第6話 魔法使いと赤い夏祭り

「え~、熱出しちゃったの」

「ごめんなさい……」

 午後一時。携帯電話の向こうで硝子しょうこが咳き込む。

 今日は一緒に夏祭りに行く予定だった。しかし風邪なら仕方ない。

「どうしようかなぁ。独りじゃつまらない」

 ゴロンとベッドに転がる。ブレスレットが目に留まった。

 もしかしたらラボに行けば会えるかな?

 チョコレート色の肌に光る白い歯、深い赤の髪を思い出す。

 一緒にお祭り行けたらどんなにか。

 『浴衣姿も可愛らしいねぇご婦人』とか言われちゃったりして。雑踏を並んで歩いちゃったり、はぐれないように軽く袖掴んじゃったりして。こう、慣れない下駄に転び掛けた所を支えてくれてハッとしてみたり。水風船釣りしている時に二人で同じのを狙っちゃって手がぶつかって照れちゃって。なんかその後えらいお互いに意識しちゃってふと雑踏が途切れた時に。

「うふふふふふ」

「マグノリアさん……? マグノリアさんも熱がおありですの?」

「へ? ごめん。考え事してた」

 私は頭を振って生ぬるい妄想を振り払う。

 お大事に、を言って電話を切った。



「硝子、風邪引いちゃって行けないんだって」

「あらあら、残念ねぇ」

 昼食のお皿を洗いながらママが相槌する。

 ママの背中で揺れるのは漆黒の長い髪。私の太陽色の髪とは正反対の、夜より深い黒色だ。瞳も暗い焦げ茶色。

 母は純粋な日本人だ。

 私はあまり母に似ず、イギリス人の父に良く似ている。すみれ色の瞳は祖父譲りらしい。

「お祭りは行かないの?」

「うーん、行きたいな。浴衣着せて。教授のラボで誰か誘う」

 私はまだラボで彼に逢える可能性を諦めていなかった。

 皿洗いを終えると、母は自分の昔の浴衣を広げてくれた。色とりどり柄も様々な布の海。

「お父さんはね、浴衣が大好きだったの。夏になるとデートには浴衣を着てくるようせがんだものよ」

 その話は毎年聞いている。だから私も祭くらいは浴衣を着たいのだ。

 姿見鏡の前、紺地に椿の浴衣を当てて、私はむくれる。私の肌は白すぎて濃い色に負けてしまう。似合わない。

「こういうの着たいのに」

「好きなら着ちゃえばいいのよ」

 そんなに割り切れないよ。 

 私はママの浴衣を片っ端から羽織ってみる。

 牡丹、蓬、萩、浅葱。和の色は、洋たる私が着ても映えない。

 結局一番似合う、薄いピンク地に赤い金魚柄を着ることにした。帯は濃いピンク。

「なーんか子供っぽいな」

「あら、可愛いわよ」

 文庫結びを作りながら母が言う。

 まぁ確かに可愛い着物だ。でも十七にもなるとさ、色香に憧れたりするわけだ。

 頭の高い位置で金色の団子を丸め、簪を差す。簪にゆらゆら揺れる蜻蛉玉。

「あら、琉球ガラスなんて何処で買ったの?」

 おはしょりを直す母がブレスレットに気付いた。海に飛び込んだ直後みたいな、気泡のたっぷり入ったガラス玉。

「これ、琉球ガラスって言うんだ……」

「そうよ。沖縄の名産品」

 こんな物を持っているくらいだし、渾名が渾名だ。沖縄さんは本当に沖縄の人なのかもしれない。



◇◇◇------



 ラボに着いて見回したけれど、沖縄さんは居なかった。

 そう上手く逢えるはずもないか。

 今更のように都合良い妄想に苦笑いし、椅子に座る。

 すぐ傍では休憩中とおぼしき教授が考え事しながら特濃の紅茶を飲んでいる。今日の眼鏡はプラチナ色の上半縁だ。ゴーグルのような変わった形。

 教授の眼鏡は毎日違う。眼鏡集めが趣味らしい。

「マグノリアさん、こんにちは。とっても可愛い浴衣ですね」

 ネットでまとめた黒髪と大きな胸を揺らし、茶々さんが扉をくぐってきた。

 彼女はこのラボの看護学生だ。保健師を目指しているらしい。小柄ながら魅力的な肉体と可愛らしい顔の小悪魔である。襟には今日も猫のブローチ。

「ありがとう! 夏祭りに行こうと思って」

「そう言えば今日でしたね」

 私はここぞとばかりに茶々さんを巻き込む。

「ねぇねぇ、今日はもう講義終り? 一緒に行こうよ!」

「ちょうど期末試験が終わったところで、今から夏休みです。喜んで。一度下宿に戻って浴衣に着替えてもいいですか?」

「茶々さんの浴衣たのしみ」

 きゃあきゃあと騒ぐ私たちを教授が横目に見ている。

「教授も行く?」

「准教授だけどね」

 肯定か否定か分からぬ返答のあと、教授室に入る。

 出てきた時にはもう白衣を脱いでいた。露わになる上質な背広。

 どうやらイエスだったらしい。




 夕立の気配もない。良い風の渡る日暮れだ。お祭り日和である。


 着替えた茶々さんが待ち合わせ場所にやってきた。その艶姿に息を飲む。

 彩度を抑えた朱色を背景に、黒い紅葉が舞っていた。浴衣の朱が緑の黒髪と共鳴し、引き立てあっている。まるで彼女自身も含め夕映えの中の落葉を切り取ったようだ。

