第二章 江ノ島の神様系モデル

 今日も放課後はエリーの写真が撮りたい。そう思ったのでいつも放課後やっている写真の現像を昼休みにすることにした。

 パソコンを使うこの部屋は扇風機が置いてあり、うちわで扇ぐしかない教室とは比べられないほど涼しい。なので写真部特権で昼休みはここで過ごすことも多い。

「ケイスケ、その写真の子可愛いじゃん。先日見てた子だろ? ついに彼女にしたんだな」

 取り込んだ写真を画像編集ソフトに取り込んで色の調整をしているところで、カズユキに見られたのは数日前に撮ったエリーの写真。

 たこせんべいをリスのように削りながら食べているやつ。消せと言われてないから消してないし、かと言って公開の許可ももらってない。

 でもここ数日では間違いなく一番良く撮れたやつなので、自分用にとっておくことにした。

 好きな女の子の写真は持っていたいという、男子生徒のありがちな考えを自分も持っちゃったわけだけど、

「いや彼女じゃないし……。モデルは承諾してもらったけど」

 今はまだそう呼べない。そんなことをエリーの前で言ったら叩かれそうだ。叩かれたことはないけど、そんな気がする。

「おお! やったな! で、どんな子だった?」

「変わった子だよ。自分のことを神様だと思ってる」

 そのまま答える。事実だし。

「そ、そうか……変わった子だな」

 さすがのカズユキもコメントに困ったようだ。ごまかすように漫画のキャラが『アニメ化決定』という告知をしているうちわを仰ぐ。

 俺の写真のモデルをお願いした女の子は、金髪碧眼で綺麗な声をしてて、背は小さくって人形のように可愛らしい、純白のワンピースが似合う女の子。でも『自称神様見習い』なんて言われたらそれはコメントに困るだろう。どんなアイドルのキャラクター付けだよって突っ込みたくもなる。宇宙人の方がそれらしい。

「ケイスケはそういう子が好みだったか……」

「違う! そうじゃない! ただモデルをお願いした可愛い子がこういう子だっただけだ」

 思わず言い訳したけど、全然言い訳になってないな。夢見がちな少女が好きな男と思われてもしかたない。

「だ、だけど、写真はいいぞ、うん」

「あ、ありがと」

 喋らなければいい子みたいな感じで思われてる気がする。でも先日の迷子の子猫の親猫探しをしてるのを見てるから、いい子だと俺は思ってる。変な口調と変な設定については全くの否定要素がないけど。

「で、金髪ってことはやっぱり外国人なのか。イギリスからの帰国子女とか? アメリカからよさこいしに来たとか?」

「漫画の読み過ぎだ」

「名前はなんて言うんだ?」

「えっと――」

 言葉が詰まる。『スサノオ』とか『アマテラス』みたいなノリで神様らしい『江里能売(エリノメ)』という名前を言っていいのか迷った。

「エリーっていうらしい」

「キレイな名前だな。実は探偵だったり、アイドルだったりしないか?」

「探偵はないだろ」

 アイドルに関しては分からないから否定しないでおいた。別の名前で秋葉原の地下アイドルやってると言われても調べようがないし……。

「そいえば、こういう子を見たら撮りたいとか思わないのか?」

 カズユキはイベントでいろんなコスプレイヤーの写真を撮っている。キレイな女性の方々が多く、未知の世界じゃなければ俺も付いて行きたいと思ったほどだ。写真を見る限り、本当に日本なのか怪しいほどの異世界だ。

「いや、大丈夫だ」

 意外な返事だ。ポートレートに貪欲なカズユキにしては珍しい。

「不思議そうな顔だな」

「そりゃ」

「ケイスケが狙ってるんだ。それに横槍入れるようなことはしないさ」

「狙って……ることになるのか」

 名前を聞いて意識し始めてから、いやもう最初にエリーを写真に収めてからずっとエリーのことを考えている。それが昨日恋なんじゃないかと思ってからはさらにエリーのことばかり。どうしたらエリーをキレイに撮れるのか、どうしたらエリーと仲良くなれるのか、どうしたらエリーといい関係になれるのか。

 こういうことを考えてるってことはそういうことなのだろう。

「俺とチャコはお互いを専属って縛ってないから、エリーちゃんを撮るのもいいかもしれないけどな。でもケイスケとしてはどうだ? せっかく見つけたいいモデルさんを他のカメラマンに取られちゃうのは嫌だろう?」

「確かに」

「あわよくば恋人かね専属にしたいって思ってるだろう?」

「ああ……ってそんな思って」

「照れるな照れるな」

 顔文字のように大笑いするカズユキは俺の肩を叩きながら、

「独占欲があるのは悪いことじゃないぞ。逆に俺とチャコみたいに誰を撮っても、誰に撮られてもOKにしちゃってるのも、恋人関係としては微妙って思われることもあるしな」

「お前とその恋人のチャコさんってどういう関係なんだ?」

「チャコもコスプレイヤーだし、俺もカメラマンだ。お互いがお互いを専属にしていると技術向上が進まないこともあるって思ってとある協定を結んでいる」

 協定ってまた大層なことをしてるな。そういう言葉を選ぶのがこいつらしいというかオタクっぽいというか。

「お互いいろんな人と撮影をしたりされたりはしてもいいが、本気の撮影はお互いだけにする」

「どういうことだ?」

「俺もいろんなレイヤーさんの写真は撮るし、チャコもいろんな人に撮ってもらう。それはお互いの技術を磨くためには必要で効率がいいからそうするけど、その技術を披露するのはお互いの前だけってこと」

「つまり浮気をしてもいいけど、最後にはちゃんと帰ってくるってことか」

「そういうとプレイボーイみたいだが、まあそうだな」

 不思議なきっかけで付き合い始めたカップルは、やることも不思議だ。本人もそう思っているのかカズユキは続けて、

「まあ俺たちでやってることだし、参考程度にな。って今はどうやってエリーちゃんを落とすかだったな」

 そうだ。どう考えてもまだ片思いだから、付き合い始めてからの話はあまり参考にならない。

「それはだな……」

「それは……?」

「俺も分からん」

 ……カズユキに写真以外のアドバイスは求めないほうがいいのかもしれない。


    ◇


「来たな」

『いつもの場所』と言っていいほど、よく来るようになった江ノ島東の防波堤。今日も放課後お供え物を買ってからすぐにやってきた。

 俺の言うことを守ってくれてるみたいで、今日はベンチに座って海を眺めていた。

「今日は何を持ってきた?」

 早速俺の右手のビニール袋に目をつける。それが今日のお供え物だと気がついたようだ。

 渡すや否や、エリーは早速袋の中身を確認。

 中を開けると温かい匂いと、小麦のかおり。

 江ノ島駅の前にあるパン屋さんの焼き立てパン。クラスの女子の評判が良いので、エリーへのお供え物にいいと思って買ってきた。

「これ全部いいのか!?」

「ひとつは俺のだけど残りはどうぞ」

 袋からソーセージパンだけとると、エリーは残ったメロンパンとクロワッサンに目を奪われている。お気に召してくれたようだ。

 どっちから食べようかと、目を真夏の海のように輝かせているエリー。猫じゃらしに誘導される猫のような動きで『こっちもいい』『こっちもおいしそう』と交互に見つめている。

 そしてまずはクロワッサンから口をつけることに決めたようだ。でもその間に俺のソーセージパンは半分になっている。

 俺が隣にいるのも気にせず大きく口をあげてかじりつく。もぐもぐする口と同じタイミングで目をパチクリさせて、味わっている。

 俺も同じのにすればよかったと思うほど、うまそうに食べている。

 一口目を喉に通したあと、キラキラしたエフェクトが見えるような顔で後味まで楽しんでいた。

 そんなエリーを観察していた俺に気がついたのか、急に真面目な顔になって、

「ま、まあまあだな」

 とコメント。

 でもさっきまでの表情やリアクションで、すごく美味しかったという感想は十分に伝わってくる。

「それはよかった」

 エリーは続きを口にするけど、表情はキリッとしたまま。でもたまに口角が上がったり、瞳に星が入ったりする。

「で、今日は撮影をするんだ? どういう風にするんだ?」

 リアクションが落ち着いたところでエリーが聞いてくる。

 モデルさんに写真をお願いするのはこちらも初めてで、エリーも撮影のモデルなんてしたことないと思う。

 なので今日は参考になる写真雑誌を持って来ている。それを出して付箋のついたページをエリーに見せる。赤いノースリーブシャツに白いスカートが涼しい女性が、海を眺めてたり、海岸沿いを歩いたりしている写真。

「ふ~ん、ケイスケはこういう女性が好みなのか」

「えっ?」

 このモデルさんの写真は確かに気に入っている。爽やかな涼しい色合い、キレイなシルエット、悩ましい表情、エリーにはない魅力がある。

 でもそれと好みとは別だ。それに今はエリーが好きだし。

「背は高く、輝く長い黒髪、それに胸がある」

 雰囲気を作ることが出来ても、このモデルさんにはあってエリーにはないものがある。それがエリーも言ったバスト。申し訳ないけどそれは俺も分かってしまう。

「いや、魅力は感じるけど、好みとかそういうんじゃ」

「ほー」

 それとこれとは別と言いたいけど、この碧いジト目は信じてくれない。

「こういう爽やかな写真が撮りたいってこと!」

「どうだか? 江ノ島のカップルはみんな胸のある女ばかりだぞ! ケイスケもそういうのがいいんだろう?」

「胸は関係ない! エリーだからモデルをお願いしてるの!」

 これは本心。別にエリーの慎ましいシルエットも好きだ。

 江ノ島の女性が妬ましいとか、カップルがムカつくってよく言ってるから、エリーはヤキモチを焼きやすいのかもしれない。今後は『こういうポーズ』として女性の写真を持ってくるのはやめよう。俺も変な誤解をされたくないし。

「じゃあ、私をその本の女よりもキレイに撮りなさい!」

 エリーはまるで神が人間に試練を与えるような言い方で言う。偉そうな目つきと、嘲笑するような口元。こんな風にコロコロ変わるエリーの表情は見ていて飽きない。

「分かりましたよ神様」

 そう返事をすると満足そうな表情になる。


「こうでいいか?」

 さっきの写真にもあったポーズをそのまま真似するエリー。柵によりかかり、横目で俺を見る。海風が金髪を揺らしてそれだけでもいい絵になる構図。

「そうそう、いいよー」

 中腰になって少し見上げるような感じでレンズの中にエリーを入れる。

「もうちょっと楽にしていいよ? 体が固く見えちゃう」

 初めてなんだし、当然といえば当然なんだけど、顔も体も緊張していて固く見える。写真に撮られると思うと『キレイに映らないと』と思っちゃうんだけど、それは写真に映ってしまう。

 実は俺もこうして女の子を撮影するのは初めてで無茶苦茶緊張してる。手ブレ防止機能をオンにしても、ブレるんじゃないかと思うほどの手の震えを力づくで抑えてる。

「楽にするって……どうすればいいんだ?」

『寝よう』と考えていると逆に寝れなくなってしまうのと同じで、リラックスしようと思っていてもなかなかできるものじゃない。

 でも写真撮影に関してはいい方法を知っている。写真撮影とは全く関係ない世間話をして、緊張を解す。楽しく話ができれば、自然といい笑顔を引き出すことができるプロもアマチュアもやってる撮影技術。

 そういうことで気になっていたことを聞いてみる。

「突然だけど、エリーって歳いくつ?」

「百六十歳」

 予想してない答え。いや、先日の神様見習いって話もそうだったけど、どれだけ空想の世界に生きているんだこの子は。『厨二病』って言うんだけっけ、こういうの?

