第3話


 そう、あの日。

 それはそれは憎らしいほどに晴れ渡る空の下での出来事だった。

 故郷を出て、実力を示す保険のために帝国で開催されていた武闘会で二度目の優勝を果たし、晴れて実力が認められて天使の加護を受けるところまでぎ着けた。


 それが、間違いだった。


 だが当時のシキはそんな後悔をするとは露知らず、儀式の場に連れられ、帝国の長である帝王と神、その護衛数名に見守られて魔法陣の上で加護を祈った。

 そして。



『――面白い』



 楽しげな一言が空間に響き渡ったと同時、真っ黒な光が涼やかに舞い降りた。



 闇夜の如き漆黒の髪に、底なしに吸い込まれそうな黒曜の瞳。風にひるがえるコートはまさしく頂点に立つに相応しく、高貴な匂いをまとった宵闇よいやみを連想させる。

 ばさりと、後ろで羽ばたく音も隅々まで真っ黒だった。華が散る様に磨き抜かれた羽が風に舞い、高らかに降り立つ足音は壮麗な歌声を思わせる。

 神々しい黒き輝きに空間が満たされる中、この世のものとは思えぬ存在にシキは見惚れた。

 だが、見惚れたのもそこまでだった。


「――ルシフェル!?」


 がたりと、帝王のそばに座っていた青年がけたたましく立ち上がる。太陽に祝福された金の髪と瞳を宿す青年――神の顔は、驚愕で全てが見開かれていた。

 ルシフェルとは、実に有名な名前だ。その場にいる誰もが、神の天敵である魔王だと半歩遅れて認識する。護衛達が引っ繰り返りながらも剣を構えたのは、無様な姿ではあったが見事だと言えただろう。

 古来の災厄の再来。歴史的瞬間に立ち会った、最悪の事態。シキも思わず腰の剣に手をかけた。

 が。



「やあ、エデン! 久しぶり! 元気だったかい?」



 ハロー、とにこやかに、晴れやかに、魔王と呼ばれる黒髪の青年は神に向かって手を振った。それこそ、旅の途中に偶然再会した親友に向ける晴れ晴れとした笑顔である。

 禍々しさが満載な出で立ちとは正反対の青年の振る舞いに。


「……ああ、元気だ」


 神――エデンは一瞬呆けたのか、思わず手を振り返し。「久しぶりだな」と、これまた呆けた様に返事をした。

 そして。



「…………って、ふ、ふ、ふ、……ふっ、ざけるなあああああああっっっ‼」



 この世の終わりを告げる噴火を撒き散らしながら絶叫した。神の威厳などどこかに吹っ飛ばした、実に気持ちの良い絶叫である。


「貴様、ルシフェルっ! ここで会ったが三千年! よくも僕の前に姿を現せたものだな!」

「あー、よく寝た寝た。爽やかな朝だね!」

「阿呆か! 今は鳥も日陰で羽を休めたくなる真っ昼間だ!」

「まあ、細かいことはさておき」

「さておくな!」

「今の帝王様は、随分ずいぶんと可愛らしいんだね。いくつなんだい?」

「は?」


 目を丸くしながら玉座に座って静観していた帝王は、いきなり話を振られて振り子の如く顔を上げた。彼もシキと同じく事態に付いていけていないらしい。同情する。


「見た目的には、十八? でも、年齢は二十超えているのかな」

「……二十三、だの。五年前に、神の加護を得ての」

「へー。てことは、新米。我、魔王ルシフェル。よろしく!」

「はあ、よろしく頼もう」

「よろしくするな! おい、ローランド! こいつはな!」

「へー、ローランドね。じゃあ、ローちゃんで」

「ふ、ふむ? ローちゃん?」

「ルシフェルー!」


 ぎゃいぎゃいと賑やかな喧騒をわめき散らしながら、儀式の場は神聖さを失っていく。

 五、六千年以上連綿と伝えられてきた神と魔王の伝承が、今まさに目の前に降臨しているというのに、ちっともありがたみも危機感も感じられない。現に、護衛達は普段の威厳溢れる神の実態と、にこやかな魔王の子供の喧嘩を目の当たりにし、現実逃避のために全員気絶した。自分も気絶出来ればと願ったが、幼い頃から変な図太さを発揮してしまうシキは、残念ながらぱっちりと目が冴えてしまっている。

