第7話


「じゃじゃーん! アリシスちゃん特製、クロワッサーン!」


 村を目指し、歩き続けて半日。

 任務では周辺の状況把握などのために、火急ではない限り転移魔法は使わないということで、全員徒歩で行軍していた。

 適度に林が立ち並ぶ街路に出たところで、そろそろお腹がすいてきたなとシキが呟いたら、「ふふーん」とアリシスが得意げになり。空間から、大量のクロワッサンをもっさり取り出してきたのだ。

 そのもっさり感や、尋常ではない。積み重なった高さは、空高くにまでそびえ立つのではなかろうかというほどのもので、シキは思わずクロワッサンと一緒に空を仰ぎ見てしまう。


「……おい、アリシス。遠足じゃねえんだぞ。てか、何でそんな大量に作った」

「あたしがクロワッサン好きだから! 当たり前だよー」

「我の分もあるのかい?」

「もっちろん! 食べて食べて♪」

「わーい! いただきまーす」


 早速歩きながらかぶりつく魔王は、子供と母親のやり取りの様だ。本人に告げたら「お姉さんだよ!」と怒られそうだが、少し微笑ましくなった。


「うん、美味い! 相変わらずアリシスはパン作りが上手だね!」

「ありがとー! ふふふー、ミカエル将軍も、何だかんだ言いながら食べまくっているし。作り甲斐があるよー」

「っるせ。美味いんなら食わない理由はねえ」


 黙って食べ進めるミカエル将軍も、こっそりご満悦の様だ。

 彼は気に入らない食べ物は、とことん無視する傾向にあるらしいと、一度だけ宮中で食事が一緒になった時に知った。その彼が次々と手を付けるのだから、彼女のクロワッサンは本当に美味なのだろう。

 ほくほくと香ばしい湯気が立ち上り、優しく膨らみながらも、かりかりとした食感を連想させる、ほど良い焦げ目。口に入れなくても見るだけで美味しそうで、シキも喉が鳴った。

 アリシスは趣味がパン作りらしく、時折こうして知り合いに差し入れする時がある。

 他の調理――例えばケーキやマフィン、果てはハンバーグなどは「爆発しちゃった♪」と失敗ばかりで、いつもキッチンを黒焦げにしているらしいのだが、何故かパンだけは大得意らしい。彼女のパンを秘かに楽しみにしている者も多いくらいだ。

 例によって、シキにも差し入れされた時があった。満面の笑顔はひまわりを連想させて、思わず手を伸ばしてしまいそうになるくらいの、素敵な出来栄えだったのも覚えている。

 だが。



〝シキの好物だもの。当たり前よ〟



「―――――――」



 自分は。


「シキ君は?」

「えっと、……」


 手を伸ばしかけて、止める。途端、ふわりと小麦の香りが漂ってきてお腹の虫も鳴りそうになった。

 なのに、手は伸びない。美味しそうだと思うと同時に、吐き気が胸の底から込み上げてきた。もう反射だ。


「……ごめん。オレは遠慮する」

「そっかあ。うーん、今日は自信作だったんだけどなあ」

「ごめん。美味しいのは分かるんだけど」

「ううん、大丈夫! ちゃーんとおにぎりも作ってきたよー!」


 ばーん、と楽しい効果音と共に空間から現れたのは、もちの様に平たく潰れた白い物体だった。

 どべん、と皿に気持ち良さそうにのさばる、そのおにぎりだという物体は、パンと同じく折り重なりながら天を目指し、空高く山盛りになっている。こちらもまた、思わず空を仰いでしまった。


