(2)

 まず、わしら自身のことを話さねばならぬだろう。


 わしらが何処から来たのかは、わしらにも分からぬ。いつの間にか意識が在って、いつの間にかそれが外を向いた。じゃが、わしらは動けぬ。意識は在れども何も出来ぬ。それはどうにも寂しいことじゃ。じゃがの。ある時、わしは急に動かされた。動かされたというよりも、何ぞに吸い込まれた。わしを吸い込んだのがおぬしじゃ。幸助。

 後で知ったことよ。わしらは古木じゃ。よわいはとうに三百年を超しておる。が、古木に残らずわしらのようなものがおるわけではない。最初にも言うたが、なぜわしらが在るのかは、わしらにも分からぬ。


 人の中に引き出され、初めてわしは動けるようになった。無論、わしの意思で動くことは適わぬがの。されど、大地に縛られ、生涯をそこで過ごすことより、一時なれど逃れられるのじゃ。わしは心底嬉しかった。


 おぬしに居候しておる間に、わしと幸助のような同類がおることを知った。これもなぜ知りえたかは分からぬ。少なくとも、わしと幸助以外に二組おった。一人はみどりよ。中には出見がおる。もう一人は若い男じゃった。その男の中のやつ、小杖こづえと言うたか。そやつが、わしらに種々教えて呉れての。

 小杖は言うた。時折、わしらの如き古木の魂魄が人に入り込むことがある。意識を得た木霊に最初に触れたわらべ。わしらはそれに吸い込まれる、と。おぬしらは依童よりわらわと呼ばれるそうじゃ。わしらは『乗る』わらべを選べぬ。そしてわらべが育ち成人が近うなると、わしらは自ずと抜けて、己の木に『帰る』。小杖はわしらと会うて間もなく、男から抜けて何処へか帰った。わしらはひとたび依童から抜けて帰ると、二度と他のわらべに乗ることは出来ぬ。依童に乗れるのは、ただ一度きりじゃ。

 かつてこの辺りには、わしらの如き古木は掃いて捨てるほど在った。わらべもはるかに大勢おった。わしらのように依童に乗ることが出来た木霊は、珍しうなかったようじゃ。


 小杖は、わしらに言い遺した。そなたらは次に依童に乗った木霊に会うて、必ずこれを伝えよと。乗った木霊が訳を知らずば、依童ともども不幸になる、と言うてな。わしはそなたらに伝えられた、肩の荷が下りたわ、と笑うて去んだ。じゃがの。わしらの後には、依童に乗れた木霊はもう誰もおらぬ。今は、わしと出見だけじゃ。わしらのような古木はひどく減ってしもうた。しかも遺っておるのは、みな深山みやまに在る。それらにわらべが触れることは、もうあるまいて。恐らく、わしらが依童に乗れた最後の木霊になるじゃろうな。

 小杖には相済まぬことじゃが、わしらはもう他の木霊に定めを語り継ぐことは出来ぬ。もう、その要すらないのかも知れぬがの……。


◇ ◇ ◇


 ここまで語り終わると、穂垂は寂しそうに微笑んだ。出見も無言で顔を伏せている。僕は、慎重に穂垂に尋ねた。


「……穂垂は僕らに乗ると、何か出来るの?」

「わしらは、おぬしらの目で見、おぬしらの耳で聞き、おぬしらが知ったことを共にする。唯それだけじゃ。それ以外にはほとんど何も出来ぬ。ただな……」


 穂垂は微苦笑しながら答えた。


「おぬしらに性格があるように、わしらにも性格がある。わしは怠け者の年寄りじゃが、ちと物見高くての。わしの詮索が勝ちすぎると、おぬしには本来見えぬものまで見えてしまう。分かるじゃろう?」


 あっ! これで分かったぞ。あの妙な力は穂垂のせいだったのか。


「それにの。早くにわしらが乗ってしまうと、その童の性格は、わしらの障りを強う受けてしまうそうじゃ。おぬしには相済まぬことだがの」


 うーん。この、のんびりぼけ倒した性格も穂垂の影響か……。喜んでいいものか、悲しんでいいものか。僕はもう一つ、疑問に思っていたことを聞いてみた。


「……穂垂は、僕が向こうにいる時に、僕が木馬野に帰るように仕向けた?」


 急に険しい顔つきになった穂垂が、僕ににじり寄った。


「それじゃ! わしらがおぬしに呼びかけたのには、よしがある。無論、おぬしを呼ぶのはわしだけでは出来ぬ。出見にも手伝うてもろうた」


 穂垂が僕を指差す。


「幾日か前に、ひどい頭痛がしたであろう? その後で、ここを映して見せた。わしらにはそれ程のことしか出来ぬ。それを察してここへ辿り着いて呉れた幸助には、どんなにか礼を言うても言い足らぬ」


