第一章 江ノ島の神様見習い

 夕方五時くらいに学校に戻ってきて、写真部の一台しかないパソコンと愛用の一眼レフカメラを接続、撮影した江ノ島の写真を移動する。

 今日の撮影枚数は百枚ほど。ようやく雨の日も減ってきたけど、夏になると暑くなって外にいるのが辛くなるので、この時期が一番江ノ島を回りやすい。

 移動が終わった写真を眺める。今日は本州と島をつなぐ弁天橋からカメラを構え、島をぐるりと撮影して周った。

 弁天橋から島を望む風景や、お祭りの露天が並ぶような商店街の雰囲気、地元民がよく使う坂道の入り口にある赤い橋、島中から見上げる展望台、ヨットハーバーの風景、江島神社(よく勘違いされるが『ノ』はつかない)、島の入り口から見える海と藤沢の町並みを撮影してからヨットハーバーと防波堤の方を撮影して戻ってきた。

 そんな自分の歩いてきた道を思い出しながら、次の写真を表示するボタンをクリックしていた――んだけど、手が止まる。

 手を止めるように命令した写真は、江ノ島の東にある防波堤から撮影した風景。薄い青色の空に蒼い海、実際はそんなに距離がない防波堤が水平線の向こうにも続いてるように見える写真。

 意外といい感じに撮れてるなと思って手を止めたわけじゃない。手を止めたあとにそう思った。

 その空と海の青や、雲や手すりの白、テトラポッドとコンクリートのグレーに溶けこまない色があったから。

 テトラポッドの上に金色がある。

 正確に言うと長い金髪の人がテトラポッドの上に座っている。

 マウスホイールを回してその子の写っている箇所を拡大すると、その人は小さな女の子だとわかる。表情までは分からないけど、風になびく白いワンピースと金髪がとてもキレイだ。

 その不思議な感覚は、言い過ぎと思われるたとえかもしれないけど神々しさを感じる。

 その感覚に取り憑かれたようにマウスホイールを回す。それでも拡大したところで、どんな子なのかは写真だけじゃ分からない。デジタル画像はドットの塊に過ぎないのだから。

 でもそんな無機質なものを介して映るものに心を惹かれる感じがした。

「――スケ。おい、ケイスケ」

「ひゃわ!?」

 突然呼ばれたハスキーボイスに驚いて、椅子ごと後ろに倒れた。見ていた写真の風景が教室の地味な天井へと変わる。頭は打ってないけど背中は痛い。

「おいおい、アニメ的な転び方だな」

 天井だけだった俺の視界に入ってくるがっちりしたでかい体は、写真部の友達のカズユキ。心配、というより間抜けだとガハハ笑い。

「お前の見てるアニメは、こんなふうにずっこけるキャラが出てくるのか」

 差し出された手を握って、お礼の代わりにその表現にツッコミを入れる。

 こいつは世間一般で言う『オタク』だ。夜はアニメを見て、昼休みは写真雑誌かアニメ雑誌を見たり、仲間とゲームの話をして過ごす。秋葉原にたくさんいそうな絵に描いたようなタイプ。

 そんなカズユキのことがよく分かる話題として使っているカメラの話がある。結構型落ちした機種なんだが、それを使ってる理由が『好きなアニメキャラが使ってたから』と言っている。影響を受けやすいのだろうか。

「いや、こんなドジっ子みたいなのは最近見ないな」

 じゃあなんでそんなことを言ったんだ。そう返す前に、

「おっ、これに見とれてたんだな」

 拡大した写真を見つけたようで、ニヤニヤしながらそれを見つめる。隠しようもないので反論はしない。

 カズユキは俺の写真を気に入ってくれている。『江ノ島愛が伝わる』という抽象的な表現で褒めてくれるし、改善点の指摘は的確だ。

 ドットになりかけてた写真を全体が映るよう縮小しながら、

「でもなんでこんなところに女の子がいるんだ?」

「俺も分からん。だから気になってた」

 ひっくり返った椅子を戻して再びパソコンに向かう。

「それも金髪の美少女と来たもんだ。『俺の撮った写真の美少女に惚れてしまった件について』なんて、ラノベだったらこんなタイトルだな」

「いや、惚れてないし」

 ここで今初めて見た顔もわからない女性に、どうやって惚れろというのだ。アニメの見過ぎなんじゃないか。古いアニメだと空から女の子が降ってきたりしたんだけど、今はどういう出会い方をしているのか。