「割る十はしない?」

 問答をしつつエリーの少し無愛想に感じる表情を撮っていく。

「しない」

 きっぱり言われた。本心からそう思っているのか。

 とりあえず割る十したら違和感がないので十六歳ということにしておく。

「まあ、人間年齢に換算すれば十六歳と言って良いかもしれない」

 やっぱり十六歳じゃん。

 そんなエリーの『神様設定』も含めてエリーの魅力なのかもしれないけど。

 ということは俺の一つ下か。これくらいの小さい子はクラスにもいるし、別に違和感じゃない。

 でも毎日のようにあそこに居るってことは、学校へは行ってないのかも。この歳で不登校、それであんなところで黄昏ていたのかもと思うと少し胸が痛む。

 今考えてもしようがないし、真実はちゃんとエリーが言いたくなったときに聞こうと思う。

 だから今はエリーが話してくれそうな話題からふっていくことにする。

「じゃあ神様って何歳くらいまで生きるの?」

 エリーのバック全面を海にするような構図にする。ゆるやかになびくスカートが、あまりにキレイでドキドキする。

「神々は生まれても死ぬって概念はないわ。人間の信仰がある限り、そこには神々が居て、信仰がなくなると消えるの」

 エリーの少し寂しそうな背中を写真に収める。アンニュイな感じがいい。

「消えた神様はどこかに行くの? あ、ポーズ変えてみて?」

「ん……」

 何気なく会話に指示を織り交ぜてみたけど、エリーは特に気にもせず柵を背によりかかり、空を眺める。これもさっきの雑誌にあったポーズ。

 にしても今の声、すごく色っぽい。本人は意識して出したわけじゃないだろうけど、シャッターを切る手が止まってしまう。

「人間の言う天国とか地獄は神にはないわ。ただ消えるだけ」

「じゃ、じゃあまた信仰が戻ったら生き返るの?」

 撮影再開。

「人間で例えるとそうなるわ」

 俺も撮影位置をエリーを真横にする。柵に体重を預けて、エリーのいる奥に岩場が入るように写真を撮る。

 話をしながらだとエリーは喋るのに集中するのか、撮影をしていることを忘れてるみたいだ。リラックスしてくれてるおかげでいい絵が撮れている。

話の内容についてはよく分からなないけど、彼女の中ではそういう設定なのだろう。

「話ばかりしてるけど写真撮ってるの?」

「撮ってるよ。見てみる?」

 本当に写真を撮られてることに気がついてなかったみたいだ。ちょっとの物音でも人が近づいてきてるのに気がつくときもあれば、何をされてるのか全然分からないときもあるし、やっぱり変な子だ。

 カメラのレビューをディスプレイに出してエリーに見せる。

 エリーに写真を見せるのは二度目だけど、やっぱりドキドキする。理不尽に否定するような子じゃないと思ってるけど、まだ人に見せるのが怖いところもある。

「どう?」

「う、うん。いいんじゃないかしら」

 ちょっと驚いたというか、関心したような顔で言う。『まあまあね』とか言うと思ったけど、それと比べて素直な返事。

 それがとても嬉しい。

 俺的にも満足の行く写真が撮れてて、エリーにモデルをお願いして正解だと思う。

「んじゃ、ポーズばかりとってると疲れるから、次はゆっくり歩きながらにしようか」

「ええ」

 と返事をするけど、また硬い顔になってしまう。ガクガクとした動きで岩場の方面へ歩き出す。やっぱり写真を撮られているという意識があると、こうなっちゃうみたいだ。

 そんなエリーに次の話題を振る。

「エリーって運動神経いいよね?」

「そうかしら?」

 振り返ったときのきょとんとした表情を一枚もらう。古来から『見返り美人』という絵があるように、振り返った女性はキレイだ。

「ほら、テトラポッドの上をぴょんぴょん飛べたり、柵を軽々飛び越えたり……」

 あとここから飛び降りて怪我しないとか、現実離れしたような動きもしたのを見ているとそう思う。

「ま、まあな。神だし」

「それって理由になってる?」

「神が人間より優れてるのは当然だろう」

 ぷいっと後ろを向いて、ガクガクしない自然な動きで歩き始める。

 そんなエリーをレンズから覗いて、構図を変えたり、ズームしたりと何枚もいいえをいただく。

 ちょっと早足でエリーを追いかけながら、

「でも、怪我しないように気をつけてね」

「ケイスケこそ、写真を撮るのに夢中になって危ない目にあったりしないように、気をつけろよ」

「大丈夫だって、エリーと違って危ないところに入ったりしないから」

 こう見えても写真を撮影するときは周りに気を使うし、危ないことはしないように心がけている。

「でも心配してくれてありがと」

「そんなんじゃない! 信仰が減るのが嫌なだけだ」

 さっきまでちょっと優しい表情をしてくれてたのに、またツンツンしてしまった。


    ◇


 夏休みに入って初めての月曜日。バイトが休みで今日はお昼からエリーとデート……じゃなくて撮影の約束も入れている。

 昨日も写真雑誌とかを見ながら撮影プランという妄想をしていた。一緒にこういうところに行きたい。こういう絵が撮りたい。頭のなかではステキなエリーの写真が次々に現像されていた。

 そんな写真を本当に撮影するべく、

「今日は江ノ島の外で撮影したいと思う!」

 いつもの場所にやってくるなり、夏の日差しに負けないような意気込みでエリーに言う。するととたんに申し訳なさそうな顔になって、

「それは……無理だ」

「どうして?」

「私は、江ノ島から出られないんじゃ」

「へっ?」

「修行のひとつに信仰の力をためて、私専用に張られた江ノ島の結界を破るっていうのがあって……私はまだ力不足だから、できないんだ」

「はぁ……」

 これもエリーの考えた『神様の設定』なんだろう。よく分からないけど、江ノ島を出たくない理由があると思った。

 太陽が雲に隠れた。それを見たら、強引に連れ出すこともできない。

 外の撮影はまた今度ということにしよう。機会が永遠に失われるわけじゃない。

「分かったよ。今日も島で撮影しようか。江ノ島はいいところがたくさんあるし」

「そ、そうだな」

 江ノ島の中でということにするとぱっと日が出て明るくなる。やっぱり出たくない理由があるんだと思う。なんとなくその理由が『神様見習い』になっちゃった理由と同じような気がする。

「それじゃ今日もよろしくお願いします」

「うぬ! よろしくされたぞ」

 いつもどおり偉そうに言うエリー。やっぱり笑ってたほうが可愛いな。

「そいえば今日の『お供え物』は?」

 カメラ以外に何も持ってないのに気がついたのだろう。

「今日は外のコンビニで何か買ってあげようと思ったから」

「そうだったのか。すまんな」

 またもや申し訳無さそうな表情になるエリー。それがなんだか愛おしいと表現するのがいいのか、ご主人にかまってもらえない犬の表情のようで、自然とその金髪に手が伸びる。

「江ノ島は食べ物やさんがたくさんあるし、欲しいのがあったら買ってあげるから」

「う、うん」

 平静を装って言ってる俺。

 でも撫でているエリーの髪があまりに心地いい。

 そこから変な声を上げそうな衝動と、うまく説明できない感覚が襲ってくる。

 女の子――エリーの髪ってこんなにサラサラで、心地よすぎて触ってるだけで一日過ごせそうな感じするんだ。写真にも撮ってきたし、エリーと出会ってからずっと見てきたけど、触るのは初めて。

 っていうか女の子の髪って普通触る機会ないし。

「……いつまでそうしてるんだ?」

「あ、ごめん。いやだった?」

 髪は女の命とも言うし、それを触られるのは人によっては嫌だったかもしれない。

 江ノ島の外に出る話や、お供え物のことでテンションが落ちたエリーを見てたら、自然と髪に手が伸びた。

 けど俺が単にエリーに触りたかっただけかもしれない。そう思うとちょっと自己中な行動だったことに気が付かされる。

「イヤじゃないけど、こんなことされたの初めてだから……」

 俺もこんなことしたのは初めてだ。

「むしろもうちょっと……」

「もうちょっと?」

「なんでもない! 行くぞ!」

 一段とばしで階段を降りていくエリーを俺も慌てて追いかける。


 東の防波堤から弁天橋のところまで戻って、江ノ島の定番観光ルートへ。平日だけどそこそこ人がいる中、エリーの歩幅に合わせながら歩く。まるで縁日にふたりでやってきたみたいだと思ったけど、口には出せない。恥ずかしい。

 いつもどおり賑わう仲見世通りを通り、鳥居の前までやってくるとその左の階段へ進む。

「こっちなのか?」

 人の流れとは違う方へ言ったので疑問に思ったようだ。

「階段でエリーが撮りたいんだ。少し登ってから振り返ってもらえる?」

 ここから先は階段が多い。『エスカー』という有料エスカレーターが島の中にはあり、体力に自信のない人や体が不自由な方が利用できるような設備があるくらいには多い。

 俺からすればこういう他の場所には見ない構造を利用しない手はない。そんなことを思ってやってきたロケーションだけど、エリーには伝わりにくいかもしれない。

「こう見下ろせばいいのか?」

「そうそういい感じ」

 だからこうした下からの構図を撮りたいと思うのは、写真家として自然な考えだと思う。

 エスカーの一番最初の乗口の横、上を見れば木々が多く、左は塀があり陽の光があまり入らないちょっと暗めの階段。人によっては海を見に来たのに山を登ってるような感覚になるかもしれない。

 俺がローアングル気味にカメラを構えながら、構図や光の露出を調整していると、エリーが俺を疑うときの目つきになった。

「……下着を見ようとしてるわけじゃないよな」

「へっ?」

 ファインダーから目を離して、肉眼でエリーを見つめる。ファインダー越しには見えなかったけど、エリーの足元がもじもじしてる。

「だって、この角度だと見えないか?」

「見えない見えない」

 多分ここで突風が吹いても見えないと思う。俺が直にめくらない限りは。

 エリーのワンピースは、江ノ島の中を歩いていたら汚れてしまうんじゃないかと思うような純白。素材も薄い生地でできてて涼しげな感じ。めくれるより透ける気がするけど、これも不思議で透けたことはない。

 そんな少年漫画にありがちな展開や出来事は現実にはありえないってこと。怒ったところで俺は目を背けると思うし。

「ど、どうだか? 私のえっちな写真だってその……撮りたいのだろう?」

 目を逸らしながらもじもじと言う。突然どうしたんだ、ホントに。

「な、なんで……?」

「……海岸に落ちてた雑誌にそういう写真が沢山あったから」

 そういう本を読んじゃったわけだ。っていうか海に本を捨てるなよ。

 エリーが読んだのが青年誌なのか、高校生が買えないエッチな本なのかは分からないけど、

「俺はそういう写真は撮らないし、エリーをそんな目で見てない」

 好きな子をエロい目で見るのは失礼だと勝手に思ってる。だから妄想の中でもそういうことはエリーにさせない。そういうのは別途用意してある。

「本当か?」

「神に誓って」

「私に誓うというのか」

 ああ、エリーは『自称神様』だったっけ。でも、

「もちろん」

 それでいいやと思った。結果的にエリーに誓うことになるんだし。

「嘘だと思うなら、撮り終わったあとの写真をちゃんと確認して? もし嫌な写真があったらその場で消すからさ」

 いつもやってるけどね。俺の目からはエリーがこんな風に映ってるんだよって言いたいからさ。伝わってるかどうかは分からないけど。

 とは言ったものの エリーはなんとなくスカートを意識してしまうみたいだ。

 ミニというわけではない長さなんだけど、スカートを左手で抑えてるのが不自然というかカッコつかない。

 下から撮るのは難しいんだなぁ。横からとか上から撮ってみよう。

 階段を登りつつあとはいつもの感じで、

「エリーは食べ物だと何が好き?」

「食べ物か……これといってないな」

 あれだけたこせんべいやサブレをおいしそうに食べていたのに、これといってないのか。

「逆に苦手な食べ物ってある?」

「それも特にないなぁ」

 これといって出てこないってことは、特に好き嫌いはないってことかな。

「ケイスケはあるのか? 好きな食べものとか」

「あるよ。この辺の名産っていうのもあるけど、海鮮類が好きかな。しらす丼とか、お刺身とか」

 江ノ島の向かいには片瀬漁港があって、一般の人でも新鮮な魚介類を直接買うことができる。そのおかげか、小さい頃から魚を食べてきた。

「ふむ……じゃあ、私の『お供え物』は別にケイスケが好きなものというわけじゃないんだな」

「そんなことないよ。味を知ってるから人に勧められるんだよ」

「私は神だぞ」

「そうでしたね」

 また忘れてた。そういう『設定』。

「じゃあ、他にも美味しいおかしとか知ってるのか?」

「食べたことないものも含めたらいろいろ知ってるけど」

 それこそ雑誌を見て知ったお店が沢山ある。男一人じゃ行きづらいお店とかもエリーと一緒に行ってみたいって思ってたりもする。まだ妄想の中でしかしてないけど。

「そうか……」

 あっ、笑った。

 料理とかよりもお菓子とかデザートのほうが好きなのか。そんなデザートの顔になっているエリーの写真を一枚もらう。

「それじゃ、今度のお供え物はデザートがいいですか?」

「そ、そうじゃな! 私の口に合うような物を頼むぞ」

 とウキウキしたような足取りで階段を登るエリー。

 その後姿を一枚もらう。うん、これが撮りたかった。


 薄暗かった階段を道なりに登って行くと、花壇のある道に出る。年中手入れが行き届いており、家族連れに人気の場所だ。

 そこには花壇に囲まれた道もあって、花々に囲まれた散歩ができるようになっている。正直、女の子のモデルとここで撮影をするのが夢だった。厳密に言えば、江ノ島を女の子と写真を撮りながら歩くのが憧れだった。

 俺が花壇を見ているとエリーはぷいっと石畳の順路に足を向ける。さっきまでウキウキだった表情も不機嫌だ。

「どうしたのエリー?」

「そんなカップルが歩くような場所は嫌だ」

 エリーの言うとおり、ここはカップルには人気の場所だと思う。年中手入れされた綺麗な花が咲いており、好きな人と手を繋いで歩くロマンティックな場所だ。

 そんな場所にいるカップルのことをエリーは嫌いなようだ。初めて会ったときもこういう場所は嫌だから人の少ない場所にいたと言っていた。

 ここに来るまでに江ノ島に何組ものカップルとすれ違っているけど、その度に睨みつけていた。前にも思ったけど何かあったのだろう。『自称神様見習い』になっちゃった理由が恋愛のことなのか。デリケートなことだから聞きづらい。

