(3)

 水鳥は、引っ越してから二週間くらいは僕の部屋に通ってきたけど、そのうち僕の部屋に居着いてしまった。叔母さんが言ったように、結局同棲になってしまった。でも、隠すことでもない。二人で店に出向いた時に、顛末は話した。叔母さんは、当然よとでも言いたげで、特に茶化すでもなかった。


 木馬野から戻って二か月が過ぎた、ある日。バイトから先に帰っていた僕は、郵便受けに分厚い封書が入っているのを見つけた。差出し人はみどりだった。鍵を開けて部屋に入ると、それから数分後に水鳥も帰って来た。


「今日はわたしが当番だったっけ?」

「そう。頼むね。食べられるものをね」

「ふん、だ」


 水鳥は料理は下手じゃない。ただ、ありきたりのものを作るのは性に合わないのか、思いつきで実験をするから、当たり外れが大きい。


「今日は当たりでありますように。なむなむ」

「なによー、それ!」

「期待してるよー」


 水鳥が派手にキッチンの鍋釜をかき回す音を聞きながら、ベッドの片端に腰掛けて封書を開いた。


◇ ◇ ◇


 こうちゃんへ。


 お元気ですか?

 あの時はきちんとお礼もできなくて、ごめんなさい。本当はいろいろ事情を説明したかったんだけど、園田さんもいたし、わたしも落ち込んでいて、あの場では話し出せませんでした。


 こうちゃんたちが帰ったあと、検査で一週間入院してたの。あれだけ体調が悪かったのに、検査ではどこも異常なしって結果で、先生たちがあきれてました。病院は退屈だったけど、こうちゃんの友達だったっていう佐川君がお見舞いに来てくれました。高校時代のばか話をいろいろしてくれて、嬉しかったです。


 退院してからは、こうちゃんのお母さんが呼んでくれたので、お家にお世話になってます。わたしは知らなかったんだけど、わたしのお母さんとこうちゃんのお母さんとの間で、わたしのことで何か約束があったんだそうです。自分の家だと思ってくれって言われて、本当にありがたいです。


 おじいちゃんとお父さんが死んだあと、わたしは急に体調が悪くなって、あの小屋での生活が辛くなりました。最初は、家族がみんないなくなった悲しさからかなと思っていたんだけど、そうじゃなかったみたいです。まるで自分の体が誰かにむしゃむしゃ食べられているんじゃないか、そう思うくらい調子が悪くなったんです。


 バスがなくなっちゃったのと、お金と体調のこともあって高校を止めました。でも、体調はぜんぜん良くならない。働かなきゃならないけど、こんなんじゃどうにもならない。わたし、このまま死んでしまうんじゃないかって。その時、斎藤さんが心配して見に来てくれました。


 わたしは知らなかったんだけど、おばさんは若い頃に、お父さんやおじいちゃんに助けてもらったことがあったんだそうです。そんなこと、信じられないんだけど。


 わたしは、おばさんに頼み込みました。わたしはここを出たいけど、この体調では動けないから、しばらく面倒をみてくれないかって。でも本当は、わたしは外に出るのが怖かったんです。わたしのわがままに、おばさんを巻き込んでしまいました。今から悔やんでも悔やみきれません。


 わたしはおばさんに頼んで、小屋とその周り以外のうちの山を売ってもらいました。わたしの体調が戻るまで、それでしのぐつもりでした。いつもおばさんにばかりは頼れないので、体調のいい時は原井や本町まで出たけど、買い物したら、誰とも話さずに逃げるように帰ってました。この頃はもう、わたしはおばさんに頼り切りだったの。おばさんがいれば、わたしはあそこを動かなくても済む。わたしは、自分が一番嫌っていたお父さんやおじいちゃんと同じ、偏屈な人間になってしまってたんです。


 そして……。こうちゃんが来る日の一週間くらい前から、これまでないほどひどい不調が続きました。おなかが空いているのに、食べ物がのどを通らない。吐き気がひどい。立ち上がるとめまいがして立っていられない。寒気と震えが止まらない。おばさんはわたしの状態を心配して、五日前から小屋に泊まり込んで、わたしの面倒を見てくれていたんです。こうちゃんが来る前の日は特に具合が悪くて、服を寝間着に着替えるのもしんどくて、昼過ぎから、そのままの格好で座卓に寄りかかってずっと寝ていました。


 もう夜中だったと思います。うとうとしてたら、いつの間にか見た事がない若い男の人が側に立っていました。それでわたしに、すぐ砥沢に降りて大檜に触ってこいって。そう言ったの。そうしないとお前の命は近々尽きるって。わたしは怖くなって、這うようにして小屋を出て、裏のがけを降りようとしました。もう遠回りして沢に降りる道を行く体力がなかったの。