 鎌倉とかを舞台にしたアニメだと、海から女の子がやってきたり、宇宙人の男の子がやってきたりしてたな。よさこいとか合唱を通じて仲間ができるって話もあった。

 それと比べれば写真で見た女の子と急接近なんてご都合展開すぎる。

「だったら、なんで俺が呼んだのに気が付かなかったんだ? その上、アホみたいにずっこけて」

「それは……」

 俺にも分からん。その写真の不自然さについて考えていたからなのか、この女の子に見とれていたのか。

「やっぱり見惚れていたんだろう?」

「だから――」

「ケイスケお前、俺に彼女ができたって話したらめっちゃ悔しがってたからな」

「今は関係ないだろ!」

 それについては肯定せざる得ない。カズユキにはアニメとかのコスプレをする彼女がいる。名前は『チャコ』というらしいけど本名は知らん。

 どこで知り合ったのか聞いたが、全然分からない世界の解説をされ、同じ方法で彼女を作るのは無理だということだけしか分からなかった。

 で、カズユキはその彼女を専属モデルにして写真を撮りまくっている。彼女の方も写真に撮られるのが好きらしいし、ノロケを聞いてるとムカついてくるほどうまく行ってるようだ。

「心霊写真……じゃないよな」

「だったら、もっと不気味だろう」

 心霊写真がこんなにさわやかなわけないもんな。

「ということはやっぱりこの女の子はそこにいるわけだな」

「そうだ! お前この子を彼女にしたらどうだ?」

「はあ!?」

 何を言い出すかと思えば。いつも話がぶっ飛びすぎなんだよカズユキは。

「ケイスケお前、彼女ほしがってるだろう? 学校には可愛い子ならたくさんいるのに、声をかけたりしてない。そんなお前がここまで見惚れるんだ。これは積極的に行くべきだって」

「いや、まだ話したこともないんだぞ。どうやって彼女にしろっていうんだ?」

「明日同じ場所にいるかもしれないし、声をかけてみたらどうだ?」

「まるでナンパじゃないか」

「似たようなものだろ。俺だって今の彼女には俺から『写真撮らせてください』から始まったぜ」

 モデルを頼むところから始まる恋愛……ねぇ。夢物語って言っちゃいたいけど、目の前に現実にした男がいるからな。それもこいつのお得意の『二次元の彼女』じゃなくて、俺の目の前で紹介できる現実の女の子。

「じゃあカズユキ、お前だったらどう声をかける?」

 ここは恋愛に成功してる人間としてアドバイスが欲しいところだ。

「そうだな……まずは危ないと注意喚起するな」

「いきなり『写真撮らせてください』じゃないのか」

「それはおかしいだろ」

「じゃあなんでカズユキはそれで成功してるんだ?」

「そういう撮影会だったからさ。逆にあの会場じゃなかったら話しかけられなかったかもしれない」

 つまり状況によるってことか。

「そういう質問をしたってことは、つまり明日見つけたら話しかけてみようって思ってるな」

「まあ、そうだけど」

 カズユキの言うとおりこんな女の子をモデルにできたら、撮影ももっと楽しくなるだろう。今まで風景ばかりだけど、人物を中心にした写真――ポートレートもやっぱり撮りたい。

 そんな風に江ノ島や鎌倉のスポットを女の子と周るという夢も叶う。彼女になってくれるかは別問題だけど。

 何よりも俺はこの子の写真をもっと撮りたいと思った。うまく表現できないけど、カズユキから言わせれば恋なのかもしれない。恋愛とモデルスカウトは別問題だと思うけど。

「がんばれよ。何かあったら相談に乗るぜ」

 俺の肩を叩いて自信たっぷりに言われる。

  

    ◇


 写真を見つけた次の日。放課後になるとすぐに江ノ島へ向かう。先日決めた予定だからというのもあるけど、今日は特に江ノ島へ行きたい欲がある。早歩きで学校の駐輪場まで行き、立ち漕ぎで一気に道路を駆け抜ける。

