チャプター5 キャプテン・グラシアノ
扇状の面を、左右へ折り返しながらしばらく探索しておりますと、果たしてラノアさんのおっしゃる通りでした。大小様々な島が洋上に浮かんでいます。
その中のひとつを、ラノアさんが指さします。
「あの辺りが怪しい。入り江がある。」
「あれですね・・。」
私はポケットの中から、単眼の望遠鏡を取り出して、ラノアさんの指す島を確認します。この望遠鏡は懐にしまっていたおかげで、略奪を免れたのでした。
望遠鏡の狭い視野の中に、湖を抱える小さな島が浮かび上がります。海と直結していますから、湖、というより深い入り江と呼んだ方が妥当かも知れません。入り江は鬱蒼とした森に囲まれ、遠くからの人目を阻んでくれそうです。
さらに見つめておりますと、
「!」
私が突然、望遠鏡から目を逸らしたものですから、ラノアさんが尋ねます。
「どうした、イーミャ。何か見つけたのか。」
「は、はい。見つけました。」
「何があった?」
「何が、と言いましょうか、ナニが・・その・・・。お・・。」
「お?」
「空賊さんの一人が、その・・、おしっこしてました。岸壁から。」
「よし。」
よろしくないです。
男性のソレを、望遠鏡越しとはいえ見てしまったのですから。動揺が操縦にも出てしまいます。
「おそらく、奴らの飛行艇は入り江のどこかに隠してあるんだろう。島の裏側に回って接近しよう。」
「は、はい。」
あまり近づきすぎると、いくらなんでもエンジン音で気づかれてしまいます。島までまだだいぶ距離のある場所で着水、エンジンをぎりぎりまで絞って、海面を島に向かいます。
島の砂浜まで、残り数百メートル。日は暮れ始め、辺りは暗闇に支配されつつあります。ラノアさんが後席から声を掛けてきます。
「イーミャ、エンジンを切れ。」
「え? しかし、まだ島まで距離がありますよ。」
「いいんだ。ここからはロープで引っ張る。」
「ロープでって、どなたが?」
「俺がだ。」
ラノアさん、何を思いましたか、いきなり上着を脱ぎ始め、上半身裸になってしまいます。
「ちょ、ラノアさん? な、なぜお洋服を・・!」
私は思わず両手で顔を覆いながら、指の隙間から覗き見てしまいます。ラノアさん、着痩せするタイプなのでしょうか。物静かな雰囲気の割に、カラダは結構がっちりされているのです。ラノアさんの筋肉の隆起と、先ほど目の当たりにした空賊さんのソレが私の頭の中でぐるぐる回って、動悸が収まりません。
「ちょっと待ってろ。」
そう言い残して、ラノアさんはロープを担ぐと、色濃い黒色になり始めた海へと飛び込みます。岸まで泳ぐつもりなのでしょう。あっと言う間に見えなくなってしまいました。私は思い至って、ロープの端をエウラスの翼を支える支柱に結びつけます。
岸まで泳ぎきったラノアさんが、ロープを引いているようです。海面にたゆたうロープがピンと張ったかと思うと、エウラスの、羽布張りとはいえ決して軽くはない機体が、少しずつ岸に向かい始めます。
エウラスが浜辺の砂へ乗り上げる頃には、すっかり暗くなっていました。
「だいぶ暗くなりましたね・・・。ありがとうございます、ラノアさん。エウラスを引っ張っていただいて。」
さすがに、ラノアさんも肩で大きく息をついています。
「俺が勝手に考えた案を実行しただけだ。礼はいらない。」
ラノアさん、私の差し出す服を着て、周囲を眺めます。
「・・この暗さは、かえって好都合だな。闇に紛れることができる。機体を海側へ向ける。イーミャ、手伝ってくれ。」
「はい。」
すぐに飛び立てるように、ということでしょう。エウラスの機首を海に向け、エンジンをかけさえすれば、海面へ飛び出せるようにします。
「さて、バルトの居場所ですが・・・。」
「おそらく、例のキャプテンのそばに置かれているだろうな。鳥籠にでも押し込められているんだろう。入り江のそばに、奴らが寝起きしている場所があるはず・・・。」
ラノアさんがそこまで言ったときです。
不意に、私達のすぐ背後の茂みが揺れ、お酒臭い人影が、ぬぅ、いで現れます。
