第10話
「ええっと、……君は、誰かな?」
「――――――――」
父が、父の顔のまま、自分を知らないと拒絶する。
「……え」
予想すらしていなかった反応に、思わずシキは絶句した。合わせて思考も止まる。
もし会えたなら、何て声をかけようか。
ずっと前から用意していたはずの言葉が、この一言で全て吹っ飛んだ。
「まあ、シキったら。確かに、物心付く前にお父さんは死んでしまったけれど……いくら何でも失礼よ。ねえ?」
慌てて否定しながらも、母の頬がうっすら桜色に染まっている。片手を頬に当てて首を傾げる様は、本当に可愛らしい少女だ。
まんざらでも無いらしい反応に、父も困った様に
「あはは。まあ、僕はお父さんでも構わないけどね。もしかして、君がシキ君かな」
「え、……あ」
上手く言葉が出てこない。
情報を引き出す絶好の機会だというのに、何を言って良いのか――否。何を話したかったのかも思い出せなくなった。
会うことなど叶わない。もう二度と話せない。
分かっていた。理解していた。死んだのだから。
だけど、――もし。
万が一、何かが、神様でも魔王でも何でも奇跡を起こしてくれて会えたならば、今度こそ伝えるのだと決めていた。万が一だって起こらないことは分かっていたが、それでも願いを抱かずにはいられなかった。
何故なら。
〝――母さん? ……ハル、ミリー?〟
あの日。血だまりの家の中で、転がっていた
〝……どう、して〟
躯の傷跡を見つめた時に確信した。
その跡は、確かに――。
「えーと、シキ君?」
呼ばれる声が懐かしい。五年前まではいつも聞いていた優しい響きだ。
なのに、違う。
別人だと、彼は言う。自分のことなど初めから知らなかったのだと。
何故。どうして。三人は自分を覚えてくれているのに。
どうして。
〝君さえ〟
――この人だけ。
「……、え、と」
「はーいはいはい、彼がシキだよ! 初めまして、オトウサン!」
ぐわしっと
重苦しい塊を遠慮なく蹴り飛ばされた感覚に陥った。風が吹き抜けた様に心が涼やかになる。
「? ええっと、君は?」
「我? 我はシキのパートナーでルシフェルさ! この、暗いんだかクールなんだかお茶目なんだかよく分からない奴のパートナーなんて、世界で我しかなれないね! さっすが我! 愛してる!」
「何をだ」
「もちろんミィをだよ!」
「死ね」
ミカエルのツッコミは相変わらずで、ルシフェルのボケも通常運転だ。
なのに、それを楽しむ余裕もない。音が端から端へと止め
こんなにゆとりが無くなるなんて、誰が予想しただろう。自分自身この人に再び出会って、何がここまでショックだったのか。理由が分からない。
「でもさ、オトウサン不思議だね! シキが帝国の軍人に就任したことは知っていたのに、シキのことは知らなかったんだね!」
「――――」
一瞬父の動作が止まる。
だが、すぐに微笑んで頷いた。こんな矛盾にも気付けなかったなんてと、別の意味でシキが驚愕したのは内緒だ。
「ああ、僕の知り合いに軍人がいてね。最近シキという『変わり者』の男性が軍人になったって聞いて。メリナさんから、耳にタコが出来るほどシキ君のことは聞いていたしね」
「ふーん、それだけ?」
「……そうだよ、それだけ」
にっこりと笑う父。
その笑顔は相変わらず優しげだったが、先程までとは違い、有無を言わさぬ迫力がある。
シキに剣の手ほどきをしてくれていた時と同じ覇気に、別人ではなく本物なのだと思い知らされた。
そう。本物の――死者なのだ。
ここにいる村の者、全員。彼らは、父は、死んでいる。
「ところでオカアサン。我ら、今日泊まるところがないんだけど。泊めてくれるかい?」
くるんと母に振り返るルシフェルも、父に負けず劣らず満面の笑顔だ。
話を打ち切ったというよりは、
「あらまあ。シキの上司でしたらもちろんですわ。どうぞ、大したおもてなしはできませんけれど」
「やった! じゃあお世話になるよ! シキ、良かったね! マザコンだもんね!」
「マザコンじゃない」
「またまたー。シキの照れ屋さん!」
「照れ屋でもない。ルシフェルの方が照れ屋だと思う」
「えー? 我ほど素直にあけすけに物を言うやついないけどね! シキの目は節穴だね!」
納得いかないと、ぶーぶー唇を
――本当に助かった。
これ以上父と話していたら、
なのに父の視線は、何故かまだ自分に
意味が分からない。自分を知らないと言ったくせに、それでも何か感じる要素があるのだろうか。
けれど、これ以上は無理だ。胸が悲鳴を上げて、ばらばらになりそうで息苦しい。
だから、逃げる様に家に入ろうとしたのだが。
「……」
じーっと、ハルとミリーがシキ――ではなく、ルシフェル達を見ていることに気付く。
笑うでも怯えるでもなく、ただ淡々と真っ直ぐに彼らを凝視していた。
観察している様な仕草に、シキは内心冷や汗をかく。ルシフェル達は、人間と言うには少し
「ハル、ミリー。彼らがどうかした?」
「うん」
即答。
一度死んで、何かを見透かす力でも備わったのだろうか。堕天使が関わっているなら尚更だ。
「ええっと、ハル。どういうこと?」
「ねえ、おにいちゃんたち」
「何だい? 我を指名するとは、見どころがあるね!」
「……何だ?」
ルシフェルはともかく、ミカエルもなるべく柔らかい響きを意識して話している様だ。案外気遣い屋さんだと、シキは意外な一面に感嘆した。
「おにいちゃんたち、シキにいちゃんのおともだち?」
「おともだちー?」
「……」
答えに
友と呼ぶにはおこがましい。
だが、ミカエルは