 学校から江ノ島までは自転車で行っている。ルートは学校から、国道一三四号線を海沿いにまっすぐ走るだけ。

 海沿いを走っているだけなんだけど、風向きによっては結構疲れるし、夏は日に焼けて運動部と同じくらい真っ黒になれる。

 自転車を漕ぎながら横目で海を見るとサーファーの数も増えており、より夏を感じる。その向こうには暑さで歪む江ノ島の姿。

 新江ノ島水族館こと『えのすい』と、イベントのポスターや湘南を舞台にしたドラマのポスターが沢山貼ってある観光案内所を過ぎるとよいよ江ノ島。

 海岸沿いを見ると海の家が営業を始めている。

 もうすぐ夏休みだ。

 そんな雰囲気に煽られてはやる気持ちを抑えつつ、弁天橋の手前で自転車を降りてここからは歩く。弁天橋は歩行者が多く、ここを自転車に乗って走るのは結構危ない。

 弁天橋を渡ると向かって左側にある公園のような駐輪場に自転車を泊める。こっちが島の外から来た人用。そこから派手なバイクや高そうな車が駐車されているのを見ながら、潮風の流れてくる島の東側へ歩く。突き当りにある観光客向けの大きな駐車場へ入り、波の音に導かれるまま防波堤の階段を登る。

 防波堤の上で聞こえてくるのは風の音や波の音。日が照りつける熱そうなコンクリートの上を歩いている人はあまりいない。

 ぐるりと見渡すとその綺麗な金色は今日も見えた。今日もテトラポッドの上に座って相模湾を見つめているみたいだ。

 先日は北の灯台がある方を撮影したので、彼女には気が付かなったんじゃないかと思う。でもこの辺はまったく人が通らないわけじゃないし、テトラポッドの上の女の子を誰も注意しないというのはちょっと不自然。テトラポッドの上に乗らないようにという注意書きももちろんある。

 そんなことを考えつつ近づいてみると、写真で拡大したのでは分からない彼女が見えてくる。モデルのように細い腕、日差しに反射する白い肌、海風になびく膝丈くらいのワンピース、人形のように細い足とちょっと小洒落たサンダル、そして夏の日差しに反射する金髪と深海を反射したような碧眼。

 波の音が聞こえて我に返る。見とれてた。

 こうして声が届く距離までやってきて、いざ声をかけようと思うとためらう。彼女の『近寄るな』的な雰囲気もそうだけど、まるでナンパじゃないかとか、昨日は考えなかったけどもしかしたら言葉が通じないんじゃないかとか、声をかけたとしてその先をどうしようかとか。昨日家に帰ってからあらゆる状況をシミュレートしてみたけど、実際はどうなるかわからないという不安が押し寄せる。

 いや最終目標は決まっている。俺は彼女の写真を撮りたい。そればかりは揺るがない。

 別にやましい気持ちがあるわけじゃない。ただただ純粋に彼女の写真が撮りたいだけ。本当にそれだけだ。だから変な緊張をする必要もない。

 よし!

「ねえ! そこにいると危ないよ!」

 第一声は計画通り、注意を呼びかけることから。自分にはかっこいい声掛けをしたり、奇をてらったセリフが思いつかないのでこうして普通に行くことにした。実際危ないし。

 そんな声に気がついたのかこちらを向く。写真でもそうだったけど、実際に見るとやっぱりキレイだ。

 外見的なところもそうだけど、彼女からはなんだか神々しいというかオーラというかそういうのを感じる。特別な存在というか、運命の出会いというか、うまく言葉に表せないけどそんなのを目を合わせたときに思った。

 少し俺の顔を見ていたけど、また海の方に顔を向けてしまう。

「景色がいいのは分かるけど危ないよ」

 もしかしたら言葉が通じないのかもしれない。でも何語で呼べばいいんだ? 英語? ロシア語? ドイツ語? フランス語?

