第七章 宴の果てに

(1)

 父さんは五時過ぎに買い出しから戻った。そして、座卓二つと座布団がずらっと並んだ居間を見合わしてにやにやしている。うちの三人に、徳子さんとみどり、園田さん、リョウと作次おじさん。しかも作次おじさん以外はうちに宿泊だ。普段は両親二人きりの生活で、客が上がり込むといってもせいぜい作次おじさんくらい。家の広さを持て余しているのに、今日は家が狭く感じるくらい賑やかになる。

 そう。宴会なんて、うちでは滅多にないでっかいイベントなんだ。父さんも母さんも、自宅が人でいっぱいになって笑い声で溢れるのが楽しみでしょうがないらしい。準備の慌ただしさすら心から楽しんでいる。


「おおっ! なんか旅館をやってた時代にワープしたみたいだな。ようしっ! とりあえず、気張って蕎麦を打つことにしよう!」


 父さんは、久しぶりの大仕事に気合いが入ったようだ。鉢巻を締め、腕に力こぶを作って台所に消えた。


           −=*=−


 園田さんは、結局日が落ちるまで神社に残っていた。気持ちを整理していたみたいだけど、どうなったのだろう?

 僕が店先で泊まりでの宴会に誘った時には、気乗りしない様子だった。でも、徳子さんと膝詰めでゆっくり話ができるという誘惑に負けた。この切り替えの早さは、園田さんならではかもしれない。もうすでにメモ帳を片手に、いろいろ話しこんでいる。


 おばさんは、まるで憑きものが落ちたみたいに、穏やかに園田さんと話をしている。みどりのことや戸板のことに、おばさんなりに決着をつけられたと割り切ったんだろうか。おばさんが誰かとじっくりと染めの話をするのは、本当に久しぶりのようだ。時には腕を組んで首を捻り、時には身振り手振りを交えて、徐々にディープな世界に突入しつつある。


 みどりは、台所でしっかり母さんを手伝っている。手を止める暇がないほど忙しそうだけど、ずっと笑顔で二人で話し続けている。まるで本当の親娘のように見える。みどりは、お母さんが生きていたら今頃こんな風なのかなと、未央乃さんのことを思い出しているのかもしれない。


 僕は作次おじさんと、みどりの小屋の今後の扱いについて話をした。みどりが落ち着いたら、いずれ整理する必要があるかもしれないなあ、と。おじさんは、僕と徳子さんに確認して、表、裏両ルートの地図を作るつもりだと言った。


 そして……六時過ぎ。


「こんばんはー!」


 賑やかな声がして、リョウが入ってきた。そして僕らの顔ぶれを見るなり、大仰に驚いた。


「あ? えーっ!? 僕の知らん人がいるー、けど?」

「気にしない、気にしない。後で紹介するからさ」

「はあ。あ、これ」


 リョウが一升瓶を二本差し出した。


「お、いい酒じゃん」

「うん、家に寄ったら親父に持たされたんだ。メシ食わしてもらって、泊めてもらって、ただっていうわけにはいかんだろって」

「ありがとう。宴会の時に出すよ。さあ、上がれよ」


 リョウは座卓の一角に座ると、園田さんの方をちらちら見ていた。気になるようだ。がんばれよー……。僕は心の中で小旗を振った。


           −=*=−


 七時近くになって、父さんの打った蕎麦が茹で上がり始めた。母さんとみどりが台所から小鉢や揚げ物を運び、次々に座卓に上げていく。座卓の上は御馳走で溢れかえる。


「第一陣!」


 父さんが朱塗りの角皿に、蕎麦を山のように盛って運んできた。そこだけぽっかり穴が開いていた、二つの座卓のそれぞれ真ん中に、それが納まる。母さんがすかさず開会を宣言した。


「伸びるといけないから始めましょ。あ、その前に簡単に自己紹介しましょうか。お互い知らない人もいるしね」


 さあ、父さん、と促す。


「あ、ご存じ、松木慎悟まつきしんごです。蕎麦を腹一杯食べてってください。まだまだ打ちます。終わり」


「続いてご存じ、松木花枝まつきはなえです。ごちそう担当です。たくさん食べていってね」


「松木幸助です。あーもう、忙しい三日間でした。明日副丘に戻ります。また暮れに来るんでよろしくー。と、と、忘れるところだった。えーと、ご報告。このたび木下みどりと恋人同士になりました。盗らないでね」


 わー、ぱちぱちぱち! 拍手が沸いた。リョウが、口をあんぐり開けて僕を見ている。悪いな。早いもん勝ちなんだわさ。園田さんはまだ辛そうだ。ごめんね。


「島田作次です。そこの修理工場の親父です。今日はうまい蕎麦……と」


 おじさんは目ざとく一升瓶を見つけた。


「うまい酒をごちそうになりにきました。よろしく」


「斎藤徳子です。戸板の最後の住人です。寂しくなるかなあと思ったけど、原井は賑やかで、あったかくていいわね。ここが、第二の故郷になるよう楽しみます。ばあさんですが、よろしくね」


