第9話


「……ここが、死人の村か」


 先陣を切っていたミカエルが、胡散臭うさんくさげに呟く。その隣からのしかかる様に顔を出したルシフェルが、「わーお」と嬉しそうに声を上げた。


「村だね! まがうことなく村だね!」

「だから何だ」

「もっとこう、おどろおどろしい空気と、雪崩なだれかかる様に空を覆う木々と、寂れきった穴だらけの廃墟と、徘徊はいかいするゾンビを想像していたからね!」

「だったら楽だったんだがな。一見すると普通の村だな。つまらん」

「一発ぽーん! の浄化が出来ないよねー。ま、そのための調査だし」


 それぞれがそれぞれにそれぞれ好き勝手言いまくる図は、いっそ痛快だ。

 入口で賑やかに騒いでいる彼らに、村の人達は好奇と奇異と胡乱うろんの視線を差し向けているのだが、一向に気にはしていない。流石は彼らである。

 だからこそ、シキは冷静に観察する。死人がうごめいているというから、正直自分もルシフェルが述べる様相を思い浮かべていた。


 しかし、眼前に広がる風景は極々平凡な村だった。


 土地は広くないが、森の中に位置するからなのか、瑞々みずみずしい新緑が村を護る様に生い茂っている。木材で出来た家屋は年季が入っているが、人とのつながりを大切にしているらしく、開放的で明るい。実際、「入るよー」と声をかけて訪問している人がちらほら散見された。

 こじんまりとしているが広場もあり、ベンチに腰掛ける老夫婦はのんびりと仲良く日向ぼっこを楽しみ、小さな子供達は駆け回って楽しい悲鳴を上げている。籠を抱えて通りすがる母親らしき人物が、「遠くへ行くんじゃないわよー」と注意して、子供がそれに「はーい」と元気よく答える様は微笑ましかった。