「ハ、ハロー? ズドラーストヴィチェ? グーテンターク? ボンジュール?」

 とりあえず思いついたのから言ってみる。でも危険を促す言葉は出てこない。もっと勉強しておけばよかった。

 どれか通じたのか、もう一度俺の方を見る。

 キリッとした表情。光が反射しそうな綺麗な顔と海のような碧い瞳に見られて、心臓が激しく波打つ。

「お主、私が分かるの?」

 に、日本語だ……。よかった、これなら会話が成立する。でもおかしな言葉が帰ってきたので、

「分かるのって? そこに居るでしょ」

 まるで自分が幽霊とでも思っているのか。足はあるし、画像編集ソフトで加工したみたいに半透明にもなっていない。色白だけど血行は良さそうだ。

 すると立ち上がって、アクション映画みたいなステップでテトラポッドの上を飛ぶ。柵もサクッとギャグのように飛び越えて、俺の元へやってくる。

「はい、ここならいいでしょ」

 俺よりもひとまわり低い身長だけど、偉そうに俺を見上げる。

「う、うん」

「それで、私に何か用?」

「えと、どうしてあんなところに居たのかなって」

「ここが静かで過ごしやすいからじゃ」

 即答だ。

 俺もこの場所が島で一番お気に入りだったりする。年中祭りをやっているような江ノ島なのに人が少なくて、波の音が一番良く聞こえる場所。夕方が近づくと西日のおかげで海も綺麗に見える。放課後過ごすのに持って来いの場所。

「うん、それは分かるよ。俺もここの風景や雰囲気、静かなところが好きだけど、テトラポッドの上にいたら危ないんじゃないかな」

「どうして?」

「どうしてって……」

 言うまでもなくテトラポッドの上は危ない。そこに人が行かないように手すりがある。アスレチックのようなテトラポッドの塊は、開拓されていない山道のように歩きづらい。そして波が強いと海に引きずり込まれることもある。

 それが分からないのかなぁ。日本語はスラスラ喋れてるし、日本の常識っていうか危ないところには行かないって万国共通な気がする。

 でもこの子、変わってるけど結構かわいいな。さっき海を見ていた時はキレイって感じたけど、喋っていると無邪気というか、子供っぽい。

「海に近いほうが波の音が聞こえていいじゃないか。あのうざい男女の馴れ馴れしい声が聞こえないこの場所が一番いいのじゃ。人間の男女はイチャイチャと! それが妬ましくて不快で仕方がないんじゃよ!」

 駄々をこねるように地団駄を踏む。

 この子の声は素直なアルトヴォイスなんだけど、体のような幼さを感じる。機嫌が悪いからなのか、元からそういうしゃべり方なのか、『~のじゃ』とか変な言葉遣いが目立つ。もっと可愛い話し方があると思うんだけど、どこかの方言だろうか。

「思い出したら腹立ってきた! 帰る!」

「あっ、ちょっと」

「付いてくるな人間!」

 人間って、君も人間じゃないか。

 そんなツッコミをする前に彼女は防波堤を飛び降りていた。追いかけようとするけど、すでに視界からは消えていた。

 建物の二階から飛び降りたような高さなのに、何のためらいもなしに飛んだのには驚く。あの細い足で着地の衝撃に耐えられるのだろうか。

 一体どういう子なんだろう。

 俺は名前も知らない金髪碧眼少女が気になって仕方がなかった。


    ◇


 嫌われた気もするけど俺は名前も知らない彼女を諦められなかった。

 あのあと撮影した写真は構図がいいと思っても、魅力というか、要素に欠けている気がして仕方がなかった。

 風景じゃなくてポートレートが撮りたい。あの子が撮りたい。

 そこで戻ってくるのは彼女を最初に見つけ、撮影をした写真。

 スマートフォンに写真を移動させて、それを見返してはため息を付く。

「そこまできたら恋だな。今のお前は惚れた女を見つけた顔をしている」

 とカズユキにコメントされる。どんな顔だよと思って鏡を見たらなんとなく分かった。日常生活に物足りないものを見つけて、それを手に入れる方法に悩んでるという具体的に分かる顔が鏡の向こうにあった。

 その日も放課後は江ノ島に向かった。海沿いの景色も、元気に波に乗るサーファーも、スタイルのいいお姉さんもろくに見ずに島までたどり着いた。

 足早に昨日も一昨日も来たその場所にやってくると、やっぱり彼女はテトラポッドの上に座り、青い海を眺めていた。

 これだ。俺が撮影したい写真に必要なのは間違いなく彼女だ。

 ケースから一眼レフカメラを取り出し、素早く光の露出とシャッタースピードを設定、彼女を中心から右下にずらし海と空が入るような構図にする。シャッターボタンを軽く押してフォーカスを調整させて、そのままシャッターを切る。