「そうだ」
「ほんと!?」
「やったー! よかったね、シキおにいちゃん!」
きゃいきゃいと
母が、「まあこの子たちったら」と少し困った様に頭を下げているのには、ミカエルが手を振って制する。彼は普段、アリシスやルシフェルと漫才を繰り広げているだけだが、やはり上に立つ存在なのだと尊敬の念を抱いた。
しかし、次の子供二人の言葉に、シキの高ぶった心は見事叩き落された。
「シキにいちゃん、今までともだちいなかったもんね!」
「おめでとう、おにいちゃん!」
かくん、と空気が
「あっはっは! シキ、やっぱり友人いなかったんだ! 弟たちにまで心配されてれば世話ないね!」
「お前、はっきり言うな……少しはフォローしてやれ」
「えへへー、シキ君、孤高の存在って感じだもんねー。うんうん、カッコいいよー!」
「……フォロー、ありがとう」
大爆笑するルシフェルはともかく、ミカエルも無意識に賛同してきて胸が痛い。
確かに、昔は友人と呼べる人間が出来そうな時もあったが、結局離れて行ってしまった。自分に見切りをつけていったのだろう。
〝俺、お前の友人やるの――〟
「……」
はっきり言われたのだ。疑いようもない。
元々、自分は人に合わせるということが苦手な様だ。話しにくい空気なのだろうと分析はしていたから、そのことに関してダメージはなかった。
しかし、弟や妹まで心配していたとなると話は別だ。頼りない兄ですまないと、心の中だけで謝罪する。
――が。
「えー、ちがうよー」
「ちがうよー」
ぶんぶんと首を振って、二人が否定する。
おや、とルシフェルが面白そうに瞬いたのを契機に、三人が弟達に注目した。
「シキにいちゃん、本当はおともだち、いたんだよ」
「できるはずだったんだよー」
「――――――――」
不思議な文言だった。
いた。出来るはずだった。
出来そうだった、ではないのか。
何となく意図が
「おねえちゃん! ちょっとしゃがんで!」
「しゃがんでー!」
「えー、なになに? 今度はあたし?」
何かな何かなー、と楽しそうにしゃがんで二人に耳を貸すアリシス。
その耳に、二人が何事かを告げる。並ぶと彼女も子供みたいだ。可愛い光景である。
そうして、何かを告げられたアリシスは。
「――ええええええええ!?」
ぼぼん、と真っ赤に大爆発した。
顔だけでなく、肌という肌が全て隙間なく真っ赤に染まり上がり、髪の色も相まって全身が真っ赤な塊になった。面白い。
「ち、ちちちち、ちが、ちがちがちが!」
「へー、そうなんだー」
「よかったー」
にこにこと満足げに笑う二人。どうやらアリシスの反応は彼らの意に沿ったようだ。何となく察したのか、ミカエルは、あー、と呆れた様に笑い、ルシフェルは「青春だね!」と満面の笑みで見守っている。
分からないのは自分だけの様だ。二人は察する能力も高い。
「おにいちゃんたちなら、大丈夫だねー」
「だねー」
「ふーん? 我らなら大丈夫なんだ?」
「うん!」
「おねがいね!」
何をお願いなのだ。
シキを置いてけぼりにして話がどんどん進み、そして勝手に終わった。質問する暇すら与えてくれない。アリシスは、まだ真っ赤に染まってごろごろ転がりながらうーうー唸っているし、周囲は軽く混乱状態である。
ただ、ミカエルは何かを察したらしい。ちらりと周囲に視線を走らせてから頷いた。ルシフェルは「仕方ないね!」と安請け合いをしている。
何故、自分だけ理解出来ないのだろう。
思いながらも、取り敢えずは弟も妹も心配してくれているのは分かった。その気持ちはとてもありがたいし、心の奥が温まっていく感じがして気恥ずかしくなる。
「ハル、ミリー」
「なーに、おにいちゃん!」
「なーにー?」
「ありがとう」
しゃがんで二人ごと抱き締める。
いきなりの行動に驚いたらしく、二人はされるがままになっていたが、その内ぎゅーっと抱き締め返してきた。
本当に良い子に育ったと思う。目の前の父も喜んでいるだろう。実際、優しい目で見守ってくれているのを肌で感じた。
忘れられていても、父は父だ。
それを確認できただけで、今は充分なのかもしれない。
「すみません、お待たせしました。三人とも、家に入って」
二人から手を離し、待たせていた彼らを促す。敬語が入り混じったのはミカエルが上司だからだ。
母が「どうぞ」と招いて先に家に入る。ばたばたと駆け足なのは、中を軽く片付けたいからだろう。シキも手伝おうと続こうとして、ずしっと両腕に負荷がかかる。
嘆息と共に見やれば、案の定両腕にはハルとミリーがぶら下がっていた。どうでも良いが、十三になった子供が全力でぶら下がってきたら腕がもげる。千切れなかったのは天使の――否、魔王の力を借りているからだろうか。背後から生温い視線を感じたが、もちろん無視だ。
「こら、二人とも」
「だって! せっかく会えたんだもん!」
「だもん!」
「甘えるんだー!」
「だー!」
「……わかった。大きくなったと思ったのに」
仕方ないなと頭を撫でれば、気持ち良さそうに二人がはにかむ。可愛い兄妹だ。
だから、本当は。
「……て、くれていたら良かったのに」
ぼそりと呟いた言葉は、風に
だが、それで良かった。永遠に叶うことのない願いならば、聞かれない方が良い。
腕にぶら下がった二人は、ただにこにことぶら下がってきているだけ。周りを見ても、各々が各々らしく会話に興じている。
誰にも聞こえていなかったことに、シキは心の底から安堵した。
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