 胸が大きいと和装は似合わないなんて誰が言ったのだろう。歩きながら指先で襟を直す仕草の、色香匂うこと匂うこと。

 こういう雰囲気が欲しかったんだよなぁ……。

 私は人知れず溜め息をつきながら、金平糖色の浴衣の肩を整える。




 パレードやショー、ビアガーデンもやっているけれど、夏祭りと言えばやはり縁日巡りでしょう。

 意見は一致し、三人で屋台の並ぶ通りを散策することになる。

 数歩ごとに近付いては遠のく発電機の唸り。澱んでは流れ、粗密を繰り返し二方向に行き交う雑踏。芝の広場の傍では踏み荒らされた草の匂いが。

 そして往来に紛れるヒトならざるモノの影。けっこうな数、居る。

 でも不思議とそれらには嫌な感じがしないのだ。

 彼らはまだ自分をヒトだと思っているのかもしれない。

 ヒトの気配に釣られて何かを想っているのかもしれない。

 そんな彼らの中に混ざって祖父や父が居るのではないか。

 また逢えたならどんなにか。

 ううん、逢えなくても良い。元気な私を見て安心してくれれば。

 そう願って私は父の大好きな浴衣を着るのだ。

 ちょっとセンチメンタルな私を余所に一番楽しそうなのは教授だ。もう既に両手にチョコバナナと焼きイカを持っている。ティーパック複数を濃縮した紅茶以外を食べている所、初めて見たかもしれない。

 よく見ると小銭を沢山入れた容器を持っている。プラスチック製のボトルのような。

「それ、財布には見えないけど」

「元々は薬品の入っていた瓶だね。小銭をじゃらじゃら入れて歩くには財布より便利なんだよ。クチが広くて出しやすいし。ちょっと毒があるのを入れていた事もあるけど、洗ってあるから大丈夫。多分」

 私は聞かなかったことにした。

 夕陽を透かし、プラスチックより鮮やかなかき氷のシロップが目を奪う。焼ける音高らかなタコヤキ屋さん。商標の怪しいキャラが踊るくじ引き屋さん。許可は取っているのだろうか。

 お祭りの中では、そんなのどうでもいいのかもしれない。

 この空間は何もかもグレーゾーンだ。

 全てがない交ぜに混ざり合う。

 表社会と裏社会も。

 止まると進むも。

 和と洋も。

 清らも穢れも。 

 ヒトとヒトならざるも。

 私はこの混沌が好きでたまらないのだ。

 ハーフや異能という濁りを持って生まれた私が、異質でなくあれる気がして。


「金魚すくいですね」

 茶々さんが屋台の前で足を止めた。

「下宿で飼っているグッピーが死んじゃって寂しかったんです。すくっていこうかしら」

「がんばって!」

 茶々さんはお金を払い、紙ポイを受け取る。

 新たな家族獲得の賭けだけあって茶々さんの表情は真剣だ。浴衣の袖をまくり、水面を睨む。

 狙いは赤い出目金。

「ぷ……あっ」

「あ」

 水槽中の金魚が痙攣しながら浮かび上がってきた。

 夢中になりすぎてついψサイの能力を使ってしまったらしい。彼女は生き物の体に異常を起こすことができる。

「今のうちにすくっちゃいなよ。痺れているだけだから、すぐ起きちゃうよ」

 そういう訳にはいかないです教授。

 茶々さんが申し訳なさそうに未使用のポイを返す。何が起こったか理解出来てない屋台の主に背を向け、私たちは足早に立ち去った。


 射的の屋台に目をつけたのは教授だった。

「教授! あのぬいぐるみ欲しい」

「准教授だけどね」

 言いながら教授が銃を取った。

「大人は一発100円、五発なら400円ですよ」

「一発で充分さ」

 広口試薬瓶から百円玉を一枚だけ出し、渡す。

 教授はすぐに銃口へコルクの弾を詰めた。

 銃を構える様はなかなかキマっている。いつになく真剣な眼差し。

 銃口は一番大きなテディベアに向けられていた。

 パァン、破裂音と共にテディベアが台から落ちる。

 ぱすっ、同時に気の抜けるような音が銃から聞こえた。

 教授が銃口を覗き込む。

 コルクの弾が出ていない。

「不発ですね……?」

 店主がテディベアと銃を見比べながら釈然としない顔で言う。

「成程・じゃあもう一回撃てるね」

「待ってください桂馬先生」

 茶々さんの制止も聞かず、教授が再び銃を構える。

 缶ジュースが倒れた。

 少し遅れてコルクの弾が力無く壁に当たるのが見えた。

「……」

「ダブルゲットだね」

 ものすごく釈然としない店主からテディベアとジュースをもぎ取る教授。

 屋台から少し離れたあと私は問うた。

「何したの」

「タイミングが上手く行かなかったけど僕の『力』で倒したよ」

「教授もψサイなの?」

 教授がふいと灰色の影を避ける。往来に佇むヒトならざる何かを。

 教授は「准教授だけどね」とテディベアを抱き直してから応えた。

「僕は自分を呼ぶ言葉を知らない。今までの分類に当てはまらない色々ができる。だから僕は自分を仮に『魔法使い』と呼んでいた。今は研究を始めて、理論的に自分の魔法を説明しようとしているから、格上げして『魔術師』」