 撮った写真をすぐにレビューで確認すると、そこには俺の望んだ通りの物があった。

 今まで江ノ島の風景をたくさん撮ってきたが、こんなにも満足のいく写真が撮れたのは久しぶりかもしれない。

 彼女となら、俺が望んだ写真を撮れる。予想は確信に近づく。

「なんじゃ! 今日もやってきおって」

 シャッターの音に気がついたのか大声で俺に怒鳴る。

「ご、ごめん。あまりにも綺麗だったからつい」

「そうじゃない! なんでまた来たのかと聞いている!」

 写真を勝手に撮ったことについてじゃないのか。

 彼女は昨日と同じような軽快なステップで俺の前までやってくる。昨日と同じアクション映画で銃弾や障害物を避ける勇ましいヒロインのような動き。

「んで、用件は?」

「俺は君にモデルをやってほしいんだ!」

「はぁ?」

 前置きもなしにお願いをする。続けて、

「俺近くの高校の写真部に入ってるんだけど、写真のモデルが欲しくって……だから君に引き受けてもらえないかなって」

「ふん! 高校生なら自分の学校の女から、好みのを選んで――」

「君がいいんだ! 他でもない君を撮りたい」

「……っ」

 学校にいる女の子には可愛い子はいても、写真に収めたいって子じゃなかった。江ノ島で写真を撮りたいって思う子じゃなかった。

「……それでも、引き受けられない」

 さっきまでの強気がどこかへ行ってしまったのか? 目をそらして遠慮気味に、言いにくそうに、

「私は、神だから」

「……はい?」

 人生十七年くらい生きてきて、初めて出したようなおかしな声を出した。もう一度同じ声を出せと言われても出ない声。

 かみ? 髪とか紙とかのイントネーションじゃないから多分『神』なんだろうけど、どれにしても――

「なんじゃその顔は!? 信じてないな」

「そりゃ……」

 信じろというのは無理すぎる。目の前に居る女の子をいきなり人間以外のものだと言われても、どう見ても人間。

 アメリカ人とロシア人のハーフで幼いころから日本で生活してるんだけど、実は売れっ子アイドルでそういう仕事は事務所を通して欲しい。こういう断り方だったら信じられたのに。

「厳密に言えは修行の身なんだが」

 いやそうじゃなくて。そういう設定を加えられても信じることはできないし。

「そんなわけでお主の願いは叶えられない」

「別に神頼みしに来たわけじゃないんだけどなぁ」

 そのおかしなしゃべり方もその『自称神様見習い』という設定から来ているのかも思うと、そこは納得がする。でも神様になりきれてなくてたまに普通のしゃべり方になるし、そのせいで『自称』と付けたくなる。

 それにモデルなら神様見習いじゃなくても、普通の人間にもできるわけだし、神様だからモデルになれないというのは断る理由になってないと思う。

「と、とにかく私にはできない! じゃ、じゃあな!」

 逃げる理由を言い切ると返事をまたずに、何メートルはある防波堤を飛び降りる。すぐに、追いかけようと下を見るけど、目立つ金髪はどこかに行ってしまった。

 運動神経はすごいっていうのは認められるんだけど、神様っていうのはなぁ……。

 明日もここにいるかな?


    ◇


 土日は朝からバイトをしている。島の中のおみやげ屋さんだ。

 父親の友人っていうこともあって気も楽だし、忙しくなる土日だけでいいというのも大きい。去年の夏休みは平日もバイトを入れていた。

 おかげでそれなりに貯金もあるし、お世話になっている江ノ島に尽くせるというのも嬉しい。

 そんな土曜日の朝、観光客のほとんど居ない静かな江ノ島。仲見世通りは開店の準備のために掃除をしたり、シャッターを開けたりしている人や、島から出勤する人の原チャリが行き来きしている。

 そんな音に混じって、

「お~お師匠様とはぐれちゃったんだな」

 地元民くらいしか入らないお店とお店の間の狭い路地に、猫の鳴き声と一緒に聞き覚えのある女の子の声がする。

「よしよし、私が探してやるぞ」

 こっそりと覗くと長い金髪の後ろ姿、純白のワンピース、昨日神様だと名乗ったあの子だ。 

「なんじゃお主、メガネかけたような顔しておるのぉ」

 その細い手には白い子猫がいるみたいだ。にしてもメガネかけたような顔って、どんなんだ?

「腹が減ってるのか。ほれ、私へのお供え物じゃがお主にやるぞ」

 ポケット付いてないのにどこからともなくビスケットを取り出した。手品?

