それから みどり編

第一章 あいむあろーん

(1)

 副丘に戻ると、そこは灼熱の世界だった。木馬野が極楽だとすれば、副丘は地獄の釜の中。木馬野での決意を溶かしてしまうかのように、酷暑は僕の気力を萎えさせた。だけど、ここでくじけるわけにはいかない。


 叔母さんのところに戻る前に、駅前の不動産屋を何件かはしごして、物件の目星をつけた。夏はオフシーズンで、学生向けの出物は少ないけど、その分安いものを選べたのは幸いだった。


「ただいまー」

「あら、こうちゃん、もう戻ってきたの?」

「いろいろあって疲れました」

「そう。姉さんからだいたいは聞いてるわ」


 叔母さんはそう言うと、寂しそうに僕を見た。


「水鳥ちゃんには悪いことをしたわね……」

「え?」

「てっきり、こうちゃんに告白してくるんだと思ってたから、ここを出る時に思い切りハッパ掛けちゃったのよ」


 どう返事したらいいのか分からなくて、俯いてしまう。


「いや、私が余計なことをしたせいで、かえってこうちゃんに迷惑かけちゃったなあ、と思ってね……」


 叔母さんもすまなそうに下を向いた。僕はほっと息をついて、言い訳がましく答えた。


「巡り合わせですから。今回のことも、僕が最初から分かっていたわけではないですし……。運命の女神が投げたサイコロの目が、一つ違っていたんでしょう」

「水鳥ちゃんじゃ、だめなの?」


 叔母さんが、探るように僕を上目遣いで見る。切ない。


「園田さんは……僕には眩しすぎます。いっぱいいろいろなものをもらったけど、僕からは何もあげられない。それが……ね。すごく重荷なんです。それに……」

「それに?」

「僕には、守らなければならない人ができたから」

「……」


 最後の言葉が、僕の決意の固さを叔母さんに焼き付けたようだ。


「そう……か。こうちゃんの口から、誰かを守るなんて言葉が出るのは相当ね。覚悟して、こっちに来たんでしょ?」

「はい」

「私は姉さんと違って木下さんを知らないんだけど、そんなにか弱い子なの?」

「いいえ、すごく元気でタフな子ですよ」

「は?」


 叔母さんは、よく分からないという顔をした。


「ただ……これまでずっと、山の中で独りぼっちだったんです。その孤独に自分が潰されないようにするのに精一杯で、命まで落としそうになった」


 僕は小声で話し続けた。


「叔母さん、僕は本当は木馬野から逃げてきたんだ。大学に夢や希望があったわけじゃない。木馬野から出る方便が、どうしても欲しかっただけ。僕のことを考えてくれる父さん、母さんの手を振り払ってまで、木馬野を出る必要があった。そう、僕も木馬野では独りだったんです」


 叔母さんが、じっと僕を見据える。


「でも木下はね、僕の孤独感がほんのちっぽけなものに思えるほど、絶望的な孤独に苛まされてきた。僕は今回の帰省中に、ひょんなことから木下を山の中から引っ張り出したけど、それであいつの何が解決したわけでもない」

「……」

「寂しいもの同士で寄りかかってしまったら、お互いに崩れてしまう。僕が先に強くならないと、しっかりしないといけない。だから……」


 大事な話は、早めに切り出そう。


「叔母さん、僕はここを出ます」


 叔母さんが眼を丸くする。


「えっ?」

「叔母さんのところは、居心地が良すぎるんです。前に叔母さんから、こうちゃんにやる気なんてあったのって言われたことがありましたよね。あの時には本当に、やる気を絞り出すのが大変だったんです」

「そう……」

「でも今回木馬野に帰って、僕の中で引っかかっていたいくつかのことが決着しました。僕にとっては走り出すチャンスなんです。木下を支えるためにも、まず僕がきちんと自立する必要があるんです」

「なるほどね……。やっぱり彼女ができると、一味違うわねー」


 ちょっと違うと思ったけど、あえて反論はしなかった。みどりが契機になったことは事実だから。


「それで、どうするの?」

「こっちに戻ってくる途中で不動産屋を何軒か回って、当たりをつけてきました」

「お金はどうするの?」

「当座使わないお金を貯めていたので、手続きや引っ越しに必要な分と、二、三か月分の家賃は手元にあります」

「ふーん」


 叔母さんは、腕を組んで僕をまじまじと見ていた。そして笑顔で聞いた。


「矢は放たれたのね」

「はい」

「こうちゃんは、全部自分の中に溜め込もうとするから、その反動がどう出るか、すごく心配だったの」


 ああ、父さんと同じ心配をしてくれてたんだ。僕は叔母さんの心遣いが嬉しくて、涙が出そうだった。


「でも、溜め込んだエネルギーが前進するのに使われるのは、見ていてとっても爽快だわ。そうね。思い立ったが吉日。頑張ってね」

「はい。叔母さん達にはご迷惑をお掛けしますけど」

「そんなのは気にしないで。あ、うちのアルバイトはどうするの?」

「叔母さんに聞いてからと思って、まだ手配はしてませんけど、近々僕の方で何か長期のバイトを探します。それまでは、甘えさせてもらっていいですか?」

「助かるわ。私も自分の時間を確保したいから」


 そのあと、真顔になった叔母さんに突っ込まれた。


「そういや、こうちゃん。なんで自分の彼女のことを名前で呼ばないの?」


 苦笑いとともに、ややこしい背景を説明する。


「叔母さんが混乱するからですよ。木下の名前は、みどり。園田さんと同じなんです。字はひらがなですけどね」


 それを聞いて、叔母さんも苦笑した。


「どっちに転んでもみどり、だったのね」

「叔母さん、それを言っちゃあ、おしまいです」

「で、みどりさんをこっちに呼ぶの?」


 僕は少し考えて、慎重に答えた。


「木馬野に帰っていた三日間で、やっとお互いに告白したんです。始まったばかりですよ。まだまだ先の話です」

「それで彼女は寂しくないの?」


 僕は俯いた。そう、寂しいのはみどりじゃない。僕、なんだ。それを叔母さんに見透かされたようで辛かった。


「みどりは、僕が迎えに行くまで待つと言ってくれました。それまでに……僕らはまず、自分の孤独を飼いならさないとならない。訓練期間がいるんです」

「そう……」


 微笑んだ叔母さんに励まされる。


「こうちゃん、がんばってね。たぶん、そう簡単なことではないと思う。でもこうちゃんは、やると言ったんだから、やり遂げるでしょう」


 柄にもなく涙が出た。叔母さんがそれをこそっと咎めた。


「泣くことはないでしょう」


 目を擦って、慌てて反論した。


「暑くて、目から汗が出たんです」


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