二十一 焚死往生虫送り

 ドン――ドン――ドン

 薄闇の中で太鼓の音が低く響き渡っている。

 道には無数の松明の灯りが見える。近隣の村人達が笠をかぶって松明を持ち寄り、列を作りながら夜通しゆっくりゆっくりと歩いていた。こうして一晩かけて、近隣五村の田畑の横を通り抜けていく。

 小さな子供ほどの大きさの藁人形が行列の中で何体も高々と掲げられている。その〝顔〟にあたる部分には紙が巻かれ、稚拙な筆で微笑んだような顔が描かれていた。そうしてその人形の胸元には、蝗やら鼠やらの死骸が括り付けてある。

 村人達は松明を掲げたまま、夜通しずっとこんな呪文を唱えている。

「サネモリサマのー、御帰りなるぞー」

「者どもー、続けぇー、続けぇー」

 言い伝えによると、この掛け声に従って田畑に居着いた虫けらどもが一緒に帰っていくらしい。――ふん、ばかばかしい。虫けらが一体どこに帰るというのだ。

 だいたいサネモリサマとは一体何だ。恭しく唱えている村人達の誰に聞いても、曖昧に笑うだけで答えやしない。

 少しは学のありそうな者に聞けば「斉藤実盛の事であろう」などとしたり顔でいう。平家物語の武将と虫けらに何の関係があるのだと言ったらそいつもまた曖昧に笑って誤魔化しおった。全く以て面白くない。

 日本ひのもとにこんなに莫迦げた祭が他にあるのだろうか? 俺は無いような気がする。とすると我が地所は日本一の莫迦が集った村か?

 ドン――ドン――ドン

 空が少しばかり白んできた頃、ようやくこの〝虫送り〟の祭は終わりを迎える。

 村人達は高々と掲げていた藁人形を辻に並べて置き、そうして火をつけた。乾いた藁は括り付けられた死骸もろとも勢いよく燃えあがり、白い煙をもうもうとあげていた。

 そうして舞い上がる火の粉を見ながら村人達は歓声をあげている。徹夜で歩いていたせいもあるだろうが、どいつもこいつもギラギラとした目つきで恍惚としていた。汗と涙で顔じゅうがキラキラしている者もいる。

「チッ……」

 その熱狂している様を見ていると俺はどうにも逆に白けてしまい、手にした瓢箪に残った酒を飲み干すと馬に乗ってその場を立ち去った。

 この若い侍は空虚な気持ちを抱えていた。何か満たされない思いがあった。それが何なのかは自分でもよく分かっていなかった。

 むしゃくしゃした思いのまま馬を走らせていたが、夜明け前の涼やかな空気は気持ちよかった。気持ち良い風も吹いている。

 馬の走りの猛々しさは自分を勇気づけてくれたし、腰に下げた大きな太刀は自分の力強さを誇示してくれているような気がした。

 ――このまま日の出でも見に行くか。

 気持ちの良い風に吹かれたからでもなかろうが、柄にもない気取った事が頭に浮かんだ。

 思いついた男は馬を走らせ、近くで一番高い海沿いの高台へと向かっていった。


 鬱蒼とした雑木林を駆け抜け、なんとか日の出前の高台に辿り着く。

 とりあえず一息つこうとすると、そこには妙なものが見えた。日の出前の薄明るい空に一筋の煙が立ち昇っていたのである。そしてそこで、一人の男が何かを燃やしているようだった。

「やい貴様、そこで何をしておるのだ」

 興を削がれたように感じた侍は馬から降りながらいつもの――腹立ちまぎれに因縁をふっかける時の――調子でその男に声をかけた。

 しかし侍はすぐにその事を後悔した。その男は柿色の着物を纏い、足元は裸足であった。そうして頭には白い頭巾をかぶって顔を隠していたのである。その男は明らかに業病者であった。

 そんな者がこんな時間に何を燃やしているのかさっぱり分からなかったが、侍にとってはもうどうでもよい事だった。今すぐ駆け出して逃げ出したい思いがした。

 侍の怖気づいた心を知ってか知らずか、件の業病者は彼の方を向いてしゃがれた声でこう答えた。

「見ての通りで御座います。死体を焼いているので御座る。可哀想に……連れが死んだのです」

 それを聞いた侍はひどく身じろぎした。舞い上がる煙が途端にとても厭なものに思えてきた。男はさらにこう言う。

「お聞き下され。拙者はこのような病を患い、顔は爛れ、腰は折れ曲がり、指先に至るまで蔓のように曲がってしまい申した。天刑が下った――穢らわしいと郷里からは追い払われ、行く先々で疎まれ、はや三千世界に留まる所も無し。朽ち果てつつあるこの身体でどうするか――いやどう死ぬかと途方に暮れておりましたところ、同じ病で同じように流浪する身となったこの男と出会いました」

 彼はその曲がった指で燃え盛る火の方を指さす。――なるほどまだ燃えていない枯草の山の中にまだ足が見えている。

「同病相憐れむと申しますか、我々はすっかり意気投合して親友になり申した。この命果てるまでにいはんや何をするかと聞くと、いやはやこの男は素晴らしい事を教へてくれました」

 頭巾の隙間から垣間見える男の目が不思議な輝きを見せていて、侍を釘づけにして立ち去る事を許さなかった。身動きできずに侍は話を聞き続ける。

「こやつは、我は熊野に参ると度々申しておりました。熊野に詣でて生まれ清まりさっぱりした心持になりたいと常々申しておりました。なんでも熊野の権現様はたいそう心のお優しい方で、我らのような者ですらお見捨てにならないと申します。――拙者は元より文字も分からぬ菲才の徒なれど、我が親友が夢見る熊野に惚れ込み、此処までついて参りました」

