(3)

 九月。夏休みが終わってすぐ、僕は最初のバイト代をもらった。叔母さんのところでもバイトはしていたけど、僕にはどうしても、それが自分の働いた分に見合った正当な報酬じゃないという引け目があった。でも今回は違う。僕は身を粉にしてくたくたになるまで働いた。だから、これは純粋に僕の稼ぎだ。よし。


 その夜。ずっと切ったままだった携帯の電源を入れて、実家に電話をかけた。


「もしもし?」


 電話に出たのは父さんだった。


「あ、父さん? 幸助です。元気?」

「おまえなあ」


 あ、怒ってる。そりゃ、そうだろうな。みどりのことを任せながら、僕からはなしのつぶてじゃね。


「なんども電話をしたのに、全然つながらないじゃないか! 何をしてたんだ!」

「ごめんなさい。携帯が調子悪かったんだ。結局充電池を替えたんだけど、電源が入らなくてね」


 ごめん、父さん。ウソをついた。電話口では、しばらく無言で僕の声の裏を探っている気配がある。


「それなら仕方ないが……。ちゃんとみどりちゃんに電話してやれ」

「うん……」


 父さんが受話器をみどりに渡す気配がした。父さんは、たぶん僕のウソは見破ったろう。ごめん、父さん。


「あ、こうちゃん?」

「みどり? 元気にしてる? 体調は戻ったかい?」

「こうちゃん、それはこっちのセリフよ。もう、全然電話くれないんだから」


 みどりが、電話口でむくれているのが分かる。


「ごめん。引っ越しと新しく始めたバイトで、ちょっと余裕がなかったんだ」

「え? こうちゃん、バイトなんか始めたの?」

「うん。叔母さんのところのバイトは、いずれ止めようと思ってるから、次を探しておかないとと思って」

「ふーん、で、何のバイト?」

「牛丼屋。バイト代は安いけど、食費が浮くのが大きいんだ。ちょうど、今日初給料が出たのさ」

「あ、すごーい! で、それでわたしに何か買ってくれるの?」

「ばかこくでねえ」

「ぶー」


 ふぐみたいに膨れてんだろうなー。よし。飴玉用意。


「みどり、僕はたぶん四年になったら就活や卒論で忙しくて、身動きとれなくなると思う。だから、三年の一年間だけだけど、みどりをこっちに呼びたいんだ。それには軍資金がいる」


 みどりがびっくりしている。


「わたし、そっちに行っていいの?」

「もちろん。僕は卒業したら木馬野に戻るつもりだけど、みどりはこれまで木馬野から出たことがないだろ? 一度、故郷を外から見るのもいいもんだよ」


 みどりの声が弾んだ。


「きゃあきゃあ! それは大目標だね。じゃあ、わたしもパートに出よっと」

「え? 体は大丈夫なの?」

「うん、もうすっかり元気よ。ずっとこちらでお世話になるのも心苦しいから、本町のアパートでも借りようかなって思ってたの。でも、軍資金を貯めるならそれは延期する」

「パートって、あてあるの?」

「本町のスーパーでパートさんを募集してるの。ここからなら通うのはしんどくないもん」

「なるほどね。じゃあ、お互いに来年に向けてがんばろう!」

「おおーっ!」


 なんか最後はわけの分からない乗りで、電話は切れた。


◇ ◇ ◇


 それ以降、僕はものすごく忙しくなった。バイトのローテーションを決めて、大学の講義以外の時間は全て稼ぎに回した。大学生というより、ほとんど勤労者って感じ。引っ越し当初の孤独感なんか、飼い馴らすどころか完全に踏み潰されて、僕のベッドのシーツ代わりになってる。

 斎藤さんが、没頭すると嫌なことも忘れると言っていたのを思い出す。近いか遠いかは別にしても、目標があって、それに向かって全力を出している時には、ネガティブな感情は沸かない。本当にタフになったと思う。


 みどりとは週に二、三回電話で話すことにした。電話代すらもったいないということで、軍資金の状況報告が主の味気ない短い会話だった。でも、僕らはそれですら楽しかった。その先にあるものがはっきり見えていたから。


 叔母さんのところのバイトは、完全に辞めた。僕が叔母さんのところを出るのと同じくらいに、園田さんが大学を中退して、叔母さんのところに転がり込んだからだ。ご両親はかんかんに怒っていたらしいが、園田さんの決意は覆らなかった。驚いたことに、園田さんはその後、叔母さんのところからも姿を消した。叔母さんは、そのことについては何も言わなかった。僕も忙しくて、それを気にしている暇がなかった。


◇ ◇ ◇


 十二月に入ってすぐ。僕は暮れに帰省する予定を立てて、実家に電話した。母さんが出た。


「もしもし?」

「あら、こうちゃん? 元気だった?」

「うん、元気だよ。相変わらずバイト漬けの毎日だけどね」

「ちゃんと勉強もするのよ」

「もちろん、抜かりはないさ」

「それならいいけど。みどりちゃんは、まだ仕事から戻ってないわよ」

「あ、そうなんだ。遅番?」

「今日はそうみたい。夕食は先に食べててくださいって連絡があったから」

「ああ、暮れの帰省のことなんだけど」

「戻ってこれるの?」

「うん、28日にそっちに戻ろうと思う。で、発つのは明けて3日ね」

「じゃあ、少しゆっくりできるわね」

「うん。その時に相談したいこともあるから……。あ、そうだ。徳子さんって、今どこに住んでるの?」

「なに? 唐突に。うちの並びの空き家に、町の補助受けて住んでるわよ」

「おばさん一人で? 他に誰かいる気配ある?」

「徳子さんしかいないと思うけど」

「そっかあ……」


 母さんは、何か嗅ぎ取ったようだ。


「もしかして、園田さん?」

「そう。大学は辞めるわ、菊枝叔母さんのところからは飛び出すわ、でさ。てっきり徳子さんのところかな、と思ったんだけど」

「その気配はないわね」

「ふーん」


 いったいどこに行ったんだろう? ご両親が心配している様子が目に浮かぶ。


「リョウ君に聞いてみたら?」


 母さんが意外なことを言った。そういや、リョウに園田さんをけしかけたのはいいけど、その後は自分のことで手いっぱいで、どうなったのか知らなかったんだ。


「そうだね。帰省した時にでも聞いてみるかな」


 僕は、帰省の日程をみどりにも伝えてほしいと頼んで、電話を切った。


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