チャプター1 竜の兆し
低く垂れ込めた雲の隙間から、斜めに差す帯条の光がいくつも漏れ落ちています。ヤコブの梯子、と呼ばれる、機上から見ると、それはまるで光の森です。
地上の丘に生える大きなブナの木が見えます。私はストップウォッチを構え、目印となる木と木の間を、何秒で通過するかを計測しました。機体が地上に対してどれくらいの速度で飛んでいるのか、対地速度を測るためです。この対地速度と、計器の示す対気速度の差で風速を測るわけですが、うん、両者ともにほとんど同じ。木々の葉がそよいでいないことからも、ほとんど無風の状態であることを示しています。
先日の嵐が嘘のように静かな朝ですが、しかし、地上の至るところにその爪痕が残されています。直径が50センチ近くもある立派な木がその半ばからへし折られ、崖が崩れて道路を寸断している場所もあります。増水した川が溢れたのでしょう、畑が水浸しになっています。
「おーい、イーミャ。」
集合空域に差し掛かって、飛んできたのはバルトです。私とバルトは別々の方向に飛んで、時間になると空で落ち合う、というのが普段のルーチンです。
バルトがタイミングを合わせて、コックピットに飛び込んで来ました。
「お疲れ様、バルト。どうでした?」
「あちこち、ひどいことになってらぁ。南側の橋が完全に流されてた。ありゃ、復旧させるのにだいぶ手間取るぜ。」
「そうですか。あそこの橋は木造でしたからね。増水時の水圧に耐えきれなかったのでしょう。他には?」
「西の村でな・・・。」
そこでバルトは言葉を区切り、ちょっと間を置いてから続けました。
「子供が一人、流されたらしい。高台に避難中、濁流に呑まれたそうだ。その子と手をつないでいた姉の方は流される直前、踏み止まれたらしいがな。母親が泣いてた。」
「・・・・・そうですか。」
やはり、犠牲となった方が・・・。やりきれない気持ちで、私は口をつぐみました。
竜嵐の特徴として、その風雨の強さもさることながら、もっとも恐ろしいのは前兆が見えないということです。とても良く晴れた日の昼下がりや、夕焼けの美しい日暮れ時。時間や、直前の天候からはまったく想像もできないタイミングで、突然それはやってきます。あまりの空の急変に、避難や備えが間に合わないのです。
私とバルトは、それから言葉も交わさず地上の様子と雲の形の観測を続けます。
こうして気象観測を続けても、嵐の到来を予測することができなければ、意味がないのではないでしょうか。私はいつも、思うのです。竜嵐が来ることをあらかじめ分かることができさえすれば。そうすれば、多くの命が助かり、被害も軽減することができるのです。この命題は、私が飛ぶ意義であるといっても、過言ではありません。
沈鬱な顔で操縦を続ける私のことを、気づかってくれたのでしょうか。バルトがわざとではないかと疑いたくなるような、明るい口調で言いました。
「そうだ、イーミャ。フロートの調子はどうだ? そんなん付けてたら、重くて飛びにくいだろ。」
「重量増の影響は多少ありますけれど、それほどひどくもありません。なかなか良好ですよ。」
バルトの言うフロートというのは、機体の下部に二つ並んで付けられた、大きな葉巻様の「浮き」のことを指します。車輪からフロートに換装することで、この機は現在、水上機として飛んでいるのです。
スマートな車輪バージョンに比べて少々いかつい外見となっていますが、これはこれで力強いフォルム。私は結構気に入っています。
「けど、なんで突然そんなもん付けるようになったんだ? 車輪でいいじゃないか。」
「海岸線や湖沼地帯を飛ぶ場合、車輪では着陸できる場所も限られますからね。フロートを付けていれば、水辺において臨機応変に着水できます。便利だということですよ。」
「ふぅん。俺には重りをひっかついで飛んでるようにしか見えないんだけどな。」
