最終章 木馬野を発つ

(1)

 出発の朝。父さんが軽で、僕らを木馬野の駅まで送ってくれた。ゆっくり見送りしたいが徳子さんの葬儀のことがあるから、と言い残して去った。母さんは、木下のところに見舞いに行くと言って、僕らより先に家を出た。出がけに、がんばってね、とだけ言われた。


 木馬野の駅で列車を待っている時に、僕の携帯が鳴った。リョウだった。


「ちっとも連絡がないから、どうしたかと思ってさ」

「わりぃわりぃ。原井は圏外になるってことが家に着いてから分かったんだ」

「んげ。そりゃー繋がらんはずだ」

「そうだ、リョウ。ちょっと頼みがある」

「なに? 女の子の紹介ならできんぞ。俺が欲しいくらいだ」

「あー、そっちは間に合ってる」

「なにぃ? くそ。コウにまで先を越されるとわ」

「ふふん。そんなあなたにビッグチャンス!」

「それって頼みと関係あるの?」

「もちろん!」

「ほお」

「リョウさ、木下みどりを覚えてる?」

「え? し、知ってるけど」


 リョウは明らかに動揺した様子。


 僕は知ってる。あの力で僕に流れ込んだリョウの秘密。あいつはみどりが好きだったんだ。クラスも違うし、話をしたこともほとんどなかったはずだ。でも、一見明るいみどりの影の部分に、僕以外にもっとも早く気付いたのはリョウだ。明るく元気なのではなく、そう見せているということに。その儚さ、危うさに強く惹かれたんだろう。でも、リョウにはみどりにアプローチするきっかけすらなかった。そして、みどりは突然高校から消えた。


 リョウは面も悪くないし、本来モテる性格だ。それなのに未だ彼女がいないのは、どこかでみどりのことが引っかかっているからだろう。


「あいつ、今体調を崩して本町の県立病院に入院してるんだよ。状態はだいぶよくなってるみたいだけど、退屈してるはずだから見舞ってやってくれないか?」

「そうだな。行ってみるかなー」

「頼むな。僕は今日向こうに戻らないといけないんで、また暮れに帰った時にでも連絡するよ」

「おう。……っと、ちょっと待った」

「なに?」

「おまえさ、そんなにテンポよかったっけ?」

「ははは、人間三日ありゃ変わるんだよ」

「なんだよそれ。まあ、いいや。じゃ、また連絡するわ」

「ほいじゃね」


 僕が電話を切るや否や、水鳥が突っ込んできた。


「今のが、リョウさん?」

「そう」

「ふーん。そういや、良太なのに、なぜリョウなの?」

「くっくっくっ。あいつも僕と同じで、名前に不満を持っててねー。良太はダサい、変えたいっていつも言ってたんだ」

「へえ……。それで?」

「とにかく、後ろについてる字が諸悪の根源だから、そいつを取っちまえってわけ。良太の『た』を抜いて、幸助の『たすける』はないことにする。つまりリョウとコウは『狸の助けなし』」

「なーにーそーれーっ! ひゃははははっ!」


 水鳥は腹を抱えて大笑いしていた。


◇ ◇ ◇


 特急列車は、緑の谷底でダンスを踊る。


 時折、光の破片が投げ込まれる窓辺で、僕はいつものように本を読んでいる。僕の肩にもたれかかるようにして、水鳥が眠っている。昨日までのことが、まるでずっと過去のことのように感じられる。そうでないことを示しているのは、横にいる水鳥だけだ。


 独りで来て、二人で帰る。そして、これからは二人で歩く。不思議だ。


 水鳥の寝顔を見ていたら、反対側の座席のご夫婦と目が合った。あ、来る時に列車に乗っていた人じゃないか。


「またお会いしましたね」

「あら、奇遇ですね」

「ご旅行はいかがでしたか?」

「天気も良かったし、最高でした。ねえ、あなた」


 ご主人は、にこりと笑って頷いた。


「あなたは、お父様とは仲直りされたの?」

「しました。誤解が解けて、ほっとしました」

「それは良かったわ。ところで……」

「なんでしょう?」

「お隣におられるのは、彼女?」

「そうです。まだ付き合いはじめたばかりですけど」

「ふーん……」


 おばさんが、首を傾げながら僕と水鳥を見比べる。


「それにしては、随分お付き合いが深いように感じるわ。気のせいかしら。まるでご夫婦みたい」


 僕はその問いには答えなかった。代わりに、ゆっくりと微笑みを返した。


◇ ◇ ◇


 ぴいいいいいいいいっ!!


 鋭い警笛を後ろに残して。特急列車が、緑の海底を突き抜けた。そして、勢い良く真夏の光の洪水の中に……飛び込んでいった。



【 水鳥編 完 】

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