「……てめえ、何でパン以外はまともに作れないんだ」

「ええええ! 今日はちゃんと上手く作れたんだよー! ほらほら! 具がはみ出してないでしょ?」

「具を入れてないだけとか言わねえだろうな」

「……えへ♪」

「えへ♪ じゃねえ! 海苔のりもついてねえし、塩か! 塩だけか! しかも大量!」

「塩おにぎり、美味しいんだよー♪」

「♪ 喋りすれば許されると思ってんじゃねえ!」


 ミカエルとアリシスが漫才を繰り広げる中、シキはおにぎりと呼ばれた物体を凝視し、手に取ってみた。

 丁寧に握ってくれたのか、外の表面はふわふわ――ではなくがちがちだ。もちの様に横に気持ち良く伸びており、固まっているおかげで指にまとわり付くという不快さは無い。歩きながら食べるという意味では、これほど適した食べ物はないだろう。

 ぱくりと、一口齧かじってみる。

 保温も万全だったらしく、出来立ての様に温かい。

 頑張って形を整えたのか、綺麗に噛み千切ることができ、固さに支えられて崩れ落ちることもない。食感としては、外の真っ平らな固さに比べて中は意外にふんわりしていて、面白い弾力が生まれていた。

 もぐもぐと咀嚼そしゃくしていると、いつの間にかアリシスが手元を凝視していた。

 手元を、というより口元だ。思わず飲み込んでしまって、少しもったいなかったなと名残を惜しむ。


「し、シキ君。食べちゃった?」

「え? ああ、うん」

「ご、ごめんね、シキ君。将軍が塩だけおにぎりは飽きるって! まずかったら残していいよ!」

「ううん、美味いよ」

「え」

「食べやすい。オレのわがままなのに、ありがとう」


 感謝を告げてから、また黙々と食べ進める。

 実を言うと少し塩辛かったが、食べられないことはない。爆発騒ぎを知っている身としては、食べられること自体が奇跡でありがたい話なのだ。

 だからこその礼だったのだが。


「……えへへー」


 照れくさそうに笑われた。いつもの凛とした花ではなく、優しく風に揺られる柔らかさだ。思わず無遠慮に見つめてしまう。

 だが、そんな不躾ぶしつけなシキの視線には気付かなかった様だ。急に挙動不審になり、手をばたばたと羽の様に羽ばたかせながら、アリシスは言葉を畳み掛ける。


「えーと、良かった! シキ君の口に合って」

「ああ、うん」


 やたらと喜ばれた。何故か胸の辺りがむず痒くなって、何か無いかと観察すると、彼女の耳が少し赤くなっているのを発見する。

 何かにぶつけたのだろうか。シキがそのことを指摘しようとすると。


「こ、これ! 全部あげるね!」


 早口と共に、どさっと大量のおにぎりを渡された。

 良かった良かったと早足で歩きだし、そのままずんずんと先へ行ってしまう。その速さはもはや光を超えたらしく、瞬く間に背中が小さくな――るのを通り越して、見えなくなってしまった。