「その分、役に立ってくれればいいんですよ。ほら。サーペンタイクの湖です。あそこに降りてみましょう。」
私は陽光を受けて輝く湖へと、機種を向けました。
波ひとつない鏡のような湖面へ、ゆっくりと機体を着水させます。フロートの描く軌跡が、水面で糸のように後方へ伸びて行きます。
なかなか滑らかな着水、自画自賛をしたいところですね。
スロットルを絞って湖岸に寄せると、エンジンを切りました。
「ふぅ。なかなかいいところですねぇ。いっつも、上空を通過するだけでしたからね。」
「昼寝するにはもってこいの場所だな。」
「だめですよ、勤務中なんですから。」
と言いながらも、気怠い昼食後の満腹感を、湖に揺られながら癒すというのは抗いがたい魅力がありますね。
「・・・まぁ、お昼の休憩中に、という名目なら、来ても悪くないでしょうけれど。」
「だろ? せっかく邪魔くさいフロートなんて付けたんだ。活用しないと損だぜ。」
「別に、お昼寝するために付けたわけではありませんけれどね。」
「隊員のフクリコーセーってやつさ。ばちは当たらないだろ。」
福利厚生なんて言葉、どこで覚えてくるのでしょうね、この鴉さんは。
小鳥がさえずり、蝶が花と花の間を行き来するのどかな湖畔の情景です。戦争とは無縁の平和な世界。平穏な日常。
そんな穏やかな場所を、突如、巨大な砲声が乱します。
湖面がほのかに振動するほどの衝撃音。
「あらら。始まっちゃいましたね。」
敵対するベネヴァント公国の強力な野戦砲が、火を吹いたのです。野戦砲と申しましても、そんじょそこらの砲ではありません。軍艦に搭載しましょうよと、思わずツッコミたくなるような、大口径の長距離砲なのです。
でも、なんですね。敵側からそんな砲撃が始まったのに、ずいぶんのんびりしてるじゃないかと。そんなご指摘もあろうかと思いますからご説明しますと、その砲、私の属するロドリア城塞に向けても発射されますが、届かないのです、城塞まで。
なぜって?
単純な話です。ベネヴァント公国のものとほぼ同口径の大砲で、我らがイストリア王国も反撃するからです。大事な砲が、敵の砲弾で壊されたらたまりませんね。つまり、お互いぎりぎり射程距離外のところより撃ち合うものですから、1トンを超える重量の砲弾が、目標手前でぽちゃぽちゃ落ちるのです。
こうなればもはや、技術の粋を尽くして鋳造された大口径砲も、単なる騒音発生器にすぎません。どんどんどどん、と盛大な音を出すだけだして、ふぅ、やれやれ、今日もいい仕事した、となるのです。首都から遠く離れた辺境における、戦争の実相なんてこんなものです。さすがに、面と向かってしまえば殺気立つこともありましょうが、主戦線から外れてしまったこんな田舎で、真面目に戦争するのも愚かしいと、両軍の指揮官は思ったのかも知れませんね。
戦争が10年も続けば、然もありなん、届かない砲弾の送り合いを日課としている日々なのです。
「今日も派手に撃つなぁ。弾代だって、馬鹿にならないだろ。」
バルトが呆れたような顔で、はるか頭上を飛翔する黒い弾丸を見上げています。
「なんでも、あの一発が、新車を一台買えるお値段らしいですからねぇ。」
「うへぇ。そんなん、ドンパチ撃つ人間の気が知れねぇや。」
「麻痺しているのでしょう、色々と。そもそも、正気の沙汰ではないんですから、戦争なんて。」
「他人事みたいに言うけどな。イーミャだって、軍に属しているだろうが。戦争やってる当事者だろ。」
「そうですよ。そういう意味では、私も正気でない人間の一人、ということになるのでしょう。」
「やれやれだ。もっと気楽に生きられるはずなんだがな、人生なんて。うまい餌に、きれいな水、あとはいい雌(おんな)でもいりゃあ、言うことなしさ。」
「皆、バルトと違って、真面目なんですよ。真面目に領土のことを考えて、真面目に自国の権益を思い、真剣に侵攻されることを恐怖する。平行線を辿る話し合いに我慢ができず、白黒はっきりつけたいと願った結果がこれですから。」