「でも、今日は人が少ないし。今ならほら、誰も居ないよ」

 だから写真を撮るなら今がベスト。

「ふん!」

 駄々をこねる子供みたいに拗ねてしまった。

「エリーは花が嫌い?」

「そんなわけあるか」

「ここの花はコッキング苑と同じくらい好きだし、何度も撮影してきた。だからエリーと一緒にここでキレイな写真が撮れたらいいなって思う」

 エリーはそっぽを向いたまま返事をしない。この状況を何も知らない人が見たら、喧嘩してるカップルかもしれない。

「こういう写真は綺麗なモデルが居てこそなんだ。あまり似合わないカップルが歩いてたってあまりいい絵にはならない。そんな人達より、俺はエリーを見ていたい」

「……ホントにあの連中より、私のほうがいいか?」

「もちろん」

 女の子は褒めると落ちるってカズユキが言っていたのを実践してみた。でも言った後じわじわくる恥ずかしさが背中をゾクゾクさせる。

 目だけ俺の方に向けるエリーを見て、もう一声かもと思う。俺の脳みそにある、恥ずかしいけどこれを言ったら女の子は喜ぶかもしれないワードを検索。その言葉を選ぶ。

「この江ノ島に居るどの女性よりキレイに撮るよ」

 モデルを褒めるのは撮影の基本。そう聞いたことがあるけど、この褒め方はプロポーズみたいで恥ずかしかったかもしれない。事実ドキドキしてきた。プロのカメラマンならもっといい褒め方をするのかもしれないけど、今の俺にはこれくらいしか思いつかない。

「他の江ノ島の神々には申し訳ないが……」

 と小声で言ったあと、

「キレイじゃなくて可愛く撮ってくれ」

 花も恥じらうような声で言われた。


「それで……どうすればいい?」

「花を眺めてくれればいいよ」

 多分それだけで絵になると思う。

「わ、分かった……」

 と返事をするけど、エリーは花壇の前に立って棒立ちで花を見下ろす。そうじゃない。

「もっと近くで見ていいんだよ?」

 少し離れてカメラを構えていたけど、まずは自然になるようにしてあげないといけないようだ。

 エリーの隣にしゃがんで俺も花を眺める。

「これくらい近づいて見てもいいんだよ」

 カメラの撮影モードを『花の接写』に切り替え。レンズが花びらに触れないように近づいて一枚。

「ほー」

 俺と同じようにしゃがみこんで関心したような声を出す。俺のカメラのプレビューを覗くエリーの髪から花よりいい匂いがする。最初に写真を見せたときのあの優しい香り。デジャブは感じるけどやっぱりよく思い出せない。

「そんな風に見えるんだな」

 同じものが見たくなったのか、エリーも青いレンズを花に近づけている。

 そんな夢中になっているエリーの表情に見とれながら、カメラの設定を『マニュアル』に戻して、フィルター越しにそれを覗く。エリーと花にピントを合わせてシャッターを押す。

「わ!」

 シャッター音がすぐそばでしたのに驚いたのか、幼い声で驚く。

「い、今のがいいのか? 花を見ていただけなのに!?」

「うん、可愛かったよ」

 エリーか花かどっちとは言わなかったけど、自分が言われたと思ったエリーは耳まで赤くして、

「そ、そうだな。可愛らしい花々じゃ、うん」

 またそっぽを向いてしまう。俺もそうだけど、少し顔が冷えるのを待ったほうがいいかもしれない。なれない言葉を使ったりして脳内CPUはオーバーヒートしている。

 それでもなんだか間が持ちそうにないので、脳みそをひねって次の話題を考えた。

「エリーは花とか詳しい? 種類とか?」

「いや……ここに咲いているのはチューリップくらしいか名前が分からない」

「そっかー、写真を撮っても名前が分からないのが多くてもったいないんだよね」

「もったいない?」

 こっちに振り向いたエリーの顔はまだほんのり赤い。

「せっかくキレイに撮ったのに、その花のことを知ってあげられなくて申し訳ないって、言ったほうが分かりやすいかな?」

 被写体については、写真のタイトルを付けるためになるべく調べるようにしている。始めていく場所については、ただ撮るだけじゃなくてどういう場所なのか、どういう歴史があるのか、それを知れば文字通りの意味で違った見え方ができるようになるかもしれない。だからそれを知らずに撮るのはちょっとおしい。

「じゃあケイスケは私のことをもっと知りたいと思ってるのか?」

「それはもちろん」

 好きな人のことはたくさん知りたい。写真とか、モデルとか関係なしにエリーのことはもっと知りたい。そう思うのは自然なこと。

「私のどんなことが知りたい?」

「いろんなこと」

「具体的に」

「エリーの好きなもの、食べ物とか、趣味とか」

 エリーは立ってから腕を組んで考える。そんなに難しいこと?

「思いつかん! ケイスケ、お主のことを教えろ!」

 とは言われても、俺だって自分のことを話すのは得意じゃない。

「俺はこうして写真を撮るのが好きだ」

 これくらいしか話せない。でもこれは唯一自信を持って言えることでもある。幼い頃から江ノ島とその風景、鎌倉の町並み。一度は否定されたけど、ちゃんと続けていられる趣味らしい趣味。

「じゃあケイスケは今、楽しいのか?」

 強く頷く。

「そうか、楽しいか」

「エリー?」

 何か思うところでもあるのか、むずかしい顔をしていたのが気になる。

「いや、楽しいのはいいことだ。私ももっと楽しむようにしよう」

 そう言って涼しい、さわやかな笑顔になる。


「少し休憩しようか」

 さっき撮影した花壇の先にある見晴台は、ヨットハーバーや鎌倉方面の相模湾を一望できる。恋人とツーショットが撮れるように、ケータイやデジカメで写真が撮れる一脚の台が置いてあるほどだ。

 その景色を見ながら休憩できるベンチも用意してある。

「ジュース買ってくるけど、何がいい?」

「ん、ついて行くぞ。すぐそこだろう?」

 エリーの視線の先にはエスカーの乗り場。その前に並ぶ数台の自動販売機。江ノ島にはたくさん自動販売機がある。多分これは観光客の脱水症状を起こさないようにという工夫だろう。品揃えも水が多い。

「いいよ、休んでて」

 写真のモデルというのは結構疲れると聞いている。ポーズを取るから体が疲れるというより、メンタル面が疲れるらしい。いい表情やポーズで人に見られるというのは、精神力を必要とするということ。

 カメラマンがモデルさんと話をしてリラックスさせるというのは、こういうところにも気を使ったテクニックらしい。

「うぬ、ならフルーツ系のジュースを」

「分かりました、神様」

 ベンチに座ったエリーの隣にカメラを置いて自販へ向かう。缶のリンゴジュースがあったので、それにして俺は炭酸のエナジードリンクを。

 エリーの座ってるベンチに戻ろうとすると、エリーが俺のカメラを観察していた。

 手に持ってレンズを回したり、電源が切れてるけどボタンを押してみたり、ファインダーを覗いてみたり。レンズにカバーをしているので当然ファインダーの向こうは真っ暗だ。

 気になるおもちゃをおもちゃ屋さんで見つけたようなエリーをしばらく見ていたかったけど、ジュースがぬるくなってしまうので、

「はい、どうぞ」

「う、うぬ」

 カメラをゆっくり置いてリンゴジュースを受け取る。

「カメラ気になる?」

「あ、うん。すまんな、勝手に触ってて」

「いいよ、そんな簡単に壊れるものじゃないし」

 興味本位で触ってたけど、この子は人のものを乱暴に扱ったりしない。変な子だけど悪い子ではない。

「写真、撮ってみる?」

「いいのか!?」

 開けようとした缶を置いて、今日一番の元気な声で聞き返してくる。

「うん、ここはいい景色だし、撮ってみると楽しいと思うよ」

 カメラの電源を入れて、撮影モードを『マニュアル』から『インテリジェント』に変更する。『インテリジェント』モードは普段全ての設定を自分で設定する『マニュアル』モードにしてるんだけど、全ての設定をその撮影状況でカメラが自動的に設定してくれる。勝手にフラッシュを焚いてしまうことがあるのが難点だけど初心者向け。

 レンズのカバーを取ってエリーの小さな手に、五百グラムほどのカメラを乗せる。

「はい、使い方は分かる?」

「分からん!」

 何故かすごい自慢気に言う。

「レンズのまわりのデコボコしてるところを回したらズームね。近づいたり遠くなったりする」

「おおっ」

 早速ファインダーを覗いてズームをしている。多分エリーには近づいたり離れたりしている風景が見えていると思う。

「で、今人差し指に触れてれるボタンがシャッターボタンね。ピントはカメラが勝手に合わせてくれるよ」

 言うなり早速シャッターボタンを押しているようで、オートフォーカスでピントレンズが動いてシャッター音がした。

「撮れたぞ!」

 初めてトイカメラをもらって、写真を撮りだした俺を思い出すようなテンションで喜ぶ。

「それだけ分かれば撮れるかな。他のボタンの設定は多分難しいから無理にいじったりしなくてもいいよ」

「うぬ! 分かったぞ!」

「あとベルトを首からかけてね」

 カメラを構えてない時両手を空けるようのベルト。それ以上に落下防止のためにあるんだと思う。

 ベルトを首に通すと、ジュースのことをすっかり忘れて駆け出す。ヨットハーバーの手すりに身を乗り出して、パシャパシャと写真を撮りだす。

 オートフォーカスでレンズの回る音、シャッター音、エリーが感動する声を聞きながら、エリーの後ろ姿を眺めながらジュースを飲む。

 俺はこのレンズの回る音とシャッター音がすごい好きで、この音だけでも楽しめる。

 これが他人のカメラの音だと、自分も写真を撮りたくなる衝動に駆られる。

 でも俺のカメラは今エリーが持っている。さらにエリーは俺のことなんてすっかり忘れたみたいに、色んな所にカメラを向けている。

 ふと思ってスマホをポケットから出す。すぐにカメラモードを起動して、そのはしゃぐエリーの後ろ姿を納める。なかなかいいので、本人には内緒でホーム画面の壁紙にしよう。それに一見すれば誰かわからないし、誰かに見られてもネットで拾った画像って思ってくれるはず。

「おいケイスケ、もっとズームできんのか?」

 レンズをカチャカチャ回しながら戻ってきたので、慌ててスマホをしまう。エリー本人に見られたら怒られるかもしれない。

「浜辺にいるカメラマンはこ~んなのを構えてるぞ」

 エリーが手を伸ばして表現してくれたのは望遠レンズだろう。カメラ本体より高いレンズは流石に俺も手が出ない。

「あんな大きいのはないけど、それなりに近づけるのはあるよ」

 カメラを買った時に付いてきた望遠レンズ。飛行機や船を撮るのなら、エリーの言ったようなのが必要だけど、風景はこれくらいでもいいと思ってる。

「付け替えるよ」

 エリーからカメラを受けるとちゃちゃっとレンズを付け替える。ちょっと重くなったカメラをエリーに渡すと、

「おおー。これはすごいぞ!」

 買ってもらったおもちゃの新しい使い方を見つけたような声で、またヨットハーバーの方に駆けていく。

「おおっー。これは望遠鏡とか万華鏡みたいだな」

 望遠鏡はあってるけど、万華鏡は違う気がする。魚眼レンズやトイカメラじゃないとそんな風には見えないけど、もしかしたら俺には見えない物がエリーには見えているのかもしれない。

 写真はそういうところが好きだ。

「ケイスケ! 私の撮った写真を見るがいい!」

 そう言って俺にカメラを突き返してくる。レンズカバーをつけながら早速プレビューを眺める。

 海に注目した写真が多い。ズームしても一面海なんて写真もあったりする。こういうところからその人の好きなものというのはわかってくる。

「エリーの目からはこんな風に見えてるんだな」

「そうなのか?」

 俺の言い回しが気になったのか、エリーも隣に座ってプレビューを覗く。

「むー」

「俺はいいと思うよ。海も建物も見えてて、いつもの場所を中心においてるところにエリーらしさがある」

 別にお世辞で言ってるわけでもなく、素直にそう思う。こういう作品はその人の人柄がでる。

 さっきエリーが俺の写真を見て『そういう風に見えてるんだな』とコメントしたのを思い出す。それと一緒でエリーには『こういう風』に見えているんだと思う。

「やっぱりケイスケの撮った写真のほうがいいかもな」

「そう?」

「うん、確かに楽しいけど『どうしたらいい写真になるのか』っていう小難しいことは苦手だ」

 その『どうしたらいい写真になるのか』は俺が今もなお悩み続けている課題。多分、どんな写真家もアマチュアも、プロも、ちょこっとケータイで写真を撮るときにだって悩むことだと思う。

 露出や補正などのカメラの設定、三分割法や黄金比などの構図、ロケーション、建物や人など写真に映る要素などなど、こういった要素がうまく重なって初めて『いい写真』になると俺は思っている。

 とは言ってもこれらの要素を計算したところで、人間の美的感覚はそれぞれ。俺がいいと思った写真と写真部の他のメンバーがいいと思った写真は違うことも多い。中には写真について『誰でも撮れるでしょ』と言ってしまうような人もいる。