「んぉ? 誰だこんなところで。そんなところで小便すんじゃねぇよ。」
誰がしょ・・なんかしますか。
私が息を呑む隣で、ラノアさんが黒い電光のごとく人影に駆け寄ったかと思うと、相手のみぞおちに膝を、次いで顎先に強力な肘打ちをくらわせました。
ぐぅの音もなく、人影が倒れ伏します。
「この浜にも人の出入りがあるみたいだな。イーミャ、急ぐぞ。」
「あ、はい。あの・・・、ずいぶんお強いんですね。格闘技か何かのご経験が?」
「ああ、昔な。学生の頃、かじった程度だが、役に立った。」
「そうでしたか。道理で。」
人間、どこで何が役立つか分かりません。私達は息を潜めながら、倒れた空賊氏がやって来た方向へと進みます。
しばらく、濃密な木々の間を分け入りますと、大きな篝火が遠目に映りました。その先にはぽっかりと、黒い穴が口を開けています。洞窟です。
「あの奥か・・・。根城とするにはうってつけだな。」
「おあつらえむき、というやつですね。飛行艇を着水させたら、入り江に入って寝起きは洞窟で。集めたお宝を仮置きするにも便利そうですし、空から見ても、ぱっと見、無人島にしか思えないですから。」
周囲に気を配りながら、ゆっくりと洞窟の中へ入ります。高さは、私の身長のざっと5、6倍はあるでしょうか。かなりの広さと、奥行きがあるようです。
暗く、じめつく洞窟の壁面に手をつきながら進みますと、奥の方からざわめき、と言いましょうか、どんちゃん騒ぎが聞こえてきます。
岩陰からそっとのぞくと、ラノアさんの言う通りでした。彼らは獲物(金品)を肴に、酒盛りの真っ最中です。中には、かなり泥酔している空賊もおり、私達が堂々と歩み入っても、しばらく気付かれないのじゃないかというほどの酔いっぷりです。
「回り込む。」
「はい。」
焚き火を囲む騒ぎを迂回して、私達は洞窟の奥へと進みます。内部は大きな空洞をメインホールとして、その横へいくつも小さな穴、小部屋程度のものが穿たれています。調理場、食料室、寝室でしょうか、ほとんど原型を留めていないベッド、枕元に転がる酒瓶の数々・・・。空賊(かれら)とて、四六時中空を飛んでいるわけではないでしょうから、生活の匂いというやつが色濃く洞内に反映されています。
洞窟内の一番奥に、蔦文様の描かれた重厚な扉の部屋が現れました。この扉も、どこぞのお屋敷から強奪したものでしょうか。空賊の根城にある扉としては、瀟洒(しょうしゃ)に過ぎるような感じがします。
私とラノアさんは、顔を見合わせ、中の様子を伺いながら、そっと扉を開きます。鍵は掛かっていません。
部屋の中は薄暗く、机の上に一本、燭台(しょくだい)の蝋燭が揺らいでいるのみです。部屋の四隅には、黒々とした闇が淀んでいました。
「キャプテンさんの部屋、でしょうか・・・。」
「恐らくな。シャベリガラスのような貴重な鳥、そこらへ放置しておくとも思えない。どこか、鍵の閉まる戸棚にでも押し込めているか・・・。」
部屋の中に人の気配はありません。私は燭台を手に取ると、壁際に沿ってそれらしい場所を探してみます。
「ふぅむ・・。いませんね。」
私は小声で呼びかけてみます。
「バルト、私です。助けに来ましたよ。どこにいるんです。いたら、返事をしてください。」
さらに燭台をかざしますと、闇の中にいきなり、鉄製の花飾り紋様を施した、古めかしい鳥籠が現れました。中におりますのは。
「バルト! ここにいたんですか。返事をしてくださいよ。助けに来ましたよ。」
「イーミャ・・・。」
バルトが、何かを恐れるみたいに、ちら、と自身の後ろを見ます。
ぎょ、として、私は思わず一歩、後ずさりました。燭台の蝋燭に映し出されたのは、暗闇の中椅子に座り、こちらに拳銃を向けている空賊の頭、キャプテンだったのです。ゆっくりと目だけを見開くその姿は、さながら、闇に鎮座する石の彫像のようです。
「ずいぶんと。」彫像が口を開きます。
「大胆なことをするな、嬢ちゃん。空賊の根城へ忍び入って、お宝を奪い返そうなんて奴ぁ、そうそういねぇ。」