「白黒はっきりつけるのはいいが、同種族が殺し合うのも馬鹿げた話だと、いい加減気づけってこった。まぁ、ここの司令官共は別としてだが。」
「さて。本当に気づいていないのか、気づいているけれど誰も口に出して言わないのか。上の方々の考えていることは、よく分かりません。ひとつ言えることは、さっさとこんな無意味なことを終わらせて、気象台の一つでも増やせばいいのです。」
「だな。」
ひとしきり砲撃を交わして、落ち着いたのでしょう。砲声がぴたりと止まりました。
「・・・・砲撃も終わったみたいだぜ。そろそろ、基地に戻ろう。行水がしたい。」
と、バルトは身体をもぞつかせます。
「ここでおやりになればよろしいじゃないですか。水ならたくさんありますよ。」
「バカ言え。こんな深い水場で行水なんかできるか。溺れちまう。盥(たらい)に張ったぬるま湯がいいんだよ。」
野性の証明など、とっくの昔にどこかで落としてしまった、そんなバルトの発言です。
「贅沢を言う鴉さんですねぇ。そんなことでは、大自然の中で生き残れませんよ。」
「特殊部隊の隊員だって風呂には入るだろうが。サバイバリティーとは無関係。」
「まだ、観測が残っています。全部終わったらちゃんと帰投しますから、我慢してください。ほら、離水しますよ。」
まだ何かぶつぶつ言っているバルトのことは、とりあえず放っておきましょう。
さて、離水の前に一仕事。エンジンをスタートさせなければなりません。最近の主流は、もっぱらバッテリーによる自動スターターですが、エウラスにそんな素敵な装置はついていません。
手動です。
下部主翼に立って、機体胴部の穴にクランク棒を差し込みます。
「ぃよいしょっ・・・と!」
全身の体重を込めてクランク棒を回しに掛かりますと、少しずつ、回転が始まります。エンジンをスタートさせるたびにこれでは、筋肉がムキムキになってしまって仕方ありませんね。女子として、あまり腕が太くなるのも避けたいものです。
「ふぬぅ・・!」
さらに回転。
「ほれ、イーミャ。回せ回せ。まだ回転数が足りないぞ。」
バルトのお気楽な激励が飛びます。
「そんな、こと、言って・・・! バルトも、手伝って、ください・・よ!」
「俺にそんな力仕事できるか。ほら、もうちょっとだ。」
「ぬぬぅ・・!」
フライホイールの回転が13000rpmに達することで、エンジンをスタートさせる必要エネルギーに到達します。
「よーし。スタァトォ!」
バルトの嘴によって、エンジンのスイッチがオンに入れられたのでしょう。
排気筒から白い煙を上げながら、プロペラの回転が始まりました。クランク棒を引き抜いて、素早く操縦席に乗り込みます。瞬く間に推進力を得た機体は、ゆっくりと湖面を進み始めます。
スロットルを押し込み、十分な速度を得たところで、私は操縦桿を引きました。粘り着くような水の感触が、つ、と途切れました。離水成功なのです。
上空から見ますと、砲弾の着弾点から黒っぽい煙が立ち昇っています。多くは畑のど真ん中や、無人の丘の中腹に。戦争という名の浪費を象徴するかのような、撃つだけ撃ったその痕跡が、虚しさという名の狼煙を上げているようでした。
観測の日課をこなし、そろそろ日も傾いてまいりました。
私は城塞の西側から、アプローチのため高度を下げます。広がる湖の一部が、城廓内部とつながっているのです。300年ほど前、中世騎士達の駐屯地として、この地を治める領主の居城として、美くしも堅牢な造りを誇るロドリア城塞。その見所は、誰が何と言おうと、この湖面に映える城塞の姿でしょう。西日に赤く染まりながら、突き出る無骨な長距離砲をもそのアクセントとしつつ、静かな威容でたたずんでおります。
一直線の軌跡を描きながら湖に着水しますと、そのまま石造りのアーチをくぐって城塞内に入ります。
「イーミャ、お帰り。どうだった、フロートの調子は。」
