第23話


「終わったか」


 皇帝の天幕に腰をかけながら、エデンは頬杖を突いて窓の外を見やる。

 実際に窓から外を覗いているわけではなかったが、何となく『見る』という行為をする時は、空に近い場所を目が追ってしまう。くせの様なものだった。


「ふむ。終わったの」


 対する皇帝は、読書の手を止めることなく相槌あいづちを打ってくる。

 神であるエデン直々に加護を与えているため、皇帝の視点も神と同じく全体に渡る。もちろん、全体を一度に『見る』のは脳の処理能力からしても無理な話だが、一点に集中すれば何処どこにいても一部始終を眺めることくらいなら可能だ。

 だから、あのシキという人物が今回の事件の黒幕を討ったところも見届けていただろう。その上で淡々と片付けるあたりは、多くの事件を見過ぎてきた悲しい『慣れ』が垣間見えて溜息を吐きたくなった。


「神とは不便だな」


 零す愚痴はしかし、無意味だ。世界を統べる神が全体を見渡すのは義務である。

 皇帝も加護を受けてから妙に老成してしまった。「不便だの」と気のない返事しかしてくれない。実に可愛げのない人物が皇帝になったものだ。

 世界を見渡し、不穏な空気のある場所に天使や神の意思を伝える者を派遣する。それが神の役目だ。直接人の争いごとに関わると、人は自らの力で解決する術を忘れる。故に間接的にしか、神も天使も関与は出来ない。



 だから、『天使使い』――天使のという形で人を派遣する形を取ることにしたのだ。



 長い年月の中で、天使の力を使用するから『天使使い』と優越感に浸っている者もいるが、本質を理解しない者はすぐに命を縮めて死ぬ。そういう仕組みにもなっていることを知らぬ者達は、東方で語る「知らぬが仏」というやつだ。

 過ぎた力は、身を滅ぼす。それは、堕天使から授かる力でも同じこと。

 世界を管理する神であるエデンは当然、今回の村の事件の発端も見通していた。シキの父親が一年前、堕天使の悪戯でよみがえり、――そして父親が逆に堕天使を力ごと喰らったところも。

 まれに、強き人の中には堕天使に取り込まれるのではなく、返り討ちにして喰らって自分のものとしてしまう者が存在する。



 シキの父親は死んだことを後悔し、生き返ったことも後悔した。

 そしてそれ以上に、愛する息子を傷付けたことを後悔した。



 その強い悔いの念をバネにして、その場で堕天使を取り込み、独り立ちしてしまったのだ。既に堕天使の『遣い』としての制御を離れてしまい、危険な存在ともなった。

 だが、あの父親は理解していた。喰らったとはいえ、人の身で元天使の力を振るえば、体の中の組織が少しずつ崩れていくことを。そして、使わなければ命を長らえさせられることも。

 理解していた。


 その上で、父はシキむすこを見守っていた。


 自分のプレゼントした万年筆を使用している姿を、こっそり涙を流しながら喜んだり、出稼ぎの先で人の輪に入ろうとしない彼を物陰から覗き込んで、「行け! 行くんだシキ! 何故! シキは良い子なのに、うわーん!」と涙ながらに地面を叩いていたりもした。


