(3)
十二月下旬。大学は冬休みに入った。地方から来ている学生は、続々と帰省していく。
僕は実家に帰るつもりはなかったので、叔母さんに年末年始の日程を聞いてぎりぎりまでバイトの予定を入れた。僕が父さんと衝突して家を出たことを知ってる叔母さんは、夏休みも、今回も、僕に帰省しろとは言わなかった。正直、とてもありがたかった。
クリスマスを控えた前の週は、プレゼントとして木製の小物や草木染めの製品を買うお客さんが、ひっきりなしに店を訪れてとても忙しかった。二十五日の午後になって、やっと一段落ついた。
レジに居た叔母さんが僕に声を掛けてきた。
「こうちゃん、今日はもうお客さんも来ないだろうし、電話でのアポもないから店仕舞いしましょ。クリスマスなんだから、少しご褒美もないとね」
「……分かりました。表の戸締まりをしてきます。店内の灯りは落とします?」
「まだクリスマス気分を味わいたいから、しばらく点けときましょう」
「……りょーかーい」
僕は入り口のドアにかけてある大きな木のタグを裏返して、『営業終了』にし、鍵をかけて裏口に回った。裏口の戸を開けると、わっ、とびっくりしたような声がした。
「……ありゃ、園田さん。来てたの?」
「だって、日曜日だもん」
ああ、そうか。忙しさにかまけて、すっかり曜日のことなんか忘れてた。
「……さすがに今日は、叔母さんの教室もお休みでしょ?」
「そうなの。でも宿題が出てるから」
「……へえ、宿題なんてあるんだ」
「うん。それもすっごく厳しい宿題」
「……どんなの?」
その時店舗の方から、叔母さんの呼び声が響いてきた。
「こうちゃーん、水鳥ちゃーん、お茶しましょうー。ケーキ食べようよー」
「……あ、はーい」
「わたしも今行きまーす」
裏口の鍵を閉めて、レジ横の出入口からリビングに上がる。大きな木製のテーブルの上には、豪華なデコレーションのクリスマスケーキがもうピースに切り分けられていた。
「わあ、美味しそうですねー」
園田さんが、目鼻からもよだれをたらしそうな勢いでケーキを見ている。
「あら、水鳥ちゃん。その前に宿題よ」
叔母さんは、にこにこしながら園田さんに手を差し出した。園田さんはさっきのテンションが一気に下がって、気まずそうに紙袋をテーブルに置いた。
「これ……」
叔母さんが紙袋を開けると、中から薄紅色の生地で作られたミニポーチが出てきた。
「……へえ。きれいだなあ」
「あ、ありがとう。嬉しい」
僕の感想は、園田さんには嬉しかったようだ。えへえへという感じで照れている。だけど……叔母さんの表情は逆にすごく厳しい。
「水鳥ちゃん。残念だけど、これは不合格」
「やっぱり、ですか」
「自分でやっぱりって言ってるうちは、絶対にものにならないわよ」
叔母さんが、僕に聞いた。
「こうちゃん、最初にこれを見た時、きれいだって言ったでしょ?」
「……はい。言いましたけど」
「布を使った製品は、ファブリック、デザイン、縫製、この三つの要素のどれが欠けても売り物にならないの。きれいという表現がすぐに出るうちは、まだお客さんの目が色だけに止まってる状態」
園田さんは、青くなって俯いてしまった。叔母さんは厳しい口調で話し続ける。
「どんなに染めが良くても、製品としての完成度が低いものは買ってもらえない。趣味ならともかく、商品にするということは簡単なことじゃないのよ?」
改めて園田さんのポーチを見る。デザインは善し悪しというより、これ以上シンプルにはしようがないくらい素っ気ない。縫製は、はっきり言って小学生の家庭科実習のレベル、だ。なるほど……。
叔母さんは表情を和らげて、園田さんに言い渡した。
「水鳥ちゃん。これからしばらく染めの実習はお休みにするわね。その間に、あとの二つのポイント、デザインと縫製の技術を徹底的に磨きなさい。本当は専門学校なんかで鍛えた方がいいんだけど、学生の立場ではそれは難しいでしょうから、努力で克服してね」
「……」
「手を動かす、目を養う、技術を盗む、情報を集める。やれることは全てやってみて。染めに注いでいたエネルギーを、そっちに集中してね」
園田さんの落胆は、傍で見ていても気の毒なくらいだった。そうか。何でも熱意で乗り切ってきた園田さんにも、苦手なことはあったんだなあ。
僕は、園田さんの肩をぽんと叩いた。