 みどりがおずおずと立った。


「木下みどり、です。こうちゃんや徳子おばさん、松木のみなさんには、本当にご迷惑をおかけしました。実は……こんな賑やかな席に出るのは、生まれて初めてです。とっても楽しみです。そして……」


 みどりは僕の方を見て言った。


「さっきこうちゃんが言ったけど、こうちゃんが彼氏になりました。わたしは独りきりじゃなくなりました。わたしは本当に幸せです……」


「わたしの新しい人生の第一歩が、こんな楽しい、明るいひとときから始まることに……心から感謝したいと……思います。よろしくお願いします」


 みどりは涙声だった。


「園田水鳥です。副丘から来ました。松木くんの大学のクラスメートです。今、草木染めにのめり込んでます」


「展示会で見た斎藤さんの染めに感激して、どうしても斎藤さんに会いたくて、無理を言って松木くんに連れてきてもらいました。今回こうして斎藤さんにお会いすることが出来て、本当に嬉しいです」


 園田さんはちょっと言葉を飲み込んで、それから続けた。


「わたしはこの旅で、斎藤さんという大先生を得ました。その代り……日生染めと……こうちゃんを失いました。人生何でも欲張るな、ということですね。これを肥やしにしてまた精進します。よろしくお願いします」


 さすがだ。きっぱりと前を向いている。最後にリョウが立った。


「えーと。ほとんどの人は知ってると思うけど、佐川良太です。コウの高校のクラスメートで、今は本田市の教育大に行ってます」


「いや、さっき電話もらった時に、なんかコウの雰囲気変わったなあと思ったんだけど。そういうことだったのね。すっかりテンポ良くなってるしさ」


 なんか納得できんという顔。


「おとつい駅で会った時は、高校の時以上にぼけっぱなしだったのに。何があったのか、今日はとことん問い詰めたいと思います。あ、もーちろん、おじさんの蕎麦は絶品です。間違いありません!」


 リョウの挨拶が終わると、どっと座が沸いた。母さんがすかさず座を促す。


「さあさ、どんどん食べましょ。伸びちゃうわ」


 掛け声と同時に、一斉に蕎麦に箸が伸びる。蕎麦をすする音が部屋中に響き渡る。うーん、何度食べても父さんの蕎麦はうまい。これを食べるためだけに旅費をかけて帰ってもいい、と思うくらい。山盛りの蕎麦が、瞬く間にみんなの胃袋に落ちた。そのスピードは、父さんが考えていたよりずっと早かった。やはり人数がものを言う。不味い蕎麦なら途中でペースが落ちるんだろうけど、名人の蕎麦はいくらでも入る。結局一時間経ったところで、材料が尽きた。父さんは汗をだらだら流しながら台所から現れると、両手を上げて降参のポーズで言った。


「終了ー」


 ぱちぱちぱちっ! 一斉に拍手が起こる。

 蕎麦や料理がお腹に入って落ち着いたところで、座が適当にばらけて談笑に入った。


「ふーっ。やっぱり数打つのは大変だ。商売でやってる人はすごいな」


 そう言って卓の前に腰を下ろした父さんに、取り分けてあった蕎麦と麦茶を勧める。


「父さん、ありがとう」

「何も礼を言われるようなことはやってないよ」

「いや、みどりのことも含めて、父さんには迷惑も心配もかけたから……」


 父さんは黙っていた。そのあと、ぽつりと言った。


「それが分かってるなら、いい。さっきの挨拶も、幸助にしてははっきりした口調だった。覚悟があるんだろ?」

「もちろん」


 僕は小声で耳打ちした。


「父さんにだけ言うけど、僕は二日間死地を見てきたから」


 父さんは、ぎょっとして僕を見た。


「みどりと、ね」

「そうか……」

「父さん」

「なんだ?」

「みどりを、頼むね。まだ時間がかかる。僕自身もいろいろ変わらなければならないし。いずれ、状況が整ったら……」

「うん?」

「その時は全部話するよ。あの二日間の不思議な話を。信じてもらえるかどうか分からないけど」


 父さんはそのまま僕をまじまじと見つめていたけど、ぼそっと言った。


「分かった。待つことにしよう。幸助が、言い逃れのウソをついてるわけじゃないことは充分分かる。今はそれでいい」


 そして僕の膝をぽんと叩くと、笑顔になった。


「さ! どんどん食え! 折角の宴会だ。楽しくやろう!」

「うんっ!」


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