第61話 優しくて残酷な世界
あんな事のあった直後だもの。家になんか帰る気になれなかった。
静かな場所を求めていつもの公園に向かい、ベンチに座る。
そしてたぶん、思い詰めたような顔でわたしは膝の上にある創作ノートをずっと見つめていたと思う。
羽瑠奈ちゃんに追いかけられてバックの中身をぶちまけてしまった時、わたしは真っ先にこれを拾った。
おかげでノートも身体もボロボロ、本当に傷だらけ……。
けど、身体の痛みはあまり感じなかった。
ただ、心の痛みだけが化膿しかけた傷口のようにじくじくと
膝に抱えているボロボロになったノートは、わたしだけのセカイが詰まった大切な半身。
でもね……
これを守る為に何を無くしてしまったのだろうか?
これを守った事でわたしは何かを得たのだろうか?
わたしはただ憧れていただけかもしれない。
守った事に意味を持ちたくて。
守るべきものがあることを誇りに思いたくて。
『こぉら!』
懐かしい声を聞いたような気がする。空耳だろうか。
その時、風向きが急に変わり、強風がわたしの座っている場所を吹き抜ける。
頭上にある小枝が大きな音を立ててがさがさとその風に煽られた。
「痛っ!」
こてん、とわたしの頭に何かが直撃する。
そのまま地面に転がったそれは、見覚えのあるウサギのキーホルダーだった。
ずいぶん前に無くしてしまったもの。
量産品なので、自分の物だったかどうかは一目ではわからない。けど、確認する方法はある。
裏には文字が刻んであったはず。それはオーダーメイドで彫られたもの。
それはわたしたちだけのもの。
キーホルダーを拾うとその表面を撫で、願うように、祈るように裏返す。
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何があってもわたくしたちの友情は変わりません 成美
未来永劫、この出会いに感謝 美沙
明日も明後日もまた会えるよね ありす
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忘れていたわけではない。悲しみに沈み、二度と起きあがれなくなるからと心の底に閉じこめていたもの。
三年前のあの日、永遠にも続くと思われた日常は突然終わりを告げた。
* *
その日、ショッピングモールに遊びに来ていたわたしたち。
「あ、さっきのお店に忘れ物してきちゃった」
カフェでお茶をした時に、大切な創作ノートを忘れてきてしまったのを思い出す。
たぶん、ネタを思いついて書き込んで、その後二人との話に夢中になって置きっぱなしにしてしまったのだ。
「てへっ。まったく大切なノートだっていうのに、ドジッ子にもほどがあるぞ、わたし」
その場のノリで『ドジッ子』アピールをしてみたのだが、二人には見事にスルーされてしまう。
「慌て者だなぁ」
「いいですわ。ここでお待ちしておりますから」
「そこはツッコんでよ!」という言葉を飲み込み、わたしは逃げるようにその場を去った。素でやるには少し羞恥心が大きすぎたようだ。
親友である二人を残して、忘れ物をした店に戻る。
三人で座っていた席を見渡したがノートは見つからず落胆していたところ、店員に声をかけられた。
「お客様。先ほどあの席に座っていた方でしょうか?」
「あ、はい。そうです。ちょっと忘れ物しちゃって」
「忘れ物というとどのような?」
店員はわたしの言葉をあきらかに待っている。
「あ、あの、A4サイズのノートが置いてありませんでした?」
個人情報保護が厳しい時代、本人確認もできないうちに忘れ物を差し出すことはないだろう。
「中に何かお客様だと確認できるようなものがありますか?」
それが一番の難点。
「……」
創作ノートだと言うのはものすごく恥ずかしかった。冒頭に書いてある小説の一文を読み上げればいいのだろうけど、それを言うにはどれだけの勇気が必要なのだろう?