 本当に、小さな平和があふれる素朴な村だった。



 これが、死人が集まる村。



 先程、堕天使の集団に襲われなければ、気にも留めなかったかもしれない。


「元気だねー。懐かしいなあ。あたしも、小さい頃は男の子と一緒によく土下座したもんだよー」

「何をしたんだ、何を」

「あれは、六歳のやんちゃ真っ盛りな頃。早く大人になりたかったの。だから手始めに、その村で一番高い塔からバンジージャンプをやったんだー!」

「……ほう。それで?」

「いやあ、命綱は長かった。脳天直撃した時は、さすがに死が見えたねー」

「アホだ。お前は紛れもなくアホだ」


 ミカエルとアリシスの漫才を背景に、シキは周囲を改めて見回す。

 観察していて思ったが、何となく見覚えがある。どうしてだろうと違和感を抱いたが、取り敢えず確認するために歩き出した。棒の様に突っ立っていても進展はない。

 どれだけのどかに映ろうとも、死者が生活していると報告を受けた村だ。どこから攻撃が飛んでくるかもわからない。

 気楽に、だが慎重に人の様子を観察していると。


「シーキ! 散歩かい? 我も我も!」


 のしっと、後ろから重苦しいものがし掛かってきた。誰かなどど振り返るまでもない。


「痛い、ルシフェル。離れて」

「えー、つまんないよ、シキ! そこは『おう、ルシフェル。一緒に酒場でも繰り出すか?』とか言うところだよ!」

「オレ、何キャラになればいいの?」

「えー、多重人格」

「ルシフェルだけで充分だよ」

「えー」


 ぶーぶーと唇をとがらせて抗議するルシフェルに、シキは器用に肩をすくめる。

 相変わらずどいてはくれないが、恐らく彼も村の観察に乗り出しているのだろう。自分と会話しながら、視線は村に走っていた。


「ルシフェル、何か感じる?」

「んー、まーね。シキはまだ我の力が馴染み切ってないから、感じられないだろうけど」

「……堕天使?」

「んー、……」


 少し躊躇しているルシフェルは珍しい。

 堕天使が絡んでいるのは確実な様だが、今までの様に背後にいる堕天使を狩れば良いという話でもないらしい。ミカエルも隣に並んで表情を改める。


「気分が悪いな。だが、人間がこちらを襲ってこない」

「そりゃあね! 『今』は無理だよ!」

「……そうか」


 知識があると会話も弾む。

 訳知り顔の天使と魔王に、シキは頭上に疑問符を盛大に浮かべた。そのまま埋もれてしまいそうになっているところで、アリシスが笑いながら肩を叩く。


「そがいかーん! 感じてる?」

「うん」

「シキ君は素直だねー。えーと、シキ君って今まで堕天使しか倒したことないの?」

「うん。人間の背後にいる堕天使が相手だったから。旅をしている頃に、堕天使が死んだ人を生き返らせて、悪さをするとは聞いたことがあるけど。……そういうこと?」


 単純作業の命令しか受けてこなかったシキには、堕天使の存在がいまいち理解しきれていない。

 実際、堕天使は自分を見たら襲ってくるから退治している、というのが正直なところだ。魔王使いになる前の情報も微々たる量であるし、役には立たない。


 彼らは、人間に力を貸して悪さをするか、りついて操るかの大きく分けて二パターン。


 まず一つは、堕天使が加護として力を貸す方法。力を借りた人間は、天使使いに合わせて『堕天使使い』と呼ばれる。

 一方、憑りつく方法になると、人間に堕天使と共存しているという意識は無いらしい。好き勝手に操られ、仕舞しまいには命ごと捨て去られる顛末てんまつが多いのだと聞いていた。

 ならば、この村は後者なのだろうか。シキがアリシスに、簡潔に自分の認識を説明しながら整理していると。


「うーん、間違ってはいないかなー。でも……」

「でも?」

「後者の方は、もう少し細かいの! それがねー」

「どーん!」

「え、うわっ」


 説明を受けている最中に、いきなり掛け声と共に突撃された。唐突な突進に、シキは思わずたたらを踏む。横にいたアリシスは、「おー」と目を丸くして楽しそうに成り行きを見守っているだけだ。薄情である。

 何とか踏み止まって腰の位置を見れば、見慣れない子供が二人で自分の腰に抱き付いていた。きゃははー、と笑い、すぐに離れていく。


「やったー! おれの勝ちだー!」

「ずるいぞ! 次は、おれがかつんだからな!」

「こら! お客様に何てことするの! 謝りなさい!」

「あははー、ごめんなさーい!」


 大して悪びれも無く子供達が走り去る。そばで畑を耕していた女性が「すみません」とぺこぺこ頭を下げてきた。


「申し訳ありません。いつも知らない人に悪戯をするのが好きで。帰ったら、ご飯抜きにして、げんこつで吊るし上げにした後、お尻百叩きの刑にして引きずり、仕上げに簀巻すまきにして反省させますので」

「あ、えっと。そこまでしなくて良いです。せめてげんこつと簀巻きだけにしてあげて下さい」

「簀巻きはいいんだね。シキの感性って意味不明だね!」


 余計なツッコミが入ったが、シキは軽く無視をする。

 女性が尚もすみません、と謝りながら手に抱えていたトマトを差し出してきた。


「これ、お詫びの印に」

「え。いえ、お気になさらず」

「取れたてのもぎっもぎです! 美味しくなかったら海に飛び込みます」

「いただきますので、飛び込まないで下さい」


 取り敢えず制止してから、シキは仕方なく受け取る。

 だが、確認すればとても食欲を誘う出来栄えだった。トマトの皮は誘う様につやめき、芳醇ほうじゅんな香りが持つだけで漂ってくる。色も健康的な美味しさを惜しげもなく発散していた。

 誰も止めてはこないし安全ではあるのだろう。一口かぶりついた。

 途端、弾ける食感が口の中に踊る。溢れ出る酸味はほのかに甘く、続いてとろける実の艶やかさが舌を滑り、喉を潤しながら通っていく感触が気持ち良かった。


「あ、美味しい」

「本当ですか!」


 ぱあああっと女性の顔が華やぐ。余程トマトに自信を持っているのだなと、シキは感心した。思わず口元が緩む。

 すると、女性は何故か頬を赤らめた。暑くなったのだろうか。

 シキが少しだけ案じると、女性は拳を振りかぶって何かを盛大にアピールしてきた。


「よ、良ければもっと! ありますけど!」

「え」

「そ、そう! トマトが!」

「ええっと。じゃあ、みんなの分も、良ければ」

「はい!」


 どさどさーっと、明らかに人数分以上のトマトを受け渡される。生活はどうなるんだろうと不安になったが、頬を紅潮させて興奮気味に「どうぞ!」と力説されたので、受け取らざるを得ない。


