(3)
……事情は全て分かった。そう。これは誰のせいでもない。僕、みどり、穂垂と出見、それぞれの生。その重なり方が少し狂っただけだ。
「……穂垂、出見、顔を上げてよ。たぶん、みどりは寂しいんだと思う。出見が抜けたら、みどりは本当に独りだから。出見が出た後で、僕がちゃんと話して聞かせるから安心して」
穂垂と出見が顔を見合わせた。
「……それと、出見の影響がなくなったら、みどりは元気になるの?」
「そのはずじゃ。心への障りはしばらく残るが、体はほどなく元に戻るじゃろう」
「幸助殿。本当に申し訳ござらぬ」
出見がそう言って、平伏したまま震えている。
僕はみどりの目から二人を見ている。たぶんみどりも、同時にこの光景を見てるはずだ。同じところにいるのに、ずっと無言を貫いている。心は重ならない。それだけみどりの絶望感は強いんだろう。僕は穂垂に尋ねた。
「……穂垂、僕は具体的には何をすればいいの?」
穂垂は静かに答えた。
「時が満ちればわしらは勝手に抜けて戻るが、こたびばかりはそれを待ってはいられぬ。もう一つ、わしらが戻る方法がある。刻限が近ければ、わしらの本体に触れるだけでわしらは戻る」
「……と言うことは、穂垂たちの木に触ればいい、というわけ?」
「そうじゃ」
「……出見の木はどこにあるの?」
「小屋の裏手の谷底に、大きな檜の木がある。それが出見じゃ」
そう……か。
「ちなみに、わしは的矢神社の境内の檜じゃ。おぬしが生まれた時、おぬしの父が参内がてら、やや子にわしを触らせた。それが運の尽きだったの」
僕は苦笑した。父さんもお参りにきて、こんな厄介な破魔矢が息子に刺さるなんて夢にも思わなかったろうな。
「……このまま谷筋まで降りるの?」
「いや、それはまずかろう。今おぬしはみどりの中におる。わしと出見が抜けると。おぬしは戻れなくなる」
「……あ、そうか」
それは、困る。とーっても、困る。
「……まず、僕が先に自分の体に戻る必要があるんだね」
「そうじゃ」
「……でも。だったらなぜ、僕がみどりの体に入る必要があったの?」
「……」
穂垂はしばらく黙っていたけど、言いにくそうに答えた。
「みどりはな……。このままでは一両日が山であった。それでな、おぬしの生命を少し分けてもろうた」
「……えっ!?」
「おぬしがみどりに入るということは、わしらにとってみどりは男ということになる。その間は、嵐のような出見の力も、おぬしが盾になって弱まる。それに、おぬしがみどりの手を取ることで、出見はみどりの縛めから逃れられる」
ふううっ。穂垂の溜息は深かった。
「そうじゃ。すでにわしらは、おぬしにみどりを助けてもろうておったのよ」
穂垂が顔を上げて、真っ直ぐに僕を見つめた。
「何の前置きもなく、いきなりみどりの体に呼びつけたことは幾重にも詫びる。おぬしは心底驚いたことじゃろう。じゃがな……。おぬしは、すでに時が満ちている。わしがおぬしからいつ抜けるか分からぬ」
……うん。
「わしと出見の力でみどりにおぬしを呼べるかどうかも、皆目見当がつかなかったのじゃ。わしらは僅かな可能性を頼みに、おぬしにすがるしかなかった。それは分かってくれい」
穂垂や出見には、強い焦りと危機感があったのだろう。それは痛いほどよく分かった。
「さ、戻るぞ」
穂垂は立ち上がって僕を促した。僕はその前に、と穂垂を制してもう一つだけ聞いた。
「……穂垂は、僕から抜けたあとはどうするの?」
振り返った穂垂は、口元にわずかに笑みを浮かべた。
「どうもせぬ。ゆるゆると年を重ね、いつかは消ゆるだけじゃ」
とつとつと、言葉が僕の前に並べられていく。
