チャプター2 東へ、目指すところイスタリア
「ほら、バルト、急いでください。」
「急げったって、鴉にこんな荷物、持たせるなよ。」
バルトは足でお鍋をつかんだまま、よたよたと私の後ろを飛んできます。
早暁、間も無く夜明けの日差しが差し込むことでしょう。幸い、ロドリア城塞に接する湖面上は、ぶ厚い霧に覆われています。
私は一抱えもある大きなトランクを引きずるように運びながら、周囲の気配を伺います。霧に誘われた睡魔に覆われたかのごとく、皆さん、まだ眠っていらっしゃるのでしょう。城塞内からは物音ひとつ聞こえてきません。
水中に続くゆるい傾斜の上に引き上げられている、機体(エウラス)のところまで来ると、ようやくのことで操縦席後部のスペースにトランクを押し込みました。
「ふぅ。これでよし。バルト、お鍋を運んでくださって、ありがとうございます。」
「な、鍋くらい、トランクに入らなかったのかよ。」
「意外とかさばるんですよ。食料や着替え、石鹸など、必需品を詰め込んだら入らなくなってしまいました。」
「なぁ、イーミャ。」
エンジン、プロペラ、羽布、フロートと、機体のチェックに忙しい私の傍で、バルトが不安げに言います。
私は手を休めずに応えました。
「なんですか?」
「ほんとに行くのか? やめた方がいいと思うぜ、俺は。」
「今さら何をおっしゃいます。これしか方法はないんですよ。」
「けどなぁ。戦線によっては、激しくやりあってるところもあるって聞くし、単機で行くのは危ないぜ。」
「単機だからこそ、いいんですよ。警戒網をすり抜けられます。」
「すり抜けるったって、一日や二日で着ける距離じゃないだろ。ベネヴァントの迎撃部隊に出られたら終わりだし、それに・・・。」
「そのときはそのときです。今それを気にしても、しょうがないじゃないでしょうに。」
「む・・・。」
バルトはなおも、心配そうな顔つきでいます。
と、そこへ格納庫の暗がりから声が。
「あれ、イーミャ。今朝はずいぶん早いね。」
ぎく、と身体を強張らせ、私が翼上から振り向いた先にいるのは、ディーノです。まだ眠気の残る目をこすっています。
「え、ええ。ちょっと、早朝の気象データも揃えたく思いまして・・。」
「でも、霧が深いよ。もう少し、視界が回復してからの方がいいんじゃない?」
「えーと、その、霧が出ている方が、むしろ好都合と言いますか。湖面と上空、それぞれの気温、湿度を計測しておきたいのです。」
苦し紛れに嘘を述べます。幸い、整備畑のディーノ、気象観測の内容にまで疑いをはさむことはしません。
「そう。城壁のところさえうまく通過すれば、あとは離水も問題ないと思うけれど、一応障害物には注意した方がいいよ。」
「ありがとうございます。」
ディーノの真摯な心遣いが胸に刺さります。嘘をついてしまった分だけ、余計に。
「イーミャ、出るのか。」
あう。
お腹の底に響く、力強い声。アマデオ班長まで来ちゃいました。誰にも見られず、こっそり出るつもりでしたのに。この計画、班長にもお話しはしていません。
「あ、はい。ちょっと上空のデータを取ろうかと・・・。」
「ふぅん? そんなにでかい荷物を積んでか。」
「あの、はい・・・。」
「イスタリアか?」
班長が、まっすぐに私の目を見つめます。すべてお見通しという班長の目です。いけませんね。これは完全にばれています。
イスタリア。我がイストリア王国の首都。このロドリア城塞からは、東へ数千キロも離れた遠方にある、王国の中枢です。当然のことながら、優秀な観測員も大勢いる気象台が備わっています。私の目的は、そう、このロドリア城塞で長年に渡って蓄積された気象観測データを、イスタリアへ運ぶことなのです。竜嵐の発生を予測するためには、なんとしても、イスタリアのデータとこちらのデータを、統合する必要があります。
観測原簿の複製を持って、イスタリアへ。出発したまま戻らなければ、私の機は気象観測中、行方不明になったとでも判断されるでしょう。攻撃隊への編入も中止となります。だって、当の機体がないのですから。
このイスタリア行きは、観測データの統合と、攻撃隊編入を免れる、まさに一石二鳥の計画なのです。
私は黙ったまま、アマデオ班長の視線を受け止め続けるしかありませんでした。