「ありがとうございます。……ほら、みんなも。美味しいよ」

「っへえー、シキってばタラシ!」

「何が?」

「シキ君なんか、タラシで充分!」

「意味わかんねえけど、一理ありそうだな」


 おすそ分けにと配ったのに、何故か非難された。気がした。自分は何かしただろうかと首を捻ってみるが、子供に抱き付かれ、トマトを食べたことしか記憶にない。

 当の三人はトマトを頬張り、その味に満足した様だ。次々とシキの手元からトマトを奪って平らげていく姿は、実に上機嫌である。


 ――機嫌が直ったのなら良いか。


 理不尽な反応も水に流し、改めて村を見回してみたが、本当にのどかだ。村人の対応にも異変は見当たらない。

 何処に堕天使の気配があるのだろう。目をらせば見えるだろうか。

 シキが真剣に一点に集中し始めた時。



「……シキ?」

「―――――――」



 不意に名を呼ばれた。

 か細くも綺麗な響きに、一瞬反応が遅れる。



「……、……あ」



 嘘だ。



 打ち消したかった言葉は、しかし喉に引っかかって出てこない。喉を塞がれ、沈み、溺れそうな感覚に、シキは思わず自分の腕を握り締めた。

 聞き慣れた声だった。帝国に居を構えるまでは、そこが帰る場所だった。

 ゆっくりと振り向く。本当は、振り向くのも億劫おっくうだ。もっと突き詰めれば、振り返りたくなかった。

 だが、無視をするわけにはいかない。

 そして、ここが死者の村だというのならば、任務に乗り出す前に可能性を挙げておくべきだった。



「シキ? シキなのね?」



 涙をこらえながらすがる声を、聞き間違えるはずがない。

 緩やかに流れる翡翠の髪。陶器の様に滑らかで白い肌。身体が弱いせいで顔色は良くないが、若き頃の美をそのまま保つ儚さをまとっている。少女の様なあどけなさを漂わせる姿は、昔多くの者を虜にしてきただろうことは想像に難くない。

