君の優しさの影

「今日はお先に失礼します」というメールが泉水さんから届いていて、僕もCDを買いにプラッツに寄ったから、あの場所で会うことはないだろうと思いこんでいた。

手前の自販機でカフェオレを買い、左を確認してから癖になってるなとひとりで笑いかけた、が――見覚えのあるカバンにぽかんとして、さらに泉水さんの隣には彼女の上司の山名課長がいて息が詰まった。


後ろの人にもせかされて、あわててなぜか二人に見えないように柱に隠れた。

ほどなく山名課長は泉水さんとあいさつを交わして、――彼女は奥でタバコを吸うというしぐさを見せて――課長の方が地下への階段を下りていった。泉水さんもそのままくるりと向こうへ消えてしまうだろうと、自分もここにいないほうがよかったかもと思って身体を回しかけたが、彼女はじっと立ち止まっていた。


「向井君」

口がたしかにそう言っていた。――あっけなく見つかっていた。おいでよ、と手で合図されたが、すぐに近づく気になれなかった。

「向井君どうしたの?――あ、もしかして」

カバンを置いたまま走り寄られ、

「ロイヤルミルクティでよろしくね」とだけ言って戻られた。もう山名課長はいなかったけれど、自販機からベンチまでの間が、やけに遠く、重ったるく感じた。


「課長――でしたよね今の」

「そう。たまに帰りいっしょになるんですよ…まあ今日は相談があったんだけど」

「そうですか」

。――ここは泉水さんにとってではないんだなと思うと一気にテンションが下がる気がした。泉水さんのタバコの煙ですら、うっとうしく感じた。


そのしかめっ面を見てか、泉水さんは何かと会話をつなごうとしていた。

「ここ、浜辺の歌みたいに朝早く来たらどんな感じだと思いま、」

「さあ……寒いんじゃないですか?」

財布を取り出してみた。小銭入れは空で、札入れには五千円しかなくて、

「今日の分はいつ返してくれるんですか」と聞いたら、とぼけられてしまった。

「年明け……かなあ」

「――はい?」

この前よりも泉水さんの顔が暗いと思ったのは、日が短くなってきているからだろうか。

「もしかしてそんな言い方で、いつもおごってもらおうとしてません?」


「……えっ」

「山名課長と何を話してたんですかここで」

「な……何でも、いいじゃないですか……」

「じゃあ、ここでなくてもいいじゃないですかっ、」

きつい口調だったと気づいた時には――泉水さんは目をふせていた。

「――そう、ですね」

火をつけていない二本目のタバコの先が、しなびて落ちる。僕は立ち上がり、エスカレーターに向かってきびすを返した。

泉水さんはあわててカバンを開けているけど、「もういいです」と後ろを向いたまま吐くように言って、小走りにそこを去った。


誰もが海に来るような格好じゃない。ここが砂浜なわけがない。ここは駅だ。ホームだ。――灰色に塗られた床を、ひたすら蹴った。もう、蛍光灯の明かりでしか歩けないほど暗くなってしまっていた。



しばらく、0番ホームには寄らなかった。カフェオレも、あの青白い缶を見るのが嫌で、コンビニで買った。会社で書類を出す時は、別の庶務の人に頼んだ。定時を迎える頃には、もう外は真っ暗になっていて、京都駅も夜に沈んだ豪華客船みたいになっていた。

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