二十四 祖霊殺し

 光に満ちた眩い島。仄暗い穴の奥にある幽冥世界。その二つのイメージが絡み合って成立していたのがニライカナイだったのではないか。

 ここで一つ連想したものがあった。

 明治生まれの昔話研究者・岩倉市郎が戦前に採集した沖永良部島の昔噺に変わった筋立ての「桃太郎」がある。南島民の鏡合わせのような他界観が顕れているのではないかという気がするのである。


  桃太郎はある日ニラの島(龍宮に相当する)へ行つた。行つたら或る家に一人の爺さんが泣いてゐて、島の人は皆鬼に喰はれて自分一人残つたと云ふ。爺さんの側に一つの羽釜があつて、その釜の裏に鬼の島へ行く道筋が書いてある。桃太郎はそれを見て鬼の島へ行く事になつた。

  遠い遠い或る野原の真中に真石があり、その石を取除けると下に通づる穴があつて、一本の太縄がぶら下がつている。その根に掴まつて下りると鬼の島である。桃太郎は鬼の島へ降りて、鬼を皆殺しにした。

  ただ一人の老人鬼だけ命を助け、その代り鬼の宝物をすつかり出させ、それを持ち帰つて二親に孝行したといふ。

   ――『沖永良部島昔話』(昭和十五年)――


 この話は実に示唆に富んでいると思う。龍宮の別名とされるニラの島とは勿論ニライカナイの転嫁であるが、そこには人を喰う鬼までが住んでいると考えられていた。そして鬼の島とは言いながらニライカナイの地下にあるのだと解されている。

 野原のど真ん中にある鬼の島に通じる穴から桃太郎は下って行き、ニライカナイと同じように老人一人だけの島になるまで鬼を殺し続けた。

 「ニラの島」にやったのと同じだけの報いを受けたのだと分かりやすく解する事も勿論できるが、ニラの島と鬼の島が同一視され重ね合わされているようにも見受けられる。


 敢えて言うならばこの話の中での桃太郎は、老人として表象される先祖の霊を打倒し、現世に宝物を持ち帰ってきた英雄なのだ。

 先祖の住む場所に殺害に向かうという物騒なモチーフは、これもポリネシアの英雄神マウイの神話群の中に見出せる。ニュージーランドのマオリ族の神話では祖母であるマフイカを殺害してバラバラに引き裂き火を持ち帰ったと語られているし、トンガの神話ではマウイは祖父を殺害して火を手に入れ、人々に料理を教えたと伝えられている。


  ……「俺は冥府に草刈りに行くが、お前は悪童だから来てはならぬ」と父親が注意したにも関わらず、賢いマウイは父親の跡をつけてこっそりとついていった。仕方なく父親は草刈りを手伝わせたが「後ろを振り返ってはいけない」と注意したにも関わらずマウイは落ち着きなく何度も後ろを見た。そのせいで草が伸び放題になり仕事がちっとも捗らなかった。

  父親は「手伝いはもう良いから食事を作る火を分けて貰って来い」と言う。

  マウイは「火とは何ですか?」と聞く。父親は「この先の家に住む老人が火を持っている。頼めば分けてくれる」と教えた。

  マウイが使いに行くとその家には確かに老人が居て火に当たっていた。マウイが頼むと快く火を分けてくれたが、なにしろ初めて火を視たものだから面白がって何度も消してしまった。そのせいで焚木が無くなり、ついに老人は怒りだした。

 「もう焚木がないぞ、あの木でも燃やすがいい」と意地悪く大木を示すと、マウイはそれを片手で持ち上げた。老人はその力強さにびっくりすると共にますます腹を立て、取っ組み合いの喧嘩が始まった。マウイは老人を力いっぱい投げ飛ばし、全身の骨を折って殺した。

  マウイが悠々と父親の元に火を持って帰ると、父親は酷く嘆いて言った。

  「なんて事をしたんだ。お前は自分のお祖父さんを殺してしまったのだぞ」……


 〝鬼〟の原像の一つに蓬莱トコヨから来る鬼……即ち祖霊の零落したイメージがある事は随分前に述べた。彼らが地の底から湧いて出る邪悪な怪物だと見なされていた事は事実だが、しかしそれだけでは鬼が打ち出の小槌をという無限の富を生み出す宝を持ち、時に不老長寿さえ授け、彼らの〝鬼ヶ島〟に宝が満ちていると考えられた理由が説明できない。

 海彼の光り輝く国と、試練を乗り越えた来訪者に富や食物や火を授ける仄暗い死者の国。日本本土と沖縄の間に位置する沖永良部島のニライカナイ《ニラの島》には、まだその両方のイメージが塗りこめられている。

 しかし日本ではいつの頃からか、相反しつつ同居していた「明るくて暗い」「優しくて恐ろしい」式の入り混じった幽冥な他界観は崩壊した。善いモノは常世から参り、悪いモノはまた違う処から来ると二分化された。一つの他界観は明るく好ましい他界と暗く忌まわしい他界に分離した。

 日本人が昔噺の中で思い描き語り継いできた鬼ヶ島は、ニライカナイの暗く恐ろしい部分のイメージだけが最も濃く切り取られた場所なのかも知れない。

 しかしながら――我々には未だ、正直爺さんの踊りを喜ぶ鬼が何故か優しく見える瞬間があり、煌びやかな理想郷の龍宮城が何故か恐ろしい場所に思える瞬間があるのではないか? 洗練された文筆や教義によって二分化された他界に違和感を感じる古く曖昧な感性は、まだ我々の中にも微かに在るような気がする。


「――……すまんなァ。話が枝葉に終始してしまうのはどうにも悪いクセだ」

 薄明るく仄暗い洞窟の中で、宮田はニヤと笑って横たわる彼女の顔を見つめた。ずっと亡骸と話しているのだ。他人が見たらさぞ恐ろしい光景に見えようが、今は不思議な安心感があった。この曖昧な明るさの中では却って彼女と通じ合っているような気がしてくる。

「分かった。分かった。続きを話そう」

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