 とは言っても大多数の人間に『いい写真』と思われればいい写真で、逆にいいと思った人が居なければ『悪い写真』になる。

 結局何が『いい写真』なのかは分からない。エリーの撮った素直な写真を見ているとなおさらそう思う。

「おいケイスケ! 何をぼーっとしておるんじゃ」

「ああ、ごめん。ちょっと考え事」

「私を前に考え事とは、失礼やつじゃの」

「ごめんごめん」

 エリーの言うとおりだ。今考えることじゃない。撮影しながら試行錯誤していくものだし、場数踏めば見えてくるものもあるし。なにより俺はアマチュアだからな。

 カズユキに写真コンテストに送ることも薦められたりはするけど、そういうことを考えてなければ気にする必要はないよな。


 エリーが立ち止まった。

「エリー?」

 泳いだような目線の先にいるのは猫。茶色の猫がトテトテとマイペースで歩いていた。するとこちらを気にすることもなく日なたを見つけそこに腰を下ろす。

 エリーは心を奪われたように猫に吸い寄せられていく。

 江ノ島にはそんなに珍しくない動物。殆どは捨て猫らしいけど、そんなことを思わせないほど愛くるしく、生存競争しているような雰囲気もなく、さらに観光客を気にすることもなく生活している。

 見ず知らずのエリーを前にして猫はダジャレのように寝転がった。

 エリーも座り込んでその体に触れる。俺がさっきエリーの髪を撫でたように、その毛を撫でる。

 エリーの表情が緩んでいくる。

「おお~、愛いやつめ~」

 前に猫としゃべっていた時のような、無茶苦茶かわいい声が聞こえた。舌っ足らずなへろへろな声。

 そんな声を出しながら猫を撫でてるエリーを撮り逃したら、一生後悔するであろう決意で、カメラを構える。

 写真を撮るときに、ここまでドキドキしたのは初めてだ。戦場で標的を狙う兵士か、人質をとる犯人を狙撃する特殊部隊のスナイパーか、あるいは敵の基地に標準を合わせる戦車の砲撃手か、そんな気分でファインダーを覗く。

 ファインダーから映る光景はとてもほほえましいけど、これを撮影している俺はものすごく気持ち悪い顔をしているかもしれない。

 すっごい可愛い。

 何回かシャッターを切るけどエリーは気にもとめず猫を撫で回していた。

 猫はひっくり返ってエリーの手にじゃれてくると、エリーの顔もなんだか溶けてくる。

「おい、ケイスケも……」

 ようやく隣に俺が居ないことに気がついたのか、こっちを向く。

「……何じゃその顔は」

「いやぁ、可愛かったから」

 楽しそうなエリーの表情に俺も顔もやっぱり緩んでいたようだ。それに気がつくと表情がツンツンとした氷のように固まっていく。

「カシャカシャ音がしたが、まさか写真を撮ったんじゃないだろうな!」

「可愛かったから撮った」

「んなぁ!?」

 エリーの前でゴロゴロと転がってる猫のことなんか忘れたように俺に寄ってきて、

「消せ! 消えないならカメラごと壊してやる!」

 届かない獲物に手を伸ばす猫のようなエリーだけど、俺のほうが身長が高い。当然カメラを持って伸ばした俺の手には届かない。

「可愛かったじゃん! まだ確認してないけど今日のベストショットだったかもしれないよ」

「駄目だ! 認めん! 確認させる前に消してやる!」

 あんな表情を撮られたのは神として屈辱といった感じで必死になるエリー。

 やっぱり女の子だなぁ。

「って、猫が行ってしまったではないか馬鹿者!」

 そう言って俺をポカポカと叩く。

「まあまあ、歩いてたらまた会えるさ」

「むー」

 ふくれっ面で先へと歩くエリー。

 そいえば今回は猫と喋っていなかった。さすがにあんなお人形さんごっこみたいなことはしないか。

 展望灯台があるところは江ノ島の頂上にあたり、そこを通り過ぎるとまた下りの階段がある。島の奥にある岩屋に行って戻ってきたんだと思える暑そうな観光客とすれ違いながら、また江ノ島の道を歩く。

 するとまたエリーが足を止める。

「新しい貝がある」

 このお店(?)は世界中の珍しい貝を収集、展示しているところだ。こういう場所は世界でも珍しいらしい。

 入場はタダ。集められた貝で作られた『貝細工』は買うこともできる。

「ほー」

 そこに新しく入ったと思われる『マスカットエビスガイ』と紹介されている貝。まるで人工的作ったような可愛らしい形と、絵の具で塗ってもなかなかでないサンゴのような色はエリーが目を引かれる理由も分かる気がする。

「こういうの好きなんだ」

「うぬ。まるで海の宝石じゃ」

 宝石店に入るのは気が引けるけど、エリーの言う『海の宝石』なら気軽に見ることができる。

 ちなみに貝のディスプレイの隣には紹介文と一緒に購入可能と書かれている。もちろん千円じゃ買えない値段。カッコつけて『買ってあげようか?』なんて言った日には財政破綻を起こす。

「もういいの?」

 他の貝は見ていたのか、新しい貝だけ見終わるとクルッと優雅に回るエリー。

「うぬ。猫は逃がしたがいいものは見れたからのぉ」

 また観光客の波に戻り、岩の間に海を望むことができる階段を降りる。

「今日はそこで羊羹買ってあげるよ」

 ちょうど下道の出口突き当たりにもあたる場所の羊羹屋。エリーへの『お供え物』として羊羹とゆずサイダーを買う。俺はラムネにした。

 建物の向かいもこのお店の敷地で、江ノ島の古い写真や資料、映画のパンフレット、アニメのスタンプラリーをやったときのグッズなどがたくさん展示されている。そこには飲食スペースもあって、そこへ腰掛ける。

「なんで金沢の飲み物があるんじゃ?」

 エリーがゆずサイダーのラベルを見て首を傾げている。『金沢湯涌』とちゃんと書かれているのでそれに気がついたのだろう。

「前にコラボ企画をやったらしくて、その名残かな」

「ふ~ん」

 疑問が解決すると特に気にせずに瓶に口をつける。

「ねえエリー、嫌だったら答えなくてもいいんだけど」

「うぬ」

「どうしてそんなにカップルに嫉妬するのさ?」

 前も聞いたけどちゃんと答えてくれなかったのを今でも覚えてる。それでも俺はずっと気になっている。

 彼女ができる前のカズユキも『リア充爆発しろ』とか言ってたけど、エリーが嫉妬してる表情っていうのはたまに怖いほどだ。『憎んでる』と表現したほうがいいくらいだ。

 ならそれだけの気持ちを抱く理由っていうのもあるんだと思った。

「……私は、ずっとひとりだったからな」

 間をもたせるように俺のラムネのビー玉が涼しい音を鳴らす。

 俺くらいの歳なのに学校に行かず、いつも海を見つめてるエリーの姿を想像すると、その後姿は常に孤独。俺が話しかけると、自分に声をかけていることを聞き返したのを思い出す。

 やっぱり何か理由があって学校にいけず、ひとりで時間を潰しているのだろう。

「誰かと一緒にいるのに、さらに神頼みまでするのが贅沢だと思うのじゃ」

「贅沢か」

「そうじゃろう? もう持ってるのにこれ以上何を望むのか分からん。それもわざわざこんなところまで来て神頼みじゃぞ」

 エリーが『こんなところ』という言い方をしたのは、多分この江ノ島が昔は修行地だったからだと思う。わざわざ修行地に来てまでというニュアンス。

「私は修行のため百六十年ほとんどひとりじゃ。十年ほど前ようやく実体化できる体を手に入れて、外に出てみたらこんな光景じゃ。神々の私がひとりで、人間は大切な人と一緒にいる。こんなに妬ましいこと、これ以上あるか」

 神様設定は置いておいても、エリーがひとりで寂しがってるっていうのはなんとなく分かった。

「私は修行中の神じゃから、人間の願いを叶えることもできない。だから誰かに求められるということもないし、必要とされない。だから、お互いがお互いを必要としている連中が羨ましいのじゃ」

 だから俺のモデルを引き受けてくれたのかもしれない。

「今は俺が必要としてるよ。念願のポートレートを撮影するってことも、エリーのおかげでできてる」

「そうか?」

「うん。少なくとも、俺はエリーのこと必要としてるよ」

「そう……か」

 どうしてひとりになっちゃったのかまでは流石に聞けなかった。

 でも猫を愛でているところや、貝に興味を示しているところ、新しい一面が見れた。今日はエリーのことが少し分かった気がする。


    ◇


「紫芋ソフトクリーム?」

「そう、一緒に試してみない?」

 弁天橋をわたってすぐそばにある江ノ島にあるスパの別館。そこの表で売っていた薄紫色のソフトクリームが、ここに来る時から頭を離れなかった。

 以前の自分なら『ふ~ん』程度で終わってしまったであろうけど、今はエリーへの『お供え物』探しとしていろいろなところにアンテナを張っている。

 これを食べたらどんな反応をするかな? なんて言うかなとエリーの表情や感想を想像しながらニヤニヤしながらお菓子やデザートを眺めるのが日課になりつつある。

「よし、早速食べに行くぞ!」

 即決したようだ。行進するような足取りで歩き出す。

 シーズンというだけあって、島東側にある駐車場もいろんな人が行き来している。英語や中国語などいろいろな言語も聞こえてくる。そんな中聞こえてきた日本語が、

「金髪だー」

「外人さんかな?」

「珍しー」

「目も青かったよ」

「でも顔つきが日本人みたいだったよ」

「変なのー」

 ちょうど会話の合間に聞こえた世間の声。その声はすぐに話題を変えて、お店に入っていった。

 その特徴を指した発言は間違いなくエリーを指していただろう。外国人観光客も別に珍しくはないと思う。エリーは外国人なのか日本人とのハーフとかクォーターなのか分からない。『自称神様見習い』だし。

「エリー?」

 そんな神様だけど隣に居ないと思ったら俺の後ろで立ち止まってた。

「……エリー?」

「今日は撮影はなしじゃ」

 それだけ言うと回れ右、驚きの足の早で来た道を戻っていく。呼び止める間もない。すぐに走って追いかけるけど、すでにエリーを見失ってる。

 でも予想では多分いつものところだと思ってるのでそこまでダッシュだ。

 ホントはさっきの連中に物申すところかもしれないけど、そんな暇があったらエリーのフォローをすべきと思った。

 やっぱりいつもの場所にいた。ベンチに体育座りで座っている悲しげな背中が階段の下からも見えた。

「ああ、ケイスケか」

 苦手な短距離走に息を切らせて名前も呼べない俺に気がついたけど、顔を合わせてくれない。

 その目は、さっきまでソフトクリームの話で輝かせていたのに、今は雨の日の相模湾のような暗さだ。さっき言われた青い目も濁った感じがする。

「これだから人間はいやなのだ。私だって体を作ったときにこうなってしまったのだが、直しようがないのだ」

 特徴はどうしても親から貰うからしょうがない。

 それに日本人の殆どは肌色に黒髪だから、それよりも白かったり黒かったりする肌はからかわれたり、黒以外の髪は後ろからでも目立ってしまう。

 それを気にせずに生きられるほど日本人は多面的じゃない。

「エリー」

 どう声をかけようか迷って結局名前だけを呼ぶ。

「日本の神々なのに金髪碧眼。創造主は何を持って私をこうお作りになったのか」

 なにやら難しいことを考えているみたいだ。江ノ島から出たがらないのも、過去にこういうことがあったからなのだろうか。いじめられてるという想像はしたくないけど、いじめられそうな要因は簡単に見つかる。

 俺の写真がけなされた時のことを思い出す。

 俺は写真を、エリーは外見を。

 さっきはけなされたような言葉は使ってなかったけど、その見方はあまりよくない。俺がされたら嫌な目だし、言った人たちもされたらいやな目のはず。

 人間は『人が嫌がることはしないようにしましょう』と教育されても、無意識のうちにそれをしてしまう。

 だからエリーは人間をやめたいのだろうと思う。だから『自称神様見習い』なんて始めちゃう。

「ケイスケも変だと思うだろう?」

「変じゃない」

 自信を持って言える。

「エリーは変なんかじゃない。その金髪も、目も、肌もとてもキレイだと思ってる」

「ふ、ふん! 私の外見が変だからモデルなんか頼んだのだろう?」

「何度でも言うよ。変じゃない。キレイだから。エリーの姿がとても江ノ島に似合うって思ったから、俺はエリーの写真を撮りたいって思った」

 エリーは自分の姿が嫌いなんだと思う。それでも俺はエリーの姿も性格もみんな好きだ。まだエリーの全てがわかったわけじゃないけど、今知っているところはみんな好きになった。

 だからそれを変だなんて言わないで欲しい。

「そうか、私をそう思ってくれてるか」

 気持ちが伝わったのか何かに気がついたように、エリーは顔を上げる。曇った空に光の切れ目が入ったようだ。

「ここらへんは観光客も多いしいろんな人がいる。だから、エリーのことバカにするような声は聞かなくていいんだよ。神様は信じるものしか救わないんでしょ?」

 信じる者は救われるという格言は『信じなきゃ救わない』って意味合いもあると思ってる。それは神様でも人でも一緒だと思ってる。信じてない相手からは救われないし、救う必要はない。