 不思議と眩暈めまいのする様な甘い匂いをまとい、浅葱あさぎ色のショールを羽織って佇んでいたのは、幼い頃から共にいる家族。



「……母さん……」

「シキ! ああ、無事で良かった……っ!」



 小走りに駆け寄って抱き付いてくる。

 背後で目を丸くしている気配がしたが、説明している暇がない。シキは抱き返しながら、冷静に頭を回転させた。


「母さん、どうしてここに?」

「どうしてって……ここは貴方の家じゃない」

「ああ、うん。そうだけど。えーと、いつもなら家で帰りを待ってくれているし」


 確認をしながら情報を引き出していく。

 自分では辿り着けなくても、後ろで控えてくれている上司達なら結論を導いてくれるだろう。願って、少しでも多く話をしてもらう。


「ええ、そうなのだけど。貴方の帰りがいつもより遅いから、村長さんに確認したの」

「村長?」

「そうよ。私の身体が弱いから、いつも気にかけてくれていて。貴方が留守の時も様子を見に来てくれているのよ」


 そんな事実は知らない。

 故郷の村長は、明らかに自分達を煙たがっていた。父や隣の老人の威光が強かったから何も言わなかったが、本心では追い出したがっていただろう。


 ――いわく付きの家族は、厄介だから。


「……うん、そうだったね」

「三ヶ月経っても帰らないから、心配して聞いたの。そうしたら、貴方、帝国で就職したって。危険な任務にばかり就いているって知って、心配で心配で」

「……ああ、うん。そうだ、紹介するよ」


 自分の身元が知られている。調査をされたのか。

 背筋に寒々しいものを感じながら振り返れば、三人はそれぞれ楽しい反応を示してくれた。


「へー、この人が母親! お姉さんって言ってもおかしくないね! だから面食いなんだね! 我、納得!」

「これは、いわゆるマザコンというやつか。シキ、お前実はむっつりだろう」

「へー、シキ君のお母さん、美人だねー! きっと昔はお父さんが、群がるラブラブ野郎どもを蹴飛ばして殴り飛ばして吹き飛ばしてと、大変だっただろうねー!」


 指を差しながらけらけら爆笑するルシフェルに、腕を組んでしたり顔で頷くミカエルと、手を合わせて何故か頬を赤らめてトリップするアリシス。

 この三人は、どこまでも三人らしかった。微かに鉛の様だった気持ちが軽くなる。


「えーと。母さん、この人達は上司の」

「初めまして。私が上司のミカエルです。いつも彼の働きには助けられています」

「我は、えーと、……パートナー? のルシフェル! よろしく!」

「まあ、ご丁寧に……。シキの母のメリナと申します、……あら?」


 紹介しようとしたら、挨拶をしてくれた。ミカエルが一番上司らしいなと感動していると、母の動きが止まる。

 どうしたのかと異変を探れば、視線が自分の背後に集中していた。その視線は興味というより、鋭さが入り混じった刃の欠片かけらを思わせて背筋が震える。

 視線を素早く追いかけてみると、その先にはアリシスが笑って佇んでいた。やっほー、と、挨拶に乗り出そうとしてくる。


 ――まずい。


 直観的に隠す様に動いた。

 今までの経験則というのは、到底無視出来るものではない。


「ねえ、シキ。その女性は……誰?」


 案の定、母の注意がアリシスに向く。

 彼女は、待ってましたとばかりに手を挙げて「どーもー!」と元気よく挨拶してきた。それが彼女の良い所だと思うが、今回ばかりは頂けない。


「こんにちは、お母さん!」

「……おかあ、さん?」

「あたし、シキ君の――」

「――母さん!」


 声を張り上げる。同時にむにっとアリシスの口を羽交い絞めの様に塞いだ。もごーっ、と動く彼女の唇が手の平に当たってくすぐったかったが、気にしている余裕もない。

 そしてまずい。このままだと、後ろから抱き締める様な形になってしまう。自分で犯した過ちだと思いつつ、ぐるぐると思考を回転させた。


「……シキ」

「違うんだ、母さん。えーと、この人は。その」


 決して万が一にでも、『彼女』などと思わせてはいけない。浮気現場の言い訳をする情けなさ大爆発の男を連想させる修羅場だが、シキには残念ながら取り繕う頭も皆無だ。

 シキは考えた。考えて、考えて、考えた末に――。


「この人、アリシスは」

「シキ……、まさか」

「そう。実は、――『男の娘』! ……って、やつなんだ」

「――――――――」


 かーん、と何かが降ってきた様な音が響き渡った。気がした。奇妙な静寂だなと、シキは他人事の様に原因をぶん投げる。


 男の娘。


 出会ったこともないし、どの様な人種なのか想像出来ないし、知識は空っぽであるのだが、確か娘の格好をした男性のことを指すはずだ。

 だが、今のシキにはどうでも良い。思い込ませれば勝ちである。


「おと、こ、の……え?」

「えーと、その。そう。アリシスは、とってもスタイルが良いし、出るところが出ている様に見えるんだけど。えーと、えーと、うん。確か、作り物のはずなんだ」


 酷い説明だ。

 というより、聞く人によっては一発で嘘だと見抜ける説明に、しかし母は真剣に耳を傾けてくれた。騙されやすい性格で逆に心配になる。

 アリシスは無言。後で土下座をした上で殴られようと覚悟を決めて、彼女が黙っているのを良いことに話を強引に進めた。


「作り物、なの? あらあら、胸も?」

「そう。えーと、人によってはメロンだったりマッシュルームだったりトマトだったりを入れている。はず」

「んなわけねえだろ」

「こういうツッコミを入れる人がいる様に、実に様々な方法で胸を作るんだって」


 思わずミカエルが口を挟んできてしまったが、それも含めて壮大に嘘を吐く。

 母はすっかり信じ切ってくれたらしく、興味津々でアリシスを凝視していた。刺々しさが消えてシキは胸を撫で下ろす。


「でも……どうして? 女性に生まれたかったの?」

「え、と。……その」

「うん、そうだよ! あたし、昔から女性に憧れてたんだー!」

「――――――――」


 頓狂とんきょうなまでに明るい声が目の前から上がる。シキが思わず口を閉ざしてしまうほどに。


「ほらー、あたしってば、バンジージャンプやるくらいやんちゃだったんだけどさ! 昔は女性みたいなおしとやかさに憧れてて」

「あら……」

「でも性格変えられるわけでもないし、このままやんちゃな女性になってやろうって、思い切って男の娘? ってやつを目指している最中なわけよ」


 ふふん、とあごに手をかけて胸を張るアリシス。適当ではあるが、あまりに自信満々に言い切られて母親も完全に信じ込んだらしい。そうだったの、と少しだけ申し訳なさそうに身を引いていた。恐らく我を忘れそうになったことへの恥じらいだろう。

