あの日の奈々子
𠮷田 樹
あの日の奈々子
人生において、唐突などというものは珍しくもないもので、なのにもかかわらず私たちは心の準備を怠っている。
自分の予想を超えたことが起こったとき、誰しも必ず一瞬でも、自分のすべきことを失うのだ。
そして、その傷が深ければ深いほど、その状況は深刻さを増す。
そして、現実を突き付けられた挙句、最後にはそんなこともあると、簡単に切り捨てられるのかもしれない。だけど、そんなのは嫌だった。
私の思い出はそんな簡単なものじゃない。少なくとも私にとっては。だから、この状況を是正したかった。けど、だからと言って何か行動を起こせるわけでもなく、すでにあれから一週間が経過していた。
何かしなければならないことは分かっている。きっと、これは私にしか解決できない。
結局、臆病なだけなのかもしれない。逃げているだけなのかもしれない。
彼の気持ちを知りたい。彼のつらさを半分でも肩代わりしてあげたい。なのに、その一歩がどうしても踏み出せずにいた。
あの日の出来事をこのまま引きずって生きていくことになるのだろうか。
それが、不安で仕方なかった。
「ねえ、美咲! 美咲ってば」
「あ、ごめん。聞いてなかった」
教室で友人に話しかけられても、うわの空で話半分も耳に入ってこない。
その原因は今にも教室を出て行こうとしている彼にあった。
「美咲、もしかして尚くんと何かあった?」
「べつに」
「いや、別にって感じじゃないでしょ」
学校指定のブレザー姿しか見たことがなかった。そこまで、親密な関係というわけではないかもしれない。教室で何回か話す程度。眼鏡がよく似合う男子だった。
「でも、最近あいつと話してないじゃん。喧嘩とか?」
「いや、そういうわけじゃないんだけどね」
話したら、彼を傷つけてしまいそうで。そんな不安は毎日刻々と募っていく。
「それで、今日も彼のストーキングですか……」
「そんなんじゃない」
でも、ただじっとしていることは出来なくて。また、きっとあの場所に行ってしまう。そこに、彼が来るとわかっていながら。
いや、きっとわかっているからこそ。
「ちゃんと話しかけなきゃ何も進展しないよ?」
「わかってる」
それができたら苦労なんてしていなかった。
***
セーラー服のまま、今日もあの場所を目指す。通る道も決まって同じ。
あの日通った、その順番で歩いていく。
坂道の通学路を下り、町の商店街のある店を目指す。
外から店内を眺めて、でも決して入ることはない。行先はペットショップなのだから。無口なおじいさんがカウンターに座っている小さなお店。
今日は何も買わない。でも、あの日購入した商品がふと目に留まった。
これもまた、いつものことだった。
あの日に取りつかれたようにこれを繰り返す。彼もそうだった。だから、私も彼にばれないように後に続く。これは、彼女に会うための、前準備のようなものなのだろう。
そのあと私は、近くの自然公園で時間をつぶす。ここからは海がよく見える。人はまばらにしかいないけど、海と海岸がよく見えて、なおかつ海岸への道があることが私にとっては重要な条件だった。
あの日のことを思い起こしながら、私は海を眺め続ける。なんで、あんなことが起きてしまったのだろう。別に、だれが悪いわけでもない。なのに、心が強く締め付けられる。
そうしているうちに彼の姿が目に入った。
彼は、日が落ちる寸前の海岸沿いを灯台に向けて歩いていた。
「……」
今日もまた、隠れるようにして彼の後をつけていた。
顔は光で隠れ、表情までは読み取れない。それがまるで、私の心を気にしているかのように思えて仕方がなかった。
でも、わかった。
さみしそうな顔をしている事が。
彼の歩いている姿から、少なくとも元気がない事は感じ取れる。
「……」
声をかけたかった。でも、なぜだろうか。それは、してはいけない事のような気がして、私は何も出来なかった。
***
灯台についた彼は何も言わずにしゃがみ込んだ。
私はその姿を見ているだけで、心が締め付けられるように痛かった。
「……奈々子」
彼の事を私は一番近くで見てきた。でも、彼は私に振り向いてはくれなかった。
いつも、いつも、奈々子の事ばかり。
私は、いつも嫉妬していたのかもしれない。
奈々子相手に嫉妬するのも変な気がするけど。
奈々子は数日前、ここの海でおぼれて死んだ。……事故だった。
その時、私も一緒にいて、見ていたから知っている。
でも、彼は自分を責め続けた。
自分が目を離していなければ、と。
その事故の日から彼は毎日、奈々子が溺れたこの時間、灯台を訪れていた。
毎日気づかれないように、ついてきてしまう。
でも、どうしても話しかける事が出来ない。
毎日見るその顔はとても痛々しかった。
今日もまた、その姿をただ呆然と眺め続ける。
今日もまた。
私は何も出来ない。
でも、逃げるのはもっと嫌で。
ただそこにいた。
でも、それに何かの意味があったのかもしれない。
それは唐突に訪れた。
世界が変わったような気がした。
日が落ちるその瞬間。水平線で、強く何かが光ったように感じた。
その正体はわからない。
でも、何でだろうか。
今日はいける。そんな気がした。
「尚君!」
気付くと、私は彼の名前を呼んで駆け寄っていた。
「美咲……」
「尚君。奈々子の事は残念だったよ。でも、でもさ……」
どうしよう。どうやってこの状況を説明しよう。いきなり現れて、変な子だって思われたかも。何も言えないくせに、いける気がしただけで飛び出して。私、馬鹿だ。
ただ恥ずかしいと、そう思ったときには既に、体が逃げ出そうとしていた。
「美咲!」
そんな私の腕を彼は強くつかんだ。
「尚君」
彼の顔をどう見たらいいのか、私にはわからない。地面に目を向けたまま、ただ言い訳を考えていた。そんな時だった。
「俺は……君が好きだ!」
「え?」
急な事で何も言えなかった。彼と話すようになったのは趣味が同じだというそれだけだったはずなのに。
「ごめん。趣味が同じって知って、仲良くなるチャンスだと思ったんだ。急にこんな事言われて幻滅したよな」
「そ、そんなことないよ! 私も、私も好きだから! ……あ、うぅ」
言ってから恥ずかしくなる。こんな形で言うつもりはなかったのに。
「……」
「……」
気まずい沈黙が訪れる。これじゃあ、彼に言わせたようなものだ。私が何か切り出すべきだろう。
「奈々子の事、残念だったね」
「……ああ」
伏し目がちになる彼を見て、話題を間違った事に気付く。
「いつも、寂しそうにしてたもんね」
だが、それに続く言葉は私を陥れるだけだった。
「え、見てたのか⁉」
「えぁ……うん」
穴があったら入りたいとはこの事だろう。
こんなの、ずっと見てたって告白したようなものだ。
「確かに奈々子の事は悲しかった。でも、美咲とあれから話せなくなって、それで……」
「え、そうなの?」
「ああ。だからここにきて、いつも奈々子に相談してたんだ。でも、今になって思うよ。奈々子が俺と美咲を結んでくれたんじゃないかって。なあ、どう思う?」
「……うん。確かにそうかも」
私と彼は唇を合わせた。
そうだ、きっとそう。
彼が飼っていた〝猫〟である〝奈々子〟は、私たちの恋の神様だったのかもしれない。
あの日の奈々子 𠮷田 樹 @fateibuki
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