第21話
外に出た瞬間、ひゅっと風を切る音がシキの首元に迫った。
それを一歩左に避け、
「ぎいいいああああああああああああっ!」
人間ではない叫び声を上げながら、夜の闇を背負って黒い影が束になって飛び出してくる。それをもう一振りの剣で
「――ごめん」
元は、何の罪もない村人。
だからこそ一言落としてから、一気に胴を裂く。
くぐもった
そして、一刻が経った頃だろうか。
剣を振るい、炎を走らせ、轟音と共に天高く火柱を吹き荒らしながら、ミカエルが肩を
「キリがないな。親玉を潰さないと、無限に湧くぞ」
「え、どうして?」
母や弟達の様に堕天使や力が憑依したというのなら、死体だろうがこの村には限りがあるはずだ。切り捨てていけば、いつかは相手の手駒が尽きる。今までの討伐もそうだった。母から受けた傷が激しく痛んでいたが、尽きるという希望があればこそ持たせることが出来たのだ。
しかし、それは甘いだった考えらしい。
「お前が討伐してきた任務は、単純なもんしかなかったんだよ。堕天使が人間を操ってっていう一つの手法しか無い奴なら、所詮は下位。限界がある。だが、今回の奴は死体に力を憑依させてゾンビにするくらいの力がある。つまり、駒は人じゃなくたっていいんだ」
「……人じゃ、なくても」
「動物だろうが草木だろうが構わないってことだ。もっと上級の奴なら風だって操れるだろうよ」
風を相手にしなければならないこともある。
それに対して、シキは
一人、また一人と足元にひれ伏しては消えていく中で、それでも一向に攻撃の嵐は止むこともなく。事実、無限に湧いて出てくる状況にシキが焦燥を抱き始めた頃。
「仕方ないね! ミィ、アリシス、ここ任せてもいいかい?」
「……道作ればいいのか」
「いいよー! シキ君がやっつけなきゃ駄目だもんねー!」
三人だけで納得して、あっという間に計画は立てられてしまった。
置いて行かれたシキが、途方に暮れてルシフェルを見上げると。
「はいはい、シキ。よそ見は駄目だよ!」
鈍い音が背中で上がる。怪物の様な呻き声と共に、地面に崩れ落ちる気配を嗅ぎ取った。
ばちっと手元で火花を散らせながら、ルシフェルは不敵に微笑んで一点の場所を指差す。その先を見据えて、ようやくシキも意図するところを飲み込んだ。
「行くよ、シキ。もう我、この戦い飽きちゃったし!」
「……、ルシフェル」
「ちゃーんと力は貸してあげる。君、もう虫の息だしね!」
先程の致命傷と今の戦闘で、既に限界が近付いていることもお見通しらしい。
力を使いたがらなかったルシフェルが、シキのために決意してくれた。応えなければならない。
静かに腹を決めると同時に、ふわっと、体の中が急激に舞い上がる様な浮遊感に襲われた。
「――っ」
背中が焼ける様に熱くなる。耐えている内に、羽ばたく音が空中に広がりながら響き渡った。
力が全身に満ちる。ルシフェルの力の息吹が、ゆっくりと、しかし染みる様に体中に巡っていき。
――ばさりっ。
足元が浮くと同時に、輝く羽ばたきが
それが、合図だった。ルシフェルが厳かに、
「――
途端。
轟音を立てて光の風が夜空を駆け上がる。巻き上がりながら爆ぜ、踊り、歌う様に
「この世は等しく、光に満ちる。
裂けた割れ目は、次々と笑いながら口を開く。
空を裂き、薙ぎ、無数の割れ目はやがて一つの集合体となって夜空を
あれほど不気味に色濃く落ちていた夜は、もはや存在しない。空には
そして。
希望を導く夜明けの太陽から、光の刃が雨の様に降り注ぐ。
浴びた端から影は溶け去り、断末魔も上げることなく
およそ村の半分が斑状になりながら黄金色に焼け焦げた時、シキを見上げていたミカエルが我に返って凝視してきた。
彼の体は
「……っ、おいっ。待てよ、クズ魔王」
ルシフェルは珍しく振り返らない。シキは一気に力を使った反動から、息を整えることで精一杯だ。
それでも背中でばさりと羽を動かして、何とか無様に空から落ちない様に注意を払う。
「何でだ。お前、魔王になったんだろ」
「そうだよ」
「じゃあ、何で、……何でっ! 羽が光に満ちている!」
ばさりと、もう一度シキが羽ばたく。その振動で、一枚の羽が軽やかに空を滑っていった。
その羽は楽しそうに風に乗って、糸を引きながら淡い金色に輝いている。束縛から解放された様に自由を満喫し、くるくる回りながら空中を踊り、やがて発光の中に溶けていった。
天使使いは力を解放する時、背中に加護天使特有の羽を生やす。それは当然魔王にだって適用されるのだ。
そしてシキの背中には今、魔王ルシフェルの力を一身に受けて応えるために、羽が十二枚生えていた。