「そうだな。私にもっと力がったら、あっという間に天罰だったぞ。運が良かったなあいつら」

「そうそう、エリーはそうして神様してくれてたほうが俺も楽しいよ」

「神だからな、って撫でるな!」

 手を払われてしまった。もうちょっと触っていたかったんだけどな。

「今度さ、俺のオススメの店でデザートを食べようか」

 おいしいものを食べれば元気になるというのは、エリーへの『お供え物』で立証済み。こういうときにこそ、おいしいものを食べさせてあげたい。

「いいのか!?」

 頷く。エリーにかかってたグレーの雲は完全に通り過ぎていったようだ。

「うん」

「江ノ島の中にあるのか!?」

「あるよ」

 五月晴れの太陽みたいに明るくなるエリーだけど、なにか思ったのか一転。腕を組んでぷいっとそっぽを向いて、

「し、仕方ないな……今日も撮影に付き合ってやろう」


 外見であんな事言われた後に、仲見世通りみたいな人の多いところに連れて行くのは気が引ける。なので今日は予定を変更、俺の知ってる穴場スポットで撮影をしてみようということにした。

 そこでどういう写真が撮れるのか試してみたかったというのもあるので、ちょうどいい機会なのかもしれない。

 公民館と公園の間の道を入り、小さなお食事処の間を縫うように歩くと田舎のような細い道がある。裏路地のようなものだ。お店よりも民家が多いけど、テレビの取材も来るようなおいしいお店もある。

 エリーはここに住んでいるのにこういう場所が新鮮みたいで、その風景を眺めながらゆっくりと散歩をするように歩いている。お食事処の洗い物の音がする道で、その雰囲気を切り取るようにシャッターを切る。

「静かな場所だな」

「でしょ」

 江ノ島は観光地であるのと同時に、ちゃんと人が住んでる島でもある。観光名所を離れればこういう場所がある。

「こっちだよ」

 タイルの道の先へ行こうとするエリーを呼び止める。そこから先、ここを真っ直ぐ行くと仲見世通り出る。喧騒の道に出てしまう。

「頂上、江島神社、植物園、岩屋方面へ」

 戻ってきたエリーは、ボロくなってしまっている木の板の看板を音読。津波警報が出たときの避難経路でもあり、観光客がめったに使わない裏道でもある。

「ケイスケはいろいろ知ってるな」

「まあね」

 ちょっと自慢気に言う。俺の自慢できることといえばこれくらいだし。

「どうしてそんなに詳しいんだ?」

「江ノ島とか鎌倉の観光雑誌たくさん読んだり、ほとんど毎日のように足を運んで、自分の足で歩いて見てきたからね。そしてなにより」

「何より?」

「江ノ島が好きだから」

『好きこそものの上手なれ』とはちょっと違うかもしれないけど、江ノ島を魅力的に撮影したいならたくさんのことを知っておきたい。前にエリーに話した『被写体に対して知識を得ること』の考えと同じ。

「……そうなんだ」

「……エリー?」

 しおらしい声でつぶやくエリー。俺、なんか変なこと言ったか?

「な、なんでもないぞ!」

 顔を背けるように先に進むエリーだけど、その顔がちょっと赤かったのに気がついた。

 俺は何を言ったんだ? 変な言葉を使ったつもりはないんだけど……。

 一旦それは置いておいて、逆光で強調されるシルエットにカメラを向ける。スカートが光を透かしてとてもキレイだ。

「江ノ島に住んでるエリーはどこかおすすめスポットとかある?」

 よければそこでも撮影したい。エリーが好きな場所なら多分俺も気に入る。

「いつものとこじゃ」

「他には?」

「ない!」

 きっぱり言われた。江ノ島在中の人の意見が聞けると思ったんだけどなぁ。

「逆にケイスケは『江ノ島ならなんでもいい』といいそうじゃぞ」

 まるで可愛いアイドルなら誰でも好きになれるんでしょ、と言いたげなニュアンス。

「いやいや、俺も苦手なところがある」

「ほう?」

 疑いの目で俺を階段の上から見下ろす。今度は上から撮りたいんだけど、そういう表情は今の見下ろすアングルがいい。もちろんもらった。

「龍恋の鐘とか」

「ああ」

 私も苦手だと言いたげだ。皆まで言わなくてもエリーはそうだと思う。

 江ノ島で一番カップルの集まる場所。一緒に鳴らすと永遠の愛が叶うと言われている『龍恋の鐘』 周辺には愛を誓ったふたりの名前入りの南京錠が所狭しと金網に付けられている。

 それ以外にも『むすびの木』というが江島神社にあったり。こういうスポットとかあるから江ノ島はカップルが多い。リゾート地だし。

「だから、こういう場所のほうが落ち着くな」

 エリーより先に階段を登り、民家の屋根の向こうから見える海を眺める姿を撮影。

 ここからだと流石に波の音は聞こえないけど、エリーの表情はまるで聞こえているような感じだ。

 海の似合う女の子、一緒にいるだけで潮風を感じる涼し気な雰囲気、自称海の神様。エリーを見ていると、いろいろなキャッチフレーズが思いつく。絵を描いている人ならこういう子をスケッチしたくなるはずだ。

「俺もこういう場所のほうが好――」

 足払いでもくらったように左足をすくわれた。とっさに左手でちょうどいい位置にあった金網をつかむ。

「おい、なにをやってるんだ」

 エリーに呆れた表情で言われる。

 でも『エリーに見とれてた』とは言えないので笑ってごまかす。


 撮影は早めに切り上げていつもの場所へ戻ってきた。エリーも今日は疲れたと思うのでゆっくりさせてあげたかったというのもある。

「はい、おまたせ」

 エリーにいつもの場所で待ってもらって、俺は最初に話題していた『紫芋ソフトクリーム』を買ってきた。

「溶けそうだから早めにね」

「うぬ、いただくぞ」

 ソフトクリームを受け取るなり、早速一口。ちょっと驚いてから、関心したような表情になって続きを食べ始める。

「撮っていい?」

「よいぞ」

 すると『いいだろう? でもやらんぞ』というセリフを付けられそうな表情でカメラに目線を向ける。そんな絵をもらう。

 一枚だけ撮ってカメラを下ろすと、何事もなかったかように続きを食べ始める。慣れてきたのかなこういうの。

「もう撮らないのか?」

「うん、今日はこんなもんかなって思って」

「もしかしてさっきのこと気にしてくれてるのか」

「うん、まあね」

 ちょっと言いづらかった。思い出させてしまったら辛いと思ったし、多分過去にもそういうことがあったんだと思う。

「確かに腹は立つが、そこまで気にする必要もないぞ」

 そう言いながらコーンにかじりつく。

「私は十分に色々もらってるぞ。モデル料にしてはそこそこ多いと思っておる」

「そんなに渡してる?」

 確かにお菓子とかいろいろご馳走してるけど、モデルさんへの料金に換算したらかなり安いと思う。モデルさんを雇うときの金額とか具体的には分からないけど。

「そうじゃ。『お供え物』はもちろんじゃけど、『信仰』をもらっているぞ」

 一発変換ができなかった。

「しんこう?」

「『信じる』と、『仰ぐ』と書いて信仰じゃ。そんなことも分からんのか」

「国語は苦手で」

 他の授業も得意なものはないけどね。『美術は?』と言われそうだけど、一番好きでやってる趣味も認めてもらえないようじゃダメダメ。

「まあよい。だからむしろ私はいろいろ返さないと釣り合わん」

 そう言って最後のコーンを一口。

「そうだなぁ」

 ちょっと考える。俺としてはこうしてモデルやってもらってるだけで満足なんだけど、エリーとしてはもらいすぎているという。ならエリーの可能な範囲で何か頼めることか。

「じゃあさ、モデルとは別に俺の願い事叶えてよ。エリーの力の及ぶ範囲でさ」

 自称とはいえ神様なのだから願いを要求すれば、代価として受け取ってくれる気がした。本人は謙虚に『見習い』を名乗るけど、その『信仰』のお代分くらいは何かしてもらえるはず。日本円に換算していくらかは分からないけど。

「分かった……じゃあ願い事を言ってみるといい」

 とは言ったものの実は考えてない。えっちな要求なんて口が裂けてもできないし、ちゅーしてとか論外、恋人になってくれが多分一番いいけど、なんかそれも違う。愛を金で買ったような感じがする。

「なんじゃ、私のモデルにしただけで満足してしまったのか。神々でももうちょっと欲があるぞ」

 考えてると深海のように碧いジト目が俺を見上げる。

 モデル、写真、そうだ。

「こ、コンテストに写真を出すときに、賞がとれるような写真が撮影したい……かな」

 とっさに出たのがこれである。それがエリーに叶えられるなら苦労はしない。エリーじゃなくて、本当の神様に頼んでも難しいだろう。

 あるいは『自分の力でどうにかしろ』と言われる気がする。

 そもそもコンテストに応募するというスタート地点にすら立てないでいるのだから。

「ごめん、やっぱ――」

「分かった」

 思ったのと違う返事が来た。

「ケイスケの願い。叶えてやる」

「いやでも無理じゃない?」

「今は無理でも、私がちゃんと力をつければ不可能じゃない。力がなくても、全身全霊を持って協力する」

「エリー、無理しなくて――」

「無理じゃない! 私を誰だと思っている、我こそは『江里能売(エリノメ)』江ノ島を納める神々の一柱……になる予定だ」

 アイスのコーンを包んでた紙がクシャっと握りつぶされる。

 再び、エリーの神様としての名前を名乗られる。強がってはいても『見習い』ということが引っかかってるようだ。人間は神様にはなれないしね。

 でもそんな必死なエリーの小さな体に『頼れ』と言わんばかりの気迫みたいなものを感じる。これ以上女の子にあれこれ言わせるのは失礼かな。

「分かった……お願いします神様。この哀れなアマチュアカメラマンに賞をとれるような力を授けてください」

「うぬ! ケイスケ、お主の願いしかと聞き入れたぞ」


    ◇


「なんじゃ、今日はお供え物はなしか」

 カメラの入ったショルダーバッグしか持っていない俺を見るや否や、そこから突っ込んでくるエリー。

「買おうと思ったけどお店が休みで……」

 これは本当だ。買い忘れたわけじゃない。

 今日は暑いから冷たいアイスをと思ったけど、チェックしてたお店が休業日。この辺だと他にアイスのお店もないし、放課後の限られた時間で他のものを考えてる時間がもったいないと思ってそのまま江ノ島まで来た。

 不機嫌だけど、同時におやつをおあずけされた犬みたいな顔をしている。そういう表情になるだろうと思って、ここに来るまでに代替案を考えてあった。

「何も用意できなかった代わりに、今日は江ノ島のお店でスイーツを食べようと思ってる」

 江ノ島には食べ物屋が多いけど、カフェなんかも結構ある。女子に人気のスイーツももちろんあって、雑誌で特集されているのをよく見る。

「先日も、おいしいスイーツを食べようって話をしたじゃん。だから早速今日は俺のオススメのお店でスイーツをごちそうしたいと思うんだけど、どうかな?」

 場所は決めてある。展望台の入り口から岩屋に向かう間にあるカフェ。

「ま~あ、そういうことなら」

 そっぽを向いてOKするけど、スイーツと聞いて足がウズウズしている。

「よし、そうと決まったらほら行くぞ! 私にスイーツをお供えしてくれるのだろう?」

「そうですね神様」

 待ちきれずに俺を置いて防波堤を飛び降りそうなエリー。そんなエリーとデートのような撮影に、俺も抑えられない焦る気持ちに身を任せることにした。

 いつものように仲見世通りの人混みを抜け、江島神社の手前まで。ここから交番のところを右に曲がる。こっちは地元民や江ノ島をちょっと知ってる人が使う通称『下道』と呼ばれるルート。

 こっちは人が少ないし、階段も殆ど無いという楽なルート。でも東側の景色や展望台目当ての人はこっちは通らないほうが楽しめるかもしれない。

「スイーツはいいけど、今日は撮影しないのか?」

 下道の坂を登りだしたところで、俺の右隣にやって来て聞いてくる。小さい歩幅でトコトコとかけてくる姿が、足の短い犬みたいで可愛かったけど、これを口に出すと怒るだろう。

「するよ。カフェでスイーツを食べてるエリーを撮りたい」

「なっ!?」

 真上にかかっている赤い橋の影に入って、その先も木陰になって結構涼しくなったけど、エリーの表情が赤くなった。

「そ、そんなもの撮ってどうするんだ!」

 そんなに恥ずかしがることを言ったつもりはないけど、化粧でもしたように顔を赤くして俺に怒鳴る。通り過ぎた『江ノ島市民の家』からちょうど出てきたおばさんが、何事かとこちらを見ていた。

