(2)
講義が終わってコンビニに行くと、園田さんは待ちきれない風に店の前を右往左往していた。
「……動物園のクマじゃないんだからさ。落ち着いたら?」
「なーによう」
すぐにむくれる。ほんとにおもしろいなー。
「……じゃあ、行きますか」
「あ、ちょっと待って」
園田さんはコンビニに突入すると、菓子パンと紙パックのジュースを買って戻ってきた。
「……あれ? お昼食べてなかったの?」
「うん、なんかわくわくしてね。お昼食べるの忘れちゃってた」
実にすばらしい集中力だ。空腹を忘れるほどとは……。ううむ。
電車に乗ると、周囲の目も気にせず菓子パンに齧りつき、ジュースを一気飲みしてぷはーっと息を吐き出した。
「……なんか、おやじみたいだよ?」
「こらっ!」
どかっと肘鉄を食らって息が詰まる。
「乙女に言う言葉じゃないでしょっ!」
「……乙女のすることでもないと思うけど」
「だってお腹が空いてたんだもん!」
うーん、ワイルドぉ。とか、電車の中で掛け合い漫才をやってる間に、目的の駅に着いた。駅を出て、郊外の住宅街の中を歩く。高台に造成された新興住宅地。それを上り詰めた一番高い所に、叔父さんの店がある。
ここは商店街のようなところじゃないので、店舗には叔父さんの作品を知っている人しか来ない。だから、店番といっても忙しいということはまずない。お客さんへの詳しい説明が必要な時は、叔父さんか叔母さんが対応するから、僕の仕事は実質レジ打ちと電話の取次ぎだけだ。
作業場は店舗と別棟になっていて、叔父さんはいつもそこに籠って作業している。呼び出さない限り店舗には来ない。だから、普段は叔母さんが店に立っている。でも、最近本格的に草木染めを始めた叔母さんは、客扱いに邪魔されずに作業に集中できる時間が、少しでも欲しい。それで、僕に白羽の矢が立ったわけ。僕らが店に着いた時には、叔母さんが店舗に出ていた。
「あら、こうちゃん、お帰り」
「……あ、叔母さん。ただいまです。すぐ店番替りますね」
「そちらの方は?」
叔母さんは、僕に同行者がいるのを見つけて小首を傾げた。
「……ああ、大学のクラスメートなんだけど、叔父さんの店を見てみたいっていうので連れてきました」
「あら、カノジョかと思ったのに」
叔母さんはいたずらっぽく笑って、ウインクした。僕は思わず苦笑いして、園田さんの方を振り向いて言った。
「……だってさ」
「どう答えればいいのよ」
「……お好きなように」
ま、たまには僕の方から難題をふっかけてもいいだろう。いっつもいじりネタにされてるからね。でも園田さんは、全く臆せずに自己紹介した。
「はじめまして。わたし、
あ、こりゃ彼女の方が一枚上手だわ。あっさりかわされて、僕はがっかりした。そっか。家具じゃなくてそっちの方だったのか。
叔母さんは、園田さんの目をじっと見つめた。
「曇りのない素晴らしい目をしてるわね。大事になさい」
そして、笑顔で説明した。
「草木染めはね。まだ庄司に嫁ぐ前に、田舎で趣味でやってたの。だんなの仕事が軌道に乗るまでは時間が取れなくてね。最近になって、やっと本格的に再開したの。私のライフワークにしたくてがんばってるところ」
叔母さんは棚に置いてあった淡い山吹色のスカーフを手に取ると、それをふわっと広げた。
「お客さんに胸を張って出せるようになるには、まだまだ時間がかかりそうだけど、気に入ってもらえれば嬉しいわ。ゆっくり見ていってね」
それから僕の方を向いて、にやりと笑った。
「こうちゃん、かわいい
勘弁してくださいよ、叔母さんたら。僕は叔母さんの傍迷惑なそそのかしを聞き流し、園田さんにごゆっくり、と声を掛けた。そして、着かえのためにそそくさと店の奥へ行った。