「あのー? お客様」
無言のわたしに店員は首を傾げる。
仕方なく、わたしはノートの最終ページに描いてあったものを思い出す。
「最後のページにウサギの落書きがしてあって、吹き出しに『汝は魔法を使いたいのだろう?』と書いてあるはずです」
小説の冒頭を読み上げるよりは、こちらの方がまだダメージは少ない。それでも、わたしの頬は他人から見ればひどく赤く染まっていたと思う。
無事に店員からノートを返却してもらい。ミッションは終了。
恥ずかしくて死にそうだったけど、ミサちゃんとナルミちゃんに話して笑ってもらおう。そうすれば少しは落ち着くはずだ。
わたしは三人で一緒に買ったうさぎのキーホルダーを握りしめる。
その直後だった。
建物が激しく揺れ、轟音が響きわたる。
館内に鳴り響く警報。
気づいたときには辺りには煙が充満し始めていた。。
わたしは急いで二人の所に戻ろうとしたが、床の所々にに亀裂が走っていてそれが恐怖を増長させる。
急ぐどころか、恐る恐る一歩踏み出すのが精一杯だった。
ようやく先ほど二人と別れた場所に到着するも、辺りの情景は一変していた。
天井が崩落したのか、瓦礫の山があちこちにある。
火災が発生していたり、どこからかうめき声も聞こえてくる。
わたしは不安になって二人の名を呼ぶ。
「ミサちゃん?」
「ナルミちゃん?」
聞こえてくるのは耳障りな警報音。
「ミサちゃん!!!」
「ナルミちゃん!!!」
大声で叫ぶも返事はない。
呆然としてるわたしの目に、あのウサギのキーホルダーを持った右手が見えた。
あわてて駆け寄るもそれは血だらけ……身体はすでに潰されていた。
「いやぁぁぁぁぁぁぁ!!」
* *
天災とも人災とも噂されたあの日以来、わたしは変わってしまった。
現実を拒み、物語を創ることさえ拒んだ。
逃げるのを嫌っていたわたしは初めて逃げることに躊躇をしなくなる。
そして『妄想』を生み出し、その混沌とした泥の中にどっぷりと浸かってしまった。
ふいに聞こえてくる懐かしい声。
『ゼロからにせよ、何かをベースにするにせよ。アリスは物語を組み上げているじゃない。根拠のない誤った世界、それを妄想と言うんだろうけど、そんな無責任な世界は創らないじゃない。そこがね、なんか凄いなって思うんだ』
ミサちゃん?
『でも、アリスさんが物語を大好きなことには変わりはないですわね』
ナルミちゃん?
『もう、一人でも平気だよね?』
『もう、一人でも平気ですわね?』
二人の声がユニゾンする。
懐かしいその声は空耳なのか、自分が生み出した幻なのかはわからない。
よくわからないのに、涙が溢れた。
その滴はノートにぽたぽたと落ち、シミを作っていく。
それを見て、自分が何をすべきかようやく理解した。
わたしは躊躇わず、手にしたノートを一気に破る。
でも、まだ半分に引き裂かれただけ。だから、今度は一ページ一ページ、丁寧に細かく刻んでいく。
風で空に舞い上がるノートの切れ端。その一つ一つには、自分の想いが込められた文字がびっしりと書き記されてある。
けど……それはもう、どうでもいいのかもしれない。
だって、わたしはこんなものを守りたかったんじゃない。こんなものを誇りたかったんじゃない。
誇るべきはあの二人と出会ったこと、そして一緒に過ごした時間。
失ったことを悔やんでもしょうがない。
自分に影響を与えてくれたことを感謝しなくちゃいけないんだ。
それがわたしが今、生きてここにいる理由。
優しくて強くて活動的で、それでいて大らかなミサちゃんに憧れていた。
優しくて気高くて優雅で、それでいて親しみやすいナルミちゃんに憧れていた。
どれだけ裏切られても、
どれだけ痛めつけられても、
諦めることができないのは、自分の中に残る『憧れ』のせいなのだろう
。
一度知ってしまった『優しさ』というぬくもり。
いっそのこと憧れることなど、なければ良かった。
そうすればこの世界に未練など持つことはなかった。いつもそうやって悔やんでいた。
けど、本当は知らないよりはマシなのかもしれない。
こんなにも心を純粋にして憧れてしまえるほど、それは尊いものなのだから。
一度知って、それがかけがえのないものだと気付いてしまったのだから。
それだけは胸を張って幸せだったと思える。
だから、この残酷な世界にもう一度憧れを芽吹かせよう。
優しい世界を取り戻そう。
それがわたしのささやかな願いなのだから。
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