(2)

 これで二人。


 おばさんは全ての事情を知っているから、僕があえて余計なフォローをする必要はないだろう。次は父さんをどうするか、だな。昔気質の人だから、根に持たれると後が厄介だ。それでなくても、ここを出る時に揉めてるからなあ。父さんに主導権を渡すと、僕が全く動けなくなる。だから説明や弁解じゃなくって、がっちりやり込めなきゃならない。それには詭弁でもいいから、単純で強い理屈が必要になる。それと、待つより出向いた方がいい。先手必勝だ。よし!


 僕は、作次おじさんの工場に向かった。父さんとおじさんは、工場の前に丸椅子を二つ並べて座り、何やら話をしていた。僕が近づいてくるのを見て、父さんはあからさまに不機嫌な顔をした。僕は挨拶を省いて、いきなり厳しい口調で切り出した。


「父さん。母さんがみどりのことを気にするまで、父さんはみどりのことは気にならなかったの?」


 父さんは、僕の不在中の出来事を問い詰めようとした矢先に、予想外の先制攻撃を受けてたじろいだ。黙り込んだのを確認して、詰問の声を少し大きくする。


「今回はたまたま僕がフォローできたけど、下手すれば警察の世話になってたよ。無関心も大概にしないと。住んでいる人の様子を普段から気にかけて、孤独に追い込まれるのを防ぐのが、田舎の良さじゃなかったの?」


 父さんだけでなく、作次おじさんまで俯いてしまった。おじさんまで巻き添えにしてるのが申し訳ない。でも、ここで手を緩めるわけにはいかない。


「当分の間のみどりの世話は、母さんに頼んだ。でも、父さんもおじさんも支えてあげてね。山の中の粗末な小屋に、誰にも頼れずにずっと女の子一人で住んでたんだ。精神的にすごく参ってるんだよ」

「分かった」


 父さんは苦しげに頷いた。良心が咎めるんだろう。


「あ、それと、父さん」


 まだ何か言われるのかと怯えていた父さんは、次の僕の一言でふにゃっと緩んだ。


「父さんの蕎麦が食べたいな」


 破顔一笑。

 僕は、作次おじさんに挨拶して店に戻った。男って……単純だなあ。


           −=*=−


 ここまではなんとかなる。一番の問題はみどり自身だ。これからどうしようと考えているのか。僕はそれに対して何ができるのか。時間をかけて、きっちり話をしなきゃならない。


 僕が自分の部屋に戻ると、みどりはいつの間にか別の服に着替えていた。


「あれ? その服って……」

「あ、こうちゃん、お帰り。これね、お母さんが洗い替えで着ててくださいって。わたしのは身ぐるみ剥がされちゃった」


 それは、みどりには少し丈が短かいワンピース。母さんが若い頃に自分で仕立てたものだろう。デザインはさすがに時代を感じさせるけれど、みどりにはなぜかしっくり合う。ざっくりした綿の風合い。淡い若草色は、母さんが自分で染めたに違いない。僕はみどりのその姿に見とれていた。