 故に、神と魔王の果てしなくくだらない争いを、一部始終目撃してしまったわけだが。


「――って、二人とも、待てい! 帝王である余を無視するでない! というか、お前たち子供かの!」

「はっはっは、ご覧の通り子供さ!」

「見てわからないか⁉ 僕もだ!」


 帝王までいつの間にか喧嘩に参加し、収拾がつかなくなってきたところで決断した。

 さあ、帰ろう。

 静かに立ち上がり、シキが足音も立てずに床を滑る様に歩き出した、その時。



「ところでさ」

「っ!」



 にゅっと、音もなく横から顔が飛び出した。言うまでもなく、先程まで子供も真っ青な口喧嘩を披露していた魔王である。

 条件反射で剣を引き抜きざまに振り切れば、「わーお」と軽い称賛と共に上体を反らしてけられた。風の様な滑らかな動きに、シキは別の意味で目が冴える。

 二、三ステップを踏みながら、魔王は軽やかに後退した。

 その動きだけで分かる。軽口とは裏腹に、かなりの実力者だ。流石は魔王と恐れられてきただけはある。恐らく、勝てない。


「やるね、青年! 呼ばれて出てきた甲斐があったかな」


 満足そうに腰に手を当てて笑う魔王は、快活でありながらも仕草一つ一つがとても優雅だ。シキは一瞬、広がる漆黒の翼と共にその神々しさに見とれた。

 しかし、それもつかの間。帰るために、警戒しながらじりじりと扉への退路を確保しようとした。

 あともう少し、といったところで。


「……って、おい、そこ! 帰るな貴様! 神を助けろ!」

「そうだ青年! このボンクラの神と魔王を何とかしてから帰るが良い! というか、汝だけ安全圏にいるのは余が許さぬ!」


 理不尽になじられた。世の中不条理だらけである。


「いや、勝手にコントを始めたのはあんた……貴方たちなんですけど」

「知らん!」

「知らぬ!」

「知らないね!」


 息ぴったりに否定された。彼らは実に素晴らしい三人組であり、もうそのまま世界でお笑いでも始めれば良いと思う。

 とにもかくにも、巻き込まれてしまった。三者三様の睨みを利かされて、帰ることも出来ない。

 なので、仕方なく状況を整理して、最初の魔王の言葉に反論することにした。


「えーっと、オレに呼ばれたって言った?」

「言ったね!」

「……あんたを呼んだ覚えは、全く無いんだけど」

「あはは、そうかな。確かに呼ばれた気がしたんだけど」


 君に、ね。


 念押しされて、シキはわずかに眉を寄せる。

 自分はただ、天使の加護を受けるために儀式を遂行しただけだ。魔王を呼んだ記憶は、全くもって無い。というか、こんな面倒ごとになるなら来なければ良かった。

 しかし、それも後の祭り。

 心の底から呪いたくなるほどに仕方なく、別の疑問をぶつけることにした。


「……ところで、魔王……殿?」

「ルシフェルでいいよ。呼び捨て希望!」

「じゃあ、ルシフェル。魔王ってことは、大戦の時と同じく、今から人類の敵になるの?」


 彼は、堕天使を率いる魔王。神と敵対し、永い時をかけて封印されていた。恨みつらみもあるだろう。例えどれだけ軽口を叩こうとも。

 それ故の質問だったのだが。



「えー、面倒くさい」



 一蹴された。

 もう何を聞いても驚けない。彼は常識の範疇はんちゅうを超えている。


「ま、神や天使が束になっても、我一人に敵うわけないから、それでもいいんだけど」

「……はあ? 今すぐ僕に消し炭にされたいらしいな」

「こんな風に、四六時中エデンから殺気飛ばされるのは面倒だからね! しばらくは大人しく、清く正しく美しく、君に力を貸してもいいよ」

「はあ」


 魔王が自分に力を貸す。

 何故そんな気まぐれを引き起こすのかと問い質したかったが、口を開く気力も無い。


「おい、ルシフェル!」

「あれ、不満? たまにはシンユウのエデンの力になってあげようかなっていう、我の優しい配慮なのに」

