その後の話
「あら〜。ここも折れちゃってますねぇ。」
「やっぱり直すの、時間かかりそうか?」
エウラスの翼面上で四つん這いになる私の頭の上に乗って、バルトも覗き込みます。
翼の張力を保つワイヤーが千切れ、上部翼(アッパーウィング)と下部翼(ロウアーウィング)を結んで支える支柱が、ぽっきりいっちゃっているのです。他にも、桟橋に叩きつけられたのでしょうか、左のフロートがべっこり凹み、防水区画の一つが水浸しで浮力が落ちています。つまり、機体が左側に傾いて、なんとも、とほほな様相を呈しているわけです。それら、大きな破損以外にも、羽布に穴が開いたり、コックピットが水浸しになっていたりと、細かい損傷は枚挙に暇(いとま)がありません。
「まぁ、粉々に砕けて沈まなかっただけでも、御の字じゃねぇの。あの風と雨の中、ずっとさらされてたわけだからさ。」
呑気な声で、バルトが言います。
「そうなんでしょうけれどね。それにしたって、ああ、私の可愛いエウラスが、このような姿に。悲しいのです。」
言って、私は本当に悲しい気持ちで、満身創痍のエウラスを撫でます。
竜嵐が去った後、風雨にさらされたエウラスが気になって飛んできたのが数日前。
見るも無惨な状態のエウラスに愕然としながらも、各所をチェックし、少しずつ修理を初めていたのです。
「修理には一ヶ月近くかかってしまいそうですね、この分ですと。」
「なぁ、いっそ、船のドックに入れてもらって、そこで直したらどうだ? こいつだって水に浮いてるんだ。船と大してかわりねぇだろ。」
「いえ、エウラスは船じゃありませんけれど・・ふむ。ドックで修理、というのは良い案かも知れませんね。工具、機材はそろっているわけですし。」
「だろ? こんだけでかい港だ。小型船用の修理工場なんざ、いくらでもあるぜ。」
さもありなん、ぐるりと見渡しただけでも、修理工場と思しき建物がいくつも視界に入ります。
「んーと。そうですね。では、あの辺りに頼んでみますか。」
私はなるべく、外観のぼろ・・、年季の入っていそうな修理工場を指します。
「あん? あの崩れかけた小屋みたいなところか? 止めとけよ、もうちょっとマシな所にした方がいいぜ。」
「直ればそれでいいんです。」
「・・・予算だろ。」
ぼつりと図星を刺してくるバルト。寂しい懐具合からして、修理費に回せる分は限られているのです。かなり。
「べ、別に、見た目がすべてじゃないですからね。大事なのは、中身です。ほら、さっきから人の出入りも頻繁ですし、きっと腕はいいはずです。あそこにしましょう。後で頼みに行きますから。」
「はいはい、分かったよ。別に俺が口をはさむいわれはねぇけどさ。」
「さぁ、修理へ出す前に、自分で直せるところは、ちゃっちゃと直してしまいましょう。バルト、手伝ってください。」
「おう。」
猫の手、いえ、鴉の嘴も借りたいぐらい、忙しくなりそうです。
と、そこへ、桟橋を物凄いスピードで疾駆する自転車が一台、やって来ます。海に落ちる直前で急ブレーキをかけると、私の方を仰ぎ見る郵便配達の若者。
「おーい、あんた、イーミャ・バスティアネリさん?」
「はい、そうですけれど、何か?」
「郵便だよ。」
浅黒く日焼けした配達のにぃさんが手渡してくれたのは、一枚の葉書でした。
「ありがとうございます・・・。」
私がお礼を言った時にはすでに、郵便配達の自転車は桟橋を港に向かって走り出していました。あちらも忙しそうみたいですね。
「誰からだ?」バルトが興味深そうに覗き込みます。
「さて? 私がここにいることを知っている方なんて、限られていますし・・・。」
差出人は書いてありません。
裏返しますと、真っ白な紙面の右下へ小さく、
東風に乗った土竜(もぐら)は、じき逃げ出す
とだけ、書かれています。
「東風に乗った土竜? 何のことですかね?」
一緒に覗いたバルトが言います。
「ふん。すぐに分かるこったろ。東風はエウラス、土竜は潜伏の暗示だ。こんなもんを書いて寄越せるってことは、拘束もされてない。」
私は、ぱっと顔を上げて言いました。
「ラノアさん!」
「だろうよ。」
「良かった。無事だったんですね・・・。」
「あの後、竜嵐が来たからな。どさくさに紛れて逃げるには、好都合だったってことさ。」
もしも憲兵に拘束されでもしたら、と心配だったのですが、ラノアさん、無事逃げることができたみたいです。
それにしても、
「ふふ。」
「何だよ。」
「ラノアさん、ご自分をモグラに例えるなんて、ちょっとかわいいところもあるんですね。」
なんだか、笑ってしまいます。
「かわいいわけねぇだろ、あの仏頂面野郎がさ。」
「仏頂面なんて、言い過ぎですよ、バルト。」
「事実は事実だ。」
「ちょっと不器用なだけです。」
「不器用どころじゃねぇだろ。何だよ、イーミャ。妙にあいつのこと、かばうな。もしかして、惚れ・・!」
「さぁ、バルト。エウラスの修理です。早く終わらせないと、いつまで経ってもロドリアに帰れませんよ。」
「あのな、イーミャ。お前、まさか、戦争が終わったら、ラノアんとこへ、会いに行くつもりじゃねぇだろうな。」
「あら、行ってはいけませんか?」
「やっぱり! 止めとけよ。もっといい野郎はいっぱいいるぜ。俺はごめんだ。」
「だったら、バルトはお留守番でもしていればいいのですよ。一人で行きますから。」
「なんだと・・! イーミャ!」
バタバタと羽をばたつかせ、抗議するバルトなのです。
レンチを握って、私は空を仰ぎました。戦争が終わったら、ですか。
なんだか、現実味のない言葉に聞こえますけれど、終わりのない物事なんてありません。この長きに渡る戦争も、いつか終わりを迎えるのでしょう。その後のことを考えながら過ごすのも、悪くはありませんね。
いきなり行ったら、ラノアさん、驚かれるでしょうかね?
いいえ、きっと、例の調子で、イーミャ、来たのか、なんて言いながら、ちょっと笑ってそれきり黙る、そんなところでしょう。
私はラノアさんとの再会を心に描きつつ、レンチを振るってエウラスの修理にかかります。と、その前に、観測日誌をつけねば、ですね。
気圧1020mbar、気温摂氏19度。西北西微風。
所感欄には、こう記します。本日、これ以上ない晴天也。
イーミャの空 桜田駱砂(さくらだらくさ) @sakuracamel
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