九 忘却の渚

 燭台の火がチロチロと踊っているのが見えた。薄目にももう夜半である事が分かる。

 自分とあの娘――マヤは同衾した。一糸まとわぬ姿で今我々は布団の中にいる。

 彼女は今、自分の胸のあたりに顔をうずめるように抱きついてじっとしている。顔は見えないが、たしかに息遣いが感じられる。おろした髪が灯火に照らされて艶やかに見えた。

 見つめられ、誘われるように伴寝してしまった。マヤは若く美しい娘だ。誘われれば……まあ悪い気がする男は居まい。

 しかしそれにしても、さながら魅入られたように寝てしまったのが我ながら不思議ではあった。

(軍隊暮らしが長すぎたせいかも知れん……)

 そうだぞ。俺はたった二日前まで軍人として戦場にいたのだ。うっかりするとその事を忘れそうになる。本土決戦前の捨石として送り込まれた自分が腹一杯飲み食いして、波の音色だけを聞きながら女と寝ている。おまけに戦死したとおぼしき英霊達を見送って……可笑しな話である。

 自分だけが妙な処に置いて於かれていて、まるで龍宮りゅうぐうのように感じる。

 ――龍宮。現在では海底にあるというイメージの強い龍宮だが、それは仏法に於ける龍神信仰との融合の結果であるという。誰でも感じる事であろうが、日本の伝説に登場する龍宮には龍が居ない。そして〝乙姫〟などと呼ばれる姫が住んでいる。そしてこの姫は仏法の説く龍宮には住んでいないのである。

 これは日本の龍宮伝説が決して仏法や漢籍からの翻案ではなく、仏法伝来以前から存在した海の宮伝説にその名だけを被せたに過ぎない事をよく示している。

海の宮に外国渡来の名を冠する事は甚だ多く、日本書紀に至ってはそこを蓬莱山ホウライサンと記述し「トコヨノクニ」と訓じている。


 丹波国余社郡の管川の人、端江浦島の子、舟に乗りて釣りす。遂に大亀を得たり。便に女に化為せる。是に、浦島子、感りて婦にす。相遂ひて海に入る。蓬莱山トコヨノクニに到りて、仙衆ひじりめぐり観る。語は別巻に在り。

   ――『日本書紀』雄略紀――


 大陸人のいう蓬莱山は海洋に聳える山のような島であるし、日本においてもやはり同様である。例えば『竹取物語』では「東の海に蓬莱という山あるなり」「舟のうちをなんせめて見る。海の上に漂へる山いと大きにてあり」と記述されている。

 更に後代に成立した『浦島の太郎』の御伽草子では蓬莱という文字もトコヨという言葉もすでに失われ「龍宮」と化しているのだが、いわゆる乙姫に当たる姫が海上に浮かぶ舟に乗り、浦島太郎の前に現れたと描かれる。

 浦島太郎が誘われるままに彼女の舟に乗り込むと舟は信じられない速さで進み、やがて〝黄金こがねの浜〟という海岸に辿り着き、龍宮城で豪勢な歓待を受けたという。

「海岸……またか」

 何に思いを巡らせても此処に出くわす気がしてくる。ずっと渚の音ばかりが耳につくから知らず知らず気をとられているのかも知れない。


 そんな事を漫然と考えていると、自分に抱きついている腕にキュっと力がこめられたのが感じられた。マヤが自分に抱きつく力を強めたのだ。しがみついているように感じられた。

「……マヤ。どうした?」

 自分の胸に顔をうずめていたマヤがそっと顔をあげ、上目遣いにこちらを見てきた。その表情は泣きそうになっていた。

「あの――私の体を抱いてもらえませんか? お願いです」

 宮田はそれに応えるように両腕を彼女の背中に回し、布団の中で抱きしめ合うような形になった。肌の感触も体温も髪の匂いも、何もかもが若々しく感じられた。

 マヤはそのまましばらく黙りこくっていたが、やがて目線だけを向けたままこう話し始めた。

「今日の昼間、寝ている間に夢を見ました。私は海岸に居たのです」

「それはこんな場所に居るせいだろう。俺もすぐにどうも気をとられてしまうよ」

「いいえ、此処とは違います。よく似ていますがどこか違うのです。……波打際をとぼとぼと歩いていると私は人に出会いました。刀を差した痩せた男の人で、ヤマトから来たのだと言っていました。私とその人はしばらく一緒に歩いていましたが、やがて老人に出会うと泣きながら手をついて拝礼し、もう私など見えないという風に老人と話し込んでいました。……そこからまたとぼとぼと歩くうち、今度はは小舟から降りてきたお坊様と一緒に歩いておりましたが、その人もやがて何かを見つけるとどこかへ行ってしまいました」