「おぬしは、わしが永遠の存在だと思うたろう? 確かに、わしらの齢はおぬしらよりは長い。が、いつかは尽きる。朽ち果てる。それはおぬしらと変わることはない。それゆえ、今が。この時が愛おしい。そう本当に、わしは幸福であった。幸助、心より礼を申す。ありがとう」
穂垂は僕に向き直ると、深々と頭を垂れた。僕は胸がいっぱいになって……何も言えなかった。
頭を上げた穂垂は、僕を諭すように言い継いだ。
「おぬしらは。人間は為すことが定めじゃ。わしらは、見ることが定めだと思うておる。動けぬわしらができる、唯一のこと。それはおぬしらを見続けることじゃ。だからの……」
静かに……穂垂が笑みを浮かべた。
「為し続けてくれい。世を作り、代を継ぎ、わしらにそれを見せてくれい。そして時々は……わしらのことを思い出してくれい。わしらは常に幸助を、みどりを、そしてその眷族を見ておるからの。わしらの命が尽きるまでは」
暗闇の中。四つの寂しい魂は、あらゆる障壁を越えてここへ集った。いや、引き合ったと言った方がいいだろう。一瞬の交流で全てを理解し、分かち合い、そしてまた独りに戻っていく。その出会いと別れの、なんと峻烈なこと。終始無言だったみどりも、おそらく同じ心境だっただろう。
「さあ! 急ごう。猶予がない」
穂垂が、再び僕を急かした。
「幸助の体に触れてくれ」
僕は言われるがままによろよろと手を伸ばして、横たわっている自分の体に触った。次の瞬間、視点が動いていた。そう。僕は僕の体に戻ったんだ。僕はすぐに起き上がると、目を凝らしてみどりの方を見た。みどりは手を床について、じっと俯いたままだった。穂垂はまだ童子の姿で闇に浮いていた。続けざまに指示が飛ぶ。
「幸助、みどりを抱えて谷まで降りてくれい。今のみどりの体力では、自力では動けぬはずじゃ」
「……分かった」
僕は立ち上がると、みどりに近づいた。みどりは身じろぎもせず、押し黙ったままだった。
「……立てる?」
聞いてはみたが、返事はない。穂垂の焦りが伝わってくる。僕は思い切ってみどりを抱え上げた。驚いた。軽い。みどりは抵抗するかと思ったけれど、無言のまま目を瞑っていた。
「……行こう」
闇を漕ぐようにして外に出る。まだうっすらと空に紅が残っている。夕刻だろう。足元がぼんやりとでも見えるのはありがたい。両手が塞がっているのはとても辛かったけど、なんとかみどりを抱えて沢まで降りる。沢沿いを少し上がったところ、ちょうど小屋裏の崖下にあたる箇所に堂々とした檜の大木がそびえ立っていた。これが出見だろう。頭の中に穂垂の声が響く。
「幸助。あとはおぬしがみどりの手を取って、出見の木に触らせてやってくれい」
「……分かった」
一時の沈黙があって、再び穂垂の声がした。
「幸助、みどり、永らく世話になったの。ありがとう。達者で暮らせ。おいとまじゃ。出見よ。おまえも礼を言わぬか」
「幸助殿、みどり殿、いろいろ世話になり申した。お元気で」
「……穂垂も、出見もね。さようなら……」
僕はみどりを抱えたまま、みどりの手を取って幹に触らせようとした。でも、みどりは最後の力を振り絞って、それを拒んだ。僕は一度力を緩めた。そしてもう一度手を取って、話しかけた。
「……みどり。これで最後なんだ。きちんとお別れした方がいい」
今度は抵抗しなかった。みどりの開いた手を持って、ゆっくり幹に触らせた。その瞬間。僕の眼前に、穂垂と出見の笑顔がいっぱいに広がって……消えた。
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