第11話


『天歴5875年  シキ・イースレイター

 今日は、死人が集まる村に辿り着いた。


 そこにいたのは、自分の家族。そして、父は自分に関する記憶を抹消していた。


 当然だと思う。本当は彼も、自分のことなどさっさと忘れてしまいたかっただろう。

 例え、「父親だから」とはにかんでくれても、負の感情は消えない。

 そして最終的に、自分のせいで彼は死んだ。

 これで良かったのだ。きっと、気持ちを伝えることもできないだろう。

 だから、後は自分の最初にやりたかったことを確かめるだけだ。


 ――本当に。家族を殺したのは』






「それは、日記かな?」

「――――――――」


 いきなり頭上から声が降ってきた。油断していた自分に叱咤しったしながら、シキは急いで顔を上げる。

 傍でにこにこ優しく笑っていたのは、村長である父だった。ふにゃっと笑みを崩すくせは、昔から変わらない。

 記憶などないくせに、仕草だけ変化が無いのは卑怯だ。苦しくて、知らず指が机の表面を引っいた。


「はい。……趣味、みたいなもので」

「そう。色々書く内容があるってことだね。充実しているんだね」


 にこにこ笑いながら、あろうことか隣に腰をかけてきた。

 内心で飛び上がりながら、シキは恨めしく台所を見やる。

 先程、夕食の準備を手伝おうとしたら、母達が「疲れているんだから」とこぞって断ってきたので、大人しく引き下がってしまったのだ。それが間違いだった。

 他に助けを求めようにも、誰もいない。ルシフェル達も好き勝手に村を見回ったり、家の中を物色していたりで、ここにはいないからだ。結局、アリシスに『男の娘事件』の謝罪も出来ないままだし、色々沈みそうである。


 そもそも、何故父がこの家にいるのだろう。


 不思議に思っていると見透かされたのか、父は笑いながら種明かしをしてくれた。


「お肉を届けにきたんだよ」

「……、お、肉」

「そう。メリナさんは、いつもシキ君が帰ってきた日はご馳走にするって言うからね。張り切って、牛も豚も鳥も馬もバラエティ豊かに用意してみたよ」


 気に入ってくれると良いんだけど、と頬を掻きながら笑う父に、シキは居た堪れなくなった。なるべく不自然にならない様に、視線を外して唇を噛む。

 いつもそうだ。シキの心の中を読んでいるかの様に、父は会話をつないでいく。思っていることの半分も上手に表現出来ない自分とも、穏やかに、柔らかい空気と共に会話を成立させるのだ。