 男は熱中したような語り口であった。あの不思議な瞳の輝きはこの熱狂のせいであったか。

 しかし此処から熊野まではまだ随分距離がある。馬でも何日かかるだろうか。熊野詣は難所が多く、途中で客死する者も多いと聞く。病人の足では尚の事苦労の多い道であろう。それに耐えられず、この場所で尽き果てたという事か。

「なるほど、なるほど。いきさつは分かった。友達が死んだので荼毘に附しておるのだな。しかし一人でこれだけ焚き付けを集めるのは難儀であったろうに……」

 男は侍の言葉には答えず、今度は指先を海の方に向けてこう述べた。

「――この海も、熊野の海も、きっと繋がっておりましょう。見える場所で燃やしてやりたかったのです」

 そう言うと彼は燃え盛る荼毘の火の隣に佇んだまま、寂しそうにさめざめと泣いた。


  熊野へまいらむと思へども 徒歩かちより参れば道遠し

  すぐれて山きびし 馬にて参れば苦行成らず

  空より参らむ羽をべ若王子

   ――『梁塵秘抄』――


 この侍は情の薄い乱暴者として有名であったが、どういうわけかこの業病者の惨めな末路を哀れに思っていた。

 煙をあげながら熊野に辿り着けなかった業病者の亡骸が焼かれている。その光景を見ていると先ほど眺めていた、蝗や鼠の死骸もととも焼かれる人形を連想してしまい、侍は複雑な気持ちになってしまい目をそらした。。

 すると頭巾の方の業病者が、いつの間にか自分をじっと見ていた事に気が付いた。

 侍はこの男にも同情の気持ちを抱いていた。助けてやれる事もあるかも知れぬ。熊野に行く金くらいなら工面してやろうという気持ちさえあった。

「どうした?」

 きわめて優しい気持ちで応じたつもりであったが、男は侍の顔を指さしてこう述べた。

「――お侍様も、拙者と同じ病になりますぞ」

 全身の毛が逆立つような思いがした。

「ふざけるな! 俺が――俺が業病にかかるだと!」

 怒りがこみ上げ思わず太刀を抜いて怒鳴る。しかし件の男はその曲がった指を侍に向けたまま、じっとしている。

「拙者は自分と同じ病人を何人も見てまいりました。軽いのから重いのまで色々と。だからお侍様の顔に相が出ているのが分かるので御座います」

「黙れ! 黙れ! 成るとしたら――貴様が伝染すのだ! そこから一歩でも近づいたら叩き斬るぞ!」

 刀を振り回して怒鳴り散らすが、業病者は微動だにしない。

「この病は人にはほぼ伝染りませぬが、そう言われるのは慣れております。いきなり石を投げつけてこないだけお侍様はお優しい。――良いですか? 今から養生すれば成らない……かも知れませぬ。これだけは覚えておいて下され」

「黙れ! 去ね! 穢らわしいわ!」

 侍はもう腹が立って仕方が無く(それは恐怖の裏返しだった)聞く耳も持たず叫んだ。それでいて自分から動くことはできなかった。

 男はもうそれを無視して亡骸を焼く方を見ていた。

「こやつは面白い事を申しておりました。熊野の権現様は海の更に向こうにおられると。権現様……観音様……ともかく何かが居て、そこで我々は生まれ清まるのだと。――拙者も今は、その夢が見とうございます」

 そう呟きながら男はふらりと海の方へ向き直り、しばらくの間息をのむようにじっとしていた。

 そうして再び、刀を持ったまま立ちすくんでいる侍の方を振り返った。

「…………」

「は?」

 ボソボソと何かを言ったように聞こえたが、それを問い返す間もなく、男は亡骸を焼く火の中に頭から身を投じた。

 火はまるでそれを待っていたかのように大きく燃え上がり、その体はたちまちのうちに火中に飲み込まれていった。

「南無観世音菩薩……!」「南無慈母観音……!」

 男は唱名を繰り返しながら火の中で合掌し続けていたが、最後に絶叫じみた不明瞭な声をあげながら大海原の方へと手を伸ばした。その声が侍には「妣の国」と叫んだように聞こえた。

 ともかくそれが男の最後で、そうしてそれっきり炎の中に消えていった。


 その一部始終を目撃した件の侍は、やがて我に返ると馬も放ったまま一目散に駆けて逃げ出した。

 男の絶叫のような唱名の声が耳にこびりつき肉の焼け焦げる臭いが鼻から離れなかった。酷い吐き気を催している。

 おそらくは自分の命もあと僅かと感じての〝焚死往生〟なのだろうが、火に飛び込む前のなんとも言えないあの目つき――どこまでも嬉しそうに微笑んだような目つきが何よりも一番恐ろしかった。

 火中や水中に飛び込み自死する者がいる事くらいは自分とて知っている。だが必ず死ぬという直前であんな顔をするものなのだろうか。分からない。

 あの時、あの男は最後に「見えた」と言っていたような気がする。一体海の向こうに何が「見えた」のか。もしもそれが分かってしまったとしたら、自分も同じ事をしてしまうのではないか。恐ろしくてたまらなかった。

 様々なものが脳裏に浮かび絡み合っていく。虫送りの人形……火……あの男。


 どれだけ走っただろうか。目前に煙が見えた。あれは虫送りの煙だ。あそこなら村人達が居る筈だ。それに気づいた途端、侍はへなへなと腰が抜けたように地面の上に座り込んだ。

 丁度その瞬間、パアっと薄明るい光が背後の方から差し込んできた。男が戦慄きながらそっと振り返ると――それは丁度海彼から顔を出し昇っててきた朝陽の光であった。

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