「愛いやつめ~」

 と猫なで声で話しかけながら、猫の背中を撫でる彼女がなんだかとても優しい子に見えた。

 先日は江ノ島のカップルがムカつくとか、自分は神様とか変なことばかり言ってたのを思い出す。でもペットなどの動物に対して優しい人は、怖い顔をしてたり、仕事の態度が厳しくても本当は優しい人だって聞いたことがある。そう考えると変な口調で不機嫌にしゃべってばかりだけど、けどもしかしたら根は優しいのかもしれない。

「橋の方か? 行ってみよう」

 こっち来る。行き交う人のふりをして背を向け、他人のフリ、知らない人のフリ。

「私か? 私も修行中の神々じゃぞ。大丈夫じゃ。愛でるだけで何もしない忌々しい人間などと比べるでない。私も江ノ島の神々のはしくれじゃ。必ずお主をお師匠様の元へ連れて行ってやるからの~。お礼? そんなもの気にするな。ひとりで食べるお供え物なぞうまくないからな」

 俺の進んでる方には来ないらしい。通じてるのかわからないけど、猫と会話しながら仲見世通りの坂を降りていく。

 その金髪を見送っていると、いいことを思いついた。

 お供え物だ。


    ◇


 バイトの終わる夕方、お店でたこせんべいを買って行った。観光客には人気で、平日でも列ができるほどの人気商品。

 普通だったら食べ歩きをしながら島を周るんだけど、俺は口をつけずにいつもの場所へ向かう。

「なんじゃ、お主の願いは聞き入れんぞ」

 俺の気配を察するなりそんなことを言う『自称神様見習い』は律儀というか、本当にここしか居場所がないのか、今日もテトラポッドの上で暗くなっていく海を眺めていた。

 今朝と比べて今は仏頂面である。自称神様なのに『仏』の字がつく言葉に比喩されるとはこれいかに。

 そんな今朝の彼女を見て思いついたこと。それがこのたこせんべい。

「神様ってことはお供え物が必要だと思って」

 彼女が振り向くと目線はたこせんべいに行く。餌付けと言ったら大変失礼なんだけど、お願いするならそれなりの報酬は必要だと思った。現金のやり取りは生々しいので現物支給だけど。

 気になったのか、俺の元へやってきてたこせんべいを凝視する。焼きたての匂い、タコの足のような模様、こんがり焼けたせんべいの色を見つめていたけど、

「そんなもので……」

 そう言いつつ顔をそらすも、目はたこせんべいから離れない。

「別にすぐに返事をしてくれなくてもいいよ。これ食べながら考えてくれてもいいし」

「ふ、ふんっ」

 ようやく受け取ってくれた。ベンチに座ってすぐに一口かじると、彼女は生まれて初めて食べたみたいな感じで目を丸くする。

 俺はバイトしているからよく食べるんだけど、こうまでおいしそうなリアクションをしてくれるのはうれしい。ちなみに俺が焼いた。

「おいしい?」

 答えが分かりきってるけど、その声で聞きたくて質問してみた。

「そ、そうだな……。なかなか良いものだ」

 そう言ってその小さい口でせんべいを減らしてく。

 夢中になっている顔と、小動物のような様子が面白いというか、可愛い。

 気づかれないようにそっと彼女から距離を離してカメラを構える。

 自動でピントを合わせる『オートフォーカス』でレンズが動いている音がなっているのに、彼女はそれに気がついていない。

 ピントが合ったところでそのままシャッターを切る。

 いい写真が撮れた。そして彼女もようやく写真を取られたことに気がついたみたいで、

「な、なにをやっとるんじゃー!!」

「いや、あまりにいい顔で食べてるもんでつい……」

「つい写真を撮る奴がどこにおるんじゃ!」

 その『つい』で撮った写真をプレビューで確認すると、心底おいしそうに笑顔でたこせんべいをかじる絵があった。自分で言うのもなんだけど、コンテストに送ればそこそこいい賞が取れそうな感じさえする。

「いっつも不機嫌そうな顔をしているけど、こうして笑うと可愛いんだからさ」

「なんじゃと!? ちょっと見せろ!」

 カメラを奪われるとベルトが一緒に引っ張られて彼女に近づく。思わぬ急接近にドキドキする。

 なんだか懐かしいような、優しいような、そんないい匂いがした。

 この感じどこかで……。でもこの子とは先日出会ったばかりだ。デジャヴを感じたとしても何か違う記憶と混ざってるんだろう。だとしてもその香りからは優しい感じがする。今の彼女はものすごく不機嫌そうな表情をしているのに。

 そんなことを思っていると、見終わったのかカメラを突き返される。

「し、写真がそこそこ撮れるのは認めてやる! でもそれとモデルの件は別だ!」

 認めてやるってことは良いと思ってくれた? 写真を褒められた?