なんだか、昼間見たキャプテンとはまったく印象が違います。皆が酒盛りをしている間、この人は暗い部屋の中で一人、瞑想にでもふけっていたのでしょうか。荒々しい言葉遣いや態度の裏に潜む彼の闇に触れたような気がして、私は、何か見てはいけないものを見てしまったような、そんな気分になるのです。
キャプテンは、ラノアさんの動きも牽制します。
「お前も、動くなよ。嬢ちゃんの機に乗り込んで、いったいどういう立場か知らねぇが、油断ならねぇ目つきをしてやがる。動けばまず嬢ちゃんを撃つ。」
まるで、西瓜を割る、みたいにあっさりと、私を撃つと言います。言葉に何の感情も込められていないことが、かえって不気味です。
暗闇の中、表情の見えないままキャプテンは続けます。
「イーミャ・・。どこかで聞いたことがあるかと思えば、お前、バスティアネリの生き残りか。家は没落したらしいと聞いていたが・・・。まさかこんなところで、その令嬢と相対するとはな。」
キャプテンが、忌々しそうに言います。まるで、死んだ人物がお墓の中から這い出てきて、目の前に立っているかのような顔をしています。
「・・・・。」
私の背後で、ラノアさんが呟きます。
「バスティアネリ・・・?」
ラノアさんへの説明、というわけでもないのでしょうけれど、キャプテンは言います。
「当主がおっ死んだもんだから、傾きかけていた家は潰れるのも早かった。あとは禿鷹が死肉をあさるように、親戚、遠縁、財産の奪い合いってやつよ。あっと言う間に没落、行き場を失ったご令嬢様は、どうにかパイロットの職を得た、と。娼館に売られなかっただけ、マシってやつだ。」
「見てきたように言うのですね、あなたは。」
自分の声が、氷のように冷たく響くのを感じます。
私の過去。
思い出したくはない、できれば、なかったことにすらしたいと願う、辛い出来事です。どんなに忌まわしく思おうとも、私の魂から切り離すことのできない一部となって、背後に淀む影のようなものです。
「見なくたってその程度、想像はつくぜ。あさましく、意地の汚い人間の本性ってやつだ。綺麗事じゃ片のつかない領域は、この世界にごまんとある。この世の真理だ。まぁ、真理に近づくほど残酷な結果を目の当たりにするたぁ、皮肉な話ではあるがな。」
「・・・それで、悲しい過去を負う没落令嬢相手に銃をつきつけ、あなたはどうするというのです?」
「どうする、とはこっちの台詞だ、嬢ちゃん。部屋まで勝手に忍び込んできたのは、カラス(こいつ)を盗み出そうって魂胆だろうが、そうはさせねぇ。」
「盗み出すなどと・・。あなたが力づくで奪ったのでしょう。私はバルトを取り返しに来ただけです。」
「奪われたから、奪い返すか。なかなかいい根性してるが、こちとら空賊稼業で食ってる人間だ。そう簡単に飯のタネを手放すわけがねぇだろう。出て行け。名家の令嬢、いや、元令嬢か。そんなのでも殺せば、縁起が悪そうだ。おとなしく島から出て行けば、命だけは助けてやる。」
空賊の頭目から「そんなの」扱いをされる筋合いはありません。命だけは助けてやるなどと、完全に主導権を握ったつもりでおりますが、バルトなしにこの島を離れるつもりもないのです。
「・・・取引をしましょう。」
「あん? 取引だぁ?」
「はい。」
私は言って、シャツの下から、首にかけていたペンダントを取り出します。薔薇をモチーフとした小さな銀の台盤に、緑の瑪瑙(めのう)とラピスラズリがあしらわれた首飾り。
「バルトとこれを、交換です。」
バルトが、思わずといった感じで言います。
「イーミャ、そいつは母親の形見だろ・・! それは、やめろ。」
「いいんです、バルト。これを手放したとて、お母様への想いが、消えてなくなるわけじゃありません。あなたを失うことの方が、恐ろしいのです。」
「しかし、イーミャ・・・。そうやってひとつひとつ過去を失って、いつかお前までいなくなるんじゃないかって、俺は心配なんだよ。」
「過去を失うんじゃありません。失われたものを過去と呼んでいるだけです。バルト、私はいなくなりませんよ。」
「イーミャ・・・。」
キャプテンが暗がりから手を伸ばして、首飾りを取ります。
