第二章 木馬野へ、木馬野へ

(1)

 大学生活の二年目も、あっという間に過ぎた。僕は叔母さんのところのバイトを大幅に削り、長期のバイトを組み込んだ。忙しくなったけど、生活は充実した。取りあえず。世間一般の大学生らしい生活スタイルになったと思う。水鳥が一緒にいるということを除けば。


 暮れには木馬野に水鳥と二人で帰省した。父さん、母さんは、喜んで迎えてくれた。水鳥は、雪のあるお正月はすっごい素敵ねと、ずっとはしゃいでいた。


◇ ◇ ◇


 三年になる直前。僕には、自分が目指す未来の輪郭が浮かんできていた。


 僕はこれまでずっと本に活かされてきた。本に込められた思いは、僕を大人にし、孤独から救い、たくさんの知恵を授けてくれた。僕はそのことに恩返しがしたい。本の評論をしたい。それも児童書の。知識も感性もすぐに吸い込んでいく子供の時期に、いかに良い本に当たるかはすごく大事なことだ。僕はそれを、自分の身を以て知っている。高所から分かったようなことを言うのではなく、作者が伝えたかった、込めたかった、見えない部分。そこをすくい取って見せるような評文を書きたい。そして、いつか……。筆力が備われば、自分も児童書を書いてみたい。


 方針は固まった。あとは、それを実現する方法を探るだけだ。三年になった僕は、専攻を児童文学にした。同時に、地元の小さな出版社のアルバイトを探し当てて、出版の一連の過程を手伝い、覚えた。そして……。暇があればひたすら文章を書いた。それは、最初は単なる文字の羅列だった。僕の身から出たとは思えない、味気ない文字の行進。それが生き生きと自ら語り始めるまで。僕は、どれだけの文章を書き連ねればいいのだろう?


 この頃、水鳥はすっぱり大学を止めた。二人一緒にいる時間を確保し、なおかつ染めの訓練の時間も取るため、一番優先順位の低い大学を切ることは、水鳥にとって必然の選択だった。そして水鳥は、健気なくらい僕にべたつかなかった。本当は甘えたい、頼りたいこともあったと思う。でも、方針が決まってからの僕は本当に忙しかったから。


◇ ◇ ◇


 卒業が見え隠れしはじめる四年の冬。僕は地元の出版社に、遅い就職を決めた。そこはかつてのバイト先だった。また、二人で話し合って、卒業すると同時に籍を入れる事も決めた。式はしないことにした。そして僕は、もう一つ水鳥に提案するつもりだった。式をしない代わりに、水鳥の両親を木馬野に招待すること。


 僕らは木馬野で結ばれた。全ての縁は木馬野につながっている。そして、僕の居場所は木馬野にある。水鳥を説得しなければならないけれど、僕は木馬野に帰るつもりでいた。だから……。僕が愛する故郷を、その素晴らしさを、ぜひ水鳥の両親に見てもらいたかったんだ。卒業を控えた三月。僕は水鳥に切り出した。


「なあ、水鳥」

「なあに?」

「僕は就職はするけど、そこを一年で辞める」

「やっぱり」

「気付いてたの?」

「そりゃ、そうよ。こうちゃんに、普通のサラリーマンなんか勤まるわけないでしょ」

「ひっどいなあ」

「で、どうするの?」


 僕は一瞬ためらったけど、言い切った。


「木馬野に帰って物書きをする」


 大概のことには動じない水鳥が、これにはうろたえた。


「え? ええっ!? こ、ここを出るってことっ!?」

「そう。付いてくるかどうかは、水鳥に任せる」


 水鳥は、頭の中が真っ白になったらしい。水鳥は大学を止めたあと、小さな衣料品メーカーと共同で、草木染め専門の衣料ブランドを立ち上げた。店舗も在庫も持たず、オンラインで受注生産だけを行う。売り上げは微々たるものだったが、顧客と一対一で向かい合うやり方に、手応えを感じつつある時期だったらしい。


「前にも言ったけど、僕は水鳥を縛りたくない。僕の生き方に水鳥を巻き込むのは本意じゃない。だから、どうするかは水鳥がよく考えて」

「こうちゃんがここに残る、という選択肢はないの?」

「ない」


 水鳥は僕と付き合いはじめてからの二年半で、普段は細かい事に一切こだわらない僕が、一度言い出すと絶対に折れない事に気付いていた。そう、鉄砲玉はお互い様だったのだ。僕の方が、玉が出るまで悠長なだけ。珍しく、水鳥は実家に帰ると言ってアパートに戻らなかった。僕はじっと待つ事にした。


 一週間後。携帯が鳴った。水鳥だ。


「これから行く」

「分かった」


 結論を持ってくるのだろう。柄にもなく緊張した。鍵を開けて部屋に入ってくるなり、水鳥がきっぱり言い切った。


「付いてく」


 それだけだった。


 水鳥は木馬野から戻った時に母親に言った言葉を、忠実に守ることにしたらしい。僕は本当に嬉しかった。引き寄せて、水鳥をぎゅっと抱きしめた。水鳥も僕の背に手を回し、胸に顔を埋めた。


「大きくなったね」


 水鳥が言った。


「え?」

「わたしはもう、こうちゃんの背中を見てるような気がするの」

「何言ってんの」


 僕は笑い飛ばした。


「これからが二人三脚じゃないか」

「そうね。がんばりましょ」


 笑顔になった水鳥に、僕はあの提案を持ち出す事にした。


「水鳥のご両親を、木馬野に招待したいんだ。僕らは籍は入れるけど、式はしないだろ? せめて、僕らが将来暮らす所を見てもらいたいんだ」

「あ、それいいね。さっそく話してみる」


 水鳥は、とんぼ帰りでまた実家に帰った。すぐに携帯にメールが入った。


『おっけー! 日時知らせてね』


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