「お前は夢を見ただけだ。俺とした話が影響しているんだろう。ただの夢だ。大丈夫」

「そう、夢です。ですが、本当なのです。あの人達はみんな海岸からニルヤに行きました。あそこはきっとニルヤの海岸なのです。ですが私は此処に戻ってきました。私には見送る事しかできません……とても長い間、私は此処に置いて行かれ続けました」

 シャーマンはしばしば夢の中で幻想の世界を感じ取り神霊と交感するという。例えばアメリカ原住民の原初的シャーマンは夢の中で神霊と対話し、あるいは対決して打ち払う事で現実のあらゆる災厄を退ける事ができると信じられていた。シャーマンとは自分の意志で自在に夢を見られる者なのだともいう。

 多くの民族に於いて、夢とは現世と地続きの不可分隣合わせの世界であり、シャーマンはそこを覗き見、踏み入る事ができる者だと考えられていた。

「……ニライカナイというのは死人の国だろう? そこがそうだと言うなら、そんな所に渡らずにすんでいるのなら、お前は幸運だというべきじゃないか?」

「たしかに、私は死んではおりませぬ。ですがこのような場所に囚われ見送るだけなのは耐え難い思いがあります。胸が引き裂かれる心地がいたします。それに――」

「……それに?」

「……なぜ、人は死んだらニルヤに行くのでしょうか?」

 思わぬ言葉が、ニライカナイを奉じる彼女の口から出てきた。しかしその口ぶりはふざけている感じは一切ない。本当に分からない、といった風であった。

「それは、ニライカナイが死者の国だからだろう?」

「それでは答えになっていません。それに、ニルヤからは毎年神が来ると言われます。ニルヤの神が豊作をもたらすとも。一体なぜ死者の行く国がそのようなモノをもたらすのでしょうか。――それどころか、ニルヤは害をなす虫や鼠の故郷だとさえ言われてきました。一体ニルヤとは何なのでしょうか。私はニルヤを信じているのに、もうニルヤが分からないのです」

 ニライカナイの伝説は多様に過ぎるように確かに感じる。空想上の観念としてしか受け取らないならばそれをそのままに受け入れるだけなのだろうが、実態として奉じる者にとってその曖昧さは何よりも大きな問題になるのであろう。

 そしてそれはすなわち、日本人の常世国についても言えるのではないだろうか。

「何もかも忘れてしまったのは、俺達ヤマトンチュの方も同じだよ」

 宮田はマヤを抱いたまま、そう告げた。



 例の漂着物の中に日本製のビールがあった。おそらく海軍の酒保品であろう。栓を抜くとまだ充分に飲めそうであったので器に注ぐ。ぬるいがどろりとした口当たりが心地いい。

 軍袴だけを履き、器と瓶を持ったまま外の砂浜へと出てきた。薄手の着流しを着たマヤも後からついてくる。夜空には星と大きな満月が輝き、あたりを明々と照らしている。

 海はさすがに黒々として見えたが不思議と気味悪さは感じない。妙な開放感がる。

「飲むかね?」と言ってビールの入った器を差し出すとマヤは受け取ってごくりと飲んだが、どうも口に合わなかったようで苦い顔をしていた。


 ――狂言の演目に『節分』という話がある。現存する台本が成立したのは江戸時代中期の比較的新しい演目といえる。

 節分の日の夜遅く、美しい女が夫の留守を一人で守っていると訪ねて来る者がある。それは鬼であった。

 鬼は「自分は蓬莱の島から此処まで来た。腹が減ったので食を供してくれないか」と頼み込む。そこで女は麦を出したが、鬼はこれは食べられないと言う。

 女の美しさを見初めた鬼は陽気に小唄など歌って口説き始めるが女はウンとは言わない。女は「私に惚れていると言うなら宝物を見せておくれ。そうしたら気持ちを信じよう」と言う。