不意に、班長が口を開きます。
「・・・・。地上付近は霧が深い。離水後、すぐに高度を取れ。帰投予定は、とりあえず、今日の正午頃でいいな。」
「あの、班長・・・。」
班長は機体に登って私を押し込むように操縦席へ座らせると、ディーノにも聞こえないほどの低い声で囁きます。
「最新の補給地点が記されてある。このラインで行けば、イスタリアまでぎりぎり飛べる。」
そう言って手渡してくれたのは、折りたたまれた一枚の地図。
やっぱり班長は、分かっていたのです。私が気象観測飛行に紛れて、そのままイスタリアまで行こうとしていたことを。攻撃隊への編入が命令されている以上、班長は表立って私をイスタリアへ送り出すことはできません。あくまでも、観測中、私がエウラスごと「行方不明」になり、帰って来ない。そんな状況としなければならないのです。
「班長、ありがとうございます。必ず。」
「ああ、気をつけて行け。」
にっ、と笑って私の肩を叩く班長の、頼もしい笑顔といったらありません。うっかり惚れてしまいそうです。
私と班長のやり取りを、不思議そうな顔で見ているディーノへ向けて、私は言いました。
「ディーノ、お願いできますか。」
「あ、うん。イーミャ、気をつけて。」
ディーノがフロート下部の滑り止めを外し、主翼の桁部分を押し出すと、機体はゆっくりスロープを下り始めます。進水と同時に班長とディーノが、機体のフライホイールと連動するクランク棒を回します。男性の方二人がかりですから、回転数が上がるのも早いです。
「いいぞ、イーミャ!」
班長の合図と同時に、エンジンをスタートさせます。シリンダーの軽快な響きとともに、プロペラが推力を生み出しました。出発です。
見送ってくれる班長とディーノへ手を振り返し、私は霧の中、機体を進めます。
城壁を通過する際の目印となる灯火が、乳白色の幕の向こう側で、うっすらと光っています。
・・・そろりと城壁を通過。
あとは離水するだけなのですが、とにかく視界はないに等しいです。前方に障害物がないことを祈るしかないという、なんとも神様頼みな離水。スロットルを押し出し、エンジン全開で波一つない湖面を滑走します。揚力が機体重量を十分上回ったところで、操縦桿を引きます。
エウラスが浮かび上がりました。
「イーミャ、何も見えないぞ。」
バルトの言う通り、十メートル先も見えません。
「もう少しです。地表に澱んだ霧を抜けさえすれば・・・。」
霧の粒子が薄くなり、上方がうっすらと明るくなり始めました。唐突に、目の前が開けます。霧を抜けたのです。
城塞ごとすっぽり覆っている霧の上に出ると、まるで雲の上にいるようでした。
バルトが、ほっと息をついて言いました。
「ふぃい。離水中に視界がないってのは、なかなか心臓に悪いな。」
「ええ。」
私は答えながら、湖面上、および現在高度の気温、湿度を書き留めます。
「こんなときまで観測かよ。」
「あれほど深い霧の中、エウラスを飛ばしたことはありませんから。貴重なデータですよ。」
「こんなときまでデータ、データか。だから彼氏もできないんだぜ。」
「放っておいてください。親しい異性がいないこととは、別の話じゃないですか。」
まったく、失礼な鴉さんです。
東の水平線から、ゆっくりと日が昇り始めます。朝露に濡れた丘の草地を、金色の光条が満たして行く様は、いつ見ても美しいのです。気温の上昇と共に、地面を覆っていた乳白色の霧が晴れて行きます。旅立ちにふさわしい、爽やかな朝でした。
「そんで、イーミャ。まずはどこに向かうんだ。」
私はアマデオ班長のくれた地図を、膝の上に開きます。
「まずはポート・ラウラと思っていたのですが・・・。あらら。ベネヴァントと絶賛交戦中みたいですね。」
地図上、ラウラの港町の上には、剣の交錯するマークが。戦闘中、ということです。
「交戦中? それじゃあ補給どころか、近づくこともできないじゃねぇか。」
「ええ。そんな状況へ飛び込んだところで、自殺行為でしょう。」
機体下部に取り付けられた円筒状の増槽には、予備の燃料がたっぷりと入れられています。通常航続距離の倍以上を飛行できるわけですけれども、当然、補給無しに飛び続けることはできません。