 殴られるだろう本人から援護射撃が飛んできた。感謝しなければならない。

 だが、同時にどうしようもない罪悪感も襲った。


「あー、シキおにいちゃーん!」


 立ち往生しそうになっていると、明るい声が家の奥から聞こえてくる。



 当たり前だ。母親がいるのだ。彼らが、いないはずがない。



 開け放たれた扉の中を見やれば、きらきらと輝く星の目と出会った。そのままいのししの如く二つの影が突進してくる。


「にいちゃん、おかえり!」

「おかえりー!」

「ぐ、ふうっ」


 ぼすん、ではなく、どごおっと攻撃をする様に体当たりされた。二メートルくらい吹っ飛んだ後、二人を抱えてシキは地面に激突する。


「やったー、にいちゃん帰ってきたぞ!」

「シキおにいちゃん、おかえりー! さみしかったー!」


 倒れ伏すシキに構わずに、ぐりぐりと頭を腹に押し付けてくる兄妹二人。子供とはいえ、こうも全体重でのしかかられると流石さすがに重い、を通り越して沈みそうだ。

 一緒に、感情まで沈没しそうになる。

 息苦しさを覚えたが、振り払って二人の頭を撫でた。


「ただいま、ハル、ミリー。良い子にしてたか?」

「うん!」

「おにぎり、にぎれるようになったよー!」

「うそつけ。ミリーはまだ平べったいじゃないか!」

「でも、くずれないもん!」


 お腹の上で二人は喧嘩を始める。火花まで散らしていたので、そろそろ諭すことにした。このまま明け暮れるまで喧嘩を続けられたら、腹部が破裂する。


「こら、二人とも。喧嘩はやめてくれ」

「うー」

「二人のおにぎり、久しぶりに食べたい」

「うん! たっくさん作るからね!」


 ぱあっと花開く様に二人が笑う。この二人は、家にいた頃からの癒し所だ。

 だからこそ思う。――この二人も犠牲者なのか、と。


「あはは。シキのところ、兄弟仲いいんだね! 我とおんなじだ!」

「っざけんな。世界の果てまで行って頭冷やして来い」

「えー。めんどくさーい。代わりにミィが行けばいいよ!」

「何でそうなるんだてめえ!」


 小さい兄弟二人に伸し掛かられているシキを、ルシフェルがにこにことしゃがんでたたえる――と見せかけて自画自賛してきた。相変わらずの仲の良さに溜息が出る。そろそろ助け起こしてくれても良いのに。


「シキくーん。良かったねー、愛だね!」

「うん。そう思うなら、起こしてくれないかな。そろそろ破裂しそう」

「えへへ、分かったよ。はい」


 手を差し出してきたので、素直に握る。特に何も考えていなかった。――だから、母の表情が微妙に曇ったのにも気付けない。

 よいしょっと、二人で起き上がって砂埃を払う。ようやく人心地がついて顔が緩んだ。


「ありがとう、アリシス」

「どういたしまして。そろそろ村長さんにも挨拶に行こっか!」

「そうだね。母さん、村長ってどこにいたっけ?」

「まあ、忘れたの、シキ。彼なら……」

「やあやあ。賑やかだと思ったら、誰かが来ていたんだね」

「――――――――」


 背後から声がかかる。家族とのちょっとしたやり取りで気が緩んでいたのだろうか。気配に気付けなかった。

 だが、声を忘れるはずがない。どれだけ時間が流れようと、『あの人』の声を忘れることは出来ない。



 嘘だ。



 今度こそ、叫びたかった。

 しかし、それをしてしまうと本当に消えてしまいそうな予感がしたから振り返るだけにする。外れて欲しいという思いと、本人であって欲しいという願いが相反して吐き気がした。



 たたずんでいたのは、あの日と変わらない。



 優しげな翡翠の瞳に、風と優しく溶け合う光の髪。腰に二本の剣を差している姿は、虫も殺せぬ容貌には不釣り合いだったが、ひとたび剣を振るえば草木も生えぬ大地と化すのは、シキが一番よく知っている。

 どうしてだろう。雷に撃たれるよりも、岩を落とされるよりも、遥かに衝撃が大きかった。


「わー、すごーい! とってもカッコ良いねー、村長なのに!」

「お前そんな感想しか抱けないのか」

「ふふふ、ま、我にはかなわないけどね! シキもそう思うよね!」

「……父さん」

「そう、父さんだからね! ……って、うん? 父さん?」


 流石に聞き捨てならなかったのか、ルシフェルが笑いながら止まる。ミカエルやアリシスも驚いたように振り向いてきた。

 それはそうだろう。まさか、死人の村にやってきたら家族がいて、その上村長が父親だと知ったら、看過かんか出来るはずもない。

 だが、シキにとってはそんなことはどうでも良い。

 呆然と父を見つめる。彼も目を丸くして凝視してきた。

 父が、いる。五年前に死に別れた人が、そこに。


  ――ずっと、言いたかったことがあった。


 最後に聞いたのが謝罪だったのを後悔していた。

 だから、会えるならもう一度会いたかった。

 会って。



「ええっと、……君は、誰かな?」

「――――――――」



 会って――。



「……え」



 瞬間。

 彼の言葉と共に、自分の時間だけが凍り付いた。


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