八 神の姿・神の声
はるか昔の記憶。
暖かく麗かな春の日差しが眩しかった。
木洩れ日を浴びながら若い僧侶と若い祝女が畑沿いを連れ立ってのんびりと歩いている。僧侶の方はハタハタと扇子で顔をあおいでいた。
「いやはや――暑うございますな」
僧侶の方はうだるような顔をしながら訴えたが、祝女の方は文字通り涼しげである。
「そうですか? 気持ちのよい春日だと思うのですが」
「さすが琉球の方は慣れておられる。
「ヤマトにも虫送りがあるのですか? 私達もカタツムリやイナゴを捕まえて海に送る事がありますよ。泳ぎの達者な者が海に潜り、珊瑚礁の穴の中に置いて行くのです」
「ふーむ。拙僧の故郷は山奥でしたが、そこでは火を使う祭でしたな。紙で懐ほどの大きさの人形を作って、里外れでそれを燃やして……子供でも知っている祭ですが、そういえばどこへ〝送る〟のか考えた事がありませんな。煙で燻されて実際虫が逃げて行くという者もおりますが、いくらなんでも火種が小さすぎます」
僧侶はカラカラと笑い、つられて祝女もクスクスと可笑しそうに笑い始めた。
後ろからドタバタと駆ける足音が聞こえた。子供達が四人。「祝女様、上人様、こんにちわ!」と挨拶をしてきた。
子供達に挨拶を返していると、僧侶は彼らが皆藁を抱えているのに気が付いた。
「おや? 草鞋でも作るのでしょうか」
僧侶が興味深げに尋ねると、子供達は大きな声で
「ナマトンカナシ!」
とだけ大きな声で応え、そのままたドタバタと二人を追い越していった。
ナマトンカナシ――耳慣れない言葉であったので首をかしげていると、祝女はこう教えた。
「ナマトン
祝女の話をフンフンと聞いていた僧侶はぎょっとして口を挟んだ。
「神を、焼いてしまうのですか? 一体どうして……」
「それが、私達にももうはっきりとは理由が分からなくなっているのです。ナマトンカナシが実は悪い
「……祝女殿は神の声を聞く事ができるのでしょう? ナマトンカナシが作られたら尋ねてみれば良いではないですか」
僧侶の言葉に、祝女は寂しげに笑ってこう応えるのみであった。
「私は祝女だなどと言って日々祈っておりますが、そのじつ一度も神と話などできた事はありませぬ。昔の祝女ならば自在に神と交信できたのかも知れませんが」
「なるほど……確かに当世で御仏に仕える者も御仏を見た事などありませんからな。いやはやおそるべきは末法の世です――我々はすっかり見る目も聞く耳もなくしてしまった」
僧侶は分かっているのかいないのか、腕を組んでうんうんと頷いていた。
――やがて祝女と僧侶は拓けた海沿いの野原へ辿り着いた。
そこでは人々が家々で乾していた藁をせっせと束ね、結び合わせ、木の棒などを差し込みながらあの由来不明の大きな偶像を作っていた。〝大なる人〟の方であろう奇妙な藁人形はまだ四肢をつけられず、大方完成した牛の像によりかけるようにして立たされていた。そのまわりを物珍しそうに小鳥達が飛び回っている。顔に貼り付けられた――この神の目を目を現すであろう木の皮がじっと二人の事を睨みつけていた。
僧侶はその偶像に向かって合掌し、しばらく観想し、そしてさもありなんと頷いた後に祝女の方を向いた。
「いや、やはり拙僧では何も見えませぬし聞こえませぬ。ただの藁人形のように見えます」
「良かった。上人様にだけ神様の声が聞こえたらどうしようかと思いました」
二人は吹き出すように笑い、そのまま隣り合って青草の上へと座り込んだ。
人々は長年の慣習どおり手際よくナマトンカナシの人形を組み上げていく。大なる人の方に足を表すであろう藁束が結び付けられ、肩らしき部分にも藁束が結えられ腕を表している。どうにか人らしき形のようになってきたようである。
その様子を物珍しそうに眺めていた僧侶は、やがて感慨深げに溜息を吐き、そしてこう話を切り出した。
「しかし――末法の世なら末法の世なりの、
「……?」
「拙僧は今の世では見る事もできない神仏の姿をこの眼で見たいと深く願った故、
そこまで口にして、僧侶は恥じるように祝女から目をそらした。つられて祝女も気恥ずかしさを感じて目をそらしてしまった。
彼の僧侶は二十歳そこそこの男子相応のはにかんだような笑みを浮かべながら、照れ隠しのように喋り続ける。
「そう――そう。拙僧は古の神仏の世界を解明したいと願っているのです。神仏の姿が見えず、声が聞こえず――しかしそんな世だからこそ見える事もきっとあります。拙僧はそれが知りたいのです。そしてそれを知るにはこの国をも、もっと知る必要があります」
神を見ずに神を知る……そう熱っぽく弁舌をふるう僧侶の横顔を見ながら、祝女は不思議な胸の高鳴りを感じていた。
――僧侶はやがて祝女の方へ向き直り、頬を真っ赤に紅潮させながら、彼の戒律が本来深く咎める思いを告げた。祝女はおどろいた様子であったが、しばし考えた後に僧侶の手を握り、嬉しそうに頷いた。美男子にして情熱家のこのヤマトの僧侶に、祝女もまた恋をしていたのである。
祝女と僧侶は手を握り合ったまま海辺の方を向き、自分と相手の知見を教え合っていた。
そうして僧侶は海の向こうや空を指差し、その向こうに対する情念を語り続けた。それは祝女が長い間、伝承の向こうのおぼろげな幻想となったニルヤカナヤに向けていた情念にもどこか似ていた。
神像を仕上げる事に忙しい人々はこの若い男女が少し離れた場所に座っている事にすら気付いていなかったが、彼の神像はその木の皮で作られた眼を以て、二人の後ろ姿を見据えていた。
…ボヘミアでは子供達が死神を表す藁人形と共に村のはずれまで行き、そこでこれを燃やして次のような歌を歌う。
さあ、私達は死神を村から追い出して新しい夏を村に運び込む。
夏よ、ようこそ、ようこそ、緑のかわいい小麦!
――J・Gフレイザー『金枝篇』(吉川信・訳)――
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