 嵐が去った。

 後に残されたのは、山盛りのおにぎりとシキ、そして呆れながら傍観する男二人組である。


「……え、何。アリシス、どうしたの」


 呆けながら彼女を見送り、シキは大量のおにぎりを抱えながら状況を整理する。

 アリシスが自分用におにぎりを作ってきてくれた。それを全て残らずプレゼントされた。そして何故か、彼女は猪の如く去ってしまった。こんな感じか。

 取り残された自分としては、おにぎりを食べながら、のんびり彼女を追いかけるべきなのだろうか。

 シキは考えた。

 考え、考え、かつてないほどぼんやりと考え抜き――。


「とりあえず、いただきます」

「食べんのかよ」


 片手だけでお辞儀をし、シキはおにぎりを制覇することに専念した。

 これだけあれば、一日の食事には困らない。彼女にはつくづく感謝しかなかった。


「しっかし乙女だね! アリシスもやっぱり女の子なんだね! かーわいー!」

「けっ。あいつ、もう四百超えてんだぜ。人間で言えば仙人だろうが」

「? 仙人でも何でも、アリシスは女性です。乙女心くらいあると思いますけど」


 ミカエルが腕を組んで吐き捨てる理由が、いまいち理解出来ない。

 だからこそ首を傾げたのだが、彼の方もいぶかしげにこちらを見つめてきた。不可解な動物に遭遇した様な目つきである。


「あー、一応聞くが。何でそう思う」

「えっと。高嶺の花とか言われたり、尊敬されているけど。パン作りが好きだったり、一生懸命おにぎり作ってくれたり、親しみやすいし、笑ったら可愛いと思うし」

「……」

「みんなもっと、彼女と話せば良いのに。もったいない」


 それとも、自分と話しているから余計近付きにくいのだろうか。それなら、くだらないと思う。彼女は、ただ公平な態度を示しているだけなのに。

 加えて、アリシスにとっては、シキとルシフェルの監視の意味もあるだろう。

 それが分からない帝国の人間ではないと思うのだが、やはり理性と感情は違うのだろうか。

 帝国は、否、組織とは面倒だと思いながら、シキが依然としておにぎりを頬張り続けていると、ミカエルが呆れた顔で腕を組んでいた。不可解な動物から、謎の物体を見る目つきに変化している。


「お前って……意外に天然だな」


 溜息と共に意味不明な評価を下された。訳が分からない。


「えー! ミィ、今更? シキなんてタラシだよ、タラシ! もう、爆ぜろ! と言わんばかりのタラシだよね!」


 興味津々といった風情で、ルシフェルが唐突に身を乗り出してくる。ついでにおにぎりを一個軽く奪い取ってかぶりつき、「塩辛いね!」と笑顔で酷評を下した。


「可愛いとか、普通そんなさらっと言わないよ! 照れるよ! どもるよ! あの雑魚どもみたいにね!」

「雑魚?」

「雑魚雑魚! それで、シキってば、今までどれだけの女性を泣かせてきたんだい?」


 雑魚とは、誰のことだろうか。

 よく分からないが、取り敢えず理解した部分にだけ反論する。


「泣かせてなんていない。よく仕事で、護衛対象が怒ってはきたけど」

「きたきた! どうせ『私に興味あるふりして! さいってい!』とか、『わ、私もあなたのことが……』とか言われて、首を傾げて怒鳴られたりとかね!」

「ああ。そして、『あの日の言葉はでまかせだったのね!』とか言って、平手打ちだな」

「え。何で分かったの?」


 まるで見てきたかの様に言い当てる二人に、シキは目を丸くした。

 出稼ぎでの仕事は、大体誰かの護衛といった用心棒の内容が多かったのだ。

 その仕事中、何故か一人で過ごしているシキのところに護衛対象が近寄ってきて、話をして、勝手に憤慨され、下手をすると最後は平手打ちまでして去っていく。そんなことがよく繰り返されて、一時期は本当に困り果ていていたのだ。

 自分としては、とんと身に覚えがない上に全く話が見えないので、旅の間も最後まで疑問符が脳内を埋め尽くしていることが多かったのだが、二人には原因が判明しているらしい。

 本気で驚愕していると、二人は珍しく顔を見合わせ。

 一方は溜息を吐き、一方は面白そうに爆笑した。こうして比べてみると、二人は双子とはいえ、本当に正反対なのだなと興味深い。世界の縮小図を見た気分だ。


「く、く。シキって、ほんっと! 面白いね! つまんないけど!」

「あー、……まあ、いい。先を急ぐぞ……」

「たーいへん! シキくーん! しょうぐーん! 魔王くーん!」


 光の速さで向こうへ消えたアリシスが、またも光の速さ――よりは遅く走って戻ってきた。背後に大量の黒い雲を携え、肩に黒い大鎌をかけながらこちらへ向かってくる様は、むしろシュールである。