 ――何というか。堕天使の力に呑まれず、実にユニークに息子を見守っていたので、エデンはしばらく放置することにしたのだ。



 だがその結果、父は家族を殺してしまった。



 堕天使の力を初めて振るった時、理性が飛んだのだ。故に、力を制御出来なかった。

 発端は、シキが留守の時、父が家の中の様子も見守っていたことにある。

 そして見たのだ。子供二人に、妻が暴力を振るおうとしていた瞬間を。

 それを止めようとして――堕天使を取り込んだ後遺症と言うべきか。過ぎた力を剣に乗せて理性を飛ばし、気付けば三人は血塗ちまみれで倒れていた。

 自分を取り戻した父は、姿を消した。

 エデンが放置しなければ起こらなかった悲劇だ。シキには懺悔ざんげしてもしきれない過ちを犯した。


「無様だな」


 独りごちたエデンの懺悔は、皇帝には正しく伝わる。軽く溜息を吐かれた。腹立たしい。


「エデンは言っていたの。堕天使は、人と同じ。一度堕ちたとしても、やり直せる堕天使も稀にいると」

「……、それは」

「三千年以上前、ルシフェルはそれを見出した。堕天使の群れに降り立って、過ごすうち、堕天使にも様々な人種がいることを知った」


 悪事を働く堕天使が大勢いるのは事実。神や天使を裏切った者、血に狂喜を見出してしまった者、誘惑に悦楽を感じてしまった者、争いにこの上ない興奮を覚えてしまった者。

 人よりも力を持っているが故に、見過ごせない存在となった。だからこそ、当時は死に物狂いで討伐に乗り出したのだ。

 同胞をこの手で、はたまた上から指示を出して倒していく。

 徐々に心が摩耗まもうし、薄くなり、死んでいくエデンを親友であるルシフェルは救うために立ち上がってくれた。



〝我、魔王になるよ〟



 内側から力でねじ伏せ、自分に陶酔とうすいさせ、統率し。そして、一丸となってエデンを討ちにきたところを一網打尽にして、封印する。

 ルシフェルが考えた策は、エデンに残酷な決断をさせた。喧嘩をしても、ひるがえせなかった。


 彼は、そういう天使だった。


「人として生きていけそうな堕天使は、全部逃がした。あの腐れ縁は流石さすがだ。昔から、変にカリスマ性があったからな」

「変人にしか見えぬのにの」

「堕天使は、力が最上という考えもあったからな。ルシフェルは僕が知る限り、最強だ。彼には束になったって誰も敵わないだろう」


 今世界に散っている堕天使は、己の罪を懺悔し、ひっそりと人に紛れて生きる者が多い。

 もちろん封印し損ねた輩もそれなりにいるが、統率力を失った堕天使を討つのは容易かった。

 同時に、一番の親友も失ったけれど。


「ふん。相変わらず勝手な奴だ」


 シキが加護を受けにきた時は、正直驚いた。仇である父親を探したいと告げてきた時も。

 そして、加護を与えに来た存在が、かつての親友であり、封印を破ったルシフェルだったことは、エデンの動揺と慟哭どうこくを誘うには十二分に役目を果たした。

 つまり、ルシフェルにとっては、エデン達の封印などいつでも簡単に破れたのだろう。馬鹿にするのもいい加減にしろという話である。


「三千年、馬鹿にしながら僕を見ていたに違いない」

「笑ってばーかばーかと言っていそうだの」

「ローランドは少し、フォローを覚えろ!」

「嬉しいくせに。素直でないの」


 椅子の背もたれに寄りかかりながら、気のない返事を寄越す皇帝。

 だが、内容だけは的確で憎たらしい。権力や富をむさぼる前任者よりは遥かにマシだが、この皇帝は頭の回転が速すぎる上に生意気なので腹が立つ。


「僕、神なのに」

「知っておる。神であっても、心はある」

「……」

「間違えば余も、一緒に考えてやる」


 独りではない。


 簡素に、だが核心を突いてくる言葉はむず痒い。長年一人で踏ん張っていたエデンにとっては、素直に受け入れられない心遣いでもある。

 しかし。


「……そうか」

「そうだ」


 こういう感覚も、悪くないのかもしれない。今回の事件の発端の罪も、一緒に背負うと申し出てくれたことで、どれだけ救われたか。

 それに。


〝賭けをしようよ、エデン!〟


 任務中に勝手に帝国に戻り、また死人の村に出向く前。唐突にルシフェルは会いに来て、いきなりそんな風に賭け事を仕掛けてきた。

 結果的にエデンが勝ったが、実質ルシフェルの一人勝ちだろう。

 彼も恐らく見通していた。エデンが抱えている罪悪感を。

 つくづく自分の周囲には、おせっかいしかいない。――それが腹立たしくも、嬉しかった。


「本当、……僕は神なのに」


 救われてばかりだ。

 溜息交じりに呟いて、明日から始まるはずの騒がしい日常を想いつづった。











「以上。死人の村は堕天使の力の集まり。首謀者はシキが倒した。報告を終わる」


 事のあらましを、ミカエルは息継ぎもせずに一息で言い切り、目の前のガブリエルに解決を突き付けた。

 腕を組んで嫌そうに報告するなど上司に対する態度ではないのだが、眠る前に報告にきただけ感謝してもらいたい。正直、肉体よりも精神が疲労していて、すぐにでもベッドに沈み込みたかった。