 淡々としか返事が出来ない自分相手に、それでも楽しそうに話をする父が不思議で仕方が無かった。

 そう。

 どうして父は、いつも笑顔で自分に――。



「その万年筆の色、綺麗だね」

「……っ」



 どきり、と心臓が鋭く痛む。

 まさか張本人に指摘されるとは思いも寄らなかった。本当に記憶がないのだと逆に思い知らされて、心の鉛が更にごとりと重く転がる。

 だが、返事をしないのは失礼だ。

 どうしたものかと思案したが、結局感謝を伝えることしか思いつかなかった。


「あ、ありがとうございます」

「よく見ると、君の瞳と同じ色だね」


 どうしてそこを指摘するのか。

 無遠慮に、彼の言葉が心臓を直接かき混ぜて乱してくる。泣きたくなる自分に驚きつつも、事実を話すしかなかった。



「その、えっと。誕生日プレゼント、なんです」

「へえ、……誰から?」

「だ、れ。えっと、……大切な、人から」

「――――――――」



 いつも以上に片言かたことになる。緊張して上手く言葉が紡げない。

 その上、一瞬変な空気が二人の間に流れた。糸が張り詰め、更に居心地を悪くする。恥も外聞もかなぐり捨てて、今すぐ椅子を蹴って逃げ出したかった。


「大切な人から、なんだ」

「……、はい。……」


 もっとも、その人が自分をどう思っていたのかはもう闇の中だ。永遠に答えを知ることは出来ないだろう。父は死んでしまったし、今は記憶さえ抜け落ちている。


 急に、会話が途切れる。


 自分は変なことを口走っただろうか。昔ならば心地良かったこの沈黙も、今では痛くてたまらない。

 駄目だ。苦しい。辛い。

 どうしてこんな風に自分は追い詰められているのか。自分が、結果的にこの人を死なせてしまったからだろうか。


〝君が生きているせいで〟


 自分が、この人を。


「シキ君――」

「――――――――」


 ふ、と頭の上に気配が近付く。腕を上げた父の姿が横目に映って、シキは身動き出来なくなった。

 駄目だ。苦しい。自分に、そんな資格はない。

 だって。何故なら。


〝君さえ死ねば〟


 自分は。



「おい、シキ」

「――っ」



 低く落ち着いた声が、父とシキの合間に割って入る。

 は、っと一度息が切れたのは、果たしてどちらのものだったのか。認識すると同時に、頭上に近付いていた温もりも遠ざかる。


「ミカエル将軍」

「そこの本棚を物色したい。付き合え」


 何て乱暴な命令か。

 それでも助かったことに変わりはない。分かりましたと、一も二もなく頷いて席を立つ。他人の家で勝手に物を触らないというミカエルの律儀さにも敬意を払いたかった。


「じゃあ、と、……村長。また」

「……うん。またね、シキ君」


 席を立ちながら別れを告げる父の笑顔は、もういつも通りだった。あの息苦しい流れも感じられない。遠ざかる背中に未練はなく、微かな淋しさが胸をぎる。

 過ぎってから、頭を振った。

 自分は何かを期待していたのだろうか。可能性が頭をかすめて、シキは自分に絶望する。



 何て浅ましいのか、と。



「……何、話してたんだ」


 沈み込みそうになる気持ちは、しかしすぐに引き上げられた。ぶっきら棒な声に、不思議と安心する。

 しかし、考えてみれば、ミカエルと二人で話をするのは初めてだ。

 帝国で鉢合わせる時は、いつも彼の隣にはアリシスがいた。本当の意味で二人っきりという場面には出くわしたことがない。

 偶然とはいえ、通常ならありえない組み合わせに、今度は別の意味で緊張が走った。


「日記のことと、……この、万年筆のことを」

「ふん。記憶はなくても、気にはなるんだな」


 率直に切り捨てたミカエルの言葉には飾りが無い。痛快な風は、今のシキにとって好ましい。

 しかし、疑問が残る。


「あの、将軍」

「何だ」

「堕天使に取り込まれたら、記憶もなくなるんですか」


 何しろ初めてのことだらけの任務だ。結局、アリシスから堕天使が人を操る時の二パターンの詳細も聞きそびれてしまっている。

 だからこその質問に、ミカエルは一瞬考え込んでから、父が去った方角を見やった。


「様々だな。堕天使の中には、死んだ人間を生き返らせて人形として操るだけの奴もいれば、生前と同じ様に生活させて、裏で糸を引く奴もいる。記憶の再生は、それこそ堕天使の能力次第だ。……まあ、父親だけがお前のことを忘れているってのも奇妙だが」