出迎えてくれたのはディーノ、例の吟遊青年です。ノートを抱えているところを見ると、今の今まで、詩作にでもふけっていたのでしょう。
私は係留用のロープを投げながら、ディーノへ応えます。
「ええ、なかなか良好です。離着水もスムーズでしたし。ちょっと重いのが玉に瑕(きず)、というところでしょうか。」
「はは。中空とはいえ、フロートは鉄製だからね。しょうがないさ。理論上、揚力にはまだ十分な余裕がある。慣れればどうってことないよ。・・・ふむ、東風(こち)の足枷たらん、その鉄の、さざ波に浮かぶや、燃ゆる西の日の中・・・。」
バルトが私の掛けるゴーグルの端をつっつきながら、促します。
「ほら、また先生の吟(ぎん)が始まっちまうぜ。早く行こう。」
「分かっています。ちょっと待ってくださいよ。」
ディーノ、と私は声を掛けます。
「すいません、いつも整備をお任せしちゃって。」
「ん? ああ。気にしないで。イーミャの私物とはいえ、貴重な航空機であることに変わりはない。僕はこの機体いじるの、好きだしね。」
私の「私物」、とディーノは言います。軍用の機体が私物、何かの冗談、ですって?
いえいえ。正真正銘、この機体、エウラスは私の私物、唯一手元に残った財産なのです。込み入った話は置くとして、いろいろあった紆余曲折の末、私は機体ごと、このロドリア城塞、気象観測班所属となっています。
「それでは、よろしくお願いします。」
「ああ。」
ディーノは私に背中を向けて手を振ると、身ごなしも軽くフロートの上に飛び移っていました。
私は、早く、早く、とせがむバルトを肩に、自室へと戻ります。
大きな木製の盥に、沸かしたお湯と、水を混ぜて張ります。バルトは、待ってましたとばかりにそこへ飛び込み、楽しそうに転げまわるのです。
「うひょーっ。これこれ。ぬぁあ、気持ちいいぜ。イーミャも一緒に入れよう。」
「そんな浅いお湯じゃあ、かえって冷えてしまいますよ。私は後でちゃんと入りますから、バルトはしっかり堪能してください。」
「そうか? じゃあ、そうさせてもらうか。」
鴉の行水とはまさにこのことでしょう。ぱちゃぱちゃと水音を立てながら、バルトは実に幸せそうです。
私は幸福に浸る鴉を背に、机に着きます。本日機上で集めた気象観測データを、観測原簿の複製へ書き写すためです。この複製には、私の観測よりはるか以前からのデータが、一日も欠かすことなく記録されています。この地方の風速、風向き、雨量、気圧、気温、日の出、日の入りの時刻から、サナイの花の開花日まで。あらゆる観測データが、連綿と書き綴られているのです。
忍び寄るような暗がりが、部屋の奥に澱んできました。私は机上のランプを灯し、観測原簿の写しを繰り続けます。
三年ほど前の記録。
三月十五日
気温 摂氏十七度
気圧 1012 mbar
風速 西北西の風2メートル毎時
雲量 観測対象全天の5パーセント未満
雲形 東寄り、微量の Ci.unc
<当日の気象状況>
日中晴天なるも、日没時より激しく不安定化。気圧は903mbarまで急落。猛烈な風と雨により河川の増水、家屋の倒壊多数。がけ崩れによる主要路の寸断おびただしく、死者252名。竜嵐と認定。
ずっと遡って、十年前の記録。
十一月二十八日
気温 摂氏十二度
気圧 1015 mbar
風速 北西の風5メートル毎時
雲量 観測対象全天の30パーセント未満
雲形 東寄りに Ac.str
<当日の気象状況>
早暁、日の出直前より急速に天候悪化。天の底が抜けたるような激甚の雨。気圧は898mbarを記録し、堤防決壊、山間部深層崩壊多数を確認。土砂によって堰き止められた河川が再度決壊するなど、水による被害多数報告あり。死者306名。竜嵐と認定。
「ひどいですね・・・。今回の竜嵐の被害はまだ出揃っていませんが、これらに匹敵するのは間違いないでしょう。戦争なんて、やっている場合ではないでしょうに。」
・・・おや?
