(2)
まず、わしら自身のことを話さねばならぬだろう。
わしらが何処から来たのかは、わしらにも分からぬ。いつの間にか意識が在って、いつの間にかそれが外を向いた。じゃが、わしらは動けぬ。意識は在れども何も出来ぬ。それはどうにも寂しいことじゃ。じゃがの。ある時、わしは急に動かされた。動かされたというよりも、何ぞに吸い込まれた。わしを吸い込んだのがおぬしじゃ。幸助。
後で知ったことよ。わしらは古木じゃ。
人の中に引き出され、初めてわしは動けるようになった。無論、わしの意思で動くことは適わぬがの。されど、大地に縛られ、生涯をそこで過ごすことより、一時なれど逃れられるのじゃ。わしは心底嬉しかった。
おぬしに居候しておる間に、わしと幸助のような同類がおることを知った。これもなぜ知りえたかは分からぬ。少なくとも、わしと幸助以外に二組おった。一人はみどりよ。中には出見がおる。もう一人は若い男じゃった。その男の中のやつ、
小杖は言うた。時折、わしらの如き古木の魂魄が人に入り込むことがある。意識を得た木霊に最初に触れたわらべ。わしらはそれに吸い込まれる、と。おぬしらは
かつてこの辺りには、わしらの如き古木は掃いて捨てるほど在った。わらべもはるかに大勢おった。わしらのように依童に乗ることが出来た木霊は、珍しうなかったようじゃ。
小杖は、わしらに言い遺した。そなたらは次に依童に乗った木霊に会うて、必ずこれを伝えよと。乗った木霊が訳を知らずば、依童ともども不幸になる、と言うてな。わしはそなたらに伝えられた、肩の荷が下りたわ、と笑うて去んだ。じゃがの。わしらの後には、依童に乗れた木霊はもう誰もおらぬ。今は、わしと出見だけじゃ。わしらのような古木はひどく減ってしもうた。しかも遺っておるのは、みな
小杖には相済まぬことじゃが、わしらはもう他の木霊に定めを語り継ぐことは出来ぬ。もう、その要すらないのかも知れぬがの……。
◇ ◇ ◇
ここまで語り終わると、穂垂は寂しそうに微笑んだ。出見も無言で顔を伏せている。僕は、慎重に穂垂に尋ねた。
「……穂垂は僕らに乗ると、何か出来るの?」
「わしらは、おぬしらの目で見、おぬしらの耳で聞き、おぬしらが知ったことを共にする。唯それだけじゃ。それ以外にはほとんど何も出来ぬ。ただな……」
穂垂は微苦笑しながら答えた。
「おぬしらに性格があるように、わしらにも性格がある。わしは怠け者の年寄りじゃが、ちと物見高くての。わしの詮索が勝ちすぎると、おぬしには本来見えぬものまで見えてしまう。分かるじゃろう?」
あっ! これで分かったぞ。あの妙な力は穂垂のせいだったのか。
「それにの。早くにわしらが乗ってしまうと、その童の性格は、わしらの障りを強う受けてしまうそうじゃ。おぬしには相済まぬことだがの」
うーん。この、のんびりぼけ倒した性格も穂垂の影響か……。喜んでいいものか、悲しんでいいものか。僕はもう一つ、疑問に思っていたことを聞いてみた。
「……穂垂は、僕が向こうにいる時に、僕が木馬野に帰るように仕向けた?」
急に険しい顔つきになった穂垂が、僕ににじり寄った。
「それじゃ! わしらがおぬしに呼びかけたのには、
穂垂が僕を指差す。
「幾日か前に、ひどい頭痛がしたであろう? その後で、ここを映して見せた。わしらにはそれ程のことしか出来ぬ。それを察してここへ辿り着いて呉れた幸助には、どんなにか礼を言うても言い足らぬ」
穂垂は、にわかに苦渋の表情を浮かべた。
「わしらは、ことを急がねばならぬ。依童はな、本来は男にしか務まらぬ。もし、おなごのわらべが先に木霊に触れたとて、それにわしらが乗ることなどありえんのじゃ」
出見がやりきれない表情で、じっと唇を噛んでいる。
「わしは、おぬしに乗ったので障りはない。まさかおぬしの中に、ここまで居残れるとは思うてもみなかったゆえ、わしはひたすら幸福であった。しかしな……出見は不幸にも、なぜかおなごのみどりに乗ってしもうた」