 仲の良い人じゃなくて、あまり話したことのない人から写真を褒めてもらった。

 褒め方は素直じゃないし、声もツンツンしてるし、顔も不機嫌だけど、写真を褒めてくれたという言葉は確か。

 もっと褒めて欲しい。素直な言葉で、この子に褒められたい。その声でいいと言われたい。

 そんな俺の気持ちも知らず、彼女はぷいっと後ろを向いて、せんべいの続きをかじりだす。消せと言わなかったので写真は持って帰ろう。

 潮の香りがする風になびく金髪がキラキラしてキレイで、これも写真に収めたいんだけど、また怒られてしまうので眺めるだけにしておく。

「なんじゃその顔」

「な、なんでもない」

 褒められたことが嬉しくてなんだかにやけたような表情をしていたようだ。

 やっぱりこの子は変な子だけど、根は優しいし、素直な表情になれば可愛い。ただ、どうしてこうなっちゃったのか分からないけど、偉い神様のように俺にツンツンあたる。

「これはどこに売ってるんだ?」

 あっという間に食べ終わると俺にせんべいを包んでいた紙だけ返してくる。

「江ノ島の中にあるよ。仲見世通りにあるおみやげ屋さんなんだけど、いっつもたこせんべいで行列ができてる――」

「あそこか!」

 やっぱり有名らしい。俺が居ない時間だったけどテレビの取材も入ったとか。

「並ばないと買えないけど、俺あそこでバイトしてるからさ、今度また買ってきてあげようか?」

「いやじゃ」

 一転して拒否。さっきは無茶苦茶うまそうに食べてたのに。

「江ノ島にやってくる忌々しいカップルどもの好物など食わん」

「でも美味しかったでしょ?」

「それでも!」

 この子はどうやら江ノ島にくるカップルたちが嫌いらしい。坊主憎けりゃ袈裟まで憎いってやつだろうか。自称神様だけど、またもや神道じゃない比喩表現。

 そいえば江ノ島の神様は嫉妬深くて、江ノ島のカップルを別れさせる。だから江ノ島に来ると別れるっていう有名なジンクスがあるんだよね。この子のそういう設定もちゃんとリサーチがされてるなあ、と関心する。

「じゃあ神様の力で別れさせればいいんじゃない? 君かどうか分からないけどそういうことをしてる神様もいるでしょう?」

「私にその力があったらとっくにやっておる。そもそも江ノ島は修行の地であって、縁結びを祈願しにきたりいちゃつくためにあるのではないのだぞ……」

 よく知ってるなぁ。

「江ノ島が修行の地だったのは江戸時代とかそのくらい前だと思うんだけど」

「今でも私のような神々の修行の地になっておる。人間だけの、それもよそ者のくる場所だと思ったら大間違いだ!」

 それはそうかもね。猫が多いし――殆どが捨て猫だけど――リスもいたりと動物もいるし、島には民家があって人が住んでる場所でもあるし、観光のための場所ってわけじゃないのに関しては同意。

「そんなに嫉妬するってことは、誰かとお付き合いしたいってこと?」

「な……そんなわけあるか!」

「じゃあなんで嫉妬なんかするの?」

 俺の場合はカズユキに彼女が出来たってことを聞いて嫉妬した。そんな感じの理由が彼女にもあるんだろう。あるいは『自称神様見習い』になっちゃった理由に関係があるのか。それとも『江ノ島の神様』としての設定なのか。