過去、幾度となく襲来してきた竜嵐の記録を見ておりましたら、なにか、匂います。竜嵐の発生する数日前から続く、ある共通点・・・。
「これは、まさか・・・。」
「どうしたんだよ、イーミャ。怖い顔して。」
「バルト。身体を拭かないまま机に乗らないでください。大事な原簿が濡れちゃいます。」
「原簿、原簿って、大げさな。ただの小汚ない冊子じゃねぇか。」
「なんということを。その小汚ない冊子に、どれだけ高い価値があるか、きちんと理解してください。これは、先人の方々が必死になって続けてきた、気象観測の記録なんですよ。一日だって欠けていないんです。」
「分かった、分かった。そんなムキになるなよ。・・・・ほら、拭いたぞ。で、何がまさか、なんだよ。」
「竜嵐の兆候が・・・。」
しかし、こんな単純なことを、今まで、ベテラン観測員の人たちが見逃してきたはずは・・・。いいえ、「見逃した」のではなく、そもそも「見えなかった」のでは?
だとすると・・・。
私は原簿から、該当する日付のデータを抜き出して行きます。直近のデータ、特に先日発生した竜嵐の前日、前々日、三日前の雲形・・・。
「やっぱりです・・!」
私は勢いよく立ち上がりました。
「お、おい、イーミャ。何がやっぱりなんだよ。」
私はつかつかと無言でバルトへ歩み寄ると、いきなり、ぎゅっ、とその身体を抱きしめました。
「ぬぁ? な、なんだよ、いきなり!」
「バルト、あなたのお陰です!」
「は、はぁ? 何が俺のお陰だって・・・。」
いきなり抱きつかれ、なんのことやらさっぱり、という顔のバルトを部屋に置いたまま、私は廊下に飛び出ると、アマデオ班長のところへ走ります。これがもし事実なら、エラいことです。
迷路のような城塞内の通路で、何度か兵の方々とぶつかりそうになりながら、あちこち走り回ってようやく、班長の姿を認めました。
「あ、班長! お話が・・・!」
「おう、イーミャ。ちょうどよかった。話がある。」
私の声と、班長の声が被りました。
「ん? 何だ、話って。」
「竜嵐のことなんですけれど・・・。」
「何? 竜嵐がどうした。」
温厚な班長の表情が、硬く引き締まります。それだけ、私達にとってこの気象現象は、親の仇であるかのように響くのです。
「竜嵐発生の兆候が、つかめるかも知れないんです。」
「なんだとっ!」
班長の地声がさらに大きくなりました。
「過去の観測原簿と直近の情報から見ますと、発生の数日前から空の東側に薄い巻積雲(けんせきうん)が出るんです。あんまりうっすらとしか出ないので、私も見逃していたのですが・・・。バルトが見つけてくれたんです。気圧と風向のパターンだけでは推測できなかったのですが、雲の出方をそこに重ねると、一定の特徴が見て取れます。これがデータの抜粋です。」
班長は食い入るように、私の手にしたメモを見つめています。
「・・・・! でかしたぞ、イーミャ! 大発見じゃないか。」
班長、両手で私の肩をドバン、と叩いて喜びを示してくれました。肩が外れるかと思いましたが、これほど喜んでくれるのなら、私も本望です。
「た、ただ、雲はこの地方よりずっと東で発生しているものもあるようですから、こちらの観測原簿と、ロドリア城塞以東の観測記録を付き合わせなければ、精度が上がりません。」
「む・・・。ここの観測情報だけじゃ、足りんということだな。通信網さえ生きてくれればよかったんだが。」
長引く戦乱のさなか、各地に張られた電信網はずたずたに分断されていました。ここ、ロドリア城塞も、各地の司令部や気象台と、ろくに通信できない状態が続いて久しいのです。