「いや、女の子がスイーツを食べてるところを撮影したいなーって思ってたから」

 エリーがお菓子を食べてるところは、前からちゃんと撮りたいって思ってた。美味しそうに食べてる顔、しぐさ、動き、そんなところをもっと魅力的に撮影したいという欲がある。

 特にエリーはそう思う。お菓子を食べてるときのエリーの表情は、エリーの好きなところのひとつだし、それが見たくて『お供え物』をしている。

「だから、そんなものを撮ってどうするんだと」

「古今東西『女の子のかわいい行動ランキング』には『美味しそうに料理やデザートを食べているところ』が挙げられるからさ。それを知ったら撮影したいって思うじゃん」

 納得したようなしないようなジト目で俺を睨みつけるエリー。

 俺は『いい』と思ったものは可能な限り写真に収めたいと思っている。だから、学校とかにもカメラを持ち込んでるし(写真部の活動という名目で許可は降りてる)近くのコンビニに行く時だって手放したことはない。

「ケイスケは変なやつだな」

「そうかな?」

 もし変わってるとしたらそれは写真家(プロ・アマ問わず)みんなが変人かもしれない。

「そうだ……。私なんかを写真のモデルに選ぶなんて、江ノ島には他にも美人の神様が居るというのに」

 表情を隠したかったのか、海の方を見つめるエリー。その金髪の向こうには薄いグレーの海と『えのすい』

 他にも美人の神様というのは『他にも可愛い子は居るだろ』といいたいのだろうけど、俺にとって一番はエリーなんだからそれは仕方がない。


「『江のかく』」

 エリーが店の大きな旗に書かれた名前を読む。

 サムエル・コッキング苑の前を通り、江ノ島大師の先にある木造のカフェ。エリーはまるで初めて来た友達の家みたいな顔で、長屋を眺めている。

 向かいの旅館の前は、木々が生い茂ってて豊かな自然が南の島みたいな雰囲気を演出。お店の隣にはギャラリーがあって、地元の人の作った小物や絵が展示されている。お店も地元の人のジャズコンサートに使われたりすることもあり、観光客向けというより地元民向けのお店かもしれない。

 俺はよく来るので何も気にせず、店先のカウンターの横の入り口から入ろうとするけど、

「どうしたのエリー?」

「あ、いや。なんでもないぞ、なんでも」

 おっかなびっくりなエリーに疑問を持ちつつ店内へ。

 大正からある建物を改装したこのお店は、まさにカフェという雰囲気を感じさせる。日陰の中にいるようなオレンジの灯りが涼しい。

「いらっしゃいませ。あらケイスケじゃない」

 店の戸を開けると知ってる店員が茶髪のポニーテールを揺らしながら挨拶をしてくれる。それを聞くやいなや、

「その店員知り合い?」

 俺の名前を呼んだ店員にあからさまな敵意を向けるエリー。

「えっと、まあそうだね。幼なじみでクラスメイトの『みいこ』」

「よろしくね。『ミーコ』って伸ばして呼んでね」

 昭和のアイドルのような名前ってよく言われるらしいけど、本人はそれをとても気に入っている。

「こっちはエリー。最近俺の写真のモデルしてもらってる」

「エリーよ」

 ミーコに興味が無いのか適当に答えるエリー。何故か俺がつけたあだ名で名乗った。

「あ、言っておきますけど、ケイスケの彼女とかじゃないですよ。ケイスケの写真は好きだけどね」

 エリーが考えてることを察したのかミーコはそう付け加える。っていうか俺はどんなふうに思われてるんだ。

 ちなみにミーコは俺の写真を『見てると落ち着く』と言う。バイト先が島中で、俺と同じくらいの頻度で通ってるから、故郷のように思っているのだろうか。

「ふ~ん」

 ミーコの自己紹介に興味なさそうな、信じてなさそうな、そんな感じの返事。

 そんなやり取りを見守りつつ、入り口のすぐ近くの席に座って、

「パンケーキをひとつ、あとサイダー二本頼む」

 何にするか決めていたので特にメニューを見ることなくオーダーを頼む。

「かしこまりました」

「あと店内撮影してもいい?」

「いいわよ。今日は彼女を撮りに来たんだ~、へ~」

 いやらしいというか、新しいおもちゃを見つけたときの顔のようだ。そんな目つきでエリーを見る。

「モデルだって」

 まだ『彼女じゃない』

 別に彼女にしたくてモデルをお願いしたわけじゃないんだけど、結果的にやっぱり好きになっちゃったわけだから同じなんだけど、まだ彼女じゃない。

「はいはい。んじゃごゆっくり~」

 ミーコのヤツ、信じてないな。クラスの連中に変なこと吹きこまなきゃいいけど。

「なんじゃあの女」

「ミーコは曲者だから、絡んでいくと思うツボだぞ」

 特にエリーみたいな子はミーコのおもちゃにされそうだから言っておくけど、エリーも思ったことをすぐに言っちゃう子だから、ミーコに遊ばれるんだろうなぁ。

 エリーがミーコにいじられてる絵面を想像しながらカメラをセッティングする。部屋は薄暗いので、明るさを確保するためにシャッタースピードを手ブレしない程度に下げる。光の露出で写真が荒れるのが嫌いなのでこれも可能な限りあげないようにする。

 その設定でOKか確認するために水を飲んでるエリーを撮ってみる。

「も、もう撮るのか!?」

 店の明かりがオレンジっぽいからか、いつもより赤く映るエリーのを顔を見てもうちょっと光の露出を落とす。

「準備できてなかった?」

「そうじゃなくて……急に撮られたものだから」

 グラスを両手で抱えるように持って、それで顔を隠すエリーを見て『今、この瞬間も撮りたい』って思ったけど、同時になんだか申し訳ない気持ちになって、

「ごめんごめん。今から撮り始めるけど、エリーは気にせず楽にしてていいよ」

「う、うん」

 と弱気の返事。お店に入る前もそうだったけど、妙に気弱そうな様子。

「でも、こういうお店入ったことがないからどうしたらいいか」

 それでちょっと弱気気味になってたのか。未知のエリアに入るには勇気が必要だからなぁ。特にエリーみたいな子の場合は。

「お待たせしました。お先に湘南サイダーです」

 ミーコが青いラベルの瓶と氷の入ったグラスを一緒に二セット持ってくる。丁寧にテーブルに置きながら、

「ケイスケ、エリーちゃんに変なポーズさせたりしてないでしょうね?」

「してねーよ、人聞きの悪い」

「ケイスケにセクハラされたらいつでもここに逃げてきていいからね」

 聞けよ。っていうかミーコは俺がエリーに何をしてるんだと思ってんだ。

「ケイスケはムッツリスケベばかりの写真部の人間だから気をつけてね」

「おい聞こえてんぞ」

 エリーに耳打ちするようなアクションをしてるけど、わざと聞こえるように言ってるな。

「ケイスケは変なやつだけど、悪いやつじゃない。お供え物くれるし、私のことキレイに写真に撮ってくれる」

「……ひゅー。ケイスケ愛されてるじゃない」

 えっ、そうなの――

「何を言ってるんだ! 私はこんな男など……モデルの話だってこいつがどうしてもって言うから。だから、こんなやつのこと好きでもなんでもない!」

 エリーはさっきの言葉と打って変わって強く反論。俺としてはそこまで言われると複雑だ……。

 それをミーコは悪魔のような顔で、

「ふ~ん、そうなんだ」

 とコメント。

「よかったわねケイスケ」

「……何が?」

「いいモデルさんが見つかって」

 ミーコはそう言い残してバックヤードへ戻っていく。


 目の前で瓶の中のサイダーが、シュワシュワと泡立っているのを見てるしかない変な沈黙。

 ミーコからすれば俺たちはカップルみたいなものなんだろうか? でもまだ『好きだ』とか『愛してるよエリー』とかなんて言ってない。エリーが俺のこと好きなんてことないと思うし、それを俺が思ってたら自意識過剰というやつだ。

 じゃあなんでエリーの顔は赤いんだ。今日会ったときはそんな化粧はしてなかったから、チークはしてないと思うんだけど。

「えっと、エリー?」

「撮影……しないのか?」

「そ、そうだね、うん」

 膝の上でスリープモードになっていたカメラを手にとって、さっきしたはずの設定をもう一度ど見直す。

 なんだかそれだけじゃ、今までの変な間をごまかしきれない感じがして、テーブルの上に置かれたサイダーをコップに注ぐ。瓶に入る空気の音と、グラスに注がれて泡立つサイダー、ぶつかり合う氷の音が静寂を埋めてくれる。

「エリーも飲みなよ」

「そ、そうだな」

 エリーも俺の動きを見よう見まねで、グラスに注がれるサイダーをマジマジと見ながらサイダーの瓶を傾ける。でも泡の分を考えてなかったみたいで、少し溢れてしまう。

 俺はもちろんそんなエリーを見逃さない。

 溢れたサイダーを見て、アワアワとしたエリーの様子を写真に収めてから、自分の溢れてないサイダーを飲む。

「……最初に撮った時といい今といい、なんだか私の珍プレーを撮るためにここに連れてきたわけじゃないんだろうな?」

「そんなことないよ? 言ったじゃん、スイーツを食べるエリーを撮りに来たって」

 いっぱいになって動かせないグラスに顔を近づけて飲むエリーが、信用できないと言わんばかりに上目遣いで俺を睨む。こんな風にカフェに連れてくるだけでコミカルな動きや面白いリアクションをするから撮影したくなる。

「じゃあ今度はキレイに撮るからさ、睨まないでよ」

「変なふうに撮るなよ」

「分かりました、神様」

 俺は席を立って、エリーの隣でカメラを構える。逆光になってエリーのシルエットと外の景色が見えるポジション。

「エリーはコーヒーとか飲む?」

 いつものように話題をふる。

「苦いのは苦手だ。そういうケイスケは飲むのか?」

「甘いのならね。ブラックとかは無理」

「だから今日はサイダーなんだな」

 右手で頬付をついて言うエリーのシルエットがキレイだったのでそれをもらう。

「コーヒーが苦手だったら悪いと思って」

「変なところで気を利かせるな」

「大切なモデルさんだからね、失礼のないようにね」

「ホントにそう思ってるのか疑問だけどな」

 そう言ってこっちを向いてくれたところをもらう。光の加減はあとでパソコンで調整しよう。

「どういうところがご不満ですか、神様?」

 聞きながらエリーの左側、店の内装をバックに撮影できるポジションへ。光りに照らされるエリーの金髪が眩しい。

「私の変な顔を撮るところ」

 と手にとっても大丈夫な量になったサイダーのグラスを両手で持ったところを二枚ほど。

「俺は変な顔を撮ってるつもりはないんだけどなぁ」

「ケイスケは女の変なところばかり見てるからな。変な女が好きだし」

「だからミーコは――」

「ケイスケ―、誰が変な女だって?」

 噂をすれば変な女がやってきた。

「エリーちゃん、わたしはケイスケみたいな冴えない男は好みじゃないから大丈夫よ」

 何が大丈夫なんだよ。

「はい、当店自慢のパンケーキです」

「おおっー」

 テーブルにパンケーキの白い皿が置かれると、エリーの目が星のように輝いて、その視線を奪う。もちろんその絵をもらう。

「ケイスケは食べないの? それとも、ふたりでひとつを食べさせ合うの?」

「なっ、誰がそんなことをするか! 全部私のものだ!」

「――というわけだ」

「ふ~ん」

 なんだつまんないの、と言いたい顔。残念だったな。

「んじゃごゆっくり~」

 下がっていくミーコを見送ると、またケーキに目を奪われているエリーがいた。

 俺は席に戻って、

「どうぞ、召し上がれ」

「うぬ、いただくぞ」

 変な返事をしてからフォークとナイフを持って、ぎこちない手つきでゆっくりケーキを切り始める。持ちにくそうな左手のナイフに早くも苦戦している。

 そんなエリーをまずは見ていようと、サイダーを持って眺める。

 左手だと切りにくいと思ったのか、ナイフとフォークを入れ替えてみるけど、包丁で硬い大根を切ってるみたいで、うまくいかない。

「……切って」

 それだけ言うと、俺の方にパンケーキを差し出す。

「はいはい」

 エリーからナイフとフォークを受け取る。

 受け取るときに少しだけど手が触れた。柔らかくてひんやりした手。初めてエリーに触れられた気がする。

 それはともかく、わがままな神様のためにケーキを切ってやらないといけない。コツは刃の先を斜めに入れて、エレガントに切り分けることらしい。店員やってるミーコがそう言うんだからそうなんだろう。

 エリーのことだから全部切り分けろとか言うと思うから、皿を回して一口サイズのケーキを作っていく。

 しばらくはその様子を工場見学に来た子供のような表情で、見ていたエリー。

「ケイスケ」

 でもその表情はお預けをもらった犬のようになっていた。

 わがままな神様だ。全部切り終えるまで待てないらしい。

 ちょうど切り終わった一口分をフォークに挿すと、エリーは声に出さずにそれをそのままくれと。テーブルに身を乗り出していて我慢も限界のようだ。

 フォークのケーキをエリーの口へ運んでやる。

 パクっとしたとき、ライトアップされた江ノ島展望灯台のような笑顔になる。

 それはいいんだけど、まるで恋人同士がやる食べさせあいっこだよなこれ。俺もついやっちゃったけど、普段のエリーだったら『自分で食べるわ!』って言いそうなのに、今日はやけに素直だ。

