あした、はまべを


定時前に係長に呼ばれて面談をしていたから、デスクに戻るともうほとんどの人が帰ってしまっていた。一番端の泉水さんのPCの画面も消えていて――きっとまたあのベンチでタバコを吸って、先に帰るだろうなと想像してみた。


はたして、手前の自販機でカフェオレを買ってちらりとだけ左向こうを見たら、見覚えのあるカバンがあった。もう一回、財布を出した。


泉水さんの口元は歌っているように見えた。あれはたしか、小学校時代に歌った「浜辺の歌」じゃないだろうか。


初めてここに来た時よりも、確実に空は暗く、聞いた通り、白いラインが黒い石のホームに引かれていた。それはまっすぐだったけれど、もしも 揺れていたら波打つ浜辺に見えなくもなかったかもしれない。そんなことを考えながらぐるりと周りこんでいたから、泉水さんの正面に立ってしまっていた。


「あら」

「あ……これ、いりますか」

「ロイヤルミルクじゃないですか。……ありがとう」


「さっきのって、浜辺の歌ですよね」

「あらら…聴かれてましたか」

「思わず、こう、ぐるっと回ってきてしまいました――波打ち際を想像しながら」

隣のカバンをよけてもらって座りながら手を広げたら、

「向井君もそう思った?!」

と、ぱっとふり向かれたので、中途半端な格好になってしまった。泉水さんが吐いた煙が後から追いかけてくる。

「浜辺みたいだなって誰かに言ったら、なんだか笑われそうで」

そして恥ずかしそうに灰を捨てていた。

「そんなことないですよ」

すぐに返事したから、向き直った泉水さんと目があった。

「――あう」

泉水さんは目をぎゅっとつむって、ホームの方を見直す。会社の泉水さんのイメージは、すっかりなくなっていた。

……先に無言でホームのアナウンスや電車の音を聞くことに困ったようで、泉水さんは財布から150円を取り出した。――僕も持っていた30円を返した。

「あぁそういえば。浜辺の歌のって、”明日の天気”とかの明日と間違えたことないですか?」

そして、何か話題をずっと探してくれていたようだった。タバコの先とミルクティの缶を交互に見ながら、足をコツコツさせていた。

だいぶん暗くなってきた。0番ホームの向こうが、ごちゃごちゃとした海になって、貨物列車の行く音を波におきかえてみると――ここが砂浜のベンチに見えるかも、と言えば逆に笑われそうだ、と思った。

「あ~、ここが浜だったら、遊んだのになぁ」

だから泉水さんの言葉にも、「ここのどこが海なんですか」なんて返事はしなかった。

「今とびこんじゃだめですよ」

「あ、そうね、ただの飛び込み自殺になっちゃいますね」


泉水さんと別れた頃には、すっかり暗くなってしまっていた。携帯のディスプレイに「金(曜日)」が出ていて、ちゃんと飯を食いに行った方が良かったかな、と後悔した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る