粉雪とシアーブルー
12月に入り、泉水さんを見ないなと思ったら、行き先を示すホワイトボードには『有休』のマグネットが貼られていた。その後にマーカーで『~1/5』と続いていて、あっと声をあげてかけ寄ってしまった。その姿を山名課長に見られていた。
「向井君、だったけ」
「あ、いや、あ、はい――えらく長い休暇なんですね。旅行ですか……」
「ああそうか、君は3課だから、知らないか」
ふっと、僕はとんでもない速さでふり向いていた。一瞬だけこの人を京都駅で見たことも思い出して。――それに驚いたのか、山名課長はクリアファイルで壁を作って、耳打ちしてくれた。
「入院してるんだよ」
仕事が終わって、ダッシュで0番ホームのベンチに向かった。いつも泉水さんのいるところは団体らしい人がたかっていて――自販機まで偶然かどうか、ミルクティは売り切れの赤いランプを照らしていた。
「いや、日頃元気そうだっただけになあ――11月に、体調がすぐれなくて病院で検査したら、内臓に小さな
(あの日、泉水さんは、山名課長にきっと病気のことを話していたんだ)
僕には言う必要がなかったかもしれないけど――なんであの時、先に帰ってしまったんだろうと何度も何度もため息をついた。
大階段の方は、もうすでにクリスマスの飾りつけができあがっていて、それっぽい曲が鈴の音とからんで鳴り響いていた。なんとなく華やかな時期のけんそうは――改札を抜けてここまでくるともう届かなかった。
月明かりさえホームに映りこみそうな、冷たい夜だった。久々に強い寒波がきているらしく、ごうごうと駅ビルからホームにかけて風がうなって通っていった。いくつも向こうで快速が通り、特急が手前によってまた去っていくそばで、僕はベンチにずっといた。飲みさしのホットのカフェオレがすっかり冷め切って缶のふちが冷たくなっても――僕はそこを立ち去れないでいた。
携帯には最後に会った日のメールが残っていた。それに返信で……だめもとでメールを書いてみることにした。タイトルは「お大事に」とした。
――入院してるって山名課長にきいてびっくりしました。お大事に。――
もっと、何か伝えたかった。でも何からどう言うか、最後に見た泉水さんの――口をつむいだ、悲しそうな顔に向かって、言葉が出てこなかった。携帯の、下(↓)のボタンばかり押していた。
――浜辺は寒いです(>_<)――
メールの下の方にそれだけ入れて、機能、送信、と押した。
朝、二条を出たときに電話がふるえた。どうせ電器屋の宣伝だろうと、昼休みに受信箱を開いたら、「Re:お大事に」という文字が見えてどっと体中の血が逆流した。あわてすぎて「切る」を押してしまう。よく間違えて消さなかったものだ。
泉水さんからのメールは帰りに0番ホームでちゃんと読み返した。
――メールありがとう。あさって手術です。とるのはすぐなんですが、それから一週間くらいいないといけないらしいです(>_<)まあ、がんばります――
カフェオレをすすって、じっと画面を見ていたけど、メールの終わりのマークがないことに気づいた。下に送ってもまだ出てこない。――口の中にカフェオレの甘さを残したまま、ひたすら下を押した。
――ほんとの冬の海はもっと寒いですよ。――
「あっ」
僕は白い息を吐いていた。その先も少しメールは続いていて――僕はここでそれが読めてよかったと思った。「泉水さん」とつぶやいてみた。
久しぶりに無印でだけどちゃんとした封筒と便せんを買って、会社のこととか今年も大階段には大きなもみの木があるとか、泉水さんが好きだと言っていた有名人のブログを印刷したやつとか、あと「浜辺の歌」で検索したらいろんな情報が出てきてそのページもとか、いろいろな紙を折り込んで、「こんなコトしかできなくてすみません。早く、良くなって下さい」と最後に書き足して詰めた。「速達で」と中央郵便局の時間外窓口に持っていったらまだ中が開いているからそっちで、と言われて、もう一度言ったら50グラムを超えているから定形外扱いになるんで410円、と言われてびっくりした。
入ったドアから出たら、ぶわりと寒気が流れこんできた。それに白いものが混ざってて、一歩踏み出して見上げると、右は伊勢丹から左は関電のビルまで、空気がまだら模様の雪になっていた。空はとても夜の色に見えなくて、地上から照らされたシアーブルー、になっていた。
駅ビルの方から--たぶん大階段だろう、エンヤの有名な曲が響いていた。
--泉水さん。
僕は、遠いところにいる人の名前を呼んだ。雨の日だったら傘をささない男を不思議がったろうけど、この雪なら、誰も気づかずに通り過ぎ、すれ違うだけで。
--泉水さん。雪です。
--泉水さん。速達たぶんあさってには届くからしあさってには届けてもらえると思います。
--泉水さん。
--会いたい、です。
--こんなにも誰かの、何かを願いながら、名前を呼ぶなんて、はじめてだった……。
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