その羽は、神さえも一瞬目を細めそうなほどの強烈な眩さ。
「えー、だって我、元天使だもん! シキの羽が金色だって不思議じゃないよ!」
「ふざけるなっ。堕天使から力を借りた奴は、総じて羽が黒い! なのに何故、シキの羽は違う!」
「えー、知らないよ。それに我の羽、事実黒いしね!」
「誤魔化すな! ……おい、シキっ!」
怒鳴りながら見上げてくるミカエルの瞳は炎で燃えていた。怒りで燃え盛り、憤りを覚えながらも揺らいでいた。
きっと、彼はこの三千年、苦悩し続けていたに違いない。
兄は堕ちた。その兄を討たなければならなかった状況。
もしかしたら彼は、世界が敵に回ったとしても兄に味方したかったのかもしれない。
けれど、それは許されない。
彼は正義の象徴。神の炎を操りあらゆる闇を浄化する。
自分まで堕ちるわけにはいかないと、必死に踏み止まってきたのかもしれない。
それは全てシキの想像だ。実際の彼の胸中など計り知れない。
ルシフェルは、誰かの前でシキが彼の力を振るうことを快く思ってはいなかった。この反応が想定内だったからなのだろう。
ならば、シキから言うことは何もない。
「将軍、オレには分かりません」
「……っ、そんなはず」
「ルシフェルなら、きっと。言わなければならないことは、自分の口から話します」
「――――――――」
「だから今は、集中させて下さい。――オレに、父を討たせて下さい」
お願いします。
静かに、穏やかに、シキは請う。ミカエルは
「……ちいっ」
想像通り、彼は顔を歪めながら足を強く踏み鳴らす。その振動はたちまち地上を駆け抜け、地割れを起こしながら荒れ狂う炎を吹き荒らした。
それは、神の炎の如く。
逆巻きながら天高く噴き上がり、一帯を金色に染め上げて闇を、枯れた草木を、果てた大地を撫ぜながら浄化していく。
道は開けた。
真っ直ぐに走る一本の道は、津波が割れた様な炎の壁で護られている。勢いは一向に衰えることはなく、しばらくは塞がらないだろう。
「行け」
「……、将軍」
「今は見逃してやる。……朝までには片を付けたい」
だから行け。
宣言と同時に、ミカエルは背中から己の力を解放した。眩い閃光と共に、太陽の様な黄金色の翼が夜空に広がる。
そのまま、ミカエルは更に炎を振るう。蛇の様にのたうちながら、鳥の如く羽ばたきながら、炎は自由自在に姿を変えて影を食らい尽くしていった。その隣ではアリシスが鎌を飛ばし、舞い、踊る様に宙を蹴っている。
彼女の背中には、六枚の羽。ルシフェルから借りたシキの羽と同じ色。金色に輝きながら空を飛び回っていた。
天使の羽は大抵純白だ。金に輝くのは希少である。まさしく彼とルシフェルの血が
「……ルシフェル」
「別にいいよ。死にかけた今の君じゃ、力与えないと本当に死んじゃいそうだからね!」
あははーと笑いながら、それでもルシフェルはシキに力を注ぎこんでくれていた。
加減はしているだろう。今のシキは、先程の致命傷からほとんど回復していない。傷は塞がっただけなのだ。動ける程度の力を分け与えてはくれているが、それ以上の負荷がかかれば耐え切れずに組織が破壊し、寿命は一気に縮まるだろう。
そういった配慮を自然と行ってくれている。ルシフェルは魔王らしいが、やはり天使なのだと確信した。
「あ、でもオトウサンとの戦闘には一切手を出さないからね! 例え死んでも、我、何もしないから!」
「ああ、うん」
「……きちんと、自分で決着をつけておいで」
――さあ、行くよ。
ルシフェルは我先にと、言うが早いが割れた道を低く滑走する。炎を横目にしながら「腕を上げたね」と小さく
だが、感傷に浸る暇などない。
遅れてシキも翼を
烈火の壁の上から飛びかかろうと待機していた群れは、しかしミカエルの炎が躍ることで撃ち落とされる。シキとルシフェルを援護するべく繰り出された炎は、時が経つにつれて更に神々しさを増していき、天より与えられし光の雨の如く降り注いだ。
邪魔者は排除され、余分な労力を削られることなくシキは目的地へと辿り着く。
炎の道の終焉に、求める人物は佇んでいた。
村を襲撃されたことに腹を立てるでもなく、諦めるでもない。ただただ
一歩、シキは勇気を踏み出す。
ルシフェルは一度羽ばたき、近くの大木に腰をかけた。本気で高みの見物のつもりらしい。
だからこそ。シキは自分の力で――勇気を振り絞って、父に会いに行ける。
「やあ、こんばんは」
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