第2話



『母さん、ただいま。優勝したよ』


 あの日、自分は家に帰って淡々と帝国の武闘会の結果を告げるつもりだった。

 その後の光景は目に浮かぶ。母は、「あらあら、すごいわねえ」とベッドの上でのんびり手を合わせ。弟や妹は、「おにいちゃんすごいや! つよいんだね!」と笑顔で飛びついてくる。

 いつものやり取り。素朴だけれど充実した日々だった。

 だから自分は淡々と、けれど少しだけ弾んだ心でその日、家路に就いたのだ。











 この世界には、大小様々な国が存在する。

 その中でも、全てを統べるほどに強大な権力を持っているのが、世界の中心セフィロト帝国である。

 帝王は代々全知全能の唯一神の加護を受け、その身果てるまでの永い時を神と、天使と、そして世界と共に在ることを約束するのだ。


 莫大なる権威と寿命を得る代わりに、帝国は世界を平定していく義務がある。


 その義務通り、人の社会が形成されてから約六千年もの間、この世界は一度を除いて、比較的平穏が保たれてきた。

 帝王を支えるのは、天使の軍団。



 そして、天使の加護を得て力を振るう人間、『天使使い』である。



 儀式を経て、晴れて天使の加護を得た者は、帝国より身分と暮らしの絶対を保障される。

 そのまま軍隊に入るもよし、流浪の旅に委ねるもよし。基本的に在り方は、個人の意思が尊重されるのも特徴であった。


 シキ・イースレイター。


 彼もまた、はるばる地方から天使の加護を受けにきた青年であった。

 これから意気揚々――はともかく、平凡に未来を歩ける。



 ――はずだった。











「おい、あいつ……」


 散歩しよう。

 思い立ってシキが動いた途端、ざわりと周囲が黒く波立った。またか、と思いながらも慣れたシキには風のささやきの様なものである。

 そうして人々や天使の黒き風を受けながら、透ける栗色の髪をなびかせつつ、シキは隣の漆黒の青年と共に帝国宮殿の渡り廊下を歩いた。

 かつん、と高らかに響く足音は高潔な匂いを漂わせ、見る者全てを惹き付ける。

 藍色の双眸そうぼうは澄み渡るほどの輝きを放って端麗な容貌にアクセントを加え、羽織る漆黒の軍人服も背の高いシキに合っており、一層の魅力をまとわせた。

 しかし、そんな評価はここでは正当には下されない。特に『自分達』が身に付ければ、恐ろしい汚点の象徴となる。


「あの漆黒の髪と瞳……噂の魔王だぜ」

「ああ。大戦時に、大量の天使と人間を操った挙句に殺し、世界を破滅の危機に落としたっていう……」

「おお……こわっ。黒い姿とか、まさにだな」


 隣の青年を目にして、周囲がひそひそと囁き合い始める。

 簡潔に当時の記録を復唱してくれるので、村で育った故にあまり世間の知識がないシキには逆にありがたかった。とはいえ、毎日聞かされ続けているので、そろそろ別の知識をくれと思わなくもないが。