「ふん。さすがに、腐ってもバスティアネリか。いいもん持ってるじゃねぇか。」
「では・・。」
バルトを返してくれるのですね。そう言いかけた私の言葉を、キャプテンが遮ります。
「こいつは、カラスと一緒にいただいておく。」
「そんな・・! 交換と言ったじゃないですか。」
「俺は取引をするとも、交換するとも言ってねぇ。空賊を何だと思ってやがるんだ。奪えるものはすべて奪う。奪える時に、すべてを奪う。それが鉄則だぜ。こんな大層なお宝を、空賊の前にちらつかせたお前が悪い。」
「う・・・。」
迂闊でした。首飾りとバルトを交換、なんて話に、都合よく乗っかる人ではないのです。
「さぁ、命まで奪われる前に、とっとと消えちまいな。」
どすのきいた声で凄むキャプテン。銃口の前に無力な自分へ、腹立たしさすら感じます。万事休す、眼前にいる空賊の頭目に対抗する手立てを、持ち合わせていません、私は。
私は、です。
背後に立つラノアさんの動く、かすかな気配があります。私はそれへ呼応するように、手にした燭台を振り向けます。
「!」
キャプテンが反応するよりも一瞬早く、ラノアさんが部屋の片隅にある油樽を蹴り倒しました。どろりとした油が辺りに広がります。
燭台を油の海へと落とし、次の瞬間、部屋の中を紅蓮に染める、大きな炎が立ち上がりました。
「てめぇ!」
キャプテンの怒声と、ぱんっ、という乾いた音が室内へ、ほとんど同時に響きます。キャプテンの持つ銃が発砲されたのでしょう。
激しく燃える油を飛び越えながら、ラノアさんが叫びます。
「イーミャ、バルトローベを!」
「はいっ!」
ラノアさんはそのままキャプテンへと殺到し、二人がもつれながら床を転げ、それを視界の端に見ながら、私はバルトの入った鳥籠を抱えます。
「イーミャ! すまん。」
「言い訳、謝罪は後でたっぷりと聞きます。逃げますよ、バルト。ラノアさん!」
ラノアさんの方を振り向くと、キャプテンが彼へ馬乗りになっているではありませんか。
「このぉ!」
バルトが入ったままの鳥籠を振り回し、私は思いっきり、キャプテンの側頭部へ一撃を入れます。
ふぎゃっ、というバルトの悲鳴と共に、キャプテンが呻きます。鉄製の鳥籠アタック、なかなかの威力です。ひるんだキャプテンを押しのけ、ラノアさんは立ち上がると、私の手首をつかんで出口へと向かいます。
「逃げるぞ、イーミャ。」
ラノアさん、蹴破るようにしてドアを開ければ、騒ぎを聞きつけた空賊の皆さんと正面から鉢合わせです。
「あ、てめぇ! あのときの!」
「お頭の部屋が火の海だぞ! 水を持ってこい!」
「か、火事だぁ! み、みず・・!」
「だから火の海だって言ってんじゃねぇか!」
百戦錬磨の空賊とはいえ、今の今まで酔っ払い放題だった方々、派手に火の手を上げるキャプテンの部屋からいきなり私達が飛び出てきたものですから、かなり動揺している様子です。口々にわめき立てはするのですが、明らかに浮き足立っています。
ラノアさんが彼らに向かって思いっきり体当たりすると、連鎖的にばたばたと倒れ、道が開けます。
地面に倒れた空賊さん達を踏んづけないように、と申しましても何人かは踏まざるを得なかったのですが、とにかく、混乱に乗じて一気に包囲を突破します。
安いお酒の匂いで充満した洞窟から飛び出ますと、空には満天の星空が輝いていました。
星明かりに先導されながら、密林の中を駆け抜けます。
「お、おい、イーミャ! 早く出してくれよ。揺れすぎて酔いそうだ。」
バルトが籠の中から辛そうに言うのですが、
「もうちょっと我慢してください。後でちゃんと出してあげますから。」
今は鳥籠を開けている余裕はありません。木々の奥、暗がりの中から、追ってきた空賊達が今にも姿を見せそうなのですから。
駆けに駆けると、急に視界が開けました。入り江の裏側、浜辺に出たのです。
「エンジンをかける。イーミャ、手伝ってくれ。」
「はい!」
バルトを鳥籠ごと操縦席に放り込むと、クランクを突っ込んでフライホイールを回転させ始めます。こんなとき、バッテリー式のエンジンスターターがあるとありがたいのですが、ないものねだりをしても始まりません。