 一昨日着ていた白い服は、死の予感。今朝出てくる時に着てきたピンクのトレーナーは、明日への希望。そして、今着ているこの服は……。


「何よ。そんなにじろじろ見ないで。恥ずかしいから」

「いや、すっごく似合ってるからさ」

「ふふ。嬉しい」


 少し照れた様子で立ち上がったみどりは、裾をもってふわりと広げて見せる。


「この服ね、とっても落ち着くの。そして気分が軽くなるの。いいよね」


 ……そう。みどり、そのものだ。


 みどりは横座りに戻ると、僕に話しかけた。


「お風呂も使わせてもらった。湯船のあるお風呂に入ったのって、記憶にないの。すっごく気持ちいいね」


 ふわっと石鹸の匂いが漂う。僕は昨日小屋で見たみどりの裸体が目の前にちらついて、落ち着かなくなった。いかんいかん、そんなことを妄想している場合ではない。


「僕ももう少ししたら汗を流してくるよ。それより……」

「なに?」

「当分、どうする?」


 僕はみどりを小屋から引っ張り出すことしか考えてなかったから、その後の具体的なプランがあるわけじゃない。みどりにしたってそうだろう。


「そうね……」


 みどりはしばらく考え込んでいたけど、僕に探りを入れた。


「こうちゃん、もう少ししたら副丘に戻るんでしょ?」

「うん。そのつもりだけど」

「付いてっちゃだめ?」


 僕も考え込んだ。そう遠くない将来、それは現実のものとなるだろう。でも……今は無理だ。地ならしが要る。


「みどり。僕は向こうでは、叔母さんのところに下宿させてもらってるんだ。みどりとの同居は無理だ。もし、叔母さんのところを出るにしても……」

「やっぱり、そうだよね」

「うん。時間が要る」


 一呼吸置いて、言葉をつなげた。


「それにね」

「なに?」

「僕はみどりと手をつないでるけど、まだ歩き出してはいない。二人で歩くには、準備と訓練が必要だよ」

「それは、わたしの?」

「いや、僕もみどりも」


 笑いながら、昨日の小屋でのことを思い返す。


「だって、僕がみどりの心を知ったのは昨日だよ? みどりだって、僕の本心は知らなかったろ?」

「そうね」


 みどりもくすりと笑った。


「でも、変なのよね。もう生まれた時から、ずっとこうなるような、こうなっていたような気がするのはどうして?」

「知らないよー。はははっ」


 笑いに紛れ込ませながら、僕は穂垂と出見のことを思い浮かべていた。きっと。木馬野には、いや世の中には、邂逅を待ってる孤独な魂がたくさん漂っているんだろう。それらはいつかは出会って、融け合って、昇華していく。僕らはそれを、偶然の出来事だと思うのかもしれない。でも……。


 僕はみどりを見る。見つめる。その瞳の中に、僕がどのように映るのかを確かめるように。


 僕とみどりの距離が近づく。ゼロになる。


 長い。本当に長い口づけ。


 唇を離した後で、僕はほっと息を継いだ。


「好きになるって、切ないね。今まで穂垂や出見の力が疎ましかったけど、でも彼らが居ないと、こんなに近くにいるのに心が確かめられない。だから……。何度も、何度も、言うよ。好きだよ。みどり」

「うん……」


 みどりは目を瞑ると、涙をぼろぼろこぼして頷いた。


 他にどんな言葉が要るっていうんだろう。黙ったまま、気持ちと時間がなじむのを待った。しばらくして。何かを決意したように、みどりが口を開いた。


「こうちゃん、わたしお母さんにお願いして、しばらくここに置いてもらえるよう頼むつもり。もちろん、お店や家事は手伝う」

「うん。僕からそう提案しようと思ってた」


 みどりは顔を伏せた。


「わたしね。まだ自信がないの。たくさんの人の中で、ぐらつかないで自分を保てるのか。上手に意思のやりとりができるのか。出見がいた時は、出見が勝手にやってくれてたから楽だったけど、これからはそうはいかないもの」

「うん……」

「わたしには、本当の意味での外との接点がなかったから、リハビリが必要かもしれない。でないと、また膝を抱えて丸まってしまう……」


 何かを確かめるようにして……。みどりは顔を上げた。


「少しずつ。こうちゃんの負担にならないように。こうちゃんの前に胸を張って立てるように。大声で、みんなの前で、こうちゃんが好きですって言えるように」


 そして向き直ると、僕にがばっと抱きついた。


「がんばるわっ! こうちゃん! 大好きっ!」


 僕はみどりの背中をぽんぽんと叩いた。


「僕の言おうとしてたことが、みーんなみどりに言われちゃったよ。つまんないの」

「すねない、すねない。へへ」

「さて、風呂に入ってくるよ。そのあと母さんと相談しよう」

「うん、分かった」


 僕が部屋を出てちょっと振り返ると、みどりが部屋の中で一人百面相をしていた。さっきの出来事を頭の中で巻き戻して、再現してたんだろ。気持は分かる。分かるが。


 ふっふっふ。結構笑える。


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