私は班長に言いました。
「情報共有の方法は、何か考えなければなりませんね。ところで、班長のお話とは?」
「ああ、こっちは悪い知らせだ。伝令が来てな。近々、近縁の基地にある機体をまとめて、大規模な空爆を予定しているらしい。観測機(エウラス)も攻撃隊に編入しろと上から言ってきてるんだ。」
「ええ? それは困りますよ。」
観測を続けられなくなりますし、それに、愛機を爆弾落としのために使いたくはありません。
「ああ、もちろん困る。なけなしの一機だし、そもそも、ありゃお前の機体だ。攻撃隊への編入は拒否してるんだが、今回ばかりは上層の連中も引くつもりはないらしい。」
「攻撃はいつなのですか?」
「機密上、詳しい日程までは聞かされていないが、あの急かしようからして、作戦発動まで一週間もないだろう。」
「一週間・・・。」
「とにかく、編入の件は俺の方でどうにかしてみる。イーミャは、竜嵐の兆候について、さらに情報を集めておいてくれ。頼む。」
班長はそれだけ言って、忙しそうに立ち去って行きました。
ふむぅ。さて、これは困りました。空爆なんかにエウラスを使われては、たまりません。あれはお父様から引き継いだ、大事な機体なのです。人の命を奪う目的で使われると知ったら、お父様も草葉の陰で悲しまれることでしょう。
そこへ、バルトがすいすいと通路を滑空して、やって来ました。
「おーい、イーミャ。いきなりどこ行ったかと思ったぞ。あちこち探しまくっちまったぜ。」
「すいません、班長へ急なお話があったものですから。」
「基地の中は広いんだ。探す身にもなれよ。」
「わざわざ探しに来てくれたんですね、バルト。私の身を案じてか、それとも、寂しくなっちゃいました?」
「ば、バカ言え。寂しくなんかあるか。」
と、強がるバルトではありますが、この方、ときどき寂しがりやな一面も見せるのです。
私は石造りの城塞内通路を歩きながら、バルトにあらましを話しました。竜嵐の兆候、エウラスの攻撃隊編入・・・。
「攻撃隊に編入か。そら、親父さんの遺志にも反するわな。」
「ええ。班長は、どうにか調整してみるおっしゃってくださるのですが・・・。」
「まぁ、そこはなんたって、軍隊だからな。アマデオのおっさんがどんなに頑張ったところで、決定した命令までは覆せないだろう。」
「そうなんですよね。いっそ、機体ごと雲隠れでもしてしまいたいぐらい・・・。」
雲隠れ、ですか。
私はある発想に思い至りました。これはかなりのリスクを伴いますし、いえ、リスクというより、無謀とも言われてしまうかもしれません。けれど、今の状況で取りうる、最良の判断と、考えられなくもないのです。
「おい、イーミャ。どうしたんだよ、急に黙って。」
「いえ、ちょっと考え事を。」
「考え事? 何か嫌な予感がするな。イーミャが考え事をして、ろくなことが起こった試しはないぞ。」
「失礼な。人間は考える葦なのですよ。良い結果をもたらすために、考えるのです。」
「結果を求めて、経過で無茶をする、ってのがありがちなパターンだったんだが。」
「ふふ。大丈夫です。勝算あっての無茶なんですから。」
「ほら、やっぱりその顔、何か考えてるな。俺は、巻き込まれるのはごめんだぜ。」
と言って、やっぱり巻き込まれるバルトのおひとよしも、大概でしょう。
部屋に戻る頃には、私の頭の中で秘密プランの概要が、組み立てられつつあるのでした。
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