 言いながら、ミカエルは本棚の背表紙を視線でなぞっていく。

 ほう、と感心した溜息を吐いた後に、苦虫を噛み潰した様に口の端を曲げた。


「剣術の本と絵本が、丁度半分ずつ埋まってるな」

「ああ、それですか。剣術も絵本も父さんのです」

「どっちもかよ」

「はい。絵本は、主にオレたちに読み聞かせるためにあって」

「あ?」

「父さん、絵本大好きで。『ほら、おいでー』って嬉しそうに手招きして、毎晩絵本を読み聞かせてくれていたんです。五年前まで、家にいる間はずっとそれが習慣でした」


 今思えば、親子のコミュニケーションの意味もあったのかもしれない。

 ハルやミリーはともかく、シキは剣の稽古けいこ以外では、なかなか父に話しかけるキッカケが掴めなかった。それを解消するために、父が場を用意してくれていたのだろう。

 懐かしい。今更になって意図に気付くのは複雑だったが、子供じみたその時間はシキの楽しみでもあった。


「……随分ずいぶん変わった父親だな」

「そうかもしれません。……でも、オレにとってはたった一人の父親でした」


 例え、血のつながりは無くても。


 ささやく様に付け加えたら、ミカエルの空気がわずかに変わった。

 言うつもりはなかったのだが、自然と零れてしまったのは何故だろう。父に会ってしまったからだろうか。

 胸をしぼり取られる様な痛みを逃したくて、とつとつと語っていく。


「オレの本当の父親は、母さんがオレを身籠みごもった時に亡くなったそうです」


 女好きで、村でも村の外でも人気者だったという。

 あちこちに彼女がいて、渡り歩いて、いつも母を泣かせていたそうだ。結婚したのが不思議なくらいだと、当時の村では噂にもなっていたそうだ。

 そんなある日、母が子供が出来たと告げた。父親は驚いた顔をした後、姿を消した。

 そして一週間後、崖の下で死んでいたのを発見されたという。


「子供に怖気おじけづいて逃げたとも、女に恨まれて殺されたとも、母を好きな男に殺されたとも。色々噂は立ったらしいけど、真相は謎のままだそうです」

「……」

「五歳の頃に、父が来ました。その五年後くらいに、父がハルとミリーを連れてきたんです。戦災孤児、だそうで」

「あの子供も血が繋がっていないのか」

「はい。すぐ懐いてくれて、可愛かったです」


 初めて会った時の二人は、今と違って無表情だった。

 それでも最初から「兄」と呼んで、徐々に自分に懐いてくれる様になったのだ。いつでも「にいちゃん」「おにいちゃん」と懐いてくれる二人を、全力で守りたいと誓いを立てたことは今でも忘れてなどいない。


 結局、守れないまま終わってしまったけれど。


「……どうして、父親がお前のところに?」

「隣の老人とか村長からオレの両親の話を聞いて、だそうです。元、母さんが好きな人の一人だったそうですよ」

「お前の母さん、モテるな」

「はい。そうらしいですね」


 事実だから、特に謙遜けんそんはしない。

 母は実際、シキが子供の時にも寄ってくる男がいた。父が笑顔で蹴り飛ばしていた光景も見慣れたものだった。そんな姿に憧れたのも懐かしい。


「父さんは、いつもオレのことを気にかけてくれていました。剣を教えてくれた喜びも、頭を撫でる温もりも、子供として抱き締めてくれる優しさも、全部父がいなければ知らなかったことです」

「……、父親が」

「はい。だから」


 そこまで続けて言葉を切る。

 その先は続けられなかった。恩を仇で返したなど、知られたくもなかった。

 それだけ良くしてくれていた。血が繋がっていない自分を可愛がって、大切に育ててくれた。

 なのに、自分に出来たのは。


〝君さえ〟


 追い詰めて、――。



「……お前は、父親のことになると感情が強く表に出るな」



 底なし沼に沈みかけたところを、またすくい上げられる。

 横を見ると、ミカエルは本棚を見据えたまま静かに何かを思案していた。その佇まいはひどく静謐せいひつで、澄み切った泉の波立たぬ水面みなもを思わせる。


「この三ヶ月、時々しか会話はしなかったが。いつも淡々としていて、感情が無いのかと思っていた」

「いえ、ありますけど」

「どんなに罵倒されても顔色一つ変えない。やられたら、無表情のままパンチ。あのクズ魔王のテンションにも眉一つ動かさずに淡泊に返す」

「将軍は、ルシフェルのことになると感情が強く出ますからね」

「それは錯覚だ。忘れろ。消せ。むしろ存在を抹消しろ」


 静かな水面が波立った。

 やはり良くも悪くも、ミカエルにとってルシフェルは無視出来ない存在なのだろう。兄弟らしい。微笑ましかった。


「……まあ、とにかく。人間らしい一面が見れた」

「はあ」

「無理はするな」


 言い捨てて、ミカエルはきびすを返して本棚に背を向ける。すたすたと早足で歩いて行ってしまい、止める間も無かった。

 一体何の用事だったのだろう。父との交流に戸惑っていた自分に、助け船を出してくれたということだろうか。

 とにかく、気にかけてくれたらしいという事実だけは認識して、シキは頭を下げる。その後、もう一度本棚を振り返った。

 並ぶ背表紙には、優しい童話が仲良く並んでいた。父の選ぶ絵本はいつも優しい世界に満ちあふれていて、どんなに苦しくても最後は幸せになれる。そんな内容が多かった。



 ――現実も、そんな終わり方を選べれば良かったのに。



 また暗い思考に片足を突っ込みかけて、シキは戻ることも沈むことも出来ないまま、しばらく立ち往生する羽目に陥った。


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