「だだだだだだだ、誰が! 優しい! だと!?」


 親友は否定しないのか。


 神であるエデンも徐々に思考回路が麻痺してきているのかもしれない。


「まあ、魔王である我を、帝国に認めさせるのはエデンに任せるとして」

「おい待て! 面倒くさい!」

「今日から我の加護を得るこの子のことも、身分を保障してあげてよね」

「当たり前だろう! まったく、面倒ごとはすぐ僕に押し付けて……昔からそうだ貴様。……ああ、哀れな子羊よ。悪いな、こんな奴の世話を押し付けて」

「はあ……は?」


 世話。


 神は、世話と言っただろうか。

 つまりやはり、魔王は昔から世話の焼ける存在だったということか。何かがねじじれている気がしたが、今のシキにはもはや追及する元気も皆無だった。


「というわけで」


 ぽん、と肩を叩かれる。にっこりと笑う顔は魔王であるくせに太陽みたいだと、無意識に目を細めた。



「よろしく、シキ・イースレイター。今日から君は、魔王使いだよ!」



 魔王使い。

 シキは魔王の加護を得る、ということだろうか。天使ではなく。

 それは、神と天使が住まう帝国では大罪なのではないだろうか。下手をすれば、この場で首をねられてもおかしくはない。

 だが。


「……いいだろう」


 神が、かつ、と高らかに足音を立てる。

 それは、場の全てを取りまとめ、決定を下す裁断の音でもあった。



「魔王ルシフェル。シキ・イースレイターの加護魔王と認める」



 すらりと金の目を細めて、神は魔王であるルシフェルを見据える。太陽の如き瞳は様々な思惑を乗せて鋭さを増し、見る者全ての喉を貫く様な圧力があった。

 それを飄々ひょうひょうと受け止めるルシフェルは、にこにこと笑みを絶やさない。腰に手を当てて「はーい」と了承し、静観の態勢だ。流石は古来より対立してきた二人というべきか、そのやり取りでさえ懐かしい馴染みを匂わせた。

 二人の静かな対立を見届けてか、帝王ローランドは一度溜息を吐き。次いで、シキの方へと顔を向けた。


「……シキ・イースレイター」


 本日、どれだけフルネームで呼ばれるのだろう。

 思いながら、シキは神妙に向き直った。


「……はい」

「汝を本日より、帝国直属の軍人に就任させよう。拒否権はないからの」


 厳かに言い放たれて、シキの背筋が伸びる。

 本来、天使使いは職業を縛られない。ただ一つ、有事の際に招集に応じるという約束さえ守られるならば、基本はどこにいても良いし、無職でも構わないのだ。

 しかし、シキには許されない。

 当然だ。天使ではなく、遥か昔に世界を陥れてきた魔王を召喚してしまったのだから。むしろこの程度で済んだのは、彼らの慈悲と言えるだろう。


「汝の実力は、先の武闘会を二回も優勝ということで十二分に知れておる。第一師団セラフィムに所属してもらおうぞ。上司はミカエル。あいつなら公平に扱ってくれるであろう」


 この程度というより、好待遇に過ぎた。

 第一師団といえば、帝国の精鋭中の精鋭の集まり。つまり出世街道まっしぐらコースのほぼ頂点である。ぽっと出の新人、しかも魔王使いである自分が反感を買いまくるのは目に見えていた。


「いやいやいやいや。おかしい。待って、無理。嫌だ。いや、身に余り過ぎる恩恵であり面倒、いや冗談じゃない、いや、あ、拒否したい、あ、うん、是非とも謹んで辞退させて頂きたく思います」

「……ずいぶんと取り繕うのが苦手の様だのう。無理して猫を被らなくて良いからの」


 呆れた様にフォローされた。

 確かに自分は村人AだかBに過ぎないし、今まで権力とは無縁の場所で生きてきた。あまり敬語を使う性格でもなかったから苦手ではあるが、それで良いのかと問いたくなる。想像していたよりもフランクな上層部に、シキは驚きよりも疲労が増した。