 私も自分を呼ぶ言葉を知らない。霊能者って言うのも違和感があるし、訓練を受けてないからエクソシストとも違う。でも自分に名前を付けようとか細かく調べようなんて考えた事もなかった。

 嫌われないように。否定されないように。普通のふりして生きていくだけで精いっぱいだった。

 何が彼にそこまでさせているのだろう。

 どんな出来事があればこうも強くなれるのだろう。

 腕に余るテディベアを何度も持ち直しながら歩く教授が、心にも何か大きな物を抱えているように見えた。

「それにしても、そういう力でイカサマして景品取るなんて大人気ないね……」

「何を言っているんだい。大人気ない・って言う方が大人気ないんだよ。紫蓮君はまだまだ子供だなぁ」

 突っ込もうか散々迷い、私は受け流す事にした。

 ところで。

「ところで、そのぬいぐるみ」

「あげないよ」



◇◇◇------



 寝込む硝子のお見舞いに綿あめを買い、届けてあげることにした。

 硝子の家はここからそう遠くない。その事を告げると、教授と茶々さんも一緒に行くと言ってくれた。

 世界の覇者たる2足歩行ネズミが描かれた大きな袋を揺らして夜道を歩く。

 祭りの本会場から離れる毎に薄暗くなっていく。


 屋台を照らしていた熱いライトも街灯も少なくなり、街路樹の間を渡る提灯が主な光源となった。赤橙色の重く鈍い灯りが夜風に揺れる。生臭い風だ。

 小さな稲荷神社の前を通った時だった。提灯の下、鳥居の脇の生垣がガサリと揺れた。

「お、mt-Keimaミト・ケイマじゃん。おつかれー」

 葉陰から飛び出して来た甚平姿は。

「沖縄さん!」

 私は歓びのあまり声を上げる。

 沖縄さんは驚愕したようにこちらを見た。一瞬だけ視線が彼の背後を気にしたように見えた。

 笑顔を繕って沖縄さんは片手を上げる。

「やあ、ご婦人、ゴセット嬢。皆で祭りとは仲睦まじくて何より」

 どうやら教授一人だと勘違いしたようだ。相変わらず挙動不審を隠しきれていない。

 何をそんなに気にしているのだろう?

「夜道は危ないから気を付けてねっ。それじゃ」

 沖縄さんが走り去る。その足取りは夜風より速い。赤毛の残影はあっという間に角を曲がって見えなくなった。

「脚、はやいなぁ」

「陸上部の元主将ですからね」

 茶々さんが吐き捨てた。

 彼が主将?

 あの、最近とても良い仕事している陸上部の?

「今は博士課程ですから、主将をしていたのは数年前ですが」

 言いながら、鳥居の向こう、ぬばたまの闇を睨む。

 茶々さんが一歩踏み出しかけた所で教授はのんびりと言った。

「Student君、行こう。あまり遅くなると先方に迷惑だ」

「……、はい」

 一瞬だけ迷いを見せたが、茶々さんは鳥居へ向かう足を止めた。

 稲荷から離れ、鳥居の朱色が遠ざかっても、茶々さんは何度も振り返っていた。



 硝子しょうこは寝てしまい、硝子の両親ともまだ仕事で帰っていなかった。

 二木の家のお手伝いさんに綿あめを預けて帰路についた。

 夜道は危ないからと教授も茶々さんも我が家の前までついてきてくれた。


 家に着くと、教授はさっき射的で取ったジュースをくれた。

 味の濃い飲み物はあまり好きではないらしい。

 いらないのにムキになって取る辺りやっぱり大人気ないよなぁと思いながら、

 まだほんのり冷たい缶を頬に当て、テディベアを抱え遠ざかる背と浴衣の紅葉散る背を見送った。

 それの二人とすれ違う、金髪に浴衣の男性。

 教授がちらとだけ彼を横目に見た。そして、私を振り返る。

 なんだろう?

 浴衣の男性は足早に歩き、私の隣を通り過ぎた。そして家の門を、くぐる気配。

「――パパ?」

 振り向いた玄関には誰もいなかった。



◇◇◇------



 その翌朝のことである。

 地方紙の片隅に小さな事件が載った。

 昨夜の稲荷神社の境内で、瓶詰された毒物や火薬と、複数の猫の惨殺体が見付かったと。

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