「ふ、ふん! なんでお主に話さんといかんのじゃ。私の恋人は南風で十分じゃ」

 なんて言って海の方を向くけど、こっちは東だ。


    ◇


「なんじゃこれ」

 今日もまた昨日同様彼女のところへ。今日は違うものを持って行ってみた。

「鎌倉の名物『馬サブレ』。おみやげにも人気なんだよ」

 鎌倉に本店のあるお菓子メーカーが作ってるサブレ。これのおかげで鎌倉みやげ=サブレという図式が生まれたらしい。

 五枚入りで六四八円(税込)そのうちの一枚を差し出している。

「そうじゃなくて、またお供え物とやらか」

「そういうこと」

「だから、私は修行中だから……」

 そうは言いつつもサブレが美味しそうに見えたのだろう。実際美味しいし、親戚がうちに来た時は絶対にこれを買って帰るほど。

 少し馬とにらめっこをしてから、袋を奪うように取る。すぐに袋を開けて噛り付く、と思ったらサブレのしっぽを咥えたまま、

「ふぉるなよ」

 撮るなよ、と言ったらしい。

「撮らないよ」

 さすがにもう不意打ちは効かないと思っているので、最初からカメラをケースにしまっている。

 俺を睨んで本当に写真を撮らないことを確認すると、ようやくサブレを味わい始める。

 風から流れてくる古い歌謡曲と、涼しい波の音、サブレをかじる音がミスマッチでなんだか笑えてくる。

「まあ、土産物だけあってまずくはないな、うん」

 素直においしいと言えない子らしい。あっという間に半分になったサブレを見れば、口にあってることはよく分かる。

 あっという間に残りも食べて、

「……これだけか?」

 細かいカスだけが残った袋を俺に突き返して聞いてくる。先日のせんべいと比べて小さいから物足りないのだろう。

「まだあるよ?」

 学校のバッグからもう一つ出して渡すとすぐに受け取って同じように、美味しそうな音を立てて食べだす。

 二枚目を味わっているときは、むっそりとした顔つきではなく、ちょっと緩んだ表情になっていた。

 甘いモノはストレスの解消になるとか、美味しいものを食べると人間は元気になるとか聞くけど、不機嫌な人にお菓子を食べさせても同様の効果があるようだ。

「モデルって何をすればいいんだ?」

 サブレが頭だけになったあたりで彼女はつぶやくように聞いてくる。

「写真を撮られるときにポーズをしてくれたりすればいいよ。服とかも指定しないし、予定がある日は無理にとは言わないよ」

「必要な物は?」

「特に何も」

「もう一枚」

 条件を聞き終えるとまたもや『お供え物』を要求。バッグから残りの三枚を出して渡す。きょとんと顔をしたので、

「今日のお供え物はそれで全部だから」

 余ったら自分で食べようと思ったけど、結局彼女に全部あげることにした。

 これをすべて受け取るとモデルを引き受けてしまうと思ったからか、受け取るのを少しためらった。サブレを睨んだり、目をそらして少し考えたり、口元に手をやって食欲をごまかしたり、そんな表情変更を繰り返した。ホントに表情豊かな子だなぁ。

「いいわ。そこまで信仰してもらったのだから、私の力が及ぶ限り、あなたの願い、叶えてあげる」

 意を決したように三枚全てを受け取り、了承を告げてくれる。よっしゃ。

「ありがとう――」

「その代わり!」

「その代わり?」

「毎回お供え物を持ってくるように!」

「分かりました、神様」

 ようやく承諾を得た。というかこんなナンパまがいなことがよく成功したものだと自分を褒めたい。今まで恋愛なんて成功したこともないのに。

 そいえば、

「自己紹介をしてなかったね。俺はケイスケ」

「……『江里能売エリノメ』よ」

「えっ?」

「『江里能売エリノメ』」

「か、神様っぽい名前だね」

「神だ!」

 そ、そんな名前で呼ぶのか。いくらエリ……彼女にそういう設定があるからって、人前でそう呼ぶのは恥ずかしい。

 彼女の名前を復唱できずにいると、風にのって音楽が聞こえてくる。歌謡曲のタイトルにもなっている綺麗で江ノ島らしい名前。

「え、エリーって呼んでいい?」

 金髪だしこの名前は、日本人でもアメリカ人とかイギリス人でもロシア人でも通用すると思う。

「勝手にしろ」

 よかった。これなら気軽に呼べるし、なにより可愛らしい。

 俺の予想では多分これが本名だろう。もっと仲良くなれたら確認しようと思う。

 そんなことを考えながらプイッとした彼女を見ていると、曲の続きが聞こえてくる。愛しの相手への気持ちを素直に歌った歌詞。

 そして彼女の名前はエリー。

 エリーという女性に恋する歌を聞いて、俺のこの気持ちも恋だと気がついた。

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