「ケイスケ、もう一口」

「あ、うん」

 今の今まで聞いたことのないような甘ったるい声で言われた。なんかすごいドキドキしてきたけど、とりあえずは言われたとおりにもう一口をさっきと同じにように、エリーの口に運ぶ。

 他人が――特にミーコが見たら間違いなく『こいつら付き合ってる』と思われるような行動。

 やっちゃったものはしょうがないし、目の前にある夏の湘南海岸のような明るい表情を見てたら、まあいっかと。

「美味しい?」

「うぬ!」

「はい、切り終えたよ」

 切り終えたパンケーキの並ぶ皿をエリーの前に戻して、ナイフとフォークも店員が持ってきたときと同じような感じで並べてあげる。

 俺はカメラを用意。今度こそエリーの満面の笑みを撮影したいと思っていたんだけど、固まって動かない。

 すぐにフォークを手にとって食べ始めると思ったけど、切り終えたパンケーキを見て何やら難しい顔をしている。食べ方が分からない……ってことはないよな。

「エリー?」

 俺が声をかけるとようやくフォークを手にとって、切ったパンケーキを挿すと、

「ん」

 俺にずいっと差し出す。

「な、何?」

「一口、食べるといい」

 目を逸らしながら俺の口元に突きつけてくる。

「いいけど、さっき全部自分のものだって……」

「ん!」

 口にクリームがついたし、理由は答えてくれそうにないので、とりあえずいただくことに。

「あ、あーん」

 ミーコが来いというのでよく来てここのパンケーキを食べていたんだけど、今日のはまた違う味がする気がする。

「うまいか?」

「うん……」

「そうか、ならよかった」

 俺の言葉に満足したのかエリーは続きを食べ始める。

 どうにも理由が分からない。何かのお礼……と言うにしては弱い気がするし、そもそも全額俺が出すからそれもおかしい。お礼といえば先日のこと。でもあのとき俺がした『願い事』とこれは違う。願い事にはエリーとこういうことがしたいとは言っていない。

 なので普段ツンツンのエリーが、大っ嫌いなラブラブカップルのようなことをしてくるのも分からない。

 俺としては好きな女の子からデザートを『お口あーん』してくれるのは嬉し恥ずかしだ。エリーとあんなことしたい、こんなことしたい、ここで写真が撮りたい、エリーをどうしたらもっと魅力的に撮影できるか、今日は何をお供えしようか、気がつけば考えてしまうほどだが、こんなことは妄想すらしなかった。

 まるで恋人。

 もしかしてエリーも俺のこと……。

 いやそれこそ妄想だ。そりゃ両想いならそれほど嬉しいことはない。

 人生そんなに甘くない。恋愛なんてふられてなんぼだ。

 でももし、そうだとしたら。

 そんなことを考えてたら結局エリーの食事風景を眺めているだけで、ほとんど写真を撮っていなかったことに気がつく。

 また来よう。


「今日はもう少し付き合ってやらんこともない。それだけの物をもらったからな」

 店を出るなりエリーは夕陽に背を向けて言う。よっぽどパンケーキが気に入ったらしい。それはいいけど、

「いいの?」

 俺はエリーと一緒にいられるならうれしいから、ぜひともご一緒したいと思う。

「いいと言っているんだ! どこか連れて行け!」

 とツンデレ(あってる?)のような言い方をされてしまっては俺も断る理由はない。

「分かりました。では神様、夕陽がキレイな場所へご案内いたします」

「うぬ」

 偉そうな返事をすると俺より先に行こうとした方へ歩きだす。案内しなくても知ってるじゃん。

 日が落ちる方に歩いて行くエリーを迷うことなく一枚撮って、そこから早足で追いつく。逆光で純白のワンピースが照らされてキレイだった。

「今日の私はどうだった? よい写真になったか?」

 振り向いて聞いてくるエリーに追いついて、

「うん。今日もよかったよ」

 パンケーキを食べるところをあまり撮れなかったけど、撮れた絵は可愛かった。やっぱり女の子が美味しそうにデザートを食べている姿はとても魅力的だ。

「なら、あんな女など見てるんじゃないぞ。……ケイスケは私の専属カメラマンだからな」

 目線を逸らしながらエリーは言う。さっきの『お口あーん』もそうだったけど、今日のエリーはわからないことばかりだ。

「それってどういう――」

 調度良く鐘の音が聞こえる。永遠の愛を誓う龍恋の鐘を、誰かが鳴らしたのだろうと思う。その音が鼓膜を揺らしてる間に、

「文字通りの意味だ! お主は、この私だけ見ておれ」

 えっ、なにどういうこと。

「皆まで言わせるな、恥ずかしい」

「あの……エリー?」

 返事はない。プンスカした表情でちょっと早足気味で、観光客が苦労する階段を降りていく。

 俺……何かしたっけ?

 そこから一言も口を聞いてくれないエリーと、一緒に島の南側にある『稚児ヶ淵(ちごがふち)』という岩場までやってきた。

 階段を降りる時から眩しい夕陽が建物や木の枝の間から見え隠れしていたけど、岩場に着くと富士山のある方向に沈んでいく太陽が見える。

 同じように夕陽を眺めに来た人たちや岩がシルエットになり、絵に描いたような夕焼けのシーンを演出している。

「ここから……こんな夕日が見られたんだな」

 海と夕陽を眺めながらエリーがつぶやく。

「こっちは来ないの?」

 江ノ島に住んでいるなら当然来たことがあると思った。

「カップルがうざいからな。鐘もあるし」

 さっきも聞こえた龍恋の鐘。ここに来る間にある場所だ。ロケーションはとてもいいらしいけど、さすがの俺もひとりで行くには気が引ける場所なので行ったことはない。知識や写真で見たことがあるだけ。

 基本カップルにしか用がない場所だし、エリーは確かに嫌いそう。

「ケイスケと一緒じゃなかったら、ここには来れなかったかもしれない」

 座るのにちょうどいい岩を見つけ、そこに腰掛けるエリー。

 絹のような肌が夕陽で照らされているのを見て思わず息を呑む。写真に収めようと思ったけど手が動かない。もちろん体も動かないし視線も動かせない。ただただ、エリーに見とれていた。

 その姿はまるで江ノ島の神様。

「なぁ、ケイスケ」

「は、はい!?」

 神様に話しかけられ、思わず敬語になった。

「私にこういう景色を見せてくれないか?」

 そのあまりにもキレイな声に俺はもう一度エリーに惚れた。


    ◇


 昨日あれからエリーを江ノ島から連れ出す算段をずっとしていた。言ってしまえば、江ノ島から出ようとしない引きこもりをいかにして外にだすかという大義名分のもとに、どういう理由をつけてデートに誘うかだ。

 家にあった漫画を読んで、男キャラがどういうふうにそれを実践しているか参考にした結果、

「エリー、今日こそ江ノ島の外に行こう」

 直球にすることにした。エリーには小細工は通じないだろうと思ったし、何より俺には話術も語彙もないのでこれしかなかった。これでゴリ押すしかない。

「だ、だから私は出られないんだと――」

「前にたくさんいい景色が見たいって言ったじゃん」

「そうだけど……あれはケイスケの写真で見たいって言ったわけで」

 いや、俺にはそう聞こえなかった。エリーの心は外に出たがっている。

「ともかく! 物理的に無理なものは無理だ!」

 いや、江ノ島の外に出るのが物理的に無理って。

「結界が張ってあるんだっけ?」

 怯えた犬みたいにコクコクと頷く。

 エリーだけを弾く結界ってそんな都合のいい結界があるとは思えないし、多分エリーの中にあるトラウマとか嫌な気持ちとか、そういうのが結界になってるんだと思う。

「どうやったら結界を破れるの?」

「……信仰を得られれば」

「信仰? 神様を信じるってこと」

 今度は言い訳をする子供みたいな顔で頷いた。

「じゃあ俺がエリーを信仰する。エリーは島を出られるって信じてる」

 信仰の意味はよく分からないけど、エリーを信じるってことならできる。

 エリーのことが好きだから信じられるっていうのもある。それと今日まで何度も会って話をしてきたけど、エリーはいい子だ。そんなエリーのこといじめたり悪く言ったりするようなやつは、俺がどうにかする。

 だからエリーはもっと色んな物を見て欲しい。

「だから行こう」

 手を伸ばす。

 恐る恐る俺の手をにぎる。

 引っ張るようにエリーの手を取り弁天橋へ向かう。エリーは嫌がったり、気分を悪くしたりはしなかったけど、話したりはしなかった。

 ただただ不安そうに俺の手を握ってた。

 波の音がする弁天橋までやってきた。潮が引いていれば砂浜を歩くこともできるけど、今日は波が強くて潮は引きそうにない。

 いざ橋を渡ろうとするけど、エリーの足は止まったままだ。

 エリーの手を離して俺が先に橋の上へ。叩いて渡るというより、歩いて証明するって感じ。

 まるでエリーが乗ると橋が崩れると本人は思っているのか、一歩をものすごくためらっている。まるで水が苦手な人がプールや海に足をつけるのを怖がるような感じ。

「ほら」

 俺はエリーに手を差し伸べる。大丈夫怖くないよ。この先にはエリーに見せたいたくさんの景色と世界がある。おいしいものがたくさんある。

 いつも海を見て物思いにふけってる分からないたくさんのことが。

 エリーは俺の手を取り、ジャンプで橋のタイルを踏んだ。

 バレェのステージのような乾いた靴音がした。

「出られ……た?」

 新しい世界にでも出たような顔になる。エリーが振り向いてもそこにあるのは、夏祭りのような江ノ島。

「よかったね」

「あ、ああ」

 エリーの不安そうな手はしばらく俺とつながったままだ。


 弁天橋をわたって地下をくぐるとタイルで出来た道がある。そこを真っ直ぐ行くと駅がふたつがあるので、多くの観光客や地元民がこの道を通る。

 道沿いはコンビニがあったり、観光客向けのお店や食べ物やさんが並んでて、仲見世通りとはまた違った縁日的な感じのある道だ。

 その道を真っ直ぐ行くとあるのが江ノ電の江ノ島駅。

 平日でも観光客や江ノ島に遊びに来た人たちで賑わう道を、周りの人と同じようなテンションで歩く。

「で、私を江ノ島から連れ出してどこへ行こうとしてるんだ?」

「江ノ島からほとんど出たことないんでしょう? だったら外から江ノ島を見せたいなと思って」

 江ノ島から出たことがないっていうのは信じられないけど、あまり島の外を出歩いたことはないってニュアンスは伝わる。だから、良いロケーションから江ノ島を見たことがないのかもしれない。

 そういうわけで『自称神様見習い』さんに見せてあげたい景色がある。

 やってきたのはドラマや漫画によく使われる駅のひとつに数えられる江ノ島駅。平成の初期に改築されてからずっと今の木造であり続けている風情がある建物。

「ほぉ~」

 駅の前にある車止めには、服が着せられた小鳥のオブジェが付いている。しゃがみこんでエリーはマジマジとそれを見つめてる。

 俺もエリーの目線と同じ高さになるようしゃがんでカメラを構える。小鳥とエリーが目を合わせているその絵をもらう。

「あっ! また勝手に撮ったな! 変な顔は撮影するなよー」

「大丈夫だって、可愛らしい絵になったから」

 エリーにポカポカと叩かれながら切符売り場まで。

「今日は七里ヶ浜まで行くよ」

 俺はICカードを持っていたのでとりあえず千円分だけチャージ。エリーは赤いがま口財布を出して切符を買う。

「現世で過ごすための知識は一通り教わっているからな」

 偉そうに言わなくても……。

 でもそんな表情のエリーは結構可愛い。

「いい子だね」

 その綺麗な金髪に触れて、優しく撫でる。やっぱりサラサラで心地が良い。

「撫でるな!」

 と俺の手が払われる。もうちょっと触っていたかったけど、残念だ。

 そんなやり取りをしていると鎌倉方面の電車がやってくる。

「一番前がいい」

 子供のようなことをエリーは言う。そして運転席の真後ろの席に迷うことなく座って、手品を見るような目で窓の外を見つめる。

 そんなエリーの星のような表情を撮影したところで電車が動き出す。

「おいこの電車車と同じ所を走るのか!?」

 電車が走りだすと、すぐに車と同じ道を進む。日本でも珍しい電車と車が道を共有している場所。この場所のおかげで江ノ電は『路面電車』と呼ばれることもある。

「こんなところ走っても大丈夫なのか! 事故起こったりしないのか!」

「大丈夫だって。車も気をつけてるし」

 っていうか江ノ電がこうなってるのを知らなかったということは、本当に江ノ島の外に出たことがなかったのだろうか。

「おー」

 すれ違う車やバイクを見送りながら、関心したような息を漏らす。

 まるで初めて鎌倉に行く友達と一緒にいるみたいだ。ここまで子供用なリアクションをされると、本当に江ノ電に乗ったことがないのが分かる。

 ゆったりと並走区画を走った江ノ電は腰越駅へ。

「この駅からはちゃんとした線路の上を走るよ」

「おい、駅についたのにドアが開かないぞ」

 と食い気味に言うエリーは、予想通りのリアクションをしてくれる。

「この駅に降りる人は後ろの電車に乗ってねって言われるから」

「そうなのか」

 アナウンスも耳に入ってなかったようだ。

 この駅のホームは短い。さっき社内のアナウンスでも言ってるけど、前の方の車両はドアが開かない。

 そんな問答をしていると電車は再び動き出す。

「家が近すぎる! 危なくないのか!」

「そりゃ、家の窓から手を出したりしたら危ないけど」

「こんななのに事故とか起きないんだな」

 江ノ電に初めて乗った人の感想に『ジェットコースターみたい』というのがあって、とても印象に残ってる。今のエリーももしかしたらそんなことを思っているのかもしれない。

 電車はゆったりとカーブを描きはじめる。お寺の前の踏切を超えて、次の民家の間を抜けると、 

「海だ……」

 エリーが右を向きながらつぶやく。

 この腰越駅から鎌倉高校前駅の区間は観光客にもとても人気だ。子供からは、今のエリーのような感想が出たり、外国人も『ワンダフォー』とか『ハラショー』とかそんな言葉が出てくる。

