(3)

 僕とみどりは、園田さんを伴って実家に戻った。出迎えた母さんは、園田さんの存在に、そしてその変わりように驚いた。


「さあさ、まず上がって。そこは寒いから」


 みどりと園田さんが居間に上がったのを見て、僕は母さんを店舗の方に呼び戻した。そして、簡単に事情を説明した。


「今日中に、園田さんのご両親がみえると思う。申し訳ないけど、三人で泊まれる部屋を作ってもらえる?」

「分かったわ」


 仕入れから戻った父さんも、やはり園田さんを見て驚いていた。だけど、僕とみどりの様子から何か察したらしい。久しぶり、としか言わなかった。

 それから……。僕らは、腫れ物に触るように園田さんに接した。ご両親が到着するまでは、園田さんの緊張を高めないようにしなくてはならない。みどりがスーパーのパートの仕事のことを、母さんが徳子さんの近況のことを、僕がバイト生活のことを淡々と話し続けるのを、園田さんは無表情でぼんやりと聞き流していた。


 五時過ぎに店の電話が鳴った。父さんが出ると、それは園田さんのお父さんからだった。


「園田と申します。娘がご迷惑をお掛けしております。これからタクシーでそちらに伺いますので、よろしくお願いいたします」

「お疲れさまです。気をつけていらしてください」


 父さんの電話での受け答えを聞いて、園田さんは明らかに怯え出した。小刻みに震えている。みどりが、すかさず手を握った。


「何が怖いの?」

「……」


 十分もしないうちに、店の前にタクシーが止まって、ご両親が降りてきた。僕と父さんが揃って出迎える。二人とも、見るも無惨なくらいに憔悴していた。父さんは挨拶もそこそこに、二人を居間に案内する。園田さんは後ろを向いて膝を抱え、ぶるぶる震えていた。


「水鳥……」


 そう言うと、お父さんは背後から娘を抱きかかえ、大声で泣き始めた。


「ごめんよう! ごめんよう。水鳥ぃ。寂しかっただろう。ごめんよう!」


 僕は、大の男がこれほど泣きじゃくるのを見たことがない。それはもう、園田さんの中でどす黒く固まっていた孤独を溶かすのには充分だった。園田さんの抑圧されていた感情の縛めが切れる。園田さんはお母さんの膝の上に顔を埋めると、子供のように泣きじゃくり始めた。お母さんも、娘の髪に手を置いて嗚咽を漏らしている。こんなにも。そう、こんなにも、親子は想い合っていたんだ。それさえお互いに分かれば、もう心配はない。ただ……孤独でできた傷は、思いの外深い。傷を癒すには時間が要る。僕もみどりももらい泣きしていたが、みどりがぽつりと漏らした。


「いいなあ……」


 僕はみどりの肩を抱いて引き寄せた。


「僕がいるじゃない」

「うん」


 みどりは、はにかむように笑った。


◇ ◇ ◇


 園田さんのご両親、哲さんと美里さんは、暮れも押し迫った我が家に迷惑をかけたくないと、娘を連れて家を辞そうとしたけれど、父さんが止めた。


「園田さん、どうです? 忙しい年の瀬だからこそ、時間を無駄遣いしてみませんか? 忙しいってのは、心が亡ぶって書くんですよ。たまには心の煤払いもしてみましょうや」


 哲さんは、父さんの申し出が心にしみたらしい。それでは一晩だけ、と裃を脱いだ。父さんは、夏と同様に蕎麦を打った。今度は新粉だ。香りが全く違う。夏とは違って静かな夕食だったけれど、みんなしみじみと蕎麦を味わっていた。


「おいしいなあ……」

「そうねえ……」


 哲さんと美里さんが、目を瞑って蕎麦を味わっている。美里さんに寄りかかるようにして、園田さんも蕎麦をおいしそうにたぐっている。みどりも、母さんも、いつも以上に箸が進むようだ。


「父さん」

「なんだ、幸助?」

「この蕎麦、今までのと全く次元が違うんだけど……」

「ふーん、気がついたか」


 父さんは嬉しそうに笑うと、指を一本立てた。


「粉がな。いつもと違うんだ」

「へえー?」

「これは、今年初めて木馬野で試験的に作付された赤蕎麦。栽培が難しい上に収量が少ないんで、幻の蕎麦と言われるらしい。でも、香りも強いし、味も濃い。蕎麦粉としては最高級品だ」


 初耳だ。


「どうしてもこれを幸助たちに食わせたくてな。無理を言って粉を分けてもらったんだ。ここらじゃたぶん初めての、赤蕎麦の粉を使った蕎麦、さ」


 一斉に溜息が洩れる。


「これは……すごいわ。父さん」

「まあ、滅多にできない贅沢だな」


 哲さんが静かに言った。


「一期一会、ですね」


 父さんが振り返って答える。


「そうです。この顔ぶれで、この雰囲気で、この蕎麦をたぐることは二度とありません。だから……たくさん召し上がってください」


 その後は、みんなでお茶を飲みながら、四方山話に花を咲かせた。急くことなく、ゆっくりと、いろいろな話を。噛みしめるように。話す、ということ。言葉の力。交わす、ということ。心に架かる橋。僕はこの一晩で、会話するということの楽しさと重さを、改めて教えられたような気がする。


 夜が更ける。園田家の人たちにお風呂を先に使ってもらい、母さんが三人を奥の客間に案内した。


「みなさん。今、外は雪です。長い、寒い夜になります。だから、心まで冷やさないように、しっかり語り合ってくださいね」


 母さんは笑顔でそう言うと、襖を静かに閉めた。


◇ ◇ ◇


 居間には父さん、母さんと、僕ら二人が残った。


「なんか、予想もしていなかったことになっちゃった。父さん、母さん、みどり、ごめんね」

「しょうがないわよ」


 母さんが微笑んで言った。


「それが、こうちゃんだもの」

「そうよね。わたしはそれで助かったんだから」


 みどりが、思い出すように呟いた。


「人の繋がりってのは」


 父さんが僕の顔を見て、笑みを浮かべた。


「……不思議、だな」

「うん」


 それぞれがそれぞれの顔を見渡して、もう一度みんな笑顔になった。父さんが静かに言った。


「さて、私は先に休ませてもらう。幸助も疲れたろう。早めに寝た方がいいぞ」

「ありがとう、父さん」


 父さんが寝室に行ったあと、母さんが僕を呼んだ。


「こうちゃん、ちょっと」

「なに?」

「あんたたち、なにか企んでない?」


 あ、そうか。あの話はまだしてなかったんだっけ。


「母さん、隠すつもりじゃなくて、今日父さんにも話すつもりでいたんだ。園田さんのことで、タイミングを外しちゃったけど。来年僕が三年生になったら、みどりを副丘に呼ぼうと思ってるんだ。四年になったら忙しくなるんで、一年間限定だけど」

「そう……」

「みどりは、ずっと木馬野を出たことがない。僕は大学を出たら、ここへ戻るつもりだ。だから、みどりがここ以外の土地に住む機会はもうそれしかない」

「そうね」

「僕はね。ここを出たから、ここの良さが身にしみて分かったんだ。だからみどりにも、故郷を外から見る機会をあげたいんだよ」


 母さんはしばらく目を瞑り、それからおもむろに言った。


「それはいいわね。こうちゃんもみどりちゃんも、すごくたくましくなったみたい。親として関われる部分が減ったのは寂しいけど、こうちゃんがこっちに戻るって言ってくれたのは、涙が出るほど嬉しいわ」


 母さんは目を擦った。そして、早く私たちを安心させてねと言って笑った。


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