ユニフォーム代わりのつなぎに着替えて店に戻ると、園田さんは、叔母さんの作品を一つ一つ食い入るように見つめていた。僕は彼女の邪魔をしないように、店の隅に置いてある丸椅子に腰をかけて本を広げた。
◇ ◇ ◇
三十分くらい経っただろうか。ふっと顔を上げると、叔母さんと園田さんがなにやら話し込んでいる。僕の視線に気がついた叔母さんが、僕を呼んだ。
「こうちゃん、ちょっと来てくれる?」
「……なんですか?」
僕は読みかけの本を椅子の上に置いて、叔母さんたちの方へ歩いていった。
「水鳥ちゃんがね、私に草木染めを習いたいっていうのよ。私は店もあるからそんなに時間が取れないんだけど、日曜の午後なら、私の作業ついでに一、二時間は教えてあげられる。こちらに通ってもらうつもりなんだけど、いいかしら?」
「……叔母さーん、なんで僕の同意を求めるんですかあ?」
「え? やっぱりカレシの了解は取らないと」
「……だから、からかうのは止めてくださいよう」
園田さんは、僕と叔母さんとのやり取りをにやにや笑いながら見ている。勘弁してほしいよ、全く。叔母さんのいたずら好きにもほどがある。困惑しきった僕を弄ぶように、叔母さんのとどめの一言。
「こうちゃん、ちゃんと水鳥ちゃんを駅までエスコートするのよ。送り狼にならないようにね」
ちゅどーん!
◇ ◇ ◇
駅までの帰り道。園田さんは、しょげかえった僕を慰めるように言った。
「松木くん、ごめんね。ちょっと悪ふざけし過ぎたかもしれない」
「……もういいよ。叔母さんのあの性格は、僕が一番知ってたんだし。脇が甘かったのが致命傷だったよなあ。ふぅ」
「でも、今日連れてきてもらって本当に良かった。すごいものを見せてもらったわ」
園田さんは上気していたようだ。夕暮れの赤い光を顔に浴びて、少し遠くを見る目できっぱり言い切った。
「人生のターニングポイントかもしれない」
僕はものすごく驚いた。
出会いは毎日繰り返される。その無数の出会いの中で、自分の人生を変えるものはほんの少ししかない。もし今日の出会いが園田さんにとってのそれに当たったのな
ら、僕はその瞬間に立ち会ったことになるんだ。
「……そうか。それは本当に良かった」
「ありがとう」
園田さんは恥もてらいもなく、真っ直ぐにそう言った。
◇ ◇ ◇
それから。園田さんは、日曜ごとに叔父さんの店に現れた。ほとんど皆勤賞と言ってもいい。店番をしている僕にはちょっと挨拶するくらいで、すぐに作業着に着替えて、叔母さんの待つ工房に直行する。染料の染みがあちこちに飛んだノートを広げて、叔母さんの説明のメモを取り、手順と仕上がりを記録するのに、デジカメで写真を撮る。
もうもうと湯気が立ち上がる煮染め釜を前に、自分でも材料や媒染剤を変えて、どんな色が出るのかを確かめながら、染めを覚えていく。
染めの仕事は危険もあるし、汚れるし、体力も要る。煮染め釜の熱湯で火傷を負ったり、服や手足に染料の染みをこしらえたり……。おしゃれや余暇の過ごし方が関心事の普通の女の子なら、絶対に近寄りたくないような環境だ。
だけど園田さんの熱意と集中力は、とても普通の大学生のそれではなかった。真剣な、切れるような眼差し。叔母さんと一緒に作業する時間の一分一秒を惜しむように、工程をてきぱきこなしていく。
◇ ◇ ◇
園田さんは、大学では相変わらず僕に声をかけてきて、時々昼食を一緒にとる。以前と違うのは、話題がほとんど染めのことになったこと。僕は染めの専門家じゃないから、自然と園田さんの聞き役になる。それでも。目をきらきらさせて、自分が夢中になっていることを話し続ける園田さんはとても素敵だった。その時間が無駄だと思ったことは、一度もなかった。
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