「正直、権力とか欲しくないし。身動きできなくなりそうで嫌だ」

「珍しいのう。まあ、分からなくもない。余も、お忍びで城下に行ったらすぐ見つかってなあ。エデンが一緒だと邪魔で邪魔で」

「……お忍び、するんだ」

「もちろんであろう! なのに、このボンクラ神が」

「ふ、仕方がないだろ。この隠しきれないオーラは、神だからこそ溢れ、零れ、こうばしく空気を濡らしてしまうのだからな!」

「あはは、翼出して無様に歩いてるからじゃないの? エデンは馬鹿だね!」

「なにおう!」

「おお魔王、よく分かっておるの。その通りなのだ……」

「おい!」


 またもコントが始まった。これで帝国の天敵同士の構図なのだから、恐れ入る。

 だが、裏を返せばシキの要望は通らないという証だ。

 まともにこちらに取り合わないということは、既に決定事項だから諦めろと言われているのと同義。他の者なら話がれただけと受け取るだろうが、シキは違う。

 彼らは、大事なことや余地がある場合は、茶化す会話の合間にきちんとやり取りを進めている。何とも面倒で食えない人物だと、嘆息せざるを得ない。

 仕方がない。シキは心の中だけで諦める。起こった事実は変えられない。ならば、腹を決めて交渉するだけだ。


「……じゃあ、一つだけ頼みがあるんだけど」


 尚も子供の口論を続ける彼らに、静かに一石を投じる。

 それだけで、三者三様の表情でこちらを見つめてきた。実に分かりやすい。


「オレは目的があって、加護儀式を受けにきた。その目的を認めてさえくれれば、責任を持ってオレは魔王を引き受ける。第一師団にも快く入る」


 約束する。

 静謐せいひつに、けれど強く結べば、帝王と神は表情を改めた。魔王だけは面白そうに、にこにこと満面の笑顔を咲かせている。


「聞こう。目的とは、何ぞや?」


 帝王が、心なしか楽しそうに目を細めた。口の端も少しだけ吊り上がっている。緩んでいたはずの空気が、凍った様に張り詰めた。

 ああ、やはり。この者達は油断ならない。見せかけなんて、何の判断材料にもならないのだ。

 そうだ。もう、引き返さない。


〝おにいちゃん、おかえりー!〟

〝おかえりー!〟


 自分の罪を取り繕っていた、上辺だけの人生に別れを告げる。



「オレの家族を殺した黒幕の調査と、その処理」

「―――――――」

「それさえ認めてくれれば、オレは帝国の犬になる」



 断言して、見据える。

 彼らは、自分よりも遥か上に立つ存在。立場としても、実力としても。その気になれば自分などアリを踏み潰す様に、簡単に殺せるだろう。

 実際、睨み合いは続いたが、彼らは睨んでいるつもりなど毛頭ないはずだ。こちらの気合を詰め込んだ視線は簡単にいなされ、涼しげに流されている。最初から勝負にすらなっていなかった。

 だが、ここで負けるわけにはいかない。ここまで実力の差がある相手に駆け引きが通じなくとも、気概きがいで負けたら本当に終わる。

 だからこそ、がむしゃらに真っ向から挑んでいると。


「……人道にもとる処理であるなら、構わぬが」


 考え抜いた末なのか、帝王が淡泊に譲歩してくる。

 どうやらこの提案には歩みどころがあるらしい。意外な様なそうでない様な、複雑な感情がシキの胸の底を埋めた。


「人道的かどうかの判断なんて、オレには無理だけど」

「要は復讐なのであろう? その手で――」

「復讐?」


 そんな単語が出てくるとは思わなかった。

 端的に聞き返せば、神や帝王は目をわずかにだが丸くした。ただ一人、魔王だけが「へえ」と弾んだ声で一歩、歩み寄る。


「そっかそっか。じゃあいいじゃない、エデン。認めてあげれば?」

「何故お前が許可するんだ! 引っ込んでろ!」

「えー、だって我が加護与えるんだし。やっぱり面白そうだから大人しくしているよ? はい、成立ー!」

「成立すな! いや、……くっ」


 悶絶しながら神がシキを睨みつけてくる。

 何故こちらに八つ当たりしてくるのだと静観していると、今度は帝王の背中をばしんと叩き付けた。「いったー!」と実に分かりやすい悲鳴が城内にかっ飛ぶ。


「分かった。僕は条件を呑む。この魔王を鎖につなげられるのなら異論はない」

「わんわん!」

「貴様! プライドはないのか、プライドは!」

「えー、だってそういうことなんでしょ? 鎖に繋がれるんだからいいじゃない! 頭固いね!」

「こい、つ。殴りたい」

「殴ればいいのにね!」

「ぐおっ……! おいローランド! お前はどうなんだ!」

「背中が痛いぞ……」

「おい!」


 ぎゃいぎゃいと最後までコントを繰り広げる御仁達だ。上に立つ者は常にマイペースでいなければ務まらないのかもしれない。シキはここにきて悟りを開いた。

 なので、悟りついでに今一番欲しい願いを口にする。


「じゃあ、帰ります」

「ふざけるな! 帰るな! このバカ魔王の世話を押し付けられるチャンスを逃すか!」

「あはは、ひどいね! ちゃーんと、定期的に馬鹿にしに来てあげるよ!」

「いらん! 帰れ!」

「……シキよ。貴様だけ帰るなどという都合の良い話がまかり通ると思うな。余が帰る」


 切実で一生のお願いと言っても良いほどの願いは通らなかった。悟りを開いても、どうにもならないことはある。

 だが、今までのやり取りで、最終的な結果も想像がついた。


「……まあ、余も特に異論はない。それに」


 背中をさすりながら、ちらりと帝王がシキを見据える。

 心の奥を暴く様な鋭さに一瞬怯みかけたが持ち直した。ここで引いたら負けだ。



「――余も、こやつの生き様を見てみたい」



 にっと口の端を吊り上げて裁断を下す。

 結果、自分の要望が通った瞬間だった。


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