 そして。



「……で、あれが魔王使いだろ?」



 矛先が、きっちりシキに向く。

 全員、すべからく暇である。


「あんな罪人呼び起こして、なにのうのうと歩いてんだよ」

「もしかして、誰かを人知れず殺してきたあとなんじゃ……」

「やめろよ! ただでさえ、この三ヶ月で失踪したとかいう噂が後絶たねえのに」

「早く死ね! 魔王ごと!」

「馬鹿! 天使様が言ってたぞ。ボロを出せばすぐ首切りだって。それを誘発させるのが先だ」

「その通り。我らは誇り高き天使。証拠なしに命は取れぬ」

「さすがは天使様だ。慈悲深い……」


 勝手なでっち上げをされ、最後は天使を褒め称えて終わる。

 これが日常。何という茶番だろうか。

 それに、何とも情けない者達だとシキは常々思う。

 陰で聞こえる様に悪口を叩くだけで、実際にこちらを何とかしようと仕掛けてきたことはない。正面切って喧嘩を吹っ掛けてくる輩の方が、よほど尊敬出来るというものだ。

 しかも。



「……知ってるか? あいつ、目から光線出すんだってよ」

「魔王パワーってやつか!?」

「違うだろ。俺が聞いたのは、声を発したら超音波が出て、あまりの音痴に人々だけでなく、虫までもが死滅するっていうぜ」

「マジか!」

「目を合わせるな! 耳もふさぐぞ!」



 ――よく分からない能力まで、尾ひれ背びれが付きまくって吹聴されている。



 どう考えてもでたらめな話なのだが、正常な判断が出来ずに目を隠したり耳を塞いだりする者までいる始末だ。自分をおとしめたいのか、ネタにしたいだけなのか、そろそろどちらかに振り切って欲しい。

 それに失踪の件に関しては明確な理由がうに判明している。里帰りや任務という真っ当な理由から始まり、豪遊して女に手を出し過ぎて雲隠れをしたというものから、挙句の果てには一人で美味しいものを独占した末に食中毒で寝込んだなどなど。

 知れば心底どうでも良い案件ばかりだったので、最初は気にかけていたシキも、三日で止めた。


 真実を、見極めようともしない。


 故に、彼らのくだらない評価はシキにとってはひどくどうでも良いことであるのだが、隣に立つ漆黒の青年にとっては反応そのものが新鮮らしい。「わー」と珍しそうに物見遊山だ。空いた手を愛想よく振ったりまでして、一種のアイドル気取りである。


「うわ! 魔王が手を振った!」

「魔法が飛んでくるぞ!」


 ざっと、一斉に防御術が張り巡らされる。いちいちご苦労なことだとシキは呆れた。

 もし魔王がひとたび本気で手を振れば、即座に街一帯が壊滅する様な魔法が飛んでくるというのは、おとぎ話上でしかない。――ということを、この三ヶ月でシキは嫌というほど付き合ってきたからだ。


「魔王使いめ……魔王を使って小癪こしゃくなっ」

「馬鹿! 喧嘩売るな! 殺されるぞ」

「あいつらの機嫌損ねるなよ。いつ反旗を翻して襲ってくるか分かったものじゃない」

「いやでも、それを狙わなければ……」


 怯えながら、負け犬の遠吠えの如くひそひそと遠巻きに好き勝手に言い放つ根性は、いっそ見事なものだ。自分には到底真似出来ない。


「誰か蹴りでも入れてくれれば、オレも訓練になるのに」


 勝手に喧嘩を売って、勝手に逃げ帰ってくれる。これほど楽なことはない。そろそろ三ヶ月も経つが、よく飽きないものだ。

 そう。三ヶ月。



 シキは晴れて天使使い――ではなく、魔王使いとして帝国の軍人に任命された。



 帝国に魔王が降臨したという事実は、当然あっという間に宮殿中に広まった。加えて、シキは魔王を呼び出した最重要危険人物と認定されてしまったため、必然的に軍隊に強制加入にもなった。監視のためである。

 しかし、処分がそれだけで済んだのは、ひとえに魔王ルシフェルが気まぐれに力を貸してくれると誓ってくれたからだ。

 本来なら魔王は神の天敵であり、人類に害を及ぼす存在。呼び出したシキごと葬られてもおかしくなかったのだが。


「いやー、すごいね! 水に油を落としたように、君から人が引いていくよ!」

「楽しそうだね、ルシフェル」

「まあね、他人事だし!」

「うん、いいけど。一応問題の中心にいるってわかって」

「あっはっは! 無理!」


 一事が万事、この調子である。

 本当に魔王なのかと問いかけたくなるくらいの奔放ほんぽうさだ。いや、魔王だからここまで自由気ままでいられるのかもしれない。

 どうして、こんなことになったのか。


 思いながら、シキは運命の三ヶ月前を思い起こす――。


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