もどかしいほどゆっくりと、クランクが回り始めます。
エンジンスタートに必要な回転数まで、あと少しというというところ、背後の森の中で、閃光と同時に乾いた発砲音が響きました。
「ラノアさん!」
ラノアさんがもんどり打って浜辺に倒れ込んだのです。
「やはり、ここだったか。」木々の奥から姿を現したのは、キャプテンです。
硝煙のたなびく銃口、撃ったのはこの人です。
「なんということを・・!」
すぐにでもラノアさんのところへ駆け寄りたいところですが、拳銃はぴたりと私に向けられて、動くな、という暗黙の意思を示しています。
「油樽をひっくり返して火をつけるなんざ、なかなか味な真似をしてくれるぜ。おかげで根城が火の海だ。バスティアネリ、お前がなぜ姿を現わす。俺の前に。」
キャプテンはなぜか、私を家の名で呼びます。
「なぜだっ! お前を裏切った俺のもとへ、なぜその娘が現れる。お前は俺に、何が言いたい、ユーリ!」
キャプテンは、ひどく混乱しているように見えました。私に向かって、ユーリ、などとひどく馴染みのある、それでいて追憶の彼方から木霊するようなその名を口にするのですから。
「・・あなたは、父のことをご存知なのですね。私の父、ユーリ・バスティアネリのことを。」
私に向けられていた銃口が下がります。
「ふん。古い縁だ。軍にいた頃からのな。」
軍・・。父が昔、空軍に籍を置いていたことは聞いていましたが、ということは、このキャプテンも、元軍人ということになります。
私はエウラスの翼から降りながら言いました。
「何が私をあなたのもとへ導いたのか、私の父が何をあなたへ伝えたかったのかは分かりません。ただ、あなたご自身が、裏切りという自分の行為に怯えているからこそ、そんなことをおっしゃるのではありませんか。」
「怯えている、だとぉ? 俺は怯えちゃいねぇ!」
「ならばなぜ、そう吠えるのです。いったい、父との間に何があったというのです。」
やはり、キャプテンは動揺しているようです。瞳が一瞬、左右に振れます。私はその隙に、ゆっくりとラノアさんのそばへかがみますと、傷の具合を確かめます。
「う・・。」と、かすかに呻くラノアさんに、大きな出血は認められません。
よく見てみると、ベルトの金属バックルに弾丸が当たり、そこで止まっています。
「よかった・・・。弾は身体に届いていませんよ、ラノアさん。」
しばしの沈黙に続いて、キャプテンの顔が忌々しそうに歪みました。
「・・・ちっ。こんなことを尋ねられて、小娘相手に話す義理もねぇが、あいつの娘だ。教えてやろう。」
キャプテンはエウラスの胴体にもたれながら、話を続けます。
「・・・士官学校で同期だった俺達は、生まれも育った境遇もまったく違った。あいつは、名門、バスティアネリの次期当主として。片や、俺はしがない町工場(こうば)の息子さ。奨学制度でようやく通っていた俺は、金も、権力も生まれながらにして持つユーリの野郎が、いけ好かなかった。憎んでいたと言ってもいい。だが、あの野郎、自分が生まれながらに持つ幸運てやつを、まったく意に介さねぇ。そんなもん、最初からなかったかのように振る舞いやがる。ただひたすら出世を考えて生活を送っていた俺にも、分け隔てなくつるんできやがる。」
そう話すキャプテンさんの横顔を見ていると、ふと、私はあることに気づきました。昔、まだお屋敷に住んでいた頃、父の書斎で見た写真。士官服姿の父と肩を組んで、笑っている人。キャプテンさんは、その方にそっくりなのです。
いいえ、そっくりと申しますより、そのまま、本人なのでしょう。ずいぶんと趣(おもむき)は違っておりますが、話の合間に見せる表情が、当時の姿と重なるのです。
「俺は奴に取り入ろうとする人間を見ていると、反吐が出そうになった。奴の金、権力を目当てにたかろうとする奴らは大勢いたからな。だが、俺は考えた。取り入るつもりはねぇが、利用はできる、と。無邪気につるんできやがるあいつを、俺は受け入れた。受け入れている振りをした。士官学校を出て、俺は奴の動かす資産の一部に触れる機会を得た。馬鹿な野郎だ。利用されているとも知らず、俺にバスティアネリという名の富の一角を任せたんだからな。」
父にその話を聞いたことはありません。士官学校時代からの、仲のよい男がいる、とだけは、聞いた覚えもありますが、なぜか、その先の詳しい話をしたがらなかったのです・・。
「やるのは今だ、と俺は考えた。奴を利用する好機は今だ、と。その機を逃せば、俺は他の奴らと同じ、あいつに尻尾を振っていただけとなっちまう。俺は奴の資産の一部を、持ち逃げしてやったんだ。ざまぁ見ろと思ったぜ。金や財産がいくらあっても、一人の人間の心すら、繋ぎとめることはできねぇってことを、俺が身をもって証明したんだからな。持ち逃げした金は、海賊稼業の原資にしてやった。」
「・・・あなたは、してやったりと思ったのですね。」
「ああ。」
「本当にそう思ったのですか?」
「あん? 何が言いてぇ。」キャプテンが、怒気を孕んだ声で言い返します。
「だって、ご自分の成功体験を語るのに、なぜそんな悲しそうな顔をするのです?」
キャプテンの顔は、得意げに過去の成功を語る者のそれではありませんでした。苦渋の告解(こっかい)をしているかのような、悲しみの表情を浮かべているのです。
キャプテンはご自分がどんな顔をしているのか、想像もしていなかったのでしょう。私に言われて、ぎくりと片手で顔を覆います。
「キャプテンさん。あなたは心のどこかで、後悔していたんじゃありませんか。父を裏切ってしまったことを。父の持つものへ屈服したわけではないと証明するために、ご自分の心をも裏切ったのではありませんか。」
「て、てめぇ・・!」
「だからそのような顔をし、父の、ユーリの娘である私にそんなお話をされるのでは? それがあたかも、贖罪(しょくざい)となることを期待して。」
私はその言葉を口にしながら、じり、と後ずさっていました。
人からこれほどまでの、怒りの表情を向けられたのは、初めてだったからです。キャプテンの顔は、憤怒の、と呼んでいいほどに燃え上がり、目には激しい殺気が宿っています。私はここで殺されるかも知れない。そんな予感すら、覚えたほどです。
キャプテンの怒りの表情は、次の瞬間、一転して破顔の笑みに変わります。
「はっ! 言うじゃねぇか、嬢ちゃん。空の澪(みお)、頭目のグラシアノを前にして、そこまでずけずけとモノを言った奴は、初めてだ。ユーリの娘だけのことはある。目が、あいつそっくりだ。・・・贖罪、と言ったな。俺がそこまで殊勝な人間と思うのはお門違いというやつだが、それでも、俺は気になっていたのかも知れねぇ。資産を持ち逃げした俺を追うでもなく、糾弾もしねぇあいつとの間に、いつのまにか長い年月が横たわっちまった。挙げ句、何も言わずに死にやがった。絶対に、俺の方が短い命だと思っていたのによ。」
キャプテン、いえ、グラシアノさんに、一瞬、寂しそうな表情が浮かびます。
森の木立の奥から、騒々しい声が聞こえてきます。洞窟から出てきた空賊さん達が、こちらへ向かってきているのでしょう。
「・・・行けよ。」グラシアノさんが言います。
あまり唐突に言われたものですから、どうしたものか逡巡しておりますと、
「さっさとしろ! お宝を奪い、根城に火まで放ったお前達をみすみす見逃してやったと、あいつらに悟られるわけにもいかねぇ。俺の気が変わる前に、さっさと行け!」
一喝され、私と、ようやく立ち上がったラノアさんはエンジンをスタートさせたエウラスに乗り込みます。
エンジンの回転数が上がり、黒々と広がる眼前の海へ、機体が滑り始めたときでした。エンジンの激しい唸り声に負けない、大音声でグラシアノさんが言います。
「イーミャ・バスティアネリ!」
グラシアノさんが投げたそれは、星明かりを受けてきらめく首飾り、母の形見です。私が首飾りを手にするのと同時に、プロペラの風切り音に混じって彼の言葉が届きます。
「死ぬんじゃねぇぞ。」
私は一度だけ頷くと、スロットルを一気に前へ、押し倒しました。
ユニコーンエンジンのシリンダーは激しく上下動を繰り返し、プロペラの回転が波間に飛沫を立てます。星空の下広がる海は、まるで底のない、闇そのもののようでした。
やがて、十分な揚力を得たエウラスが海面から持ち上がります。フロートが接する水の抵抗がなくなり、機体は、枷を逃れた鳥のように宙へ舞い上がるのでした。
座席の下に押し込んだ鳥籠の中から、なんだか情けない声が響いてきます。
「イーミャ〜。た、助けに来てくれんだな。お、俺、あのままどっかの成り金野郎に売り飛ばされるのかと・・。不安で飯も喉を通らなかったんだ。」
「そんな情けない声で泣かないでください。」
後席から、ラノアさんも言います。
「その様子なら、無事みたいだな、バルトローベ。」
私は、
「そうだ、バルト。お礼なら、ラノアさんにまず言ってください。ラノアさんがバルトを助け出そうと、いろいろ率先してくれたんですから。」
と、バルトに促します。
「あ、あいつが・・? ・・・・・・。」
だいぶ長い間があって、ぼつりとバルトが言います。
「・・ありがとよ。」
「聞こえませんよ、バルト。お礼を言うときは、もっとはっきりと。」
「ああ、もう! 分かったよ! ありがとよ、ラノア。俺を助けに来てくれて。」
「礼には及ばないさ。もともと、砂漠で助けられたのはこっちだしな。」
ラノアさんにお礼を言ったバルト、よほど気恥ずかしかったのか、へっ、なんて言うなり、あとは静かになってしまいます。
私は、手のひらの中で暖かくなった母の首飾りを、まだ握ったままだったことに気づきました。思い出はなくならないと言ったものの、やはり、これを失うのは寂しいものです。自分が母のことを愛していると思い起こさせる、鍵のようなものなのですから。
振り返ると、空賊の島はもうほとんど闇に紛れてしまって、その輪郭がどこにあるのかさえ覚束ないのですが、キャプテン・グラシアノの最後の言葉だけは、しっかりと耳に残っていました。父を裏切り、その行為にご自身が責めさいなまれていたキャプテンさん。彼は果たして、ユーリの娘、イーミャ・バスティアネリと邂逅することで、何かしらの救済を得ることができたのでしょうか。
本当のところは分かりません。ただ、どこか、吹っ切れたような表情を浮かべていたキャプテンさんを思い出すにつけ、そうであったと認めてもよいような気がします。救済とは大げさな言い方ですけれども、父の面影を私に見たであろうキャプテンさん、どこかほっとした顔をしていたような。父は父、私は私なのであって、父は彼を許すとも、許さないとも言っていないのですけれどね。
そんなキャプテンさんから、父のことをもう少し聞きたかったと、後ろ髪を引かれる思いがしないでもありません。危うくバルトと、母の形見を奪われかけたというのに、おかしな話です。私の知らない父の姿を、キャプテンさんは知っているのでしょう。激しく吹き荒れる竜嵐の中、橋ごと濁流に呑まれた父の最期の表情が、まぶたの裏をよぎります。苦悶でも、絶望でもなく、残される娘を不安にさせまいと振り絞った笑み。優しかった父の姿を、その背中を追おうにも、深く、越えることのできない死の溝が行く手を阻みます。今となっては知るすべも失ってしまった父の若かりし頃を、キャプテンさんは知っているのです。
イーミャ、と、背後から呼ぶ声に、私は我に返りました。
「イーミャ。このまま夜明けまで飛ぼう。暗すぎて地形が見えない。」
ラノアさんの言う通り、空に星が輝いているとはいえ、夜の海面は暗すぎます。岸辺へ着水しようにも、水中から頭を突き出す岩にぶつかってしまえばひとたまりもありません。空中の方が、かえって安全なのです。
「了解です。このまま陸地に寄せながら、東に進路を取ります。」
暗くはありますが、天候は至って穏やか。このまま飛び続ければ、じきに空も白みましょう。星々と海の境界線をじっと見つめながら、私は夜明けを目指して飛ぶのです。
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