穂垂も出見も両手の拳を握りしめて震えている。本当に辛そうだ。
「木下の一族は、わしらには恩人じゃ。代々山を守り、わしらの世話をし、大事にしてくれた。ところがの……出見の木下への謝意と外界への好奇心が、ことの他強かったと見えての。とうとう、男ではないみどりに入り込んでしもうたのよ。みどりが小学校四年生の時じゃ」
穂垂が、うつむいたまま言葉を絞り出す。
「すでに言うたが、わしらは乗る相手を選べぬ。ひとたび乗れば、童子が成人するまでは出られぬ。だがの。人間にとってわしらは異物じゃ。生命力の強い男ならばわしらは邪魔にならぬが、おなごに乗るとその心体を蝕んでしまうらしい」
しばらく無言の時が流れた。穂垂の口が、ぐんと重くなる。
「出見はわしよりも若い。しかも性格がはるかに外向きじゃ。好奇心も行動力もわしとは比べ物にならぬ。幸助も、その頃急にみどりの性格が変わったことを知っておるじゃろう?」
言われてみれば、確かにそうだ。それまで恥ずかしがりやで、引っ込み思案だったみどりが、急に明るく、活発になった。それは子供の成長に伴う変化だと思ってたけど。そうか。出見のせいだったのか……。
「本来わしらは十歳のわらべに乗ることもなければ、乗ったにせよ、その
穂垂が、やるせない表情で首を振った。
「思うに、己のことを出見に全て投げ出してしまうほど、みどりには心の隙間が多かったのじゃろう。出見は入り込んだのではなく、みどりにすがりつかれたのかもしれぬ……」
その後、さっと顔を上げた穂垂の口調が変わった。切羽詰まった……早口に。
「じゃがの。みどりにとって、出見はあまりに強すぎた。出見の力はみどりの心を踏み散らかし、隅に押し込めてしもうた。無論、それは出見の望んだことではないが、出見にはどうにもならぬ。嵐のような出見の力。みどりはそれに抗い切れぬ」
穂垂は俯いたまま、ほうっと息をついた。
「三年前。木下の
そして僕の方を向いて言った。
「今それが、身を以て分かるじゃろう?」
この言いようのない不調が、それか……。
「みどりは、伏せることが多くなった。この山中に独り、しかも病みがちでは、看て呉れる者なしでは生きられぬ。みどりにとって幸いじゃったのは、戸板の斎藤が足繁く通うて、気遣ってくれたことよ。じゃが……」
その先は言われなくても分かった。
「……穂垂、戸板は誰もいなくなってしまうんだね」
「そうじゃ。戸板からここまでは、沢伝いの裏道を辿れば半時ほどで来れる。されど……」
それ以外のところから通うことはもはや出来ない、そういうことだろう。穂垂の口調は、ますます早くなった。
「わしらは急がねばならぬ。このままでは、早晩みどりの命が尽きてしまう。出見がみどりから抜けるには、どうしてもおぬしの助けが要るのじゃ」
穂垂は切羽詰まった表情で両手をつき、体を乗り出した。
「出見が出られぬのには、訳がある。どうしても、みどりが出見を離してくれぬのだ」
「……え?」
「幸助が今の今までわしを知らずにおったように、みどりも出見のことは知らぬ。知らぬ上で無意識にすがりつかれては、わしらは身動きができぬ。わしと出見は、みどりに呼びかけることは出来るが、手を引きはがすことが出来ぬ。それが出来るのは、わしらよりみどりと近しいおぬししかおらなんだのじゃ」
ぐったりと、穂垂が首を垂れた。
「わしらのせいでさんざ迷惑をかけた挙句、勝手な頼み事をして本当に相済まぬ。じゃが……このままでは木下の面々に、あの世で合わせる顔がない。わしらの仕打ちは、恩を徒で返すようなものじゃ。わしらはみどりの命が尽きぬうちに、なんとしても抜けねばならぬ。おぬしの力を貸してくれぬか。頼む! この通りだ!」
穂垂と出見は平伏して、床に何度も頭を擦り付けた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます