それから 水鳥編

第一章 うぃずゆー

(1)

 僕らは、副丘に戻ったその足で水鳥の実家に直行した。水鳥は自分だけで謝るから同行は要らないと渋ったけど、僕は今後のことがあるからと言って押し切った。家では、お母さんが仕事を休んで待っていた。


 ぱしん! お母さんは玄関口で水鳥を出迎えるなり、水鳥の頬を平手打ちした。


「どれだけ心配したと思ってるの!」


 ……やはり水鳥のお母さんだ。水鳥の気性には、お父さんのだけでなく、お母さんのものもちゃんと入っているのがよく分かる。水鳥は消え入りそうな声で謝った。


「ごめんなさい……」


 お母さんは水鳥の後ろに僕がいることに気付くと、深々と頭を下げた。


「この度は娘が松木さんにご迷惑をお掛けして、本当に申し訳ありません」

「いえ。こちらこそ、御連絡が遅れてご心配をおかけしました。すみませんでした」


 僕も頭を下げる。そして、話を切り出した。


「お母さん、少しお話があるのですが、よろしいでしょうか?」


 お母さんは、何か感付いたのだろう。僕と水鳥の顔を見比べて、言った。


「お上がり下さい。ちょっと散らかっていますけど」


 案内されたリビングは、広いけれどきらびやかなところがなく、とても質素だった。でも、部屋に置かれた重厚なダイニングセットとロッキングチェアが、部屋に独特の威厳を与えていた。


「あっ!」


 僕が急に大声を出したので、水鳥がびっくりしている。


「どうしたの?」

「これ……。叔父さんの作った家具だ」

「えっ?」

「毎週通ってたのに、気付かなかったの?」

「うー」


 お母さんが、にこやかに話し出した。


「そう言えば松木さんは、庄司さんのところに下宿されているんですよね?」

「そうです。叔父と知り合いだったんですか?」

「庄司さんの家具はね。主人の大の気に入りなんですよ。ただ、庄司さんのところは完全な手作りで、作品の数が出ないので、だいぶ待たされましたけどね」

「そうだったんですか……」


 僕はなんとなく嬉しかった。お母さんは僕らを椅子に座らせると、飲み物を勧めた。


「それで、お話って?」


 僕は話を切り出した。


「二つあります。一つは、今回の経緯です」

「そう」


 僕は、できるだけ手短かに今回の件を説明した。

 水鳥が徳子さんに会おうとして木馬野に来たこと。戸板まで歩いて行こうと無茶したこと。それを僕が連れ戻したこと。その後みどりを助けに行って、徳子さんの死に遭遇したこと。そして、その全てに僕と水鳥が関わったこと。


「僕が着く日に携帯で水鳥さんと連絡を取って、スケジュールをお知らせする予定だったんです。でも、僕の実家のあたりでは携帯が圏外になっていて……」


 僕の苦笑の意味は、お母さんは分かってくれたろう。


「それは……いろいろあって大変だったわねえ」


 お母さんは、娘の顔をじっと見ている。水鳥の心の中を全て読み取ろうとでもするように。そして、僕に向き直った。


「もう一つは、何かしら?」


 僕は居住まいを正して、お母さんに向き合った。


「今回の木馬野行きは、僕と水鳥さんとで、それぞれ別の目的を持っての旅でした。斎藤さんの周辺のことは、僕の家族にしか分かりません。ですから斎藤さんの現況を調べて戸板まで案内し、斎藤さんに引き合わせることが、水鳥さんに頼まれていたことでした。僕は……。父と衝突して木馬野を出ています。父の誤解を解くのが、僕の帰省の目的だったんです」

「なるほど」


 お母さんが水鳥から目を離さないで、頷く。


「でも……予期しないことが続いて、予定は大きく狂いました。そして僕も水鳥さんも、その間に得難い体験をしました。それを通して、それまでお互いに気付かなかった感情を確かめ合うことになりました」


 僕は、お母さんの眼を見た。


「僕は水鳥さんが好きです。一生を共にするつもりでいます。そのことを、お話ししたかったんです」


 お母さんもじっと僕の顔を見ていたけれど、今度は娘に向かって聞いた。


「水鳥は覚悟できてるの?」


 水鳥は顔を上げて答えた。


「わたしは……松木くん、いや、こうちゃんが好きなの。ずっと一緒にいたいの。いい加減な気持ちじゃない」


 お母さんはしばらく眼を瞑っていたけれど、静かに水鳥に問い質した。


「水鳥。松木さんと染めの仕事のどちらかを取れと言われたら、どうするの?」


 この問いは水鳥には全く予想外だったようで、しばらく無言で俯いていた。その後で、顔を上げてはっきり答えた。


「わたしには、こうちゃん以上のものはない。染めの代わりは探せるけど、こうちゃんの代わりはいない」


 お母さんはにっこり笑った。


「よし。それを聞きたかったの」


 そうして、僕にまた深々と頭を下げた。


「松木さん、娘がこれからいろいろとご迷惑をおかけするかもしれませんけど、よろしくお願いしますね」


 おっと。


「お母さん、僕らは学生です。自分達の行く末をまだ探している途中です。だから、きちんとしたご報告ができるようになるまでは時間がかかります。それを分かってくださると嬉しいです」


 お母さんは、僕の返事には何も触れずに言った。


「松木さん、以前店に来られた時からずいぶん雰囲気が変わられましたね」

「そうですか?」

「そう。あの時は、どこかもやがかかった中に居るような感じだったの」


 僕は苦笑した。確かに、面と向かってボケてるとは言えないわなあ。水鳥がおずおずとお母さんに聞く。


「お父さんには……?」

「黙って行ったことだけ謝りなさい」

「こうちゃんのことは?」

「お父さんは、途中経過は見ない人なの。結果が全て。だから、二人の将来がきちんと固まってから話しなさい。それまでは相手してもらえないわよ」


 なるほど……。中途半端はするな、という感じがひしひしとする。




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