(3)

 三日目、僕らは母さんが作業しているという共同作業場を見せてもらう事にした。僕も母さんの製作現場は初めて見る。

 作業服に着替えた母さんの姿は、いつもの店の片隅にいる田舎のおばさんからは想像がつかない。目が違う。本気だ。手元のラフスケッチを見ながら、木地に大まかに墨を入れ、のみと木槌で荒削りをして、造形していく。以前見せてもらった時には小物が主だったけど、今はかなり大きなものにも挑戦しているようだ。大きな音がして、木屑が飛び散る。肌に玉の汗が浮く。


 男も、女も、老いも、若きも、関係ない。作業場のみんなが、木と、糸と、紙と、金属と格闘してる。熱気が溢れている。とても寒村の光景には見えない。僕もびっくりしたけど、水鳥も、哲さんも、美里さんも、ほとんどその迫力に圧倒されていた。


 母さんはおおまかな造形ができた時点で、それを翌日以降の作業にしたようだ。僕らを別室に案内した。そこはガラス張りの部屋で、防塵と調湿のために作業者しか室内には入れない。母さんは作業机の後ろに座ると、調整の済んだ木地を取り出し、器用に木べらと刷毛を使って漆を塗り込んで行く。その後は、細かい彩色や金泥を使った作業が続く。先ほどのダイナミックな工程とは対照的に、こちらは繊細で忍耐力の要る仕事だ。僕らは無言で、その光景を見つめ続けていた。


 僕も水鳥も、ものを作り出すということへの熱意と重みを、改めて強く意識させられた。水鳥がほーっと息をつく。


「こうちゃん。これは負けてられないねー」

「もちろんだ。僕らもしっかりやろう。楽しく、前向きにね」

「そうね。力が入り過ぎてもいけないし。お母さん、本当に楽しそう」

「うん……」


 一時間ほどして、母さんがさっぱりとした表情で戻って来た。


「いかがでした? 面白かったかしら?」


 哲さんが、放心したように言った。


「凄すぎます……」

「ほほほ。それは褒めすぎでしょ。田舎のおばさんの手習いですよ」


 母さんは笑い飛ばすと、僕と哲さんにそれぞれ箱を一つずつ手渡した。


「こうちゃんたちには、これからのはなむけに。水鳥さんのご両親には、木馬野と私からの贈り物として。私が作ったものを受け取ってもらえれば、と思います」

「開けてみてもいい?」

「もちろん」


 僕と哲さんが箱を開ける。中からは、ごくシンプルな艶消し黒漆の夫婦の飯碗と汁碗、そして塗り箸が現れた。どこにでもあるようでいて、でも凛とした器と箸。


 母さんが、僕らにコンセプトを説明する。


「この辺りの漆器は、生活漆器なの。なんのてらいもない。山から授かった恵みを無駄にしないで、いかに長く使い続けるか。漆は飾りじゃなくって、木地を保たせるための生活の知恵なの。だから、この地方の漆器は塗りが厚い。傷付きにくくて、扱いが楽。デザインもシンプルだから、生活から浮かないし飽きも来ない」


 そうか……。


「それは芸術ではなくて、生活の一部だから。私が『ものを作る』という原点はそこにあるの。主人の蕎麦もそうだし、亡くなった徳子さんの染めもそう。だからね。こうちゃんも水鳥ちゃんも、これから何かを創作する時には、それが誰のためのものかを常に考えて、忘れないで、大切にして欲しいの。私の拙い作品が、そのきっかけになってくれれば……」


 僕らに笑顔を向けた母さんは、今度は哲さんと美里さんに向かって話しかけた。


「お二人にもぜひ生活の中で使っていただいて、折々木馬野のことを思い出してくださると嬉しいです。これは扱いを気にせず気楽に使っていただけるよう、普通のものよりもさらに塗りが厚くなっています。でも、使っているうちに傷や剥げが出たら、遠慮なくおっしゃってくださいね。いつでも修理いたしますので」


 哲さんがびっくりして聞き返した。


「しゅ、修理できるんですかっ?」

「もちろん。そのための漆器です」


 母さんは笑みを絶やさず、静かに答えた。


「このセットの木地には、樹齢二百年を越すケヤキが使われています。私たちはその長い長い時間を使わせてもらってるんです。粗末に扱うことはできません。私たちが自分では作り出すことができない、時間の恵み。その恩恵にできるだけ長く与るために、私たちの技は磨かれて来たんですもの」


 その想いの重さに、誰もが黙り込んでしまった。


 昼過ぎに作業場から戻ると、父さんが蕎麦を打って待っていた。みんなでそれをうまいうまいと食べているうちに、あっという間の三日間が終わった。


◇ ◇ ◇


 原井の駅で、父さん、母さんと別れた。木馬野の駅から副丘に戻るまで、哲さんも美里さんも無言のまま何かをずっと考え込んでいた。


 たぶん……。二人が田舎に対して持っていたイメージは、根底からひっくり返ったのだろう。僕が行きの列車の中で言ったこと。二人とも本心ではそれを、世の中を知らない青二才の戯言だと思っていたかもしれない。でも、僕は木馬野が放つ膨大な生のエネルギーを、木馬野から離れて、初めて思い知らされた。


 木馬野の人たちはそれを無駄にしない。生きるために、そしてそれを楽しむために、自分は何ができるかを考える。過疎化は避けて通れない。でも、それを逃れられない運命とすることを是としない。諦めて日常に埋没することを是としない。それは……。生きることを当然のこととして享受している都会では分からないんだ。だから僕は惹かれる。魔法をかけられたように木馬野に惹かれる。


 そのことを。この三日間で、どうしても水鳥の両親に分かってもらいたかったんだ。


◇ ◇ ◇


 アパートに戻って荷物を放り出し、ベッドに腰を下ろす。僕は、改めて水鳥の表情を確かめる。水鳥は微笑んでいる。


「そう。わたしはね、諦めて木馬野にいくんじゃないの。あそこでしかできないことが、いーっぱいある。それは、わたしとこうちゃんの人生を懸けるのにふさわしいほどに、いっぱいね。だから、本当に楽しみなの」

「そう言ってくれると思った。ありがとう。そして、これからよろしく」

「うん。こうちゃんも、楽しもうね」

「そうだね」


 僕らは互いの両手をかざし、薬指のリングを符牒のように見せ合った。そして、二人で遠くを見遣った。早くその時が来ないか、と。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る