 エリーは目的の駅につくまでボーッと海を見つめていた。


 電車を七里ヶ浜駅で降りて、海沿いの道をウキウキなエリーと一緒に歩く。

 左を向けば、一三四号線沿いにあるコンビニやレストラン、犬のいるサーフボードのお店、時折走ってくる江ノ電。

 右を向けば渋滞で引っかかる車と海と空。

 江ノ島の外にでたエリーは見るもの全てが新鮮という表情。それを写真に収めていると、

「江ノ島だ」

 振り向くとそこに見える江ノ島。逆光でシルエットがくっきりしている。

 道を走るトラックに阻まれながらキョロキョロとエリーは見ようとしているけど、

「もっといい場所があるから」

「そうなのか! 早く連れてゆけ!」

 晴れた日の相模湾のようにキラキラした目で俺を引っ張るエリーは、遊園地に向かう子供みたいだ。

 あれだけ嫌がってたのに連れてくるとこうなんだから……。

 気まぐれな神様だと思いながら、目的の場所へ。

 観光客向けに作られたファーストフード店。江ノ島や相模湾を眺めながらハンバーガーを食べられるロケーションのいい場所だったんだけど、前に潰れてしまった。

 お店の中は入れないけど屋外に置いてあったテーブルや椅子がそのまま残されていて、地元民や観光客は今もそこでくつろいでいる。

「おおー」

 塀から身を乗り出して江ノ島を眺めているエリー、背景にその江ノ島を入れて何枚か写真を撮る。

 意外にもここは静かで、波の音や江ノ電の音くらいしか聞こえない。だからオートフォーカスでレンズが動く音やシャッター音も聞こえてるはずなんだけど、エリーは全く気にしてない。

 撮影者からすれば自然な姿を撮れるのでありがたい。

 十枚ほど撮って満足したところで、エリーの隣にやってきて俺もその江ノ島の風景を眺めながら写真を撮る。

「来たことがあるんじゃないのか?」

「そうだけど、有名な歌に『同じ波はない』って歌ってるように、その時の天気とかでぜんぜん違う写真になるからね。いつもひとりだし、エリーと一緒ならまた違った見え方がするかもしれないし」

「ほ~」

 よく分かったような分かってないような曖昧な返事。

「ならほら、ここに立ってみるとよく撮れるんじゃないか?」

 塀の上に立って空を見上げたり、海を見下ろしたり。そんなエリーの髪とスカートを海風がなびかせる。それだけでも魅力的に映るけど、今はそんな場合じゃない。

「エリー、危ないよ?」

「そんなことないさ、ケイスケも見てみるといい。いい景色だぞ」

 エリーがあまりに楽しそうな声で言う。

 確かに景色は良さそうだし、多分すごく楽しい。

「よっと」

 塀の上にあがってみる。いつもより何十センチも高い風景は、確かに良い景色だ。

 この景色は無茶しないと見れないかもしれない。

 カメラを構えようとすると強い風が吹いてくる。高いところにいると風がちょくにあたってふらつくけど、写真は撮れる。

 ファインダーを覗いて江ノ島をレンズに入れる。構図をどうしようかズームを話したり、位置を変えたくて左に動いてみる。

「あっ」

 と思った時には足を滑らせていた。

 写真を撮るのに夢中になりすぎたようだ。

 そのまま俺の足は地面を離れて、視界は真っ青な空と驚いたエリーの表情しか見えない。

 人生で初めて体験した絶体絶命の瞬間。それが今かもしれない。


 目をつぶると見えてくるのは今日の行動の逆再生。七里ヶ浜の海沿いで写真が撮りたいと思いエリーを連れてきた。いつもどおり江ノ島にエリーを迎えに行った。学校でエリーのことばかり考えていた。

 もっと戻ってエリーとの撮影のこと、さらにエリーと出会った時のことまで遡る。

 さらにカズユキに彼女ができたときの絶望感、写真部に入ったときのできごと、高校入学時まで戻って一気に駆け巡るシーン。

 これが走馬灯。写真に収めたいな、いや動画がいいな。カメラには動画撮影機能があるけど、あまり使ったことはないし、こう長いとバッテリーやメモリーカードの容量ももちそうにない。走馬灯を動画保存するにはどのくらいのバイト数が必要なのか考えていると、視界は真っ暗になる。

 密閉空間だろうか、そこは涼しいのに半袖でおそらくは年齢一桁の頃の俺がそこにいる。

 思い出した。

 そこは江ノ島にある通称『岩屋』と言われている洞窟。昔は修業の場や聖地と言われ、今は観光スポットとなっている。夏は涼しく、冬は暖かい。俺は半袖だから夏なんだろう。

 その洞窟内で迷子になったことがある。多分今見てるのはその記憶。

 大人が歩くには小さい道や、危ない道は立ち入り禁止になっているが、当時の俺はその中に入ってしまったようだ。

 途中でロウソクを落として灯りがなくなってしまい、真っ暗な洞窟で恐怖していた。

 でもそこで知らない女の人に助けられたのだ。白いドレスのような衣装に長い金髪、顔までは覚えてないけど美人だったって感想だけは残っている。

「もしかしたら江ノ島の神様だったのかもしれないわね」

 時系列を無視した母親の言葉が想起される。実際は外国人観光客のお姉さんだったのかもしれないけど、俺には江ノ島の女神のように思え、そんな神様のことが知りたくて仕方がなかった。

 だから学校の授業とか友達の話すアニメやゲームの話題を無視して、江ノ島のことを調べだした。休日は図書館に行って本を読んだり、父親と一緒にインターネットでいろいろなことを調べた。

 ところが俺は、そんな出来事があったのに神様のことをすっかり忘れてしまい、高校生になった頃には江ノ島好きであるという結果だけが残っていた。

 江ノ島の特集がテレビでやってれば録画して見る。江ノ島のある藤沢市の隣である茅ヶ崎市に住んでいるのに観光雑誌は買う。カズユキから江ノ島が出てくるアニメや漫画なんかも教えてもらって集める。

 さらに父から一眼レフカメラをもらったのをきっかけに、江ノ島の写真を撮影するようになった。高校生になってからは写真部に入り毎日江ノ島を撮影していた。

 全ては今走馬灯が見せている洞窟の中の出来事がきっかけだったんだ。


    ◇


 天国か、地獄か分からないけど、体が浮いているような感覚がするのであの世には着いただろう。

 目を開けるとそこには『自称神様見習い』がいた。病気になった赤ちゃんを見るような目で俺を見つめている。

 もしかしてエリーってホントに神様だったのか? じゃなきゃこんなところに居ないもんな。

 うつろな目で周りを見てみるとそこはまるで水底。透明度の高い水の中にいるようで、泳ぐ魚や上から差し込む日光がよく分かる。

 でも俺には水の中にいるような感覚はないし息もできている。

 全ての生き物は海から生まれたらしいし、もしかしたら天国っていうのは海にあって、俺はエリーと一緒に天国に行くところなんだろうと思う。


    ◇


 エリーのすすり泣く声と、波の心地よい音で目が覚める。

 目の前にあったのはさっき見たのとは違う青と、涙でぐしゃぐしゃになってるエリーの顔。

 地面に寝てたらしく暑くて硬い感触が背中にあたってる。でも頭は柔らかい感触があって、それがエリーの太ももだと分かると、急にドキドキしてきた。

 居ても立っていられず、起き上がろうとすると、

「しばらく、こうしてて?」

 あまり聞いたことがない優しい声に、黙って従う。やっぱりここは天国か、走馬灯の続きか。意識はまだ夢のなかに居るような感覚に陥る。

 服は濡れてないし、お腹の上にカメラがあるのが重さで分かる。一緒に持ってきたみたいだ。

「ケイスケ、ごめん。怖かっただろう」

「何謝ってるの? 俺が危ない撮影の仕方したのがいけないんだろう?」

 前に気をつけるようにエリーに言われたにもかかわらずだ。

「でも私が塀の上に乗るようにけしかけたから……」

「それでもエリーが謝る必要はないよ」

「ありがとう、ケイスケ」

 礼を言うエリーを見て俺も安心したところで、ここが本当に天国なのか確かめたくなった。

「さっきのこと覚えてる?」

「んーっと、海の中でエリーを見たような感覚がしたんだけど……」

 落ちたあたりから状況が途切れ途切れで、どうやってるのか分からない。

「ここは天国?」

「ううん、ケイスケは生きてるよ」

 生きてる!? ってことはこのエリーの優しい感触や声も全て現実? そんなことを実感し始めてると、

「私の力で、助けたの」

「エリーの力?」

 水の中に居たときのことを思い出す。あれは海へ落ちてエリーが助けてくれたときの出来事? 海から見た光景も、水の中にいるような不思議な感覚も、現実?

 つまり、

「エリーって本当に神様だったの?」

「何度もそう言ってる」

 いつもだったら怒ってくるところだと思うんだけど、エリーは『やっと信じてもらえた』と笑いながら俺の頭を撫でる。

 生きてようが死んでようが、こうして好きな人に膝枕してもらって頭なでてもらってるだけで天国だと思う。あまりの心地よさに顔が緩む。

「怖がらないの?」

 そんな俺を見て表情が曇ったようだ。

「どうして?」

「だって、私は人智を超えた存在だよ? 人間は神を恐れ崇める。それが信仰じゃないの?」

「信仰の意味は詳しくは分かんないけど、写真のモデルがたまたま神様だっただけでしょ」

 確かにエリーは神様だった。いや『神様見習い』だった。

 でもそれはエリーを怖くなったり嫌いになったり、逆に好きになったりモデルをお願いしたくなったりする理由にはならない。

「ケイスケは変わってるな」

 さっきまで曇ってたエリーが、雲の切れ間から入る光のように笑ってくれた。

「そうか?」

 俺は自分の気持ちに素直になって答えただけ。そもそもエリーのことを神様だってこの出来事がなければ信じていなかったけど、信じたところでエリーとの接し方が変わるかといえばそういうわけじゃない。

「私もそうか。神様だって信じて欲しかったのに、いざ信じられたら避けられることが怖くなって」

「神様も人間臭いってことじゃない? 噂だと江ノ島の神様だって、人間に嫉妬してその力でカップルを別れさせたりしてるんでしょ?」

「私は立場上その件について肯定できないけど、そうかもしれない」

「神様だろうとなんだろうと俺はエリーのこと好きだよ」

 初恋の人に校舎裏で告白するようなドキドキもなければ、ラブソングのようなロマンティックな雰囲気もない。

 自然と口から出た気持ち。ただただ、思っていたことが溢れでただけ。

 エリーはそれを聞いて目をパチクリさせて、きょとんと俺を見ていた。瞬きで涙た俺の顔に落ちる。温かい。

「本当か? ケイスケ?」

「本当だよ。神様であることを除いたとしても、エリーのような女の子は出会ったことがない」

「そうじゃない」

 音になってない声で口をパクパクさせて、何かを言いたそうにしている。

「エリー?」

「……その、もっと好きって言って」

 嬉しかったのだろうか? 俺もエリーに写真を褒めてもらって嬉しかった。だから、はっきりとちゃんと言える。

「好きだよ、エリー」

「もっと」

「エリーのこと世界で一番大好きだ」

「もっと」

「好きで好きでたまらない」

「もっと」

「君はいとしの存在だよ」

 ここで俺の語彙の貧弱さが浮き出る。『月が綺麗だ』のような気の利いた『I LVOE YOU』は俺の脳みそからは出てこない。

 それでもよかったのか、今まで見たことがなかったくらい満足した笑顔を見せてくれる。

「ねえ、ケイスケ。私達江ノ島のムカつくカップルみたいに仲良くなれるかな?」

「いいや、もっとステキなカップルになれるよ。それこそ、そいつらが嫉妬するほどに」

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