「……とりあえずケーキ食べようよ。お腹空いてると、やる気出ないでしょ?」
叔母さんが、それを聞いてからからと笑った。
「こうちゃんらしくない慰め方ね」
「……僕はお腹にやる気中枢があるんですぅ」
「こうちゃんにやる気なんてあったの?」
「……しっつれいな! ありますとも。グラム売りですけど」
叔母さんがげらげら笑い出した。釣られるように、園田さんもくすくす笑ってる。
「……少し元気出たかな?」
「松木くん、ありがとね」
「……お礼を言われるようなことは何もしてないよ」
「ううん」
園田さんは、ぼーっと虚空の一点を見つめて言った。
「ほんとに……うれしいの」
叔母さんが再度僕らに声を掛ける。
「さあ。ケーキ食べましょ。切り口が乾いちゃうわ」
叔母さんが、紅茶を煎れて運んできた。暖かい紅茶とおいしいケーキ。すっとぼけた会話。何もロマンチックなことはなかったけど、暖かい、本当に暖かいクリスマスの午後。
茶話会がお開きになった時には、もう日が落ちて辺りは完全に暗くなっていた。叔母さんに、送っていきなさいと急かされて、コート片手に外に出た。並んで歩き出してすぐ、園田さんが下を向いたまま小声で話しかけてきた。
「ねえ、松木くん」
「……なに?」
「わたしね。本当は自信がないの」
それは園田さんの口から聞いた、初めての弱音だった。
「わたしは染めが好きなんであって、縫製やデザインには興味がない。だから、それでいいんだと思ってた。だって、わたしにはおしゃれのセンスはないし、破壊的に手先が不器用だから」
「……え? 知らなかった。そうなの?」
「さっきの縫い目見たでしょ?」
「……ああ」
園田さんは、寒空に瞬く星を見上げるようにして呟いた。
「それって、逃げ、なんだよね」
「……うん」
いろいろなことから逃げてる僕が言えることなんて、何もない。自分自身が腹立たしい。
「二十年間変わらなかったことが、これから本当に変えられるのかなあって。それを考えると本当に気が重いの。潰れそうになるの……」
「……そうだね。でも……」
ごめんなさい。僕は少しだけ『力』を借りた。
「……叔母さんはね。急いでデザインや縫製の腕前を上げろって、一言も言ってないよ」
「えっ?」
園田さんはびっくりしたように僕の方を向いて、足を止めた。
「……デザイナーや縫製の人たちに、園田さんの染めた布をどうしても使いたいと思わせる。そんな魅力的な布を生み出すには、園田さんにその人たちからの視点が必要なんだ」
僕は手を口に近づけて、はあっと息を吹きかけた。街灯の下で、白い息がゆらゆらと舞って、消える。
「……ファブリックだけを生み出す作家でも構わない。でも、その布がどのように使われるかを想いながら創作した方が、ずっといいものが出来る。叔母さんは、そう言いたかったんだと思う」
園田さんは、じっと僕の言葉を反芻しているようだった。それは本当は僕の言葉ではなく、叔母さんが園田さんに気付いて欲しかった本意だったんだけど。それを種明かししてでも、僕は園田さんに元気を出して欲しかったんだ。
「……逆に言うとね。園田さんのレベルは、染めに関してはもう叔母さんが引き上げられる限界に近いってことさ。素晴らしい染めがある。だからそれを活かす道を考えなさい、自信を持ちなさいって言ってるんだよ」
「!!!」
園田さんは、その場で顔を覆ってしゃくり上げた。抱えていた不安が涙と一緒に消えてくれるなら、この場でどんなに泣いても構わない。だから……前を。前を向いて欲しい。
「……ねえ」
僕は園田さんの方を向かずに言った。
「……焦らなくていいよ。それがライフワークでしょ? 園田さん自身が納得いくまで、自分のペースで追いかければいいじゃない」
園田さんは、袖で涙をごしごし擦って僕の方を見た。そして……。
「松木くん、最高のクリスマスプレゼントをありがとう」
……と、小声で言った。
「……僕じゃないよ。それは叔母さんからのプレゼントさ」
「ううん、プレゼントをもらうには、サンタクロースが要るでしょ?」
「……僕はサンタかい。ほっほっほー」
「ふふっ」
聖夜の名残。外は寒かったけれど、僕らは暖かかった。
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