 おばさんはわたしの隣で眠っていたんだけど、目が覚めたらわたしがいなかったものだから、慌ててわたしを探しに外に出てきました。それで、わたしががけを降りようとしているのを見つけて、危ないからって止めに来たんです。


 先に降りかけていたわたしの上からおばさんが降りて来て、わたしに手を差し出しました。でも、わたしは降りることしか考えていなかった。不安定な体勢でわたしに手を伸ばしていたおばさんは、足を滑らせて、バランスを崩して頭から落ちたの。鈍い音がして……静かになってしまったんです。


 わたしも滑り落ちるようにして沢に降りました。調子悪かったけど、それどころじゃなかった。おばさんは大檜の根元に倒れて、口から血を流していました。わたしは幹に寄りかかって、しばらくぼう然としてた。


 たぶん……。この時に、わたしは『帰せた』んでしょう。少し体が楽になったの。


 その後は、もうおばさんのことしか頭になかった。何日間かほとんど食べてなくて、体力はもう残ってなかったけど、とりあえず道に出ようと思って歩き出したの。頭の中で誰かに、助けてと叫びながら。


 暗闇の中を最後は四つんばいで歩き続けて、昼過ぎまでかかって田神原の道の終点近くまでたどりついたけど、あの木の根元で力が尽きました。意識が遠のく中で、わたしはずっとおばさんに謝っていました。おばさん、ごめんなさい。わたしは、どうしておばさんを巻き添えにしてしまったんだろう。あの世で謝ります。ごめんなさいって。


 そうしたら、こうちゃんが来た。来てくれた。


 わたしはずっと誰かに呼びかけていた。それが誰かは最初は分からなかったけど、こうちゃんを見たとたん、それがこうちゃんだって分かった。わたしはおばさんが助かるかもしれないと思って、必死に訴えました。こうちゃんはそれも感じ取ってくれた。間に合わなかったけど……。


 わたしは、こうちゃんに助けられたんです。


 わたしは、すごくひきょうな人間でした。自分勝手で、寂しさに負けて、勇気がなくて、おばさんを死なせ、こうちゃんに、そしていろんな人に迷惑をかけた。本当に誰にも合わせる顔がありません。本当は死んで償おうか、と考えたこともあるの。でも、せっかくこうちゃんとおばさんが助けてくれた命を、わたしが粗末にしたらばちがあたります。だから、今は謝ることしかできません。ごめんなさい。


 もっと元気になって、自分を素直に見れるようになったら。ちゃんと働いて、自分で暮らしていけるようになったら。その時は、こうちゃんやおばさんに言えると思います。ありがとうって。


 わたしはもうちょっと体調が戻ったら、本田に出ようと思います。木馬野には辛い思い出が多くて、今は離れたいの。佐川君が、住むところは探すよって言ってくれてるので、頼もうかと思ってます。仕事も探します。何ができるか分からないけど、なんとかなるでしょう。


 最後に。


 こうちゃん、わたしはこうちゃんが好きでした。遠く離れていても、ずっとわたしを支えてくれたこうちゃんが好きでした。でも、わたしはそれを伝えることができなかった。こうして手の届かないところに行ってしまってから、自分の気持ちに気が付くなんてバカです。だから……。


 園田さんと幸せになってください。わたしも自分の幸せを探します。


 お元気で。


                      木下みどり


◇ ◇ ◇


 ふう……。僕は天を仰いだ。最後の謎が解けた。みどりの小屋になぜ斎藤さんがいたのかだけが、ずっと分からなかったんだ。なるほどね。


 水鳥がターナーを片手に、ビミョーな格好で現れた。


「うーん、ジャージにエプロンつーのは、中学校の野外遠足の乗りだなー」

「しょうがないでしょ。選択肢がないんだから」

「そりゃ、そうだけどさ」

「それより、その手紙はなに?」

「遅れて来たラブレター、だよ」


 水鳥の目が、きっとキツくなる。


「なーにぃ!?」

「ふふん」


 水鳥は、僕の目が笑っていない事に気付いたようだ。


「本当はなんなの?」

「木下からだよ。僕らが木下を助けて、徳子さんの死を見届けた、あの時の真相が書いてある」

「……」

「見るかい?」

「いいや、いい」


 水鳥はきっぱり言った。


「それを見ても徳子さんは戻ってこないもの」

「そうだよな」


 僕は手紙を細かく裂いて、くずかごに入れた。

 そう。この手紙は僕宛てに書かれているけれど、実際はみどり自身のためのものだ。過去にあった自分の弱さや誤ちを見つめ、自分をどうやって立て直して、未来につなげるか。それに見通しがついた今だからこそ、こうやって手紙を書けたんだろう。僕にはそれで充分だった。そして呟いた。


「リョウ、がんばれよ」


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