 だというのに、対するガブリエルは「あらあらー」とのんびりゆったり両手を組んで、楽しそうに笑っていた。ゆらーんゆらーんと頭を軽く右に左に揺らす様は、思考に沈んでいるようでいて、単に揺らしたいだけだというのは長年の付き合いで心の底から理解している。今のミカエルには余計な時間であった。


「もういいだろ。俺は寝る」

「えー、ミィ君のお顔、せっかく見れたのにー。お茶でも飲んでいって?」

「ウリエルのお茶なんぞ飲みたくねえよ」

「まあー。ウリエル君のお茶は、美味しいのよー? わたくしもー、眠気が吹っ飛んじゃうのー」

「今俺は、寝たいんだよ。邪魔すんな」


 ねー、と仲良く手を合わせる幼馴染と横の男性に、ミカエルは苛立ちしか覚えない。

 ウリエルは口数はあまり多くはないのだが、いつもにこにこからかう様な表情をする。飄々ひょうひょうとしながら自分を見てきて気に食わないのだ。格好の玩具おもちゃを見つけた目をしている気がして、異常に疲労も蓄積する。関わりたくはなかった。


「もーう、仕方がないわねー」

「じゃあな。俺は」

「ねーえ、ミィ君」

「何だよ」


 こちらのことなどお構いなしに、ガブリエルは臆せず言葉を重ねる。

 それにいちいち付き合う自分も自分だと、何だか悲しくなってきた。律儀で真面目だと言われる所以ゆえんである。


「ねーえ、ルシ兄様のことなんだけどー」

「いいのかよ、兄様なんて言って。総司令官が」

「何かー、気付いたことって、あったー?」

「……」


 言葉を飲み込む。空気が急に冷え込んで、ぴしっと亀裂が走った。

 同時にどくりと、心臓が大きく跳ねそうになるのをミカエルは根限りに自制した。我ながら、取り繕うことにも慣れたと別の意味で悲しくなる。


「……気付いたこと?」

「そうー。だって魔王なのよー? 弱点とかー、他にもー、色々ー?」

「疑問形かよ」


 のらりくらりと揺れる言葉は、鋭い観察力を覆い隠すための鎧だと知っている。もしかしたら彼女は、既に何かを掴んでいるのかもしれない。

 ミカエルは何も気付けなかった。シキの羽が、金色に輝くのを目の当たりにするまで。



 兄は、どうして堕ちたのか。何故魔王となったのか。



 神が嫌いになったとか。自分が神になりたかったとか。誰かにたぶらかされたとか。元々破壊衝動があったとか。

 当時は表面的な憶測しか飛ばず、最後まで知らず仕舞いだった。

 だが、何かあったのかもしれない。誰に何を言われようと、最後まで信じれば良かったのかもしれない。

 もう全てが、遅いのかもしれないけれど。


「……俺も知りてえよ」

「えー?」

「何かあるんなら。俺の方が、知りたい」


 言い捨ててきびすを返す。「ミィ君」という呼びかけには、もう応じなかった。

 扉をくぐって、乱雑に閉める。大きく閉まる音はまるで何かを封じる様に響いた。


「……シキ、か」


 かつての自分。

 かつてとは異なる自分。

 今、兄の加護を受けて、一つの壁を乗り越えた人物。


 ここから、何かをまた始められるだろうか。一日が、どんな時でも規則正しく朝を迎える様に。

 思いふけっていると、不意に横顔に微かな燐光りんこうが当たった。眩しさを感じて目を細め、つられる様に顔をそちらに向ける。


「……黎明れいめい


 ささやく合間にも、廊下に差し込む光は徐々に強くなってきた。眠る街並みを照らし、目覚めを告げながら、静まる空の色を端から金に塗り変えていく。



 兄が神から授かった意味も、確か夜明けであった。



 何が終わろうとも、どれだけ絶望してどん底に叩き落とされようとも、また等しく始まりを与え、前に進む力を授ける。

 今もそうであったのなら、弟として認めたくはないが――誇りでもある。


「もう少し、……」


 立場上は警戒を。

 けれどその中にも、少しは交流を求めても良いだろうか。

 いつか、兄が全てを話してくれるまで。



 今度こそ、己が求める本当の想いを添い遂げても良いだろうか。



 一度、息を吐き出して、ミカエルは真っ直ぐに顔を上げてその日の一歩を踏み出した。


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