十四 テダバンタ
私がずいぶん昔によく歌っていた神歌にこういうのがある。私達の国語で忠実に詠むならばこうなるだろうか。
トゥシアマイ、ナイビタン、テダバンタ、ウシュキテイ
(齢が余りました……テダバンタへ来ました)
シッチハタバルヤ、ナミヌシルタツ、ナミヤハタバルヤ、ヒブイタツサ
(干潟に波が立つ……波が立った干潟から煙が立つ)
ニルヤリーチュ、ウシキテ、ハナヤリーチュ、ウシキテ
(ニルヤリーチュに来て、ハナヤリーチュに来て)
私たちはこの歌を、人が死んでその亡骸を
先達に言わせれば、これは死者の運命を教え、迷わずニルヤに向かわせるための歌なのだという。
寿命が来た人はテダバンタへ行き、その人を迎えるために波が打ち寄せ、煙のような
私も祝女の端くれとして歌っていた。私のような狂人の声が死者の耳に届いていたのか、そこまでは分からないのだけれど。
亡骸が骨になるまで晒しておく場所を後生と呼ぶが、雅に呼ぶ時はテダバンタとも呼ぶ。
テダバンタとは「太陽の岬」という意味だ。別に本当に岬だとは限らない。多くは洞窟だった。
私見を述べるならば、太陽は後生に運ばれた亡骸を速やかに〝溶かす〟からなのではないかとも思う。
人は死ねば必ず腐乱し恐ろしい――ウジタカリコロロキテ――姿をさらすが、一方でそこを経なければ魂の浄化がなされない。太陽はいわば死者を浄化させる神だ。そうして浄化が済めば魂は晴れて煙のようにニルヤへと飛んでいく事ができる。
――とにかく我々は、亡骸を白骨になるまでさらしておく場所をテダバンタと呼んでいた。
私が居るこの場所は、静かで、穏やかで、いつも暖かい光と清い風が吹いている。
私はこの清い場所を、いつごろからかテダバンタと呼んでいる。宙に浮いたような私にふさわしい場所だ。しかし太陽がいくら照らせど私はこの場所を離れる事ができなかった。
時々――本当に時々、この海岸を訪れる人があった。
一番最近訪れた人は……たしかヒラタハンベエアツタネとか名乗っていた。ギョロギョロとした目の怖い顔つきだったが、雄弁に喋る面白い人だった。
しかしずっと探していたという御爺さんを見つけるとそのまま去り、二度と戻って来なかった。
お坊様も時々渡ってきた。あの人を思い出して嬉しかった――勿論あの人の方が素敵なのは言うまでもない――のだけれど、彼らもみんな何かを見つけて去ってしまった。ずいぶん前だけど私をウカンルリだとか呼んだ人もいた気がする。
とにかく、訪問者が来るとほんの少しだけ寂しさが慰められる気がする。
だけど彼らは幻視のように突然に消えてしまう。気が付けば私はこの海岸にぽつんと立っている。初めから誰も私の前に居なかったかのように。夢から醒めたように。
そうして気が狂いそうな孤独が再びやってくる。あるいは気が狂ってしまったからそのような幻で心を慰めているのか――どちらでも良い事だ。
今、私の前にはヤマトから来た男がいる。神を視ないで神を知る。私やあの人にも似ているかも知れない。
精一杯できる限りもてなして心をつなぎとめようとしたつもりだが、彼もまた私には行けない何処かを見ている。
また私は置いて行かれるのだろうか。
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