。意見の違うヤツとは、折り合いつけなきゃいけねえのさ。それに、いくら自己責任つったって、太い縄ならまだしも、釣り糸の上を歩こうとしてるガキを見捨てるほど、俺は薄情じゃねぇよ」

「どの口が言うのよ?」

「この口」

 そういう冗談は、透花は苦手だった。

 高野はセダンに鍵を掛けると、エレベーターの方に進んでいき、透花に背中を向けたままに言った。

「だが俺たち仕事は、廃通りの人間を、その中に留めることだ――外に出るヤツは見境無く、喉笛を食い破ってやるさ」

 訪れる買い手は迎え入れ、外に出る売り手は殺す。それが廃通りの流儀。

 分かりきった台詞だが、その語気と語調には、委細構わぬ利己の香りが孕まれている。

 それは透花が最も好む匂いだった。連想するのは、透き通った暗鬱のイメージ。あらゆるものより純粋なのに、儚さとは無縁の冷徹さが備わっている。

 俺の邪魔をするな――高野の確固たるエゴを感じて、思わず身震いする。

 透花は上機嫌になって、鼻を鳴らして応じた。


 帰ってきた透花は、店主であり保護者であるナオに挨拶してから、二階の自室に戻った。

 木製の部屋。天井も、床も、ベッドも、机も、全て木材。年代物の木造建築だ。家鳴りがひどく、耐震強度が心配になる。

 透花は勉強机の引き出しから、アルミの灰皿とライターを取り出す。少し考えて、シガレットのパッケージも取り出す。これを出すのは久しぶりだった。

 静かな夜だ。うるさい音は何も無い。今日は一階のバーも定休日。部屋の窓から聞こえてくるのは、隣の建物のガスボイラーの音。その重低音は、人の存在を暗示する……生死までは判然としないが。

 袋から、薄いピンクの粉末を取り出す。秘められた魔力は、子供にとってのアルコールか、あるいは初夜の媚薬か。禁断の魅力は蠱惑的だ。

 部屋の中で燃やすと高野は言っていたが、アレは青色の話だろう。この粉末は黄色らしいので、その程度で効果は望めない。

 ――まぁ、効果を求めるために使うわけじゃないけどね。

 透花は薄く笑った。

 シガレットを一本取りだし、カッターでフィルター部分だけを切り取る。紙に少量の粉末を出して、フィルターを巻く。ジョイントというらしい。

 火を点けて煙を吸う。ひどく甘ったるい臭いがして、思わず咳き込んだ。巻き方が下手だったのか、ぼろぼろと崩れて仕方が無い。灰皿で受け止める。

 臭いが分かったので、よしとしよう。粉末を全部使わなくて良かったと思う。

 今日はもういいと思って立ち上がり、着替えようとすると、突然、頭がぐらっとした。ああ、これかと思う。頭がぐらぐらと揺れ、身体中の筋肉が弛緩する。崩れ落ちないように自制しつつ、寝巻きに着替えてベッドに身を投げ出す。

 眠れない気持ち良さを、ずるずると引きずる感じだった。少量のアルコールでほろ酔いになるのに近い、眠ろうにも血圧が高くなって眠れないのは、ある意味苦痛だったが、溢れる多幸感が全てを曖昧に塗り潰していく。

 それから一時間ほど経過してから、透花はまどろみに溶けるようにして眠りについた。

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