 穂垂は、にわかに苦渋の表情を浮かべた。


「わしらは、ことを急がねばならぬ。依童はな、本来は男にしか務まらぬ。もし、おなごのわらべが先に木霊に触れたとて、それにわしらが乗ることなどありえんのじゃ」


 出見がやりきれない表情で、じっと唇を噛んでいる。


「わしは、おぬしに乗ったので障りはない。まさかおぬしの中に、ここまで居残れるとは思うてもみなかったゆえ、わしはひたすら幸福であった。しかしな……出見は不幸にも、なぜかおなごのみどりに乗ってしもうた」


 穂垂も出見も両手の拳を握りしめて震えている。本当に辛そうだ。


「木下の一族は、わしらには恩人じゃ。代々山を守り、わしらの世話をし、大事にしてくれた。ところがの……出見の木下への謝意と外界への好奇心が、ことの他強かったと見えての。とうとう、男ではないみどりに入り込んでしもうたのよ。みどりが小学校四年生の時じゃ」


 穂垂が、うつむいたまま言葉を絞り出す。


「すでに言うたが、わしらは乗る相手を選べぬ。ひとたび乗れば、童子が成人するまでは出られぬ。だがの。人間にとってわしらは異物じゃ。生命力の強い男ならばわしらは邪魔にならぬが、おなごに乗るとその心体を蝕んでしまうらしい」


 しばらく無言の時が流れた。穂垂の口が、ぐんと重くなる。


「出見はわしよりも若い。しかも性格がはるかに外向きじゃ。好奇心も行動力もわしとは比べ物にならぬ。幸助も、その頃急にみどりの性格が変わったことを知っておるじゃろう?」


 言われてみれば、確かにそうだ。それまで恥ずかしがりやで、引っ込み思案だったみどりが、急に明るく、活発になった。それは子供の成長に伴う変化だと思ってたけど。そうか。出見のせいだったのか……。


「本来わしらは十歳のわらべに乗ることもなければ、乗ったにせよ、その年嵩としかさの子のしょうや振る舞いに障ることもないはずじゃ。それが……」


 穂垂が、やるせない表情で首を振った。


「思うに、己のことを出見に全て投げ出してしまうほど、みどりには心の隙間が多かったのじゃろう。出見は入り込んだのではなく、みどりにすがりつかれたのかもしれぬ……」


 その後、さっと顔を上げた穂垂の口調が変わった。切羽詰まった……早口に。


「じゃがの。みどりにとって、出見はあまりに強すぎた。出見の力はみどりの心を踏み散らかし、隅に押し込めてしもうた。無論、それは出見の望んだことではないが、出見にはどうにもならぬ。嵐のような出見の力。みどりはそれに抗い切れぬ」


 穂垂は俯いたまま、ほうっと息をついた。


「三年前。木下の男衆おとこしが相次いで逝った。その時に、みどりの心がとうとう挫けてしもうた。出見の力を食い止めていた最後の堤が破れての。出見がみどりの体を食い始めたのじゃ」


 そして僕の方を向いて言った。


「今それが、身を以て分かるじゃろう?」


 この言いようのない不調が、それか……。


「みどりは、伏せることが多くなった。この山中に独り、しかも病みがちでは、看て呉れる者なしでは生きられぬ。みどりにとって幸いじゃったのは、戸板の斎藤が足繁く通うて、気遣ってくれたことよ。じゃが……」


 その先は言われなくても分かった。


「……穂垂、戸板は誰もいなくなってしまうんだね」

「そうじゃ。戸板からここまでは、沢伝いの裏道を辿れば半時ほどで来れる。されど……」


 それ以外のところから通うことはもはや出来ない、そういうことだろう。穂垂の口調は、ますます早くなった。


「わしらは急がねばならぬ。このままでは、早晩みどりの命が尽きてしまう。出見がみどりから抜けるには、どうしてもおぬしの助けが要るのじゃ」


 穂垂は切羽詰まった表情で両手をつき、体を乗り出した。


「出見が出られぬのには、訳がある。どうしても、みどりが出見を離してくれぬのだ」

「……え?」

「幸助が今の今までわしを知らずにおったように、みどりも出見のことは知らぬ。知らぬ上で無意識にすがりつかれては、わしらは身動きができぬ。わしと出見は、みどりに呼びかけることは出来るが、手を引きはがすことが出来ぬ。それが出来るのは、わしらよりみどりと近しいおぬししかおらなんだのじゃ」


 ぐったりと、穂垂が首を垂れた。


「わしらのせいでさんざ迷惑をかけた挙句、勝手な頼み事をして本当に相済まぬ。じゃが……このままでは木下の面々に、あの世で合わせる顔がない。わしらの仕打ちは、恩を徒で返すようなものじゃ。わしらはみどりの命が尽きぬうちに、なんとしても抜けねばならぬ。おぬしの力を貸してくれぬか。頼む! この通りだ!」


 穂垂と出見は平伏して、床に何度も頭を擦り付けた。


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