「じゃあ、どうすんだよ。まさか、そこいらのスタンドで補給ってわけにもいかないだろ。」
「あら、それもなかなかグッドアイデアじゃないですか。」
「おいおい。本気か?」
「本気ですとも。燃料さえ入れてもらえるなら、どこだって構わないんですよ。軍用機じゃないんですから。」
「軍用じゃないたってなぁ。このご時世、空を飛んでるってだけで、撃墜対象になるんだぞ。」
「見つからなければ、どうということはありませんよ。」
「そら、見つからなけりゃな。で? ポート・ラウラがだめなら、どこ目指すんだ?」
「ラウラ近郊に、小規模な補給地があります。そこへ寄りましょう。」
「どんくらいで着くんだ?」
「さて。」
手元の地図で、現在地から目的地点までの距離を測ります。
「・・・この晴天が続いてくれれば、おおよそ九時間というところでしょうかね。」
「九時間? かーっ。随分な長丁場だな。暇を潰すに困る。」
「バルトは操縦しないからいいでしょうけれど、こっちは結構、たいへんなんですよ。操縦しっぱなしなんですから。なんなら、途中で交代してほしいくらいです。」
「交代って、あのなぁ。鴉に操縦を代わらせる飛行士がいるか? 冗談もほどほどにしろ。」
「あら。先日の嵐のときには、交代してくれたじゃないか。」
「あれは、止むを得ず、一時的に、ってやつだよ。だいたい、俺じゃあ、ラダーペダルまで足が届かん。」
「残念。バルトの足が、もう少し長ければよかったのですけれど。」
「もう少しどころじゃねぇだろ。体のバランスを考えろ。どう頑張ったって、足、届かんぞ。」
「素敵ではありませんか。天翔ける黒い電光、バルトローベ、エウラスを駆る。」
「いや、そんなこと言われたって、無理なものは無理なんだ。」
とか言いながらも、バルトは照れくさそうに羽をいじります。この方、おだてられると弱いのです。
ま、おだてたところで、彼の足がラダーペダルに届くことはないんですけれどね。
飛行は至って順調です。
お昼を回って、太陽が天頂付近に達した今でも、風はほぼ無風に近く、雲が少し出てきましたものの、飛行機を飛ばすには理想的なお天気なのです。こんな天気がずっと続いてくれればいいのですけれど。
途中、見つけた静かな入り江に着水し、お昼とします。
サンドイッチにお茶。サンドイッチは、新鮮なレタスと輪切りにしたトマト、大きめのサラミをのせ、たっぷりとバターを塗ったパンで挟んだものです。こんな豪勢な食事ができるのも、初日だけ。あとは、日持ちのする焼き締めたパンですとか、干からびかけた玉ねぎとジャガイモのスープ、そんな食事になりましょう。
紅茶の茶葉は配給でもらったものをちょっとずつ貯めた、いわば私のへそくりです。こんなときくらい、ささやかな贅沢をしても罰(ばち)は当たらないでしょう。沸かしたお湯で淹れた、イストリア特産の紅茶は格別です。
お腹もいっぱいになったところで、再び離水します。
雲やガスひとつない空は、私の視力の及ぶ限り、見渡すことができます。
まどろみすら襲ってきそうな、穏やかな午後でした。
ふと、私は二時の方角に、黒いゴマ粒のような点がふたっつあることを確認しました。
私はぎくりと身体を強張らせ、その二点を凝視します。私の緊張に、座席下の籠でお昼寝中のバルトも、起き出してきました。
「どうした、イーミャ?」
「接近するものがあります。」
「なに?」
さらに凝視。
「・・・まずいですね、あの方角。」
それはちょうど、ポート・ラウラのある方位です。
「おい。ベネヴァントの強行偵察機じゃねぇのか、あれ。」
「その可能性が、ありますね。」
言った時にはすでに、私は九時の方向、左90度へ転舵しつつ、高度を下げています。今の二機が、あっち側ではなく、こっち側、を向いていた場合、たいへん、まずいです。だって、私が相手を視認したということは、あちらさまもこちらを見た可能性があるからです。
相手方、ただの偵察ではなく、敵を見つけ次第、撃墜するつもりがあるからこその二機編成、空戦になればかなり危険です。
バルトが心配そうに私の肩へ乗って言います。
「見つかったか?」
「分かりません。見つかっていないことを祈るばかりですが、迂闊でしたね。ポート・ラウラ近辺で、ベネヴァント軍がこんなに深い哨戒エリアを設定していたなんて・・・。」
「言ったって始まらないだろ。とにかく逃げるんだよ。」
「すでに逃げていますって。」
私はエウラスの機体高度をさらに下げ、地表すれすれを飛びます。木立のてっぺんの葉先をかすめるくらい、それはもう低い高度で。地を這うような、と申しましょう。羊を追う牧童の少年と目が合ってしまいました。
私は右斜め後ろを振り返り、先ほどの二機の姿を求めます。まだ敵と決まったわけではありませんが、言い換えれば、敵と判明するほど接近したときには、もう遅いのです。だってこちらに武装はありませんし、要撃機の瞬発力を振りきれるほどの速度だって出ないのですから。
二機の挙動に変化はなく、近づくこともしてこないようです。距離が遠すぎるので、こちらを転舵させたことをもって、よしとしたのでしょうか。だとしたらよいのですが。
「イーミャ、上!」
バルトが突然、悲鳴に似た声を上げます。見上げると、太陽の中に一機。エウラスよりもはるか高所に陣取り、膨大な位置エネルギーをもって優位に立つその機影は、ひらりとその身を翻したかと思うと、こちらに急降下してきます。明らかな攻撃態勢です。
「くっ・・・!」
雲の陰にでも隠れていたのでしょうか。目視可能な二機に気を取られ、三機目に気付かないなんて。
一陣の驟雨に似た弾丸が降り注ぎ、一呼吸置いて、ばたた、と乾いた発砲音が連続します。
「撃ってキタァ!」
叫ぶバルト。弾丸の数発が上下主翼を貫いて行きました。
続いて、金属光沢を放つ濃緑の機体が視界の端をかすめます。
シュバルベです。ベネヴァントの全金属製単葉機、局地戦に特化した、強力な迎撃機です。こんなものが飛んでいるということは、近隣の飛行場が制圧でもされてしまったのでしょう。味方が苦戦している証拠です。
と、そんなことを悠長に考えている暇もありません。なにせ、私は現在、絶対絶命というやつなのですから。
限界までエウラスの高度を下げると、地面すれすれに飛びます。シュバルベは高速力を生かし、再び上昇して行きます。こちらに後方機銃が備わっていることを警戒しているのでしょう。低速で飛ぶ私の背後について狙い撃ち、ではなく、あくまでも一撃離脱の戦法を取るつもりのようです。
「ど、どうすんだよ、イーミャ!」
慌てふためくバルト。
「落ち着いてください、バルト。」
「お、落ち着いていられる状況じゃないだろ。とにかく逃げるんだよ。」
「逃げると言ったって、こちらの最高速度では振り切れませんよ。」
「じゃ、じゃあ、どうすんだよ。」
「そうですね・・。やはり。」
と言う間に、上空から再びシュバルベの降下が始まります。
「き、来た、来た、来たよ、おい!」
「もう少し・・・。」
先ほどの初回攻撃で、相手パイロットの方が射撃を開始する呼吸は覚えたつもりです。
もうちょっと・・・。
今です。
私はラダーを操作し、機体を横へ滑らせるように流しました。一陣の弾丸が、鋭い風切り音を立てながら機体脇を通過して行きます。
機体を流した勢いそのまま、海岸線までエウラスを寄せるのです。
「どうするって、隠れるしかありませんよ・・・っと。」
私はそう言って、海に面した高い崖の陰に、すとんと機体を落としました。
海風が強く吹きつけ、機体が上下に揺さぶられます。乱流もいいところ、飛びにくいといったらありません。ここはもう、翼が二枚あるという複葉機の安定性に賭けるしかないのです。
「おい、イーミャ! 近いって! 崖にぶつかる!」
「ぎりぎりまで近づかないと、隠れたことになりませんよ。」
「そ、そんなこと言ったって・・。うわ、うわ!」
せり出した岸壁ぎりぎりのところをかわすと、再び、ごつごつした岩肌へ添うように飛びます。
相手が急降下から上昇に転じ、こちらがその死角に入ったタイミングを狙って崖の陰に隠れたつもりなのですが、さて、うまくいったでしょうか。
「バルト。ちょっと様子を見てきてもらえませんか?」
「は、はぁ? この状況でか?」
「この状況だから、ですよ。せっかく隠れたのに、上昇して機体をさらしたら意味ないじゃないですか。」
「分かった、分かったよ。見てくりゃいいんだろ。」
「お願いします。気をつけて。」
バルトは大きくひとつ羽ばたいたかと思うと、崖にぶつかって生まれている上昇気流を上手にとらえ、瞬く間に高度を上げます。
寄せては砕ける波濤を眼下に、私は崖に寄り添うようにしてエウラスを飛ばし続けました。敵方に狙われるというのは、やはりいい気持ちはしませんね。あからさまな殺意を向けられているという感覚に、私の気持ちはどんよりとふさぐのです。
シュバルベの攻撃がありません。
エウラスの機影を見失ったのでしょうか。だとしたらいいのですが。シュバルベは最高速度や装備に重点を置いた結果、航続力があまりありません。いつまでも私を探し続けることはできないはずです。
崖に注意を払いつつ、首をめぐらして状況を確認しようとしたとき、バルトが私の顔面に向けて飛び込んできました。
「わぷっ。バルト、前が見えませんよ。」
「はぁ、はぁ。あー、乱流に巻き込まれて死ぬかと思った。」
「どうでした、上の様子は?」
「やったぜ、イーミャ。あいつ、完全に俺らのこと見失ったらしい。しばらく上空を旋回してから、引き返して行きやがった。」
「そうですか。よかったです。」
ひとまず、やれやれです。
「とはいえ、安心もしてられませんね。」
敵シュバルベは、基地との交信で敵機発見の報を入れているはずです。第二波の攻撃も予想されます。
私は膝の上に地図を広げると、現在地を確認しました。シュバルベに襲われるまで、巡航速度でポート・ラウラ方面を目指していましたから、今、私がいるのはこのあたり・・・。
哨戒エリアを迂回するとなると、相当な遠回りとなりますが仕方がありません。シュバルベ2機以上に追い立てられでもしたら、今度こそ墜とされるでしょう。
「バルト。海側を迂回しましょう。」
「迂回? 遠回りするってことか?」
「ええ。また彼らの弾丸で、翼に穴を開けられたらたまりませんから。」
エウラスは燃料を機体胴部に収めていますから、翼に少々穴を開けられたところで、どうということはありません。が、愛機を穴だらけにされて、嬉しいことがありましょうか。
バルトも、こく、とうなずきました。
「おう。そうしようぜ。あんなのに追いまくられたら、命がいくつあっても足りねぇや。だいたい、イーミャ。せめて、機銃の一丁くらい積んどけばよかったんだよ。」
「これは気象観測機なんですよ。機銃など、無用の長物です。」
「無用ってことはねぇだろ。護身用ってことでさ。」
「機銃の一丁や二丁あったところで、シュバルベあたりとまともに渡り合えるとも思えません。積載重量の浪費ですよ。」
「そうかぁ?」
「そうなんです。そもそも、エウラスに銃器は載せたくありません。そういう機体じゃないんですから。」
「へっ。博愛主義だかなんだか知らないが、それで撃墜されちゃあ、元も子もないんだぜ。」
「そう簡単に墜とされるようなヘマはしませんから、ご心配なく。」
私の肩に乗ったバルトは、珍しく真面目な口調で続けます。
「・・・イーミャ。親父の亡霊に取り憑かれているのは、誰よりもお前自身なんじゃないのか。」
「お父様は、幽霊とか、そんなものとして出てきはしませんよ。」
「お前が囚われてるってことだよ。親父の意思にな。」
「お父様の意思にですって・・? 放っておいてください。私がそうしたいと思ってやっているだけなのですから。」
「イーミャ。お前の人生は、お前のものであって、親父のものじゃないってこと、忘れんなよ。」
「・・・いつだって、私の人生は私のものです。」
「だといいんだけどな。」
それきり、バルトは黙りました。私も言葉を返しません。
お父様の残した機体に乗って、私は自分の意思で、イスタリアに向かうのです。お父様の意志に、あるいは遺志に囚われているわけではありません、決して。
太陽はいつのまにか西へ大きく傾き、その光は燃えるようなオレンジとなって、海の水面(みなも)を染めています。
バルトがおかしなことを言うからでしょうか。夕日を見つめていると涙が出そうになり、私は慌てて顔をそむけました。日が暮れ切る前に、補給地まで辿り着かなければなりません。
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