 そこで鬼は蓬莱の島から持って来た打ち出の小槌を女に手渡す。しかし女は鬼を騙していた。女はすかさず「鬼は外」と唱えながら豆をぶつけ、追い掛け回して鬼を追い出す。こうして女は間抜けな鬼を騙し、まんまと打ち出の小槌を手に入れた――という笑い話である。

 蓬莱の島という言葉が常世の異名として古代人に受け止められていた事は疑いがない。鬼は常世から来ていたのである。

 しかし常世に向けた信仰が衰退していくと共に、同じ場所を表す二つの名前も光り輝く豊穣の国だという事も忘れられていった。いつしか常世の使者は「恐ろしい鬼」「幸をもたらす打ち出の小槌をもっている」というイメージへと変質していった。

 節分(すなわち季節の境の日)に現れる鬼の姿は、常世から幸をもたらす為に訪れる使者の名残に他ならない。折口信夫先生などはそれを〝祖霊〟であると解釈している。節分に現れる者をご先祖だと解している習俗も同様に多いからだ。

 仏法の教義ではどんなに尽くしても説明し切れないお盆行事も元は季節の境の祭であったというし、かの『徒然草』が懐かしげに記述する大晦日の「なき人の来る夜とてたままつるわざ」の話なども、年の境の日に死者の霊が家に帰ってくるという信仰がかつてあった事を今日まで伝えてくれている。

 しかしそれを迎え入れるべきはずの――かの鬼の愛しい子孫に他ならない――女、そして狂言作者や観客達もすでに鬼の正体を見失っており、節分に家にやってきて幸をもたらすはずの祖霊はもはやノコノコやって来て宝を奪われる滑稽な鬼としか映らなくなっていたのである。


「……一寸法師に退散させられる鬼が打ち出の小槌などという宝を持っているのは何故か。瘤取り爺さんの踊りを喜んだ鬼が紙か何かのように病を剥がす事ができたのは何故か。桃太郎が乗り込んだ鬼が島には何故宝物に満ちていたのか――全ては同じ理由だ。鬼は常世から帰って来た祖霊の残影だと考える事はできなくもない。少なくともそのごく一部をこうして説明する事はできると思う」

 自説(?)を披露した宮田はマヤの方へ向き直り、こう続ける。

「ほとんど忘れてしまったのは此方も其方も同じ事だ。だが我々には、信仰に篤かった時代にはまだ得られなかった知識がある。日本中、勿論沖縄も――いやそれどころか世界中に残る残影を比較し考察する事ができる多くの知見と突き合せる事だってできるだろう。疑問を抱き、比較し、探求する。それが科学的志向というものだ」

 そこまで述べたところで、此処に来る前に見かけた亀甲墓を忸怩たる思いで見ていた事がふと頭をよぎり、「戦争でもなければの話だがな」とうめくような声で付け足した。

 宮田の話をマヤは傍らで何も言わずただじっと聞いている。話がわからないという様子ではない。彼女は聡明な女性であるように感じる。

 さらに彼は続ける。

「知識は収集し触れ合う事で新たな知見を見出すものだ。少なくとも俺はそう信じる。柳田國男はフレイザーやハイネの影響を大きく受けているし、南方熊楠は明治の世に大英博物館のリーディングルームに勤め全世界の膨大な知識を吸収して知の巨人となった。――新たな知識、世界の知識がこの国の幻想を考察する上でも大きな役に立つ事は彼らが証明して見せている」

 日本民俗学は欧米の人類学や民俗学の見識や方法論を学ぶ事で大きく飛翔したと言えよう。土俗的な世界観を軽視せず取り入れて考察するというやり方は、例えば江戸時代の篤胤ら古学者がある意味では先駆者とも言える。

 しかしこの列島の端々、さらには国外の例までも広く引けるようになった明治以降こそがやはり開明の瞬間といえるのではないだろうか。

「時の流れの中で忘れてしまったとしても、それで終わりではない。それを探求する手段はまだ失われていない」

 夜の海を見つめながら宮田は力強くそう言い締めると手に持ったビール瓶に口をつけ、ぐいと飲み干した。

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