 誰も、どうした、とは聞かない。

 彼女の背後に集結する大量の黒い雲――否、影を見据えて、各々の気配が鋭くなった。


「おい、アリシス。状況は」

「えーとね! 明日には村に着くんじゃないかなー!」

「何でそっちの状況を伝えるんだ! どういう風に湧いたって聞いてるんだ!」


 どんな時でも漫才を忘れない。

 この二人の関係性に、ある種の信頼が見えて微笑ましくなる。

 そして、大量のおにぎりは、こっそりシキが魔法で次元の裂け目に仕舞い込んだ。ルシフェルの加護は本当に便利だ。


「うーん、そう言われても。えーと、あたしが光の速さで歩いていたら、いきなり向こうの森の中からぶわーっと」

「森? 森があるのか」

「うん! 森の向こうに、人の気配がぽつぽつあるから。だから、村があるよー!」

「あー、了解」


 報告しながら、アリシスの呼吸は全く乱れていない。息も切らせずに戻ってきたあたりに余裕を感じる。

 普段は漫才をしたりパンを焼いたりと、ごく普通の女性ではあるが、やはりアリシスは上に立つだけの実力を備えているのだ。鎌に黒い残滓ざんしが付着しているところからも、一戦を交えているだろうに笑顔がまるで曇らない。


 それに、背中にはまだ、天使の加護を受けた者特有の『翼』が生えていなかった。


 天使使いは、己の力だけではなく、強力な魔法などそれなりの力を扱う時には、天使と同じく背中に羽を生やす。

 羽の色も加護を与えてくれている天使と同じ色で、アリシスの場合は黄金色の綺麗な翼なのだ。という噂である。

 一度もお目にかかったことがないので、あくまで周囲の口々に上った情報でしかないが、通常の純白とは違うのなら見てみたいなという気持ちもシキにはあった。

 しかし、今はそれどころではない。


 気持ちを切り替え、シキは晴れ渡る空を見上げた。


 向こうから徐々に近づいてくる大量の漆黒の暗雲は、ただの一般人が見れば雷雲と勘違いするだろう。雷に備えて避難くらいはするかもしれない。

 だが、違う。目を凝らして、シキは腰に差した双剣を引き抜いた。

 暗雲はゆったりと、しかし確実にこちらを目掛けて降下してくる。雲の端が不気味にうごめきながら徐々に広がっていった。

 油断なく観察していると、唐突にぽろっと一欠片ひとかけらが雲から零れ落ちる。

 途端。


「――っ!」


 どおん、と。

 その一塊が、突然勢い良く雷となってシキの元へと撃ち下ろされた。


 物凄い勢いで爆発と轟音が巻き起こる。焦げた煙と砂埃が熾烈しれつに巻き上がり、一時的に視界が覆われた。

 それでもシキは揺らがない。そのまま、目の前に滑らせた双剣を前へ振り切る。


「……ぎしゃああああああっ!」


 黒い稲妻は、遅れて綺麗に真っ二つに割れた。漆黒の砂煙を起こしながら、悲鳴とは思えぬ金切り声を上げて地面へと倒れ込む。

 砂煙が空気をいぶしていく異臭は鼻を容赦なくつんざく。三ヶ月経っても慣れることはない。

 煙が晴れて確認してみれば、倒れた残骸には黒い羽の欠片の様なものが残されていた。か細くなっていく悲鳴と共に、それも砂の様に崩れ去っていく。



 黒き羽。



 それは、天使が堕ちた証。

 神に反逆し、世界や人の護りを捨て、己の欲望のままに飛び回る悪魔と化した姿。

 それが、堕天使。

 空を埋め尽くすほどの暗雲の正体は、彼らが群れて飛んでいる姿だ。


「真っ先に、オレ目がけてきたね。やっぱり一番弱いって分かるのかな。凄いね」


 理性を失い、言葉さえ通じない彼らではあるが、やはり元天使なだけあって嗅覚は鋭いのだろう。

 感心していると、ミカエルが呆れた様に腰に手を当てた。


「敵を褒めんなよ」

「すみません。つい」

「……あー、もういい。これくらいの数なら余裕か。お前ら……」

「あ、我は見学ね! 同族殺しなんて嫌だしね!」

「――――――――」


 瞬間。

 一気に空